第5話「暴かれる真実、現実、事実」

 皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくの広大な敷地内には、運動場や射爆場等が多数ある。どれも電動カートで行き来せねば日が暮れる位に、規模も数も圧倒的なものだった。

 日本皇国海軍にほんこうこくかいぐん高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかん羅臼らうす。その巨体は今、第四運動場の全てを占領して停泊していた。おもむいた五百雀千雪イオジャクチユキは、乗艦手続きを経て保安員の立つゲートをくぐり、今は艦内を歩いている。

 すれ違う者たちは皆、空の船乗り……空軍が廃され、海軍が形骸化した時代の墓守はかもりのよう。


「居住区、Eブロック……402号。こちらですね」


 巨艦の中を十五分ほど歩きまわり、何度もエレベーターを乗り継いで千雪は目的地に到着した。士官用の個室が並ぶ一角は、軍艦の中にあって少しだけ空気が違う。無骨で無機質、質実剛健しつじつごうけんを絵に描いたような風景も、どこかホテルの一角のような気品があった。

 千雪は402号室の前に立ち、ノックの拳を軽く握る。

 住人の名前を書くプレートには、御堂刹那ミドウセツナの名前がある。

 意を決して扉を叩こうとした、その時だった。

 密室の中からくぐもった声が、遠くから響くように千雪の耳に飛び込んでくる。


「よせ、摺木統矢スルギトウヤ。貴様にそういう趣味があるのであれば、応えんでもないが……今は困る」

「あ、いや! 違……違うって! これは、その!」

「優しくしろ、痛い」

「え? それは……ほああああああっ!」


 躊躇ためらわずに千雪は、ロックがかかっていないのを確認もせずに扉を開く。プシュッ、と圧搾空気の抜ける音がして、目の前の合金製の扉がスライドした。

 そして、千雪の網膜に衝撃の光景が飛び込んでくる。


「え? あ、あれ……千雪? どうして、ここに」

「ん、五百雀千雪か。どうした? 用があるなら入れ」


 統矢が、いた。

 刹那も、いる。

 二人は、

 大の字になった刹那は全裸で、膝をついた統矢の両手は彼女の胸の上にあった。

 第二次性徴の前の、異様に白い肌の女児ロリータを、統矢は押し倒していた。

 千雪は思わず、無言で扉を閉めた。


「待て! 待て待て、千雪! お前は誤解をしている、勘違いだ!」


 再び扉が内側から開かれた時には、立ち上がった統矢が必死の形相で息を荒げている。彼は千雪の両肩に手を置くと、懇願するように言葉を並べて、哀願するように許しを請うてきた。

 その間ずっと、彼の背後には全裸の刹那が長い長い銀髪を床に広げている。


「……統矢君。私、なにも見てませんので」

「話を聞け、千雪。これは事故なんだ、事故!」

「大丈夫です、統矢君。私、そういう男の子のアレコレに理解がある方ですので」

「落ち着け千雪! ああ、いや、まずは俺が落ち着かないと……そうだ、素数を一緒に数えよう! いいか、いくぞ……素数が一匹! 素数が二匹! 素数が三匹――」


 千雪の心も表情も、限りなくフラットに凍っていった。

 だが、必死に弁明してくれる統矢は、ちょっとうれしくて、かわいかった。

 そして、立ち上がった刹那の言葉でようやく真実が見えてくる。


「とりあえず二人共、部屋に入れ。言っておくが、摺木統矢の言う通り事故に過ぎん」

「な? 千雪、な、な? 事後、じゃない、ええと、事故だったんだよ」

「事前にシャワーを浴びておこうと思ったのだが、摺木統矢は待ちきれなかったようだ」

「ちょ、ちょっと御堂! ……先生。いかがわしい表現、やめてもらえますか……」


 とりあえず部屋に入り、千雪は後手に扉を閉める。

 二人の話を聞いて、ようやく事の次第が理解できた。

 統矢を呼び出した刹那は、待てども待てども待ち人が現れないので、先にシャワーを浴びようとしていたのだ。そこに、97式【氷蓮ひょうれん】の生産打ち切りにショックを受ける余り、彷徨さまよ幽鬼ファントムと化した統矢がぐずぐず遅れて訪れた。

 全裸で応対した刹那に驚き、それでもズカズカと廊下に幼い裸体が出てきたので……慌てて引っ込めようとした統矢は、結果的に刹那を押し倒す形になったのだった。


「……まあ、そんなことだろうと思ってました」

「お、おう。わかってもらえて助かるぜ……俺はロリコンじゃない、こんなチンチクリンな子供を相手に、それは、まあ……その、うん、ない。……多分、ない。ちょっとしか、ないぞ」

「わかっています、統矢君。わかっていますから」

「おい馬鹿やめろ、俺を優しい目で見るんじゃない」


 とりあえず刹那がずっと全裸なので、千雪は側にあったバスタオルを手に取り、それを投げてやる。

 刹那は承知したとばかりにそれを受け取り……首に掛けるだけに留めた。

 どういう訳か、刹那には決定的に羞恥心しゅうちしんが欠如している。恥じらうほどのなにものも持たないフラットな裸体が、かえって淫靡いんびに見える程の欠落だ。


「で? 摺木統矢はともかく、どうして貴様がいる? 五百雀千雪」

御巫ミカナギ先輩からチェックシートを預かってきました。御堂先生、89式【幻雷げんらい】の改型伍号機かいがたごごうきをれんふぁさんに……先生?」

「ん、ああ。更紗サラサれんふぁの話か……丁度いい。貴様も同席しろ。二人共そこに座れ」


 刹那が顎でしゃくるので、千雪は言われるままに統矢と並んでベッドに座った。

 士官用の上等なシングルベッドは、小さく軋んで二人の体重をマットの柔らかさで支える。

 つい、妙なことを意識してしまって、千雪は普段の五割増しで無表情になった。

 隣の統矢を盗み見れば、彼もなんだか落ち着かないようだ。

 だが、刹那は我関せずとばかりに、全裸にスリッパで冷蔵庫から缶ビールを取り出す。この御時世でも軍の関係者に回ってくる物資はそこそこ豊かで、それだけは幼年兵ようねんへいの千雪たちも同じだ。


「さて……摺木統矢。お前に伝えることがある」

「調度良かったぜ、御堂刹那! 散々振り回しやがって……俺も言いたいことが山程ある」

「ほう? なんだ、言ってみろ」

「……まず、服を着ろ! せめて、タオルで胸元から下を隠せ!」


 統矢のもっともな言葉に、ウンウンと千雪も大きく頷く。

 だが、刹那は首にかけたタオルで濡れた髪を拭きつつ、開封した缶ビールの中身を喉の奥へ流し込んだ。すらりと伸びた白い喉が静かに伸縮を見せて、ゴクゴクと美味しそうに鳴る。


「フゥ、生き返る……この一杯のために生きてる、そうだな? うむ」

「いや、勝手に納得してないで……ええと」

「わかっている、摺木統矢。聞きたいのだろう? ……DUSTERダスター能力」


 ピクリとひきつる統矢の表情が、真剣さを帯びて固くなる。その横顔を見て、千雪も自然と刹那の言の葉を待ち受けた。

 ――DUSTER能力。

 かつて共に戦ったアメリカ軍の海兵隊かいへいたい隊長、グレイ・ホースト大尉の話は千雪も聞いていた。人類同盟じんるいどうめいの各国で、まことしやかにささやかれている都市伝説……選ばれし最強兵士の逸話だ。

 だが、そんな話は眉唾まゆつばだと思えぬ事実を、もう千雪は知っている。

 隣に座る統矢は、消滅した北海道から生きて帰還した。

 そして、千雪たちと共に戦い、セラフ級のパラレイドを撃破したのだ。

 強請ねだるような、問い詰めるような眼差しを注ぐ統矢に、刹那が一拍の間を置いて語り出す。


「DUSTER能力……死線を突破せし兵士の特殊超反応Dead UnderSide Trooper's Extra React。摺木統矢、貴様は徐々にその力に覚醒しつつある」

「なんだよ、それ」

「貴様は第三次北方防衛戦だいさんじほっぽうぼうえいせんを生き残った……生還率0.0000082%の地獄から舞い戻った」

「……俺だけの力じゃない。俺は、助けられたんだ……更紗りんなに」

「正直に言え、そして認めろ……摺木統矢。貴様はパンツァー・モータロイドに搭乗時、自分の感覚が異様に研ぎ澄まされる瞬間を知っている筈だ。極限の集中力の中、まるで時間が止まったかのように全てを掌握して、即座に最適解を判断できる力……それがDUSTER能力」


 千雪には理解の範疇はんちゅうを超えていた。

 火事場かじば馬鹿力ばかじからとかいう物のほうが、まだ信じられる。人は危機に際して、普段は眠っている力を呼び起こせるという。だが、刹那の語るDUSTER能力は違う……危機さえも超えた死地、死線をくぐり抜けた統矢が、一定条件下で常にそうした超常の力を発揮すると言うのだ。

 すぐ隣に座っている統矢が、突然千雪には遠くに感じられた。


「俺が、選べれた人間だっていうのか? くだらねえ……くだらねえよ!」

えるな、摺木統矢。……、そんな馬鹿げた選民思想など持ってはいない。私とて同じだ。大事なのは、貴様が優秀な戦士で、パラレイドと戦えるという事実だ」

「でも、俺は機体を……【氷蓮】を」

「私とて、ただ指をくわえているだけの女ではない。機体については、待て。今は耐えろ」

「……できることぐらいは、したい」

「そうだ、善処しろ。藻掻もがいて足掻あがけ。DUSTER能力については説明した、貴様にそういう特殊な力が備わった。だが、それを活かすも殺すも貴様次第……自分を特別な優れた人間だとおごった瞬間、戦場は容赦無く貴様を死者の列に加えるだろう」


 千雪が言葉を失ったように、統矢も黙ってしまった。

 刹那は乾いた唇を濡らすようにビールを再度飲み、口元の泡を手の甲で拭う。


「それと、呼び出したのは他でもない。摺木統矢、貴様に伝えねばならんことがある。五百雀千雪も面倒を見てやって仲がよかったな……聞け」


 暴かれた真実を前に固まる統矢に、容赦無くさらなる現実が突きつけられた。

 思わず千雪は、隣で膝の上に拳を握る統矢の、その力の篭った手に手を重ねた。自然と、そうせねばならないような気がした。触れていないと、統矢が消え入りそうな錯覚があまりにもリアルだったから。


「皇国軍では、全ての軍人、軍属のデータをアナライズしている。それは幼年兵も例外ではない。当然、中央には更紗りんなの身体から精神状態、遺伝子情報等のデータがある」


 千雪の手の中で、ピクリと統矢の拳が震えた。

 彼の手は、握った内側に爪が食い込む痛みを、どんどん自分の力で圧縮してゆく。

 拳を開いてくれればいい……重ねた手に手を向けて、指と指とを絡めて欲しいと思う千雪。そういうことがなにを意味するかの前に、そうだったらせめてという気持ちがあった。

 構わず刹那は、誰もが不思議に思っていた謎の、一つの答を開示する。


「更紗りんなと更紗れんふぁ、二人のDNAは……。両者は容姿や声の非常に酷似した別人、別個の個体ということになる」


 意外な言葉に、千雪は息を飲む。

 それでも、声にならない気持ちを渦巻かせる統矢の手を握りながら、どうにか一言だけ絞り出した。


「……他人の空似、ということでしょうか」

「それも違う」

「違う、というと」

「更紗れんふぁは、更紗りんな本人とは別個の人間だ。しかし、検査の結果……。端的に言えば、二人は近親者だ」


 その時、隣の統矢は背後のベッドに倒れ込んだ。

 そうして千雪の手を振り払うと、顔を手で覆う。


「……双子の姉妹とかかよ! それともなんだ? あいつにあんなでかい子供が? ……更紗のおばさんは、あいつの母親は……全然違う顔だった。年の近い従姉妹いとこ叔母おばもいない!」

「そうだ。だが、データは嘘をつかん。事実だ」

「どういうことだ……いや、いい。いいんだ」


 僅かな間だったが、戸惑いのままに感情を撃発させた統矢の声が、普段の落ち着きを取り戻す。身を起こした彼の瞳には、あの光が戻っていた。千雪の好きな、燃え滾る業火の輝きが。


「れんふぁはりんなじゃない。それはもう知ってた……俺がもう、そうだと決着をつけていた。あの時に……りんなと本当に決別して、この胸の奥に眠らせてやった時に」

「ふん、いっぱしの口を叩く。……悪くない」

「だが、謎は残る。りんなの近親者であるれんふぁは、あの妙なパンツァー・モータロイドに……トリコロールの派手なPMRパメラに乗って現れたんだ。それも次元転移ディストーション・リープで」


 パラレイドとの戦闘中、突如として次元転移で現れた謎の所属不明機アンノウン。そのコクピットから記憶喪失で運び出されたのがれんふぁだ。

 だが、そのことについても刹那は説明をしてくれた。


「仔細はわからん、全く不明だ。だが、そういうことを放置はしておけん……後日、【】の起動実験を行う。更紗れんふぁの立ち会いの元に、な」

「……【シンデレラ】ってのは」

「例の実験機めいたカラーリングの機体、更紗れんふぁを乗せて次元転移してきたPMRだ。……そう、あれはPMRだ。保管している佐伯瑠璃サエキラピスにも軍の立ち会いのもと調べさせた。そして、あれは……現在の我々の技術力を凌駕りょうがする科学で作られている」


 刹那は語った……コードネーム【シンデレラ】と名付けられた謎のPMRは、次元転移能力があるらしい。他にもブラックボックスの固まりらしいのだが、まるで「これがブラックボックスです、どうぞ」と言わんばかりの構造だという。現在の技術で精製不能なサイズの、巨大な単分子結晶たんぶんしけっしょう長剣ソードたずさえたオーパーツ。それは不思議と、なにからなにまでエクスキューズに満ち溢れているらしい。

 そして刹那は最後に一言……れんふぁの生体認証なしに【シンデレラ】は動かないとだけ語った。れんふぁの遺伝子情報をキーとして、初めて駆動する謎のPMR……地獄の戦場という舞踏会パーティに舞い降りた灰かぶりは、果たして人類のどのようなガラスの靴を残すのか? 

 千雪は数々の真実を前に、隣でいつもの表情を取り戻す統矢を見詰め続けた。

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