第10話「三人だけの、夜」

 半壊した百貨店ひゃっかてんは、入り口をくぐれば暗黒が広がっている。

 サバイバルキットから懐中電灯かいちゅうでんとうを引っこ抜いてくるべきだったと、五百雀千雪イオジャクチユキは背後を振り返る。外の雨はいよいよ強くなって、進むも闇、戻るも闇。

 だが、その中に強い光が灯って、思わず千雪は目を手でかばった。

 隣で「きゃっ!」と声がして、更紗サラサれんふぁが腕に強く抱き付いてくる。

 指と指の間に目を凝らせば、光を向けてくる少年は笑っていた。


「ほらよ、千雪。懐中電灯、まだくのが何個かあったぜ。一つ渡しておく」

統矢トウヤ君」

「少しアチコチ回っておいたからさ。かなり当時のままで放り出されてた。ま、乾電池かんでんちを探すのは少し骨が折れたけどな」


 受け取った懐中電灯を点け、改めてその光の中に摺木統矢スルギトウヤの表情を拾う。彼は周囲を見渡し、天井へと手に持つ灯りを向けた。

 かなり損傷が激しいが、すぐに崩れてくるようなダメージはなさそうだ。

 むしろ、人の姿が消えて廃墟となったことで、風化にさらされたままの寂寥せきりょうが漂う。ここはパラレイドの襲撃で多くの死者を出し、その後に捨てられ、忘れ去られた場所なのだ。


「な、なんだか寂しいとこですね……それに、少し怖、怖い、よ、よう、な……へくちっ!」


 千雪にしがみついていたれんふぁが、小さなくしゃみをした。彼女は統矢が渡したえりの上着を羽織はおっているものの、例の【シンデレラ】の起動実験用特殊スーツを着ている。データ収集用のそれは、統矢が直視を避けるほどにいかがわしい露出度だった。

 肌寒い空気の中、れんふぁは震えて足踏みしながら詰め襟の前を合わせる。

 頭をポリポリときながら、統矢が苦笑を零して背を向けた。


「俺、地下を見てくるからさ。食料とか、なにか残ってるかも……缶詰かんづめやレトルトの類だろうけど。そっちは上、な? れんふぁになにか服でも探してやれよ。それと、寝床ねどこと」

「統矢君、一人は危険では」

「大丈夫さ、一時間経ったらこの場所でもう一度合流しよう。その時間に現れなかったら、まあ……探してくれ。っと、あれ?」


 統矢は腕時計に目を落として、首を傾げる。

 千雪も自分の手首に目を落として、思わず言葉を失った。


「時計、止まってるな……おっかしいな、つい最近支給された物だけどな。おい、千雪。お前のは」

「止まってます、ね」

「ホントだ……千雪さん、意外とゴツい時計してるんですね。もっとかわいいのにすればいいのにぃ」


 緊張感のないれんふぁの言葉に、統矢が苦笑をこぼす。

 だが、千雪のも統矢のも、腕時計は全てあの時間で止まっていた。そう、皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこう青森校区あおもりこうく高高度巡航輸送艦羅臼こうこうどじゅんこうゆそうかんらうす格納庫ハンガー次元転移ディストーション・リープに巻き込まれた瞬間だ。

 その時間を眺めて、千雪は違和感に疑問を呟く。


「青森から東京まで、一瞬……どうやら今は夜のようですが」

「だな。天気が悪いから暗いけど、この季節だから日の入りは18時くらいか? だから」

「え? んと? えっと……千雪さん、統矢さんも。わたしにもわかるように説明してください。えっと、次元転移? に、巻き込まれたのが……あ!」


 どうやられんふぁも気付いたようだ。

 そう、【シンデレラ】の起動実験は、昼食後にすぐ行われた……青森はまだ、真昼だったのだ。その時間で二人の時計は止まっており、針は同じ形で千雪と統矢の手首に巻かれている。

 だが、今の東京はどう見ても夕暮れ時、ないしは夜だ。

 悪天候ではっきりした時間はわからないが、かなりの時間が経過している。

 一瞬で青森から東京へと次元転移した千雪たちの外で、時間は過ぎ去っていたのだ。それが今は、どういう意味を持っているのかがわからない。なにせ、公的に次元転移を経験した人間は、この地球上には存在しないのだ。


「しまった……【シンデレラ】の中にタブレットを置いてきちまった。ま、あっちも止まってるだろうな。アナログやデジタルの類を問わず、次元転移で機械類は不調って訳だ」

「確かに……私の【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきも、イルミネートリンクが途切れたままです。こんなこと、理論上ありえないのですが」

「……ま、とにかく今は行動だな! あとで会おうぜ、なんか食えるものを探してくるからさ。れんふぁ、お前も真面目に着替えを探さないと、風邪かぜ引くからな!」


 それだけ言うと、統矢は瓦礫がれきを避けつつ階段の方へと行ってしまった。彼は一度だけ振り返って、階段の上の方を照らし……千雪にOKのサインを送ってくる。どうやら階段では上にも下にも行けるようで、彼は慎重に下へと降りていった。

 百貨店はおおむね、地下のフロアが食料品売場になっている。

 生鮮食料品は絶望的だろうが、保存食の類が手に入るかもしれない。

 売り物がそのまま放置されているのは、周囲を見れば明らかだった。


「では、行きましょうか。れんふぁさん、私から離れないでくださいね?」

「は、はいぃ……な、なんか、千雪さんって」

「はい? なにか」

「すっごく、落ち着いてますよね。それに、頼りがいがあるっていうか」

「そうですか? 気のせい、ですよ? さ、こっちです」


 ライトの光を頼りに、足場を確かめながら千雪は階段を登る。

 おっかなびっくりで腕に抱きつきながら、身を寄せてれんふぁが周囲を見渡し続いた。

 二人は身を寄せ合って進む中で、二階を見渡し、三階にも首を出してから四階へと向かう。その道中、落ち着かないのかいつになくれんふぁは口数が多かった。


「千雪さん、その腕時計……お兄さんのお下がりですか? 辰馬タツマさんの」

「いえ、これは父の形見です」

「お父さんの、形見……」

「私たちの父、五百雀龍児イオジャクリュウジは戦死したと聞いています。私は幼かったので、よく父のことを覚えていません」


 れんふぁが息を呑む気配が感じられたが、構わず千雪は言葉を続ける。

 水滴の落ちる音さえ響き渡る中で、喋っていないと闇と静寂に吸い込まれそうだ。千雪とて年頃の少女、無表情だが無感情ではない。

 側で身を寄せるれんふぁのぬくもりがあって、言葉を交わす相手がいることがありがたい。

 一人では、恐ろしさに震えてしまうかもしれないからだ。

 きっと、そんなタマかよ、と統矢は笑うだろうか?

 自分でも意外な程に、千雪は廃都はいとの静けさが怖かった。


皇国陸軍こうこくりくぐんの軍人として、父は人類同盟の作戦に参加していました。しかし、父の指揮したパンツァー・モータロイド部隊は全滅、戦場となった帝政西ていせいにしロシアは壊滅的なダメージを負いました」

「えと、ロシアって……」

「あ、れんふぁさんは記憶が……今、ユーラシア大陸の主な国家は三つ。中華神国ちゅうかしんこくと、東西のロシアです。第二次冷戦構造だいにじれいせんこうぞうの後、ロシアは帝政を復活させた西側と、共産圏である東側に別れました。でも、パラレイドが襲撃してきてからは」


 母からは、父は名誉の戦死を遂げたと千雪は聞いている。

 てついたシベリアの大地のどこかで、パラレイドと戦って死んだのだ。

 遺体も遺骨も、遺言ゆいごんさえもない。

 からっぽの白木の箱を抱えた母の背中を、その喪服姿もふくすがたを千雪はよく覚えている。兄の辰馬が難しい顔をしていたのも、まるで昨日のことのようだ。いつもヘラヘラと千雪をからかって、でも一番優しかった兄の悲しげな横顔……それは今も忘れられない。

 だが、千雪はそのことをあまり深刻に考えたことがなかった。

 今という時代、誰もが親しい誰かを戦争で失っているのだ。

 そして、このパラレイドとの戦争に勝ち残らなければ、人類に明日はない。人類が未来をつむぐ地球という惑星そのものが、存続するかどうかの瀬戸際なのだ。


「父の腕時計、軍の官給品で頑丈ですし……私は気に入っています。少し古いタイプですが」


 ふと、四階のフロアへと一歩を踏み出し、千雪はライトの光を向ける。

 傾いたマネキンや割れたショーケースが散乱していたが、どうやらここは婦人服売り場らしい。探せば無事な服くらいはありそうだし、れんふぁもこのままの格好よりはいいだろう。

 思い出話を唐突に打ち切って、千雪は周囲を警戒しながらフロアの中を歩く。


「ふぇぇ……千雪さん、なんかオバケとか出そうじゃないですか?」

「オバケならまだいいですが、敵がもしいれば……ここはパラレイドに滅ぼされてからずっと無人の封鎖地区です。パラレイドの影響下だったりしたら危ないですし、不法に居住してる人間がいたら」

「お、脅かさないでくださいぃぃぃ」

「大丈夫です、れんふぁさん。オバケと違って実体のある相手なら、直接的な打撃が有効ですので」

「た、頼もしい、ですけどぉ……千雪さぁん」


 だが、人の気配はない。

 生き物の息遣いきづかいすら感じられない。

 ネズミ一匹いない、静寂と死が支配する世界。

 千雪の知識では、パラレイドが東京を殲滅せんめつして次元転移で去った後、大々的な救助作業が行われたと記憶している。だが、遺体の回収まで行って、日本皇国の元老院げんろういんさとったのだ。すでにもう、この国に東京を再建する力が残っていないことに。

 結果、生き残った全ての都民は強制疎開きょうせいそかいさせられ、この都はてられた。

 かつてのはなやかりし皇都こうとも今は昔、封鎖された内側は無人の廃墟が広がるだけだった。


「あっ、あの! 千雪さん、あれ」

「随分散らかってますね。少し物色してみましょう」

「うんっ! えっとぉ、なるべくあったかそうなのがいいなあ」


 五月とはいえ雨の夜は冷える。

 れんふぁは散乱したショーケースを避けるようにして、千雪が照らす先へと歩き出す。そこは多くのマネキンが折り重なって倒れており、かおのない人形はまるで焼却を待つ死体に見える。

 反面、当時のままに放棄された商品の数々は、荒らされた様子が全くなかった。

 火事場泥棒のたぐいでさえ見捨てた場所、東京……既にもう、歴史から名を残して消えた街を静寂の夜が包む。外の雨の音だけが、静かに千雪の耳に響いてきた。


「わぁ、これかわいいかも……ちょっとカビ臭いけど、サイズは、どかな? 千雪さーん、ちょっと来てもらえますか? ほら、千雪さんの分もありますよぉ」

「いえ、私は別に」

「ふふ、なんだかお泊りみたいで、少し楽しいかも……ほら、パジャマです! 千雪さんだったら、こういう大胆なのもいいかも。統矢さん、どういうのが好きなんだろうなあ」

「……れんふぁさん? あの」


 れんふぁは暗がりの奥で、例の紐だか布だかわからない珍妙なスーツを脱ぎ捨てていた。密閉されたビニールを破って取り出した下着を身に着け、マネキンから拝借したシャツを着る。そしてカーディガンを羽織ると、周囲からパジャマらしきものを拾い上げた。

 彼女は呑気のんきに「どっちがいいですかぁ?」と二つのハンガーを持ち上げる。

 片方はウサギ柄がかわいい感じのパジャマで……もう片方はスケスケのネグリジェだ。

 常日頃から表情に乏しい千雪だが、思わずわずかに眉根みけんへシワが寄る。

 だが、気にせずれんふぁはショッピング感覚で、どんどん奥の方へと進んでいった。


「こっちは寝具ですね……あ、千雪さん! ベッド、ベッドがありますよぉ」

「れんふぁさん、走ると危ないですから」

「ちょっとほこりが……でも、払い落とせば大丈夫かなあ? この広さなら、三人で並んで川の字で寝れますねっ」

「それは、ちょっと……私はそこのソファで寝ますので。……統矢君に、迷惑、ですし」

「えー! そうなんですかぁ~?」


 婦人服のエリアを抜けた先に、何個かベッドやソファの類が並んでいる。クッションや枕が散らかっており、新品のシーツが埃を被ったビニールの中で眠っていた。それを手に取り、千雪は改めて周囲へライトの光を走らせる。

 すると、黒地に赤い模様のシャツ姿が、一瞬だけ横切った。

 その姿へと光を戻すと、統矢がパンパンのビニール袋を持って手を振っている。


「よぉ、服とかどうだ? あとは寝床も……結構さ、建物自体は傷んでるけど色々あったぞ。食えそうなものだけ、適当に持ってきた」

「お疲れ様です、統矢君」

「あれ、れんふぁは……」


 れんふぁは新品のシーツの封を切るや、今夜の寝床のベッドメイクに夢中だ。どこまで本気なのかはわからないが、枕を三つ並べている。キングサイズのベッドは、本格的なしつらえで高級感が漂う木製だ。多分、目玉が飛び出るような値段だろう。

 統矢に気付いたれんふぁは、ライトの光の中で手を振る。


「統矢さーん、上着ありがとうございましたぁ。着替えたのでお返ししますねっ」

「お、おう。……なんだ、それ」

「とりあえず、ご飯食べたらこれに着替えようと思って。パジャマです!」

「……それ、必要か?」

「必要ですっ! 女の子は色々とあるんです! そうですよね、千雪さんっ!」


 統矢は露骨に頬を赤らめ視線を反らした。

 れんふぁは自分ではウサギ柄のパジャマを胸に抱きつつ、統矢へネグリジェを突き出している。ついにはそれを手放し、二人はあーだこーだーと激論へと発展し始めた。

 やれやれと思いつつ、千雪はちらりとベッドの上に視線を走らせる。

 先程れんふぁが統矢に見せつけていたのは、薄紫ヴァイオレットのレースでかざられたネグリジェだ。統矢とれんふぁは今、そもそも論としてどうかと千雪が思うくらいに白熱した議論の真っ最中だ。

 つい、そっと毒々しい薄布を千雪は拾い上げた。

 こっそり自分のからだに当ててみる。

 こういうのがやはり、男の子には受けるのだろうか……?

 ぼーっと自分を見下ろしながら、ふと視線を感じて振り返ると……統矢とれんふぁがそろって千雪を見詰めていた。慌ててネグリジェのハンガーを放り出す。


「い、いえ、別に……着ません、よ?」

「お、おう……別に、着なくてもいいけどよ」

「えーっ、着ないんですかあ? 千雪さん、スタイルいいから似合うと思うのになあ」


 気不味きまずいのか、言葉に詰まった統矢は背を向けてしまった。

 そうして、自分で回収してきた食料をあれこれ広げ始める。千雪も咳払いを一つして、統矢の背中越しにそれを覗き込んだ。

 れんふぁだけが、未練たっぷりにネグリジェを拾い上げ、むー、と唸っている。

 暗くてよく見えないが、そんなれんふぁに背を向ける統矢の耳が赤かった。


「け、結構さ、食料拾えたぜ? ほら、缶詰はどれも膨らんでないから、これは大丈夫。レトルトの類も平気だろうし。あと、こんなのも見つけてきた」

「固形燃料と、携帯コンロ……これは助かりますね」

「水も確保したし、お湯も沸かせるだろ? ほら、お茶やコーヒーもあるぞ。適当に鍋も持ってきた。こういう時だからさ、やっぱ……温かい飯の方が、落ち着くと思って」

「手慣れてます、よね……統矢君、意外と女子力、高いんですか?」

「いや、昔ちょっとな。……りんなが色々うるさい奴だったから。ま、その教育の賜物たまもの? ってやつかもな、はは」

「ふふ、そうですか。では、お湯を沸かして、あとは缶詰を鍋で温めましょう。ちなみに統矢君、火は……ライターかマッチも確保してあるんですよね?」


 千雪が缶詰を一つずつ確認して、固形燃料をコンロにセットする。その上に雑貨コーナーから持ってきたであろう、少しかわいい感じのケトルを載せた。

 確かに少しれんふぁの気持ちもわかる。

 この非常時だが、親しい仲でキャンプに来たような雰囲気も確かにあった。

 そして、そういう和やかさが今の時代、千雪にとっては新鮮だった。

 今は臨海学校も修学旅行もない……皇立兵練予備校の生徒たち、幼年兵たちにいろどりのある青春は存在しない。只管ひたすらオイルの臭いにまみれて、パンツァー・モータロイドの部品としての自分を鍛えるだけの日々。そして、長らく積み重ねてきた全てが、戦場で一瞬の内に消える、その瞬間のための生命だ。


「統矢君、火を」

「お、おう……あ、あのな、千雪。その……」

「はい」

「……やっぱ必要だよなあ、うんうん……火、点けるの、な……忘れてた」

「……はい?」

「と、取ってくる! すぐだ、すぐ! また地下に行ってくるからさ! あと、ほら……他に必要なもの、あるか? 上には本屋もあるし、ええと、とにかく、行ってくる!」


 それだけ言うと、立ち上がった統矢は走り出した。その背が遠ざかるのを見送り、千雪は背後でれんふぁのクスクスという声を聴く。

 非常時の中でも、少年少女たちの時間はゆっくりと夜のとばりの中でたゆたい流れていった。

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