第19話「まともな戦争じゃない」
生命の
巨艦後部の大半を締める格納庫の、開かれたハッチの外の、暗黒の世界。
吹き荒ぶ風の中、
手にしたヘッドギアをかぶって、これから出撃となる。
この足元には今も、戦略級の絶対戦力とされるセラフ級パラレイド、サマエルが潜んでいるのだ。一人緊張感を高める千雪の肩を、ポンと気安く叩く大きな手。
振り向けばそこには、いつもの締まらない笑みを浮かべた兄の姿があった。
「悪ぃな、千雪。全員では出れねえが、俺だけってのも心細いからよ。ほら、お兄ちゃんは繊細で寂しがり屋だからな! はは」
千雪の兄、
軽快なフットワークに軽妙な口先、そして軽薄とさえ言える軟派な態度……だが、辰馬を信じて
北の果てまで全てを飲み込む
「兄様は私が守ります。守ります、けど……二機での強行偵察、危険ではないでしょうか」
「危険だからお前がいるんだろう? 頼りにしてるぜ、
「嫌です」
「……いりませんとか、結構ですとか、そういうのじゃなくて……嫌なのかよ、トホホ」
口ではそう言いつつ、大げさな表情で落ち込んで見せる辰馬。だが、すぐにいつもの余裕を含んだ笑顔になった。辰馬は真面目にしてれば恐らく、美形と言われる類の男子だ。校区内でもファンは多いし、その多くが
二人はお似合いの美男美女……多分、近いうちに千雪の新しい家族になる仲だ。
それは確信に近く、実感はまだないが千雪は喜ぶべきだと感じていた。
「千雪、俺の89式【
「兄様と二人、少数での偵察行動……なにかあったら本隊へ連絡して後退、ですね。問題はないと思います」
「ああ。……さっきの軍人さんじゃないけどよ、やっぱ
若くして各都道府県の
パラレイドとの永きに渡る戦いは、終わりが見えず和平や停戦といった選択肢もない。滅ぶか、滅ぼすか……これは相互理解が完全に不能な者同士の、存在を賭けた生存競争なのだ。
「先程の方、陸軍の……」
「ああ。陸軍の
「ええ。ですが」
「わーってる! ……言うなよ、言葉に出すな。そら、噂をすればなんとやら……お出ましだぜ?」
辰馬が顎をしゃくったので、その方向へと千雪は視線を滑らせる。
そこには、少し緊張して硬い桔梗と一緒に、若い陸軍の士官が歩み寄っていた。いましがた話題にのぼった美作総司一尉だ。
総司は人懐っこい笑みで、親しげに語りかけてきた。
「やあ、五百雀辰馬君。……って読んだら、失礼かな? 五百雀二尉。先程はどうも、僕のことはもう知ってるかな? かわいい副官さんに聞いたら、ここだと知ってね」
アイドリングで唸りを上げるパンツァー・モータロイドの側で、総司は一際大きな声を張り上げる。それに応える辰馬もまた、響き渡る起動音に逆らって叫んだ。
「ああ! これからちょっと妹と偵察に出る! あとは頼んだぜ、一尉さんよ。埼玉の連中はもう、出る必要はねえ……今夜くらいは交代で仮眠させてやってくれや」
「はは、余裕の気遣いだね。流石は全国でベスト4、フェンリルと恐れられた子供たちの隊長さんだ」
総司の笑顔は、まるで軍人とは思えぬ程に柔らかく穏やかだ。
千雪が知っている軍人とは、まず父だ。だが、千雪が知る父の姿は、驚くほどに印象がない。いつも任務で家にいなかったし、最後には永久にいなくなってしまった。今もシベリアのどこかで、氷漬けになって眠っているかもしれない。あるいは、骨も残さず蒸発して消えたか。
だが、父が軍務で稼いだ全てが、千雪と辰馬を育ててくれた。
そのことには感謝しているし、顔すら思い出せなくても、ずっと忘れないだろう。
そして、そんな父の印象を台無しにするほど、千雪にとって正規軍の皇国軍人というのは
だが、この背景にただ立つ脇役たちは、権限だけは強くてそれを主張してくるのだ。
その先入観が軽く揺らぐ程度には、総司の物腰は柔らかかった。
「君と妹さんだけで? 二機でか、英断だね……少数精鋭なら接敵時のリスクも少なく、退却の選択肢も絞り込みやすい。ただ、ちょっと心配だな」
気さくに笑って、総司はすぐ側の
今、すぐ近くに辰馬の
その横には空色の、千雪の
改型参号機は、既に原型機であるノーマルの【幻雷】とは大幅に違う。両手両足は別物に変えられ、肩も脚も増設したラジカルシリンダーと装甲でマッシブに膨らんでいる。頭部には
近接格闘用に特化した異形のPMRに比べれば、辰馬の改型壱号機は至極真っ当だ。
――乗ったことがない者は皆、そう判断するだろう。
そして、どうやら総司も同じようだ。
「君の機体だね、これは。フェンリルのフラッグシップ……
褒めているつもりなのだと、千雪は思う。そして、辰馬は「どうも」と応じて、気分を害した風にも見えない。だが、外から見てまともに見えるのは、他の改型が全て異常なピーキーチューンドだからだ。狙撃能力だけを極端に強化したスナイパー専用の
その中では、辰馬の機体は比較的まともに見える。
誰もがそう思うだろう……乗ったことがない誰もが。
だが、旧式機となって皇立兵練予備校の
勿論、辰馬の改型壱号機も例外ではないのだ。
そう思えば不思議と、兄を子供扱いしたそうな総司を見る目に優越感が入り交じる。失礼だと思いつつも、千雪はほがらか過ぎて妙に人当たりの柔らかな総司が、ちょっとだけ面白かった。
だが、次の会話でほのぼのとした空気は霧散してしまう。
「ああ、そうだ。辰馬君。僕も偵察に同行しよう。君たちだけを危険な目には合わせられない。埼玉校区の子供たちの手前もあるしね」
「あ、ああ……そりゃいいが、なあ? 千雪」
恐らく、こういった生真面目で実直な人柄、責任感の強さが総司の人となりなのだろう。完全な善意からの言葉で、そこには彼なりの
だが、千雪たちはこれからピクニックに出かける訳ではない。
夜間の極めて危険な偵察任務に出て、島一つを消滅させるような敵を探さねばならないのだ。それも、敵に……サマエルに見つけられる前に。
千雪が口を挟もうとしたその時、研ぎ澄ましたような硬い言葉が彼に総司に突き刺さった。
「失礼ですが美作一尉。一尉の94式【
あちゃー、という風に辰馬は顔を手で覆って「おい桔梗」と
あくまで桔梗は、冷静沈着で冷酷な副官を演じきるつもりらしい。
よせばいいのにと思っていると、不意に総司が笑った。
「っと、ごめんごめん。おかしくて……いや、失礼。十も年の違う子たちが、なんて健気なと思ってね。非礼を詫びるよ、ええと」
「桔梗です。御巫桔梗、階級は皇国海軍准尉……わたくしこそ、失礼を」
「僕もそれなりに腕に自信はあるつもりさ。そして、君たち幼年兵のこともよくわかっている。現状を把握して、打開せねばならないとも思っているよ。真っ先に子供から死んでゆくような戦争は、もう……まともな戦争ではないから」
千雪たちの前で総司は、肩を
だが、思わず反射的に千雪は、思ったことが口から飛び出した。
なにか、酷く嫌な気がして、少し気に
「……まともな戦争というのはあるんですか? 美作一尉」
千雪の言葉は、いつにもまして
千雪たちは知っている。
身をもって思い知らされたし、骨の髄まで身に染みている。
戦争という非日常が、平素の日常として定着してしまった世界で、千雪たちもずっと戦ってきたのだ。パラレイドと、高圧的で無謀な軍と……今という時代の全てと。千雪たちだけではない、幼年兵になるしかなかった少年少女は、今この瞬間も世界のどこかで戦っている。
そのことを思えば、どこか綺麗事に聴こえる総司の言葉は
そればかりか、幼年兵たちを気遣いつつどこか他人事のような、達観を通り越した諦観の念すら感じさせた。
気まずい沈黙の中で、アイドルアップを終えたPMRの周囲が慌ただしくなる。
整備班の大人たちが行き交う中から、
小走りに駆けてきた
「桔梗、準備できたで? 新装備、チェックせんと……ありゃ? なんねなんね、揃って不景気な顔して……せや、辰馬! 偵察任務、気をつけてなあ。千雪ちゃんやったら、しっかり守ってくれるさかい」
それだけ言うと、瑠璃は「ハイハイ、動いて動いて!」と張りのある声で手を叩く。ようやく自分のおとなげのなさに負けて、千雪は小さく総司に謝罪した。総司は総司で、恐縮したように頭をかいている。
結局、彼は一部言い回しに不適切な表現があったことを認めてくれた。
だが、総司は改めて偵察への同行を主張し、それを曲げない。
渋々という内心を全く見せずに、辰馬は笑顔でそれを了承するしかなかったようだ。その間ずっと瑠璃は、桔梗を難しい顔で腕組み見詰めていた。
瑠璃はウーンと唸ると、やはり皆と同じことを言い出す。
「なあ、桔梗……なんや、あれやわあ」
「はい? なにかおかしいでしょうか、瑠璃さん」
「そのサングラスと髪型、やめえや? 恐ろしい程に似合ってへんで。なんやのそれ、なにがしたいん? ただの怪しいオネーチャンやで、今。普段のふわふわなイラッとする感じの方が、百万倍はマシやね」
「……やっぱり、そうなんですか……お、おかしいですね。少しイメチェンしたくて、その」
千雪も思ってたし、辰馬は二度も言った。そして今、瑠璃も全く同じ言葉を選んだのだ。ようやく桔梗は、自信喪失いといった面持ちでサングラスを外す。
レンズがないとよく見えないらしく、桔梗は目を細めて少し
そんな彼女が兄の恋人で、瑠璃はそれを知ってても片思いを諦められない。
恋愛に奥手で、想い人とは密着の距離で平行線な千雪から見れば……兄を巡る年上の少女たちは、灰色で塗りつぶされた戦時下でも華やいで見えた。
「桔梗な、あんな……前から思っとったんやけど、自分めっちゃ趣味悪いなあ? 最悪やで、コーデがあかん、女子力の塊に見えてその実、ただの御嬢様やさかい全くなっとらん!」
「そ、そうですか」
「せやで? 桔梗みたいな
瑠璃という女、容赦がない。
サングラスを取った桔梗は普段の眼鏡を取り出しつつ、ちょっと目付きが悪くなっているが怒ってはいないようだ。怖い副官とか横恋慕に激怒とか、普段の桔梗をよく知る千雪には結びつかないもので、それは誰もがそう思うだろう。
因みに辰馬は、なにを話しているのか総司と耳打ちをしては苦笑いしていた。
「せやなあ、桔梗……ほな、一段落したらガールズトークやな。ウチの部屋でパジャマパーティや……したことないやろ? ってか桔梗、女友達全然おらへんやろ」
「……す、凄いです、瑠璃さん。どうしてわかるんですか? 皆さん、親切なんですけど」
「アホか……はぁ、張り合いないわあ。せやかて、黙って見てられんし。……あ! せやった、桔梗! 例の装備、組み上がってるで。フィッティングするさかい、来てぇな」
「あ、はい。意外と早かったですね。もっとかかると思ってましたが」
瑠璃は「ほな、またな!」と、大胆にもブリッコ全開で辰馬に投げキス。総司がいる手前、桔梗はまだ肩肘張って敬礼をすると、二人で格納庫の奥へ行ってしまう。
どうやら千雪がいない一晩の間で、外の世界の一週間で、二人は少しだけ距離を縮めたようだ。同じ人を好きになった者同士、そういうこともあるんだろうか? 意外と、トラウマを抱えて尚も戦う桔梗が、瑠璃には見ていられないものあるかもしれない。
そう思って見送っていると、総司も目を丸くしていた。
「辰馬君、なかなか凄いガールフレンドたちだね」
「いやあ、そういうんじゃ……瑠璃は、そうじゃなくてですね、一尉」
「僕のことも総司って呼んでくれないかな? そっちの、ええと、千雪ちゃん。千雪ちゃんも、いいだろうか」
どこまでお人好しなんだろうかと思ったが、戦友とは良好な関係性を築くにこしたことはない。先程は自分が子供じみた言葉で困らせてしまったが、総司がいい人であることは、それだけは確かで信じられるとは思った。
千雪が頷くと、ホッとしたのか総司は笑顔になる。
「僕が辰馬君の指揮下に入る形でいい。頼むよ、隊長さん」
「おいおい、よしてくれよ……えっと、総司さん? 俺ぁ、そういうのは」
「僕はその方が気楽だし、この非常時で階級を持ち出しても意味ないさ。まあ、これから軍人としてやってくなら慣れることだね。……僕みたいに」
ふと、総司の表情に
それを千雪は確かに見たのだが、本当に目撃したのか自分でも怪しい。すぐに総司はいつものほがらかな笑顔になって、辰馬と二言三言のやりとりを確認するや、自分の機体へと行ってしまった。
その背を見送る千雪は、尻をポン! と辰馬に叩かれる。
「調子狂うぜ……でも、いるんだよな。軍人さんの中にも、話せる人がよ。な? 千雪。お前なあ、駄目だろあんな……気持ちはわかるけどよ、俺が我慢したんだ、お前もなんとかしてみせな? な?」
「努力する方向で考えてみることにしたいと思います」
「持って回るなあ、我ながらヤな愚妹だぜ。……うし! 行くか!」
千雪が尻を触られた仕返しに、握った拳をブンと振り回す。だが、当てる気もないテレフォンパンチの小さなゲンコツは、いつもの
辰馬は笑いながら自分の機体に……白亜に輝く改型壱号機へと戻っていった。
千雪もまた、跪く己の愛機へと乗り込むべく
「では、行ってきますね……
胸中に念じてから、言葉に出したくて独りごちる千雪。
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