第3話「花の季節に枯れゆく生命」

 皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくへと戻った五百雀千雪イオジャクチユキを、巨大な影が出迎えてくれる。

 やはり、先ほど見上げた高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかん羅臼らうすは、青森校区へと降りてきていた。余りに巨大過ぎる船体は、広い校区の中でも一際目立つ。その埒外らちがいな巨体は、完全に千雪の視界で距離感を食い潰していた。

 広大な敷地内で補給作業を始めた羅臼を尻目に、千雪は部室のある校舎内へ急ぐ。

 隣にはピタリと寄り添う更紗サラサれんふぁの姿があって、後を乗り気ではない様子で摺木統矢スルギトウヤがついてくる。あのあと花見は中止になってしまったが、統矢は屋台や出店でなにやら買い物をしていたようだった。

 千雪は広い校舎の北棟へと進んで、戦技教導部せんぎきょうどうぶの部室の扉を開く。

 直ぐに他の部員たちの声が出迎えてくれた。


「おっ、来たな愚妹ぐまいよ。悪ぃな、お花見デートはおあずけだ。な? 桔梗キキョウ

辰馬タツマさん、またそういうことを仰って。部長さんなんですから、もっとシャンとしてくださいね? そういうことなんです、摺木君。ごめんなさいね」


 部長と副部長が、揃って生暖かい視線で千雪を見て、そのまま遅れて入室した統矢を見詰める。れんふぁだけが、ウンウン! ウンウンウン! と大きく頷いていた。

 この熟年夫婦のような、ある種のゴチソウサマ感を発散してる美男美女がこの部の責任者だ。部長の五百雀辰馬イオジャクタツマは千雪の兄で、副部長の御巫桔梗ミカナギキキョウはどうやら恋人らしい。本人たちに自覚があるかどうかは知らないが、二人が付き合っているのは公然の秘密となっていた。

 そして、千雪は部室の周囲をゆっくりと見渡す。

 本来、真っ先に声をかけてきそうなお転婆娘てんばむすめが見当たらない。

 思い出したように、視線を少し下げると、金髪碧眼きんぱつへきがん矮躯わいくが肩をいからせ歩いてきた。


「ちょっと、統矢! 千雪もれんふぁも! お花見中止って、どういうことよ!」


 小さな小さな少女は、まるで動いて喋るビスクドールだ。ツーサイドアップにまとめた髪を揺らす、彼女の名はラスカ・ランシング。この春に入学した期待の新人一年生だ。

 ラスカは千雪をジトリと眇めてから、自分を指差す統矢に突っかかってゆく。


「なんなのよ、もうっ! お花見、楽しみにしてたのにっ! だって、花見よ? ジャパニーズ・HANAMIハナーミなのよ!」

「お、おう……俺に言われてもなあ。ラスカ、お前……花見、好きだったのかよ」

「したことないの! ブリテンには花見なんてイベントないもの。あーもぉ、どうしてくれるの! アタシ、勉強してきたのよ。ゴザを敷いて芸者を呼んで、歌と踊りで大騒ぎするのよね? 俳句や短歌といったポエムを詠んだりするフェステバルなのよね!」


 違う。

 なんとなく、間違ってる。

 だが、ラスカは随分と子供っぽくて、見た目も手伝って歳相応以下に見える。そんな彼女は鼻息も荒く、統矢が悪いとばかりに噛み付いていた。

 統矢は統矢で、あしらい方を心得ているかのように手にした袋を渡してやる。


「まあ、ラスカ。花見は残念だったな。ああ、残念だろうよ。ほら、土産みやげだ」

「なによ……これは?」

「たこ焼きだ」

「! こっ、これだから日本人って! デビルフィッシュを食べるなんてどうかしてるわ。……貸しなさいよ、ほらっ! ハムッ、熱っ! ああ、おいひい……」

「こっちは焼き鳥な」

「知ってるわよ、それくらい! なによ、美味しいじゃない! どういうことなのよ!?」

「リンゴあめもやろう」

「甘いわ、どうしてくれるの!? まったくもう、絶対に許さないんだから! ……おいひぃ」


 桔梗がクスクスと口元を手で抑え、辰馬はやれやれと肩を竦めつつ苦笑い。千雪も隣でれんふぁが笑う気配に自然と頬をほころばせた。

 やはり、統矢は意外と優しい。

 びたナイフのように、全てをギザギザに切り裂く暗い瞳の少年。パラレイドへの怨嗟えんさ憎悪ぞうおで駆動する、一騎当千のパイロット……彼を得て、パンツァー・モータロイドは最強の破壊兵器となって敵を駆逐する。

 だが、目の前でチョロいラスカをコロコロと転がすのは、どこにでもいる普通の少年だ。

 そんなことを思っていると、れんふぁが顔を覗き込んでくる。


「千雪さん、とってもイイお顔してます……やっぱり、千雪さんは統矢さんの……」

「ええ」

「やっぱり! 千雪さんも食べたかったんですね! 統矢さんのお土産」

「……まあ、そうですね」


 瞳をキラキラさせて、れんふぁはやはりウンウンと大きく頷いている。この不思議な少女は、時々鋭いのに、稀に見当違いな鈍さも見せてくる。そんな彼女になつかれれば、千雪は悪い気がしなかったが……時々統矢が彼女を見ているのが気になった。

 幼馴染の更紗りんなを、その死を思い出として心に仕舞い込んだものの、まだ統矢の中で彼女の全てが息衝いているのだ。そして、りんなと同じ顔のれんふぁを見る彼の、なんとも言えぬ寂しげな笑顔が千雪には切なかった。

 そうこうしていると、再び部室の扉が開かれる。


「全員揃っているな。差し入れだ! 花見を潰したのは私だ、ガキ共。せいぜいこれでも飲み食いして我慢するがいい!」


 物騒な物言いと共に、赤いジャージ姿が現れた。

 少女未満で幼女を脱し切れていない、この女児の名は御堂刹那ミドウセツナ。女児といっても年齢不詳、人類同盟じんるいどうめいに所属する日本皇国軍にほんこうこくぐん特務三佐とくむさんさだ。今はこの青森校区の教員として、千雪たちのクラスの担任でもある。

 彼女は当然のように、戦技教導部の顧問へと自分を捩じ込んできた。

 小さな小さな刹那は、得意気に両手のビニール袋を千雪たちに押し付けてきた。

 中にはジュースの瓶や菓子などが入っていて、この時代では贅沢品だ。日本ではまだ配給制に頼らず自由市場を維持できているが、物価が高騰してインフレ気味になっている。幼年兵である千雪たちの周囲は、衣食住こそ充実してなにかと融通が効くが、世界経済はゆるやかに崩壊しつつあった。


「摺木統矢、全員に公平に分配しろ! ……私は炭酸が飲めん、珈琲コーヒーかお茶だ」

「え? 俺が? あ、はいはい……えっと、じゃあ、千雪? お前は?」

「残ったもので結構ですよ、統矢君」


 辰馬と桔梗が机をくっつけ並べて、その上に統矢が菓子を出す。袋の中の飲み物も配って、千雪には冷えた林檎ジュースが回ってきた。

 綿飴を頬張りつつも、直ぐにラスカが袋菓子に手を出してくる。

 みんなでそうして机を囲むと、刹那は持ってきた椅子の上に立つ。そうして生徒たちと視線の高さを会わせると、彼女は小さく溜息を零してから口を開いた。


「突然集まってもらったのは他でもない。とても悪いニュースと――」

「おっし、刹那ちゃん。いいニュースから頼むぜ」


 すかさず辰馬が口を挟んで、白い歯を零して笑いながら刹那を指差す。

 だが、ジト目で見詰め返して刹那は再び大きな溜息を一つ。


「御堂先生と呼ばんか、バカモノ。……とても悪いニュースと、すごく悪いニュースがある」

「なんだよそれ、最悪だぜ。あー、やだやだ、聞きたくねー」


 椅子へと腰を下ろした辰馬が眉をひそめた。

 確か、刹那は軍人……それも、人類同盟の秘匿機関ひとくきかんウロボロスなる組織の人間だ。丁度、青森校区へと飛来した羅臼と関係があるのではないかと千雪は思った。そしてそれは、当たらずとも遠からずだろう。

 気が重いのか、常にキンキンと響く甲高い声の刹那も、今日は少し大人しい。

 彼女は膝裏まで伸びる長い長い銀髪をバリボリとかくと、ようやく喋り出した。


「先程、次元転移ディストーション・リープしてきたパラレイドに攻撃を受けた。敵は沖縄要塞おきなわようさいを急襲、在日米軍を中心とした迎撃部隊と交戦……多大な犠牲の末に、なんとか撃退した」

「へー、北海道に青森と来て、次は沖縄かよ。なんか法則性あんのか?」

「外堀から埋めていく、という感じでしょうか」


 辰馬の言葉尻を桔梗が拾う。

 その間もずっと、フガフガとラスカは開封したポテトチップスを食べている。千雪の視線に気付いた彼女は「アンタも食べる? 意外といけるわよ」と袋を差し出してきた。

 千雪はそっと優しくラスカからポテトチップスの袋を取り上げると、それを綺麗に開き直してテーブルの上に置く。

 その間も、コーラを手に統矢が鋭い言葉を差し込んでいた。


「沖縄といえば、島全体が軍事要塞化した日本皇国軍の一大拠点だ。新しい皇都のくれにも近いし……撃退、ってことはセラフ級のパラレイドは出なかったってことか?」

「まだ詳細は不明だ。ただ、沖縄校区おきなわこうくの幼年兵は判明しているだけで損耗率38%、ほぼ壊滅状態だな」

「クソッ、俺たちは弾除たまよけのおとり、使い捨てかよ」

「そうだ。お前たち幼年兵はPMRパメラの最も安い部品……それだけで終わらない自分になってみせろ、摺木統矢。お前にはできる。……と、私は思っているが、まあいい」


 不意に一瞬だけ、刹那が優しげな笑みを統矢へと向けた。

 それが意外で、千雪は統矢のリアクションを待つ。

 だが、彼はその頃にはもう、ラスカとポッキーの奪い合いをしていた。なんだか、ちょっと、すごく、残念。男の子というのはどうして、こういう瞬間の機微きびうといのだろうか? だが、それで千雪のほのかな恋心が陰ることはない。

 そして、刹那が続ける話の方が今は重要で、辰馬や桔梗も言葉の続きを待っていた。


「次に……こちらも悪い知らせだ。御巫桔梗、お前の耳にはもう届いているか?」

「と、いうことは……わたくしの家に関するお話でしょうか」

「そうだ」


 僅かに表情を固くする桔梗の隣で、辰馬がそっと肩を抱く。

 妹の千雪が言うのもなんだが、兄の辰馬は……かなりのタラシだ。彼を慕う女生徒は多いし、その誰に対しても辰馬は酷く愛想がいい。決して邪険にはせず、紳士的で甲斐性に満ちていいる。兄妹ながら、千雪はとても不思議に思うくらいだ。

 そういう八方美人な浮気症を、桔梗が許しているのも不可思議だった。

 意外と二人の関係は、そして男女の仲というのは、千雪が思うよりも複雑らしい。

 そうこうしていると、刹那は意を決したように再び口を開く。


「摺木統矢、よく聞け。御巫重工は……97式【氷蓮ひょうれん】の生産を

「おいラスカ、食い過ぎだぜそいつは! ……え? い、今、なんて」

「貴様が使っている【氷蓮】の修理用パーツは手に入らん。手配していたが遅かった……生産停止で、今後は現存する全ての予備パーツが軍に持って行かれてしまう」

「嘘……だろ……? そ、それって!」

「替えの装甲は手にはいらん。残念だが事実、そして現実だ」


 97式【氷蓮】……昨年にロールアウトし、激戦の北海道へと集中配備された最新鋭PMRだ。皇国軍が主力機として使用している94式【星炎せいえん】から、順次刷新される予定だったが……どうやらその話はなくなったらしい。

 その後も刹那は言葉を続ける。

 【氷蓮】は、生産ラインの全てが北海道にあったのだ。多くの予備パーツごと消滅してしまい、現在国内で稼働しているのは生産数の僅か2%……8機である。勿論、ここに統矢の機体はカウントされていない。そして、本土に残った極僅かなパーツは、全て皇国軍に持って行かれてしまったのだった。

 統矢はよろけて後ずさると、脚に当たった椅子にストンと崩れ落ちた。

 慌てて千雪が、次いでれんふぁが声をかける。


「統矢君、大丈夫です。あの子は私が、私たちが直しますから」

「そ、そうですっ! ないものは作ればいいんです! 佐伯サエキ先輩にも相談してみましょう」


 流石にショックが隠し切れないのか、統矢は「あ、ああ」と曖昧な返事だ。

 周囲が心配する中、千雪には不思議と確信が満ちてゆく。

 この人は、ここでは終わらない。

 あの機体は、そんなことでは終われない。

 ならば、自分のするべきことも一つだと千雪は心に結ぶ。


「話は以上だ、それと……摺木統矢。後ほど私の部屋に来い。今まで校舎の宿直室に住み込んでいたが、今日から羅臼の士官室に移る。居住区のEブロック402号だ」


 それだけ言い残すと、刹那は部室を出て行った。

 愛機【氷蓮】の生産終了に伴うパーツ枯渇……その現実だけが、今の統矢を包んでいる。それがまるで目に見えるようで、千雪も自然と震えの込み上げる己の肘を抱き締めた。

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