第11話「この一瞬という刻の中で」
その夜はささやかながら、三人の少年少女はひとときの安らぎを得た。
古い
ベッドは千雪がれんふぁと使うことになった。
他のベッドはひっくり返ったり
「……ん、ぁ……あら? これは……れんふぁさん? あの……起きて、ますよね?」
「ふぇ……大丈夫だよぉ、ふふ、ふふふふふふふ……」
目が覚めると、千雪は寝汗に濡れた身を起こそうとして重みを感じる。
身体を見下ろせば、シャツ一枚で制服を脱いだ自分に、パジャマ姿のれんふぁが抱き付いていた。遠慮なく胸の谷間に顔を埋めて、ガッチリと大好き全開ホールドで腕を回して抱き締めてくれている。
妙な寝苦しさに汗ばんだのはこれかと、千雪は苦笑するしかない。
だが、れんふぁはまるで
「大丈夫、大丈夫だよお母さん……わたし、ちゃんと……おじいちゃんに」
「れんふぁさん……ふふ、夢を見ているんですね」
「心配しない、で……わたし、行かなきゃ、いけな……だって」
記憶喪失の謎の少女、れんふぁ。
統矢の
だが、それ以前に千雪にとっては、既に大事な友人の一人だ。
そして、れんふぁは友人である以上に千雪に
「……? そういえば、統矢君は……統矢くん?」
ふと、千雪はれんふぁを優しく引き剥がしながら振り返る。そこには壊れかけのソファがあって、座って統矢は寝ていた筈だ。
だが、その姿が今は見えない。
思わず立ち上がった千雪はベッドを飛び降りる。
すらりと伸びたしなやかな脚が、白いシャツだけの姿で彼女を立たせた。制服の上着やスカートを身につけるのも忘れて、千雪はソファへと駆け寄る。
統矢がかぶっていた毛布は、触れればまだ温かかった。
「まだ、抜け出てからそんなに時間が経ってませんね。統矢君……どこに」
千雪は周囲を見渡すが、外から
言い知れぬ不安と緊張に、思わず千雪はソファから拾い上げた毛布を抱き締める。
少し
彼の名を呟き、その毛布に頬を寄せていた、その時だった。
突如、上の階で物音が響く。
何か大きな物が倒れるような音だ。
「統矢君?」
慌てて千雪は、下着の上にシャツ一枚のままで走り出す。放り出した毛布がソファに落ちるより早く、階段へ回り込んで上を見上げた。その先から僅かに、人の気配がする。
間違いない、上の階にどうやら統矢がいるようだ。
もしくは、千雪たち三人以外の誰かが。
あらゆるインフラを失い
千雪は警戒しつつ階段を上がり、五階の売り場を覗き込む。
大きな横穴が空いているらしく、五階は差し込む
そして、その
「おう、千雪か。おはよ……っ! お前、なんか着ろ! とりあえず、下をはけっ!」
「統矢君……おはようございます」
「あーもぉ、なんだよお前! 隠せ! 俺に見せんな、そんなもん」
「そんなもん……統矢君、そんなもん、ですか? そんなもんなんですか、私……?」
統矢は顔を真赤にして背を向けた。
言葉を文字通りに受け取らずに、その子供っぽい反応に自然と千雪は表情を和らげる。だが、全くの無表情で
そして、改めて五階を見渡すと……どうやら浴槽関係のショールームのようだ。
統矢はその奥へと、ジェラルミン色のタンクに液体を満たして運んでいく。先程の音は、それをうっかり落としたようだ。
統矢の背を追えば、意外な物が千雪を待ち受けていた。
「これは……シャワー、ですか? バスタブも。どうしたんですか、統矢君」
「そこら辺に散らかってたのを集めた。水は、屋上のタンクに溜まってた雨水を
「統矢君。あの、私は別に……事前にシャワーを浴びずとも……互いの匂いが入り交じるというのも、耽美な情事の、その、なんというか……す、好き……」
「おい、なに言ってんだ馬鹿か? アホなのか? アホの子なのかよ」
「でも、統矢君はきっと私がシャワーを浴びて、明かりは消してくださいとか言うのが好きなんですね。萌えなんですね……そうなんですね」
「ちげーよ、よせよせ。ったく」
千雪は動揺と感動を隠す余りに、しろどもどろに変なことを口走った。だが、統矢は取り合わずに笑っている。
だが、千雪の感動は本物だ。
彼は
雑然とした瓦礫の中に、突然現れたシャワールーム。
「れんふぁが、さ……女の子には色々あるって言うからよ。お、俺ぁほら、結構こういうの得意なんだ。
「は、はい。いえ……率直に言って、凄いです。統矢君、びっくりしてます、私」
「はは、そんな顔で言われてもな。俺にしかわかんないぞ、もっと笑わないと」
「……いえ、それで別に……いい、です、けど」
統矢が
汗を、かいているから。
思わずシャツの胸元を持ち上げ、そっと鼻に寄せてみる。
やはり、ちょっと汗臭い。
統矢が慌てて背を向けたのは、千雪の引き締まった腹筋とヘソが下着と共に丸見えになったからだが、そのことに千雪は気付かなかった。
「お、俺はれんふぁを起こしてくるからな! お湯も油も少ししか集められなかった……一緒に入っちまえよ。俺はいいや、外で水でもかぶるからさ」
「……統矢君も、一緒に……入り、ますか?」
「はは、なんだそれ。千雪、お前でも冗談が言えるんだな。れんふぁに殺されるっての。俺は機体に一度戻ってみる。【シンデレラ】にタブレットを置いてきちまったし、お前の【
「は、はい。では」
男の子って、難しい。
笑って走り去る統矢の背を見送り、千雪は
統矢君も一緒に、わかったそれじゃあ、ふふふ、ははは、ほら統矢君、あっコラ千雪……みたいなのを妄想してしまったのだが、それは空想だけで終わってしまった。
だが、率直に言って起き抜けに熱いシャワーというのは、嬉しい。
こんな場所に放り込まれたサバイバル中だから、
なにより、シビアな環境での統矢の逞しさ、気遣いが心に強く響く。
「でも、ちょっと……ふふ、統矢君。こういうとこには気が回らないんですね。統矢君らしいですけど」
千雪はシャツを脱いでたたみ、その上に下着の上下を置く。
カーテンをつけるとか、そういうとこまで
生まれたままの姿で千雪は、バスタブの中に立ってシャワーを見上げる。
蛇口を捻れば、温かなお湯が勢い良く吹き出した。
たわわに実って少女を脱しかけた
汗の乾いた不快感も、まとわりつくような
長い長い黒髪を束ねて手で
「千雪さぁん……おあよーございまふぅ……」
「あら、れんふぁさん。おはようございます……シャワー、先に
「あい……統矢さんが、わたしも浴びろって……失礼しまふ」
寝ぼけているのだろうか? れんふぁはじっとりとした半目で、パジャマをポイポイ、ポポイと脱ぎ捨てた。そのまま下着も脱ぎ散らかして、バスタブに「どっこい、せーっとぉ」と入ってくる。
少し狭いが、千雪はシャワーをれんふぁに譲った。
だが、やはりまだ半分以上寝てるのか、れんふぁはボーっと千雪を見詰めている。
そして、そのままれんふぁは白く細い腕を伸べてきた。
「れんふぁ、さん? あの……ひあっ!? れ、れんふぁさん」
「千雪さんって、いいなあ……胸、おっきい……スタイル、ばつぎゅん……」
「れんふぁさん、あの、揉まないでください。私、怒りますよ?」
「ふゅ……わたしも、おっぱい欲しい……揉まれると大きくなるって、ほんとぉですかあ」
「し、知りません……もう! れんふぁさん! ほら、あっちを向いてください」
千雪は頬が
やはり、寝ぼけているのだ。
だが、お湯を気持ちよさそうに浴びるれんふぁを見ると、千雪は逆に自信がなくなる。
「ふええ……きもちいいー、ですぅ……極楽、極楽」
「れんふぁさん、これ、スポンジです。身体は自分で洗ってください。お湯に限りがあるので、一緒に髪を洗っちゃいますね?」
さらさらのれんふぁの髪に触れて、千雪は小さく溜息を零す。
白い肌のれんふぁは、すらりとスレンダーでほっそりとしていた。くびれたウェストや小振りなヒップラインは、実に優雅な曲線を描いている。シャープでソリット、それでいて女性的な柔らかさを残っていない。
それに比べて、自分はどうだろうか?
胸やら尻ばかり大きくて、その実……千雪の肉体は美の観点から程遠い程に鍛え上げられていた。くびれて引き締まったウェストは腹筋が割れているし、二の腕も太腿も筋肉でむっちりと太ましい。
れんふぁを目の前にしていると、自分が同じ女の子とは思えない。
れんふぁが優雅なペルシャ猫なら、千雪はまるで野生の
「あー、なんかぁ……目、覚めてきましたぁ。でも、よくシャワーなんて用意できましたねえ。エヘヘ」
「統矢君が全部用意してくれたんですよ? あとで二人でお礼を言いましょう」
「じゃあ、今夜こそ三人で川の字、一緒に寝ないとですねえ……そうして、統矢さんを挟んで寝て、頃合いを見てわたしはソファに移りますので、あとは二人で、ッ! 痛い、痛いですぅ、千雪さぁん」
「変なこと言ってると、
「女の子なんだから、そゆことやめてくださぁい。あー、でもキモチイイ」
頭のてっぺんから
千雪も石鹸を手に身体を洗おうとした、その時。
「千雪さん、背中流しますぅ! 貸してくださいっ!」
ヒョイと石鹸を取り上げるや、れんふぁがスポンジを泡立てる。
一度シャワーを止めれば、少しだけ肌寒いが……足元をゆっくり流れるお湯からの蒸気に、千雪は黙ってれんふぁに背を向けた。
せっせと背を流しながら、れんふぁは楽しそうに鼻歌でハミングを奏でる。
「はい、ばんざーいしてください。ばんざーい!」
「あ、あの、一人でできますから」
「はい、いい子いい子~、綺麗にしましょーねー。ふふ、こういうのって楽しい……このまま三人で、ずっとここで暮らせたらいいのになあ」
「れんふぁさん……」
「わかってる、わかってるんだぁ。今、世界中が戦争で、統矢さんも千雪さんも……みんなも戦ってるって。でも、わたしはそんな中でなにもできなくて……なにも知らなくて、自分すら思い出せなくて。だから」
背にぴったりと、れんふぁが抱き付いてきた。ささやかな膨らみの胸が押し当てられて、互いの体温が柔肌が接する中で行き交う。千雪は振り返れず、かける言葉もなかったが……腰に回ってくるれんふぁの手に、そっと手を重ねて握ってやる。
しばらくそうしていたが、れんふぁは離れるやシャワーの蛇口を捻った。
二人の少女が心も身体も裸に重ねる空気が、熱い湯の弾ける音に振り払われていく。
「ごめんなさい、千雪さんっ! はい、背中流しまーす!」
「れんふぁさん、あの」
「いいんです。弱音は今は駄目、ですよねっ! わたし、大丈夫です。統矢さんと千雪さんがいてくれるから……なにがあっても大丈夫、平気です。それに」
「……それに?」
「安心してくださいっ! 千雪さんの片思い、わたしが必ず成就させてみせますから! わたし、千雪さんが大好きだから、幸せにしてみせます。キューピット大作戦です!」
ニッコリ笑って、れんふぁが固定されていたシャワーを「よっ、と」と取り外す。手に持つシャワーの湯で、彼女は千雪の全身を温めてくれた。
だが、徐々に水圧が弱くなってゆく。
「あ、お湯が切れそうです! 千雪さん……失礼しまーすっ!」
「れ、れんふぁさん!?」
「ほら、もっとくっついてください。二人で浴びないと、湯冷めしますから! ……ん? あれ? なんだろ、この音……ゴゴゴーって」
少しずつ弱くなるシャワーの音に代わって、建物全体を揺るがし響くような重低音が轟く。その機械音に聞き覚えがあって、思わず千雪は濡れたままでバスタブを飛び出した。
着替えるのももどかしく、置いてあったバスタオルを手に走り出す。
背後でれんふぁの声を聞きながら、身体をバスタオルで巻いて覆うや、
「この音……飛行船です! 東京は閉鎖区域、上空を行き交う船は本当に
階段を転げるように降りて、外へと飛び出る。
すぐに愛機、【幻雷】改型参号機へと走れば、丁度【シンデレラ】から降りてきた統矢も上空を見上げていた。
そして、空には一隻の巨大な飛行船が……皇国海軍の
そのシルエットに見覚えがあって、千雪は零れ落ちそうな胸元を押さえつつ天を仰いだ。
「千雪、おまっ……なんて格好だよ! ば、馬鹿、こっち向くな! ち、近寄るなコラ!」
「統矢君! タブレットを……通信を! 上と! あの船と!」
「あ、ああ。ちょっと待て……よし、動くぞ。ネットのリンクが復活してる、やっぱ次元転移での一時的なものだったか? って、千雪! お、俺にくっつくな!」
統矢の真っ赤な顔に頬を寄せて、濡れた髪も構わず千雪はタブレットを見下ろす。寒さも忘れて凝視すれば、液晶画面がアプリケーションを作動させ、上空へと通信を繋いだ。簡単に繋がったことから、千雪は確信する……あれは、
そして、それを裏付ける声が響いた。
『――ながった? 繋がったのか、
「兄様……兄です、統矢君!
「ああ、みんなだ……
見上げれば、徐々に羅臼が巨大な艦体の高度を落としつつある。
だが、笑顔で抱き合った千雪と統矢は、
その時、意外な言葉がタブレットから響く。
兄、
『その声、千雪だな! 統矢もいるのか……お前ら、いったい……なにやってたんだよ、ったく。でも、無事でよかったぜ……この一週間、探し回ったんだからな!』
意外な一言が、千雪の無表情をさらなる驚愕と戦慄で凍らせる。
一週間……昨日この
そして、羅臼がこの東京を訪れたのは……決して千雪たちの救出だけが目的ではなかった。
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