第15話「遺都、燃ゆ」

 上だけを見て、天だけをにらんで五百雀千雪イオジャクチユキんだ。

 彼女を乗せて地を蹴る愛機、89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきが微動に震える。巨大な拳を振りかぶる空色の機体は今、その先に威圧感プレッシャーを放つ魔神を捉えていた。

 三機の飛行型が合体した、セラフ級パラレイド。

 その大きな瞳が、装甲越しに千雪を見下ろしていた。


「もう少し……あと少し! 踏み込んでっ!」


 小さく叫ぶ千雪の気迫を、操縦桿に内包されたGx感応流素ジンキ・ファンクションが拾う。絶対元素Gxぜったいげんそジンキによって精神力や感情波を拾って増幅するその機能が、改型参号機の全身へと千雪の意思を行き渡らせた。

 背面に並ぶスラスターから輝きを引っ張り出して、さらなる加速で急上昇。

 またたく間に、眼下を睥睨へいげいするセラフ級の真上へと躍り出た。

 太陽を背に、重力に身を委ねるや、垂直落下。

 同時に、インパクトのタイミングを見定める千雪の集中力が雑音を消す。音も光もない世界の中で、彼女は完璧な一瞬に全てを解放した。


正中線せいちゅうせん……穿うがつ!」


 避けることなく視線を巡らし、ゆっくりとセラフ級が見上げてくる。

 その目線を放つ双眸そうぼうの間、眉間みけんへと鋼の拳が突き出された。

 激しい衝撃音と共に、確かな手応え。だが、パンツァー・モータロイドが立って歩ける程に巨大な顔面の中心部は、奇妙な感触で千雪の肉体そのものとなった拳を押し返す。

 操縦桿を介して、無手の格闘戦用に強化された改型参号機の拳が触れるもの。

 それは、硬い感触と同時に、瞬時に解けて柔らかく弾んだ。

 急に手応えが消え失せると同時に、千雪は回避運動で敵から離れる。

 一秒前の自分の残像が、目の前で巨大な両手に押し潰されていた。そして、遠ざかるセラフ級の揺るがぬ姿を見ながら、落下しつつの姿勢制御に機体を操る。その間もずっと、千雪は驚くべきセラフ級の力に歯噛はがみしていた。


「装甲が……自己再生、する。嘘……直撃だった筈ですが」


 改型参号機の拳が穿った、巨大なくぼみが消えてゆく。

 まるでダメージがないかのように、全く動じずにセラフ級は宙に浮いていた。その背に広がる真っ赤なマント状の装甲が、まるで凱歌に揺れる旗のように棚引いている。

 全くの無傷に、千雪には見えた。

 その絶望感が、全裸の肌という肌を不気味な悪寒で凍えさせる。

 全身の毛穴という毛穴から、見えない何かが浸透してくるような感覚……泡立つ柔肌を這い上がってくる嫌悪感に、千雪は歯を食いしばって抗った。

 そして、自分と入れ違いになにかが空へと上がってくる。

 天へと昇る龍のように、光の尾を引く金切り声。それは、猛り荒ぶ怒龍どりゅう咆哮ほうこうにも似た、独特の駆動音を響かせていた。全身を象る紫炎の輝きが、背の巨大な剣を手に加速する。重力など知らぬかのように舞い上がる。


『千雪っ、合わせろ! もっと高さを……奴のずっと上を取る!』

「統矢君? ずっと? もっとですね!」


 すかさず千雪は、愛機の両手を重ねて待ち受ける。

 同時に、視界を埋め尽くすように、紫色フレアパープルPMRパメラが浮かび上がった。ツインアイの片方をオレンジ色のスキンテープで覆った、隻眼せきがんの人型。相変わらず新造パーツと従来の装甲とを、無理やりに応急処置で繋ぎ止めている。

 摺木統矢スルギトウヤの新たな力、そして変わらぬ想い……97式【氷蓮ひょうれん】。

 セカンド・リペアへと再び蘇った機体からは、すぐに統矢の意図が千雪に伝わってくる。装甲を隔てて空気を間に挟んでも、千雪はすぐ間近に統矢の息吹いぶきを感じた。


「統矢君、!」

『頼むっ!』


 千雪の改型参号機を、統矢は踏み台にした。

 大きな両の手を、【氷蓮】の脚が踏んだ、その瞬間……全力で千雪は空へと腕を振り上げる。そのイメージを注がれた改型参号機が、フルパワーで【氷蓮】を打ち上げた。

 あっという間に統矢の【氷蓮】が、悠々と飛ぶセラフ級の上を取る。

 同時に、母艦である羅臼らうすから叫ばれる声が悲鳴のように裏返った。


『摺木統矢、統矢君! 小生の説明はまだ終わっていないのである! まず、以前からの問題であった高出力稼働時の排熱でスキンテープが発火する現象、これを新型のGxジンキスキンタービンで……ただのスキンテープではない、排熱を吸収して全身の稼働を補佐する、いわば補助人工筋肉で……聞いているのかっ! もぉーっ!』

御託ごたくはあとででいい! 今は……こいつをっ!』


 手にする巨大な剣から、統矢の【氷蓮】がなにかを外した。

 それは、さやだ。

 今までなかった、鞘を抜き放つや彼は捨てた。

 もともとは【シンデレラ】が装備していた、現在の技術では生成不能な大きさの単分子結晶たんぶんしけっしょうだ。そのきらめく刃が、巨大な鞘を払って現れた。

 またも母艦から、PMRの整備や開発のためにやってきた八十島彌助ヤソジマヤスケが絶叫する。


『ぬおおっ! 鞘を! 鞘を、捨てた!? んぎぎ……そ、それはーっ! 新装備の、新たな【氷蓮】の力っ、捨ててはイカーン!』


 とりあえず、落下し始めた改型参号機を微調整で操り、千雪は巨大な鞘を拾う。

 手にした瞬間に、それがただの鞘ではないことが千雪に伝わった。


「これは……? ……なるほど、そういうことですか」


 だが、地面へと吸い込まれる千雪は今は、鞘を手にして落ちるしかない。

 反対に、空中で姿勢制御もそこそこに、統矢の【氷蓮】はセラフ級へと斬りかかる。闘志がほとばしる統矢の咆哮が、回線を通じて千雪の耳に木霊こだました。

 鼓膜を揺さぶる熱い雄叫びが、自然と不快な寒さを振り払ってゆく。

 身体が火照るのを感じながら、千雪はそっと片手で己の肩を抱いた。


『そこを動くなぁ! 叩き斬ってやるっ!』


 高く高く大上段に構えられた剣が、陽光を反射する刃を振り下ろす。

 すかさずセラフ級も、再び両肩から手斧トマホークを射出、それを握って受け止めた。

 異次元の力と力が鍔迫つばぜり合う中、セラフ級の背後に迫る光。それは、大きくターンして加速距離を確保した、れんふぁの【シンデレラ】だった。音速に匹敵する速度で飛び交う【シンデレラ】は、機体を包む重力場グラビティ・ケイジがハッキリと目視できる。

 まるで、青空を歪めて飛翔する小型のブラックホールだ。

 注ぐ光を捻じ曲げながら、【シンデレラ】がまとう力場で体当たりを敢行する。

 そして、統矢の声が叫ばれた。


『れんふぁか、下がってろ! その機体じゃ戦闘は……うおっ!?』


 その時、巨大なセラフ級は突然……己を象る輪郭を弾けさせた。突然爆発したかのように、その巨躯きょくが霧散する。

 再び三つの高速飛翔体へと分離したセラフ級は、統矢の剣戟けんげきをすり抜けた。

 同時に、身を浴びせるように飛び込んでくる【シンデレラ】をも避ける。

 三つの影は連なり並んで、一つの列になって飛び交った。

 速過ぎるその機動を目で追えば、千雪の意思を拾って改型参号機が着地と同時に首を巡らせる。PMRの細かな動きは全て、Gx感応流素による思考制御の補助機能が司っていた。

 大きく弧を描いて再び戻ってくるセラフ級の、その並びに千雪は目を光らせる。


「並びが……違う? 先程の合体、赤、白、黄でしたが」


 今、編隊を組んで頭上を、あっという間に三機に分かれたセラフ級が飛び去る。辛うじて捉えた画像は、やはり先ほどとは違う。

 その意味を千雪は、混乱しながら降りてくる統矢の声で知った。


『大丈夫か、れんふぁ! ……あ、【シンデレラ】には無線が……くそっ、とりあえずお前は下がれ! 奴は……!』


 統矢の言う通り、大きなループで宙に円を描いて、再び三機が合体する。

 縦に白、黄、赤の順に連結され……そして再び巨大な人の姿へと変わった。それは、先ほどとは全く別の形態となって、地上へと降りてくる。

 その着地点に急ぐ千雪のすぐそばに、統矢も逆噴射の風圧を広げて並んだ。

 見上げればまだ、【シンデレラ】は飛んでいる。


「統矢君、先ほどと全く違う形態です。もしや」

『ああ! あいつは、あのセラフ級は……三機で三種の合体パターンを持っているんだ。そして恐らく、さっきの空中戦用と変わって、今度のは!』


 ちて廃墟となった街に、セラフ級の巨体が立ち上がる。

 それは、まるで古代の聖典にある悪魔のように、頭部が天へと尖ってそそり立つ。右手は巨大なドリル状になっており、右手には簡素だが頑強そうな鉤爪ハーケン状のマニュピレーター。

 地上戦闘用に機動性と運動性を重視しているのか、下半身は細く鋭い印象を与える。

 そして、千雪の分析を裏切らぬはやさで、セラフ級は走り出した。

 そう、……PMRと同様に、大地を揺らして二本の脚で駆け出したのだ。

 その加速が次第に、物理法則さえ捻じ曲げてさらなる増速で空気を切り裂く。


「信じられません……統矢君! 気をつけてください。敵が、音速を……突破、しました」


 周囲に空気の断層を幾重にも広げて、セラフ急が廃都となった街を疾駆する。ただ駆け抜けるだけで、遅れて広がるソニックブームが、朽ち果てたビルを次々と切り裂いた。

 その移動に巻き込まれるだけでも、普通のPMRならひとたまりもない。

 千雪は統矢の【氷蓮】を見送りつつ、忘れかけていた仲間を思い出して通信を繋ぐ。同時に、高高度へと退避した羅臼からは、二つの機影が射出された。パラシュートで優雅に降りてる時間はない。限界高度で逆噴射しての、強引な強攻着陸だ。


「あれは、兄様の改型壱号機かいがたいちごうきと……御巫ミカナギ先輩の改型弐号機かいがたにごうき。ラスカさん? 聴こえていますか? さっきから気配が……ラスカさん?」


 千雪の呼び掛けに、ややあって声が響く。


『……ん、んっ……はっ!? ア、アタシ……千雪?』

「気付きましたか? ラスカさん。すみません、統矢君に夢中で忘れてましたが、大丈夫でしょうか」

『っ……!? アタシ、気絶なんかしてない! ったく、いい性格してるわ、千雪。アンタね、そういうとこだけ素直なの、気に食わないわっ!』

「ありがとうございます。とりあえず連携、五機で追い込みましょう。フォーメーションを……」

『褒めてないっての! ……アタシ、【シンデレラ】の……れんふぁのフォローに回るわ。ちょっと無茶しすぎた、アルレインの関節や駆動系の負荷が気になるし、オイルも上がってきてる。もう全力では動けないかも』

「了解です」


 先行する統矢の【氷蓮】を追って、走る改型参号機が次第に歩幅を広げてゆく。一歩一歩が跳ぶように馳せれば、千雪は愛機の推力を解放した。

 加速力を爆発させた改型参号機が、あっという間に低空を滑空して【氷蓮】に追いつく。

 二機が向かう先では、音速の竜巻と化したセラフ級が土砂を巻き上げていた。

 土色に逆巻く空気の断層が、その中にプラズマをスパークさせながら迫ってくる。


「統矢君、鞘を。これは大事なものだそうですが」

『待て千雪っ! 持っててくれ、後で……避けろ!』


 それだけ言うや、統矢の【氷蓮】が左へと飛び去る。

 同時に、千雪も右へと大きく操縦桿を倒した。

 二手に分かれた両者の間を、渦巻く死の風圧が擦過した。

 そして、一拍の間を置いて、地面のアスファルトがめくれ上がる。放置されていた路上の車両が宙を舞い、同心円状に建物が吹き飛ばされてゆく。

 これでは、攻撃のしようがない。

 接近することすら許されないのだ。


『クソッ! なら射撃で!』


 地面を削りながらターンしつつ、【氷蓮】が手にする大剣の鍔を分離させる。それは二丁の拳銃になっており、しかも通常の火器ではない。以前は共通規格の30mmミリオートを接続していたが、今は元に戻されていた。

 【氷蓮】は地に剣を突き立て手放すや、二丁の拳銃を交互に撃ち放った。

 加速された重金属が粒子を纏って、光の矢となり飛んでゆく。

 謎のPMR【シンデレラ】がもたらした未知の兵装、ビーム兵器だ。これもまた、現在の人類では製造不能なオーバーテクノロジーである。

 再度、千雪は胸の奥に浮かびかける疑問符を心で踏み付ける。

 巨大な単分子結晶にビーム兵器、そして重力場によるバリアに……次元転移ディストーション・リープ

 果たして【シンデレラ】は、そして……れんふぁはどこからやってきたのだろう。

 今は戦い一意専心を意識しつつも、千雪は行き交う回線上の会話の奥へと無言で問い掛ける。通信機器が搭載されていない【シンデレラ】は、なにも応えてはくれない。


桔梗キキョウ! フォーメーションを組み直すぞ、援護してくれ! 統矢、千雪、合流しろ! ラスカはれんふぁの【シンデレラ】を頼むっ!』


 兄の五百雀辰馬イオジャクタツマの声が、いつにも増して緊迫感を増している。彼の白い改型壱号機は、既にセラフ級が嵐となって吹き荒れ蹂躙じゅうりんした大地の、巨大なわだちを走っている。

 御巫桔梗ミカナギキキョウの改型弐号機はスナイパーなので、既に廃墟の何処かに気配を消していた。

 数でこそ四対一、ラスカとれんふぁも頭数あたまかずに入れれば六対一だ。

 だが、パラレイドの侵略が日常化したこの世界で、セラフ級を撃破した前例は少ない。そして、千雪たちがその希少な前例を打ち立てた人間であることも事実だ。


「兄様、統矢君と攻撃に備えてください。御巫先輩、聴こえていますか?」

『ええ、感度良好。見えてます、千雪ちゃん』

「援護射撃、お願いします。当てなくてもいいので、少しでいいからセラフ級の足を止めてください」

『了解です。……大丈夫ですよ、当てて足止めしますから』


 奇妙な間を挟んで行き交う言葉に、男性陣の『なんか、怖くねーか? 統矢』『はあ、まあ』と腰の引けた声。だが、千雪は桔梗に思うところがある反面、チームの一員として信頼を預けていた。

 彼女の銃口から逃げられた者は、存在しない。

 魔弾の射手はその目に映る全てを、狙いたがわず撃ち抜く。


「兄様、私が仕掛けます。速度を緩めたところに私が吶喊とっかんするので、統矢君と射撃で私ごとお願いします。……こっちは自分で避けますので」

『おい待て千雪! そういうのは作戦って言わねえ、俺が部長、今は隊長だ。俺の話を――』

「では……行きますっ!」

『こんの、馬鹿娘ばかむすめ! 愚妹! デカパイミルクタンク! んにゃろぉ……誰か、あのボケナスを止めろぉ!』


 きびすを返すや、千雪は愛機にむちを入れる。

 同時に、どこからともなく弾丸が向かう先へと吸い込まれてゆく。二発、三発と飛来する狙撃を追って、音速のセラフ級へと千雪は飛び込んだ。

 だが、圧倒的な疾さで大地を走破するセラフ級は、周囲に巻き起こる対流で弾丸を跳ね返す。それすらも千雪には計算通りだった。敵意を拾って察知するや、セラフ級は速度を緩めて振り返った。

 その間隙に全力で千雪は特攻する。

 改型参号機は、低く地を這う影のようにセラフ級へ吸い込まれていった。

 そして、予想外の言葉が回線越しに千雪の鼓膜をむしる。


『こちら皇国陸軍こうこくりくぐん遺都警備大隊いとけいびだいたい! いかなる理由であれ、遺都東京への侵入は禁止されている! ……なに? パラレイドだぁ? セラフ級!? ……肉眼で確認した、海軍は引っ込め!』

『クソッ、陸軍の能無し連中が到着か。こちらは海軍PMR戦術実験小隊かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい、指揮官の御堂刹那ミドウセツナ特務三佐だ。貴官の階級と姓名を名乗れ!』

『特務の、ウロボロスのガキか! いいから海軍はどけっ、あくまでパラレイドとの交戦権は陸軍にある! 海軍は輸送任務だけやってりゃいいんだよ!』

『そんなことを言ってる場合ではないのだ、セラフ級だぞ! 沖縄でも青森で足を引っ張りおって……』

『貴様、その言葉は上官侮辱罪だぞ! ……なに? よし、出せ。幼年兵ようねんへいからさっさとばらまけ! 奴らの降下を陽動にして強行着陸、本隊を急速展開する! 急げよ!』


 気付けば空には、羅臼以外にもう一隻の巨大な飛行船がいた。絶対元素Gxによる不燃性ガスの発見により、高高度を低コストで大量輸送に行き来する巡航輸送艦じゅんこうゆそうかんだ。

 しかし、羅臼と違って高度を下げ、さらに大量のPMRを降下させた。

 悠長に落下傘パラシュートが無数に開く中、セラフ急は再び分離して空へ舞う。

 それを見上げる千雪の拳が、旋風つむじとなって残った嵐の残滓ざんしを突っ切った時だった。

 再度最初の姿へと合体したセラフ急が、空へと四肢を伸ばして腹を突き出す。高熱源反応に光が収束し、そして苛烈かれつなビームが迸った。

 それは、ばらまかれた幼年兵の大半を巻き込み……割り込んだ【シンデレラ】のバリアをも打ち破ると、降下中の艦に直撃した。輸送効率を第一に造られた、軽合金製の船体などひとたまりもなかった。駆けつけた陸軍の遺都警備大隊は、日頃から足に使っていた海軍の艦ごと天空で大爆発に消える。

 同時に、セラフ級は分離合体するや地上型に戻って、地の底にもぐって消えた。

 全く相手にならぬ勝負の中で、勝負にすらならなかった戦いが終わった。

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