第10話「三人だけの、夜」
半壊した
サバイバルキットから
だが、その中に強い光が灯って、思わず千雪は目を手でかばった。
隣で「きゃっ!」と声がして、
指と指の間に目を凝らせば、光を向けてくる少年は笑っていた。
「ほらよ、千雪。懐中電灯、まだ
「
「少しアチコチ回っておいたからさ。かなり当時のままで放り出されてた。ま、
受け取った懐中電灯を点け、改めてその光の中に
かなり損傷が激しいが、すぐに崩れてくるようなダメージはなさそうだ。
「な、なんだか寂しいとこですね……それに、少し怖、怖い、よ、よう、な……へくちっ!」
千雪にしがみついていたれんふぁが、小さなくしゃみをした。彼女は統矢が渡した
肌寒い空気の中、れんふぁは震えて足踏みしながら詰め襟の前を合わせる。
頭をポリポリと
「俺、地下を見てくるからさ。食料とか、なにか残ってるかも……
「統矢君、一人は危険では」
「大丈夫さ、一時間経ったらこの場所でもう一度合流しよう。その時間に現れなかったら、まあ……探してくれ。っと、あれ?」
統矢は腕時計に目を落として、首を傾げる。
千雪も自分の手首に目を落として、思わず言葉を失った。
「時計、止まってるな……おっかしいな、つい最近支給された物だけどな。おい、千雪。お前のは」
「止まってます、ね」
「ホントだ……千雪さん、意外とゴツい時計してるんですね。もっとかわいいのにすればいいのにぃ」
緊張感のないれんふぁの言葉に、統矢が苦笑を
だが、千雪のも統矢のも、腕時計は全てあの時間で止まっていた。そう、
その時間を眺めて、千雪は違和感に疑問を呟く。
「青森から東京まで、一瞬……どうやら今は夜のようですが」
「だな。天気が悪いから暗いけど、この季節だから日の入りは18時くらいか? だから」
「え? んと? えっと……千雪さん、統矢さんも。わたしにもわかるように説明してください。えっと、次元転移? に、巻き込まれたのが……あ!」
どうやられんふぁも気付いたようだ。
そう、【シンデレラ】の起動実験は、昼食後にすぐ行われた……青森はまだ、真昼だったのだ。その時間で二人の時計は止まっており、針は同じ形で千雪と統矢の手首に巻かれている。
だが、今の東京はどう見ても夕暮れ時、ないしは夜だ。
悪天候ではっきりした時間はわからないが、かなりの時間が経過している。
一瞬で青森から東京へと次元転移した千雪たちの外で、時間は過ぎ去っていたのだ。それが今は、どういう意味を持っているのかがわからない。なにせ、公的に次元転移を経験した人間は、この地球上には存在しないのだ。
「しまった……【シンデレラ】の中にタブレットを置いてきちまった。ま、あっちも止まってるだろうな。アナログやデジタルの類を問わず、次元転移で機械類は不調って訳だ」
「確かに……私の【
「……ま、とにかく今は行動だな! あとで会おうぜ、なんか食えるものを探してくるからさ。れんふぁ、お前も真面目に着替えを探さないと、
それだけ言うと、統矢は
百貨店は
生鮮食料品は絶望的だろうが、保存食の類が手に入るかもしれない。
売り物がそのまま放置されているのは、周囲を見れば明らかだった。
「では、行きましょうか。れんふぁさん、私から離れないでくださいね?」
「は、はいぃ……な、なんか、千雪さんって」
「はい? なにか」
「すっごく、落ち着いてますよね。それに、頼りがいがあるっていうか」
「そうですか? 気のせい、ですよ? さ、こっちです」
ライトの光を頼りに、足場を確かめながら千雪は階段を登る。
おっかなびっくりで腕に抱きつきながら、身を寄せてれんふぁが周囲を見渡し続いた。
二人は身を寄せ合って進む中で、二階を見渡し、三階にも首を出してから四階へと向かう。その道中、落ち着かないのかいつになくれんふぁは口数が多かった。
「千雪さん、その腕時計……お兄さんのお下がりですか?
「いえ、これは父の形見です」
「お父さんの、形見……」
「私たちの父、
れんふぁが息を呑む気配が感じられたが、構わず千雪は言葉を続ける。
水滴の落ちる音さえ響き渡る中で、喋っていないと闇と静寂に吸い込まれそうだ。千雪とて年頃の少女、無表情だが無感情ではない。
側で身を寄せるれんふぁの
一人では、恐ろしさに震えてしまうかもしれないからだ。
きっと、そんなタマかよ、と統矢は笑うだろうか?
自分でも意外な程に、千雪は
「
「えと、ロシアって……」
「あ、れんふぁさんは記憶が……今、ユーラシア大陸の主な国家は三つ。
母からは、父は名誉の戦死を遂げたと千雪は聞いている。
遺体も遺骨も、
からっぽの白木の箱を抱えた母の背中を、その
だが、千雪はそのことをあまり深刻に考えたことがなかった。
今という時代、誰もが親しい誰かを戦争で失っているのだ。
そして、このパラレイドとの戦争に勝ち残らなければ、人類に明日はない。人類が未来を
「父の腕時計、軍の官給品で頑丈ですし……私は気に入っています。少し古いタイプですが」
ふと、四階のフロアへと一歩を踏み出し、千雪はライトの光を向ける。
傾いたマネキンや割れたショーケースが散乱していたが、どうやらここは婦人服売り場らしい。探せば無事な服くらいはありそうだし、れんふぁもこのままの格好よりはいいだろう。
思い出話を唐突に打ち切って、千雪は周囲を警戒しながらフロアの中を歩く。
「ふぇぇ……千雪さん、なんかオバケとか出そうじゃないですか?」
「オバケならまだいいですが、敵がもしいれば……ここはパラレイドに滅ぼされてからずっと無人の封鎖地区です。パラレイドの影響下だったりしたら危ないですし、不法に居住してる人間がいたら」
「お、脅かさないでくださいぃぃぃ」
「大丈夫です、れんふぁさん。オバケと違って実体のある相手なら、直接的な打撃が有効ですので」
「た、頼もしい、ですけどぉ……千雪さぁん」
だが、人の気配はない。
生き物の
ネズミ一匹いない、静寂と死が支配する世界。
千雪の知識では、パラレイドが東京を
結果、生き残った全ての都民は
「あっ、あの! 千雪さん、あれ」
「随分散らかってますね。少し物色してみましょう」
「うんっ! えっとぉ、なるべく
五月とはいえ雨の夜は冷える。
れんふぁは散乱したショーケースを避けるようにして、千雪が照らす先へと歩き出す。そこは多くのマネキンが折り重なって倒れており、
反面、当時のままに放棄された商品の数々は、荒らされた様子が全くなかった。
火事場泥棒の
「わぁ、これかわいいかも……ちょっとカビ臭いけど、サイズは、どかな? 千雪さーん、ちょっと来てもらえますか? ほら、千雪さんの分もありますよぉ」
「いえ、私は別に」
「ふふ、なんだかお泊りみたいで、少し楽しいかも……ほら、パジャマです! 千雪さんだったら、こういう大胆なのもいいかも。統矢さん、どういうのが好きなんだろうなあ」
「……れんふぁさん? あの」
れんふぁは暗がりの奥で、例の紐だか布だかわからない珍妙なスーツを脱ぎ捨てていた。密閉されたビニールを破って取り出した下着を身に着け、マネキンから拝借したシャツを着る。そしてカーディガンを羽織ると、周囲からパジャマらしきものを拾い上げた。
彼女は
片方はウサギ柄がかわいい感じのパジャマで……もう片方はスケスケのネグリジェだ。
常日頃から表情に乏しい千雪だが、思わず
だが、気にせずれんふぁはショッピング感覚で、どんどん奥の方へと進んでいった。
「こっちは寝具ですね……あ、千雪さん! ベッド、ベッドがありますよぉ」
「れんふぁさん、走ると危ないですから」
「ちょっと
「それは、ちょっと……私はそこのソファで寝ますので。……統矢君に、迷惑、ですし」
「えー! そうなんですかぁ~?」
婦人服のエリアを抜けた先に、何個かベッドやソファの類が並んでいる。クッションや枕が散らかっており、新品のシーツが埃を被ったビニールの中で眠っていた。それを手に取り、千雪は改めて周囲へライトの光を走らせる。
すると、黒地に赤い模様のシャツ姿が、一瞬だけ横切った。
その姿へと光を戻すと、統矢がパンパンのビニール袋を持って手を振っている。
「よぉ、服とかどうだ? あとは寝床も……結構さ、建物自体は傷んでるけど色々あったぞ。食えそうなものだけ、適当に持ってきた」
「お疲れ様です、統矢君」
「あれ、れんふぁは……」
れんふぁは新品のシーツの封を切るや、今夜の寝床のベッドメイクに夢中だ。どこまで本気なのかはわからないが、枕を三つ並べている。キングサイズのベッドは、本格的なしつらえで高級感が漂う木製だ。多分、目玉が飛び出るような値段だろう。
統矢に気付いたれんふぁは、ライトの光の中で手を振る。
「統矢さーん、上着ありがとうございましたぁ。着替えたのでお返ししますねっ」
「お、おう。……なんだ、それ」
「とりあえず、ご飯食べたらこれに着替えようと思って。パジャマです!」
「……それ、必要か?」
「必要ですっ! 女の子は色々とあるんです! そうですよね、千雪さんっ!」
統矢は露骨に頬を赤らめ視線を反らした。
れんふぁは自分ではウサギ柄のパジャマを胸に抱きつつ、統矢へネグリジェを突き出している。ついにはそれを手放し、二人はあーだこーだーと激論へと発展し始めた。
やれやれと思いつつ、千雪はちらりとベッドの上に視線を走らせる。
先程れんふぁが統矢に見せつけていたのは、
つい、そっと毒々しい薄布を千雪は拾い上げた。
こっそり自分の
こういうのがやはり、男の子には受けるのだろうか……?
ぼーっと自分を見下ろしながら、ふと視線を感じて振り返ると……統矢とれんふぁがそろって千雪を見詰めていた。慌ててネグリジェのハンガーを放り出す。
「い、いえ、別に……着ません、よ?」
「お、おう……別に、着なくてもいいけどよ」
「えーっ、着ないんですかあ? 千雪さん、スタイルいいから似合うと思うのになあ」
そうして、自分で回収してきた食料をあれこれ広げ始める。千雪も咳払いを一つして、統矢の背中越しにそれを覗き込んだ。
れんふぁだけが、未練たっぷりにネグリジェを拾い上げ、むー、と唸っている。
暗くてよく見えないが、そんなれんふぁに背を向ける統矢の耳が赤かった。
「け、結構さ、食料拾えたぜ? ほら、缶詰はどれも膨らんでないから、これは大丈夫。レトルトの類も平気だろうし。あと、こんなのも見つけてきた」
「固形燃料と、携帯コンロ……これは助かりますね」
「水も確保したし、お湯も沸かせるだろ? ほら、お茶やコーヒーもあるぞ。適当に鍋も持ってきた。こういう時だからさ、やっぱ……温かい飯の方が、落ち着くと思って」
「手慣れてます、よね……統矢君、意外と女子力、高いんですか?」
「いや、昔ちょっとな。……りんなが色々うるさい奴だったから。ま、その教育の
「ふふ、そうですか。では、お湯を沸かして、あとは缶詰を鍋で温めましょう。
千雪が缶詰を一つずつ確認して、固形燃料をコンロにセットする。その上に雑貨コーナーから持ってきたであろう、少しかわいい感じのケトルを載せた。
確かに少しれんふぁの気持ちもわかる。
この非常時だが、親しい仲でキャンプに来たような雰囲気も確かにあった。
そして、そういう和やかさが今の時代、千雪にとっては新鮮だった。
今は臨海学校も修学旅行もない……皇立兵練予備校の生徒たち、幼年兵たちに
「統矢君、火を」
「お、おう……あ、あのな、千雪。その……」
「はい」
「……やっぱ必要だよなあ、うんうん……火、点けるの、な……忘れてた」
「……はい?」
「と、取ってくる! すぐだ、すぐ! また地下に行ってくるからさ! あと、ほら……他に必要なもの、あるか? 上には本屋もあるし、ええと、とにかく、行ってくる!」
それだけ言うと、立ち上がった統矢は走り出した。その背が遠ざかるのを見送り、千雪は背後でれんふぁのクスクスという声を聴く。
非常時の中でも、少年少女たちの時間はゆっくりと夜の
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