第16話「一変した日常への帰還」
セラフ級パラレイドの脅威は、去った。
戦闘と呼べる程のものにならなかった。
戦いと言える程に打撃を与えられなかった。
こちらの攻撃は許されず、毛ほどもダメージを与えてはいない。そんな中で、自在に合体変形を繰り返すセラフ級は、強力なビームで味方の
恐るべき、敵。
だが、千雪が寒さに肩を抱いているのは、それだけではなかった。
「……おい、千雪? お前なあ……ほ、ほら。服、持ってきたぞ?」
羅臼の
そう、全裸。
生まれたままの姿に、生まれたてのような柔肌を震わせている。
そして、生まれてからの年月を無言で語るのは、うっすらとした下腹部の
そもそも、バスタオル一枚を身に巻いて飛び出したことからして、失態だった。
「すみません、
目の前には今、モニターに大きく
千雪はふと、ふしだらな想いが浮かび上がるのを感じた。
装甲の向こうに、統矢がいる。
その前で自分は、裸を
セラフ級への戦慄や寒さとは別種の身震いが、千雪の背筋をゾクゾクと這い登った。
「……今、ハッチを開けますので」
「お、おう。あっち、向いてるからよ」
プシュ! と空気の抜ける音と共に、ハッチが開く。すぐ真下に、統矢が背を向けている。彼の右手が、
周囲を気にしつつ、千雪は顔だけを
ひったくるように制服を受け取って、コクピットの奥に戻るなりもぞもぞと着替え始めた。下着を身に付けシャツを着る間も、周囲の声と音とが臭いを交えて伝わる。
火薬とオイルの臭いに交じるのは、緊張感に満ちた声と悲鳴。
今、羅臼は降下した
怪我人たちの呻き声が、自然と血の臭いをコクピットへと運んでくる。
「統矢君、そっちは」
「ああ? おう、大丈夫だ。新しい97式【
「それは、よかったです。また、戦えますね……一緒に」
「お、おう。それと、
千雪は統矢の機体が捨てた鞘、長大な
PMRによる対パラレイド戦闘において、恐るべきセンスを魅せつける統矢。
だが、千雪にとっては同級生で転校生、そして片思いの王子様だった。
たとえ亡国の王子、好いた姫君を亡くした傷心を抱えていてもいい。千雪は統矢のためなら、悪い魔女も他国の軍隊も飲み込む
千雪は着替えを終えると、コクピットから這い出した。
「統矢君? あの……降ります、けど」
「あ、ああ。もうそっち、向いてもいいな?」
「ええ。それで、あの」
「ん? どした」
振り向く統矢は、相変わらずの学生服、詰め襟姿だ。前のボタンを全て外して、ズボンのポケットに両手を突っ込んでいる。こうしてみると、どこにでもいる普通の男子高校生だ。
しかし、一度PMRに乗れば、パラレイドを倒すだけの
それでも、今のこの瞬間だけは、ちょっと気の利かなくて鈍い男の子だった。
「統矢君。私、降りるんです」
「おう、さっさと行こうぜ。なんか、慌ただしくなってきたからよ」
「……降ります、から」
「なんだよ、もってまわるな、お前。どした」
「あ、あの……手を、貸してもらえますか?」
「……は? なに言ってんだよ、飛び降りりゃいいだろ。いつもみたいに」
自分ではムスッと不満を露わにしているが、それが通じるのは統矢だけだ。
統矢だけが、実の兄でさえ気付かぬ感情の機微を拾ってくれる、それが不思議で、そこも好きだった。
「……もういいです」
「な、なにを怒ってんだ?」
「怒ってないです。私、怒ってませんから」
「いや、お前なあ」
自分でも、なんて
こんなことでは、統矢にきっと振り向いてもらえない。むしろ、煙たがられる。もっと素直に、そう……
そう思いつつ、ちらりと千雪は統矢の視線の先を見やる。
そこには、先程回収された【シンデレラ】の残骸が横たわっていた。正体不明のオーバーテクノロジーで作られた、謎のPMR……鮮やかなトリコロールで塗り分けられていた機体は、今は見る影もない。
そして、千雪と統矢の前を、ストレッチャーに乗せられたれんふぁが運ばれてゆく。ぶら下がる点滴を見上げながら、苦悶の表情を痛みに歪ませる彼女は、駆け寄る二人に口を開いた。
「あ……千雪、さん……統矢さん、も」
「大丈夫か、れんふぁ! なあ、おい……馬鹿、どうしてあんなことを! あ、いや、悪い……そんなことより」
「ごめん、なさい……わたし、なんだか……記憶が、頭が。それで――」
「いいんだ、いいんだよ。そんなこと、どうってことない! 早く元気になれよ、その……上手く言えないけど、俺、さ。……あ、あれだな、こんなこと言っても困るよな」
「ううん……」
千雪は、困る。とても困る。そして、弱る。
止まってくれた
今、恐らく……統矢はれんふぁの姿に失った
死んでしまった
そう思う自分が自己嫌悪で、それがれんふぁの怪我よりも気になる。なんて嫌な女だろうと思うも、統矢も好きで、別の意味でれんふぁも好きで。結局、上手く感情表現が出来ない自分が
「統矢君。あとは私の方でやっておきます。……れんふぁさんに、付き添ってあげてください。れんふぁさんには、今……統矢君が必要です」
「……わかった。悪ぃ、あとは任せた」
「ええ、任されました」
統矢は励ましの言葉をれんふぁに投げ掛けながら、救護兵と一緒に行ってしまった。
その背を見送る千雪は、背後で突然声をかけられる。
「あっ、あの!
好奇心を滲ませた少女の声に「ええ」と千雪が振り返る。
そこには、酷く小さな背の女の子が立っていた。制服はセーラー服で、恐らく関東のどこかの校区の生徒だ。そして、当然だが……この場にいるということは、
そばかすが目立つ赤茶けたショートボブの少女は、ニカッと白い歯を見せて笑う。
「自分は皇立兵練予備校、
「千雪……殿?」
小首を傾げつつ、千雪は出された手を握って握手を交わす。
沙菊はその手に手を重ねて、目をキラキラ扠せながら大きく上下させる。
「自分、ずっと憧れでありました! 青森校区のエース、フェンリルの
「……そうなんですか?」
「そうであります! 自分、以前の月刊パンツァー・ビズのインタビュー、読みました! 感動であります……それだけに残念、無念であります! 今年は多分、その……
ああ、と千雪は思い出す。PMR関連の記事ばかりを集めた雑誌、月刊パンツァー・ビスの取材を以前受けたことがあるような気がする。その時驚いたが、自分が全国的に有名なPMR乗りだということは、すっかり忘れていた。
――全国総合競戦演習。
それは、全国の全ての校区から選出された
「自分ら、
「……やはり、埼玉校区の皆さんは」
「先行して強攻降下、
一瞬、沙菊は表情を
そうしていると、彼女のクラスメイトらしき少年少女が集まり出す。
「うわっ、本物の【閃風】!? ……写真より、すげえ……マブいじゃん」
「マブい、ってアンタねえ……いつの時代の人間よ。っと、五百雀先輩。うちの沙菊がすみません。コイツ、いつもこうなんです。千雪殿、千雪殿って」
「沙菊の生徒手帳みました? 五百雀先輩の切り抜きピンナップがギッシリで」
「これが……フェンリルの拳姫。空色の一角獣。青森校区もまだ、89式【幻雷】を使ってんだなあ。やっぱ94式【星炎】使ってんのは、皇国軍と廣島校区周辺だけか」
一気に賑やかになってきて、憧れの視線で千雪は囲まれてしまう。そして、そんな周りの一年生たちから、沙菊は千雪を守るように振り返った。
「千雪殿はお疲れであります! ほらほら、散った散った! 解散、かいさーん!」
笑いが舞い上がって、自然と千雪もわかりにくく表情を緩めた。それでも周囲には、普段と変わらぬクールな無表情に見えただろう。
少しだけ、埼玉校区の下級生たちに心が安らいだ。
忙しそうに行き来する海軍の兵たちも、そんな光景に自然と頬を崩す。
だが、その時……背後で、厳しく冷たく作った声が響いた。
「千雪さん、お疲れ様です。そちらは、埼玉校区の幼年兵の皆さんですね?」
振り向けばそこには、
千雪にとっては、兄である
既に海軍PMR戦術実験小隊となった千雪たちは、正規の海軍軍人という扱いだった。
そのことを示すように、桔梗は一同を
普段とは違って、桔梗は眼鏡ではなくサングラスをかけていた。三つ編みに結っていた黒髪も、今は解いて総髪に縛り直している。そのせいで、普段の優しい文学少女と言った雰囲気が一変していた。
なにより、桔梗からは尖って威圧的な空気が無理矢理放出されていた。
「皆さん、ご苦労様です。海軍PMR戦術実験小隊の副隊長、御巫桔梗です」
「えっ……千雪殿! 御巫先輩、御巫ってあの……
「私語を許した覚えはありません。私は正規の海軍軍人です。皆さん、すぐにブリーフィングルームに集合してください」
それと、と桔梗は一度を言葉を切る。
そうして、サングラスを少し下にずらした奥から、酷く冷酷な瞳の光を皆に突き刺した。
「それと、覚えておいてください……私たちは既に海軍の軍人です。そして、あなたたち幼年兵に死ねといえる立場。私たちのために戦い、私たちの命令で死んでもらうこともあります。それを肝に銘じてください。……千雪さんも、千雪准尉もいいですか?」
千雪は驚いた。なんだか、まるで人が変わってしまった桔梗が目の前にいた。この一週間、なにがあったのだろう? あまりに
彼は桔梗の隣に立つや、ポスン! と桔梗の頭をチョップで叩く。
「悪ぃ、こいつちょっと緊張でギスギスしてんだ! 埼玉校区だよな、お前ら。俺ぁ、青森校区の戦技教導部、今は海軍PMR戦術実験小隊の隊長、五百雀辰馬だ」
「隊長の辰馬二尉です、失礼のないように」
「おいおい、桔梗よぉ。そういうの、やめようぜ? お前ら、疲れてんだろ? ブリーフィングは一時間後だ、話つけといたからシャワーでも浴びてこい。飯もある! おーおー、新入生がみんな疲れた顔しちまって……こっちだ、来いよ!」
「差し出がましいようですが、辰馬隊長」
「桔梗、あと任せらぁ。それと
豪快に笑うと、埼玉校区の一年生を連れて辰馬が歩き出す。一発で下級生たちの心を
辰馬は、妹の千雪がいうのもアレだが……人たらしだ。
老若男女を問わず、人を
「おお……おお!
「あ、あの、ええと渡良瀬さん。准尉はやめてください」
「沙菊と呼んで欲しいであります! 千雪殿っ!」
千雪の腕に小さな沙菊が、ぶら下がるように抱き付いてきた。
そうして彼女は、グイグイと千雪を引っ張りながら歩き出す。
肩越しに振り向けば、書類の束をバインダーに挟んで胸に抱く、桔梗の見えない視線があった。サングラスの向こうにどんな表情が浮かんでいるのか、全く読めない。読めないが……千雪にはすぐ、
本当は垂れ目気味の
桔梗はああいう人間ではないが、そうあろうとして見せた。
何故かさえ千雪には理解できて、わかりやすい人だと溜息を零す。
やはり千雪は桔梗が苦手だと思う……だが、嫌いではないと再確認したのだった。
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