第16話「一変した日常への帰還」

 セラフ級パラレイドの脅威は、去った。

 高高度こうこうどへと退避していた巡航輸送艦羅臼じゅんこうゆそうかんらうすが、遺都いと東京の外縁へと降下した時には、時刻は正午を過ぎていた。合流地点へと移動した五百雀千雪イオジャクチユキは、改めてセラフ級の恐るべき戦闘力に、今更ながらに凍えて震えた。

 戦闘と呼べる程のものにならなかった。

 戦いと言える程に打撃を与えられなかった。

 こちらの攻撃は許されず、毛ほどもダメージを与えてはいない。そんな中で、自在に合体変形を繰り返すセラフ級は、強力なビームで味方のふねを沈め、移動するだけで空気を荒らしに変えて廃都を蹂躙じゅうりんする。

 恐るべき、敵。

 だが、千雪が寒さに肩を抱いているのは、それだけではなかった。


「……おい、千雪? お前なあ……ほ、ほら。服、持ってきたぞ?」


 羅臼の格納庫ハンガーに戻って、膝を突くパンツァー・モータロイド……89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうき。そのコクピットで、千雪は裸だった。

 そう、

 生まれたままの姿に、生まれたてのような柔肌を震わせている。

 そして、生まれてからの年月を無言で語るのは、うっすらとした下腹部のしげみや、たわわに実った胸の膨らみ。ほっそりとした腰つきから滑り落ちる、優美な曲線のヒップラインだ。

 咄嗟とっさに戦闘状態になった際、千雪は裸になってしまったのだ。

 そもそも、バスタオル一枚を身に巻いて飛び出したことからして、失態だった。


「すみません、統矢トウヤ君」


 目の前には今、モニターに大きく摺木統矢スルギトウヤが映っている。まるで、液晶画面一枚を隔てた向こうに、本当に統矢が立っているようだ。大写しになる統矢は、少し顔を赤らめバツが悪そうに制服を突きつけてくる。

 千雪はふと、ふしだらな想いが浮かび上がるのを感じた。

 装甲の向こうに、統矢がいる。

 その前で自分は、裸をさらしている……そんな倒錯した錯覚。

 セラフ級への戦慄や寒さとは別種の身震いが、千雪の背筋をゾクゾクと這い登った。


「……今、ハッチを開けますので」

「お、おう。あっち、向いてるからよ」


 プシュ! と空気の抜ける音と共に、ハッチが開く。すぐ真下に、統矢が背を向けている。彼の右手が、鷲掴わしづかみにした千雪の制服を振り上げていた。

 周囲を気にしつつ、千雪は顔だけをのぞかせ、手を伸ばす。

 ひったくるように制服を受け取って、コクピットの奥に戻るなりもぞもぞと着替え始めた。下着を身に付けシャツを着る間も、周囲の声と音とが臭いを交えて伝わる。

 火薬とオイルの臭いに交じるのは、緊張感に満ちた声と悲鳴。

 今、羅臼は降下した海軍PMR戦術実験小隊かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい、通称フェンリル小隊と合流するため、旧赤羽あかばね地区まで移動していた。そして、ほぼ全滅した陸軍の遺都警備大隊いとけいびだいたいも一緒だ。

 怪我人たちの呻き声が、自然と血の臭いをコクピットへと運んでくる。


「統矢君、そっちは」

「ああ? おう、大丈夫だ。新しい97式【氷蓮ひょうれん】……セカンド・リペア。いい調子だ」

「それは、よかったです。また、戦えますね……一緒に」

「お、おう。それと、さや、ありがとな」


 千雪は統矢の機体が捨てた鞘、長大な単分子結晶たんぶんしけっしょうの大剣の、その鞘を回収していた。もともとはなかったもので、恐らくPMR研究の第一人者である八十島彌助やそじまやすけが新造したものだろう。ただの鞘ではないのだが、恐らくまだ統矢は気付いていない。

 PMRによる対パラレイド戦闘において、恐るべきセンスを魅せつける統矢。

 DUSTERダスターと呼ばれる、特殊な能力へと覚醒しつつある人類の、希望の戦士。

 だが、千雪にとっては同級生で転校生、そして片思いの王子様だった。

 たとえ亡国の王子、好いた姫君を亡くした傷心を抱えていてもいい。千雪は統矢のためなら、悪い魔女も他国の軍隊も飲み込むドラゴンになる。それくらい、強く想っている。

 千雪は着替えを終えると、コクピットから這い出した。


「統矢君? あの……降ります、けど」

「あ、ああ。もうそっち、向いてもいいな?」

「ええ。それで、あの」

「ん? どした」


 振り向く統矢は、相変わらずの学生服、詰め襟姿だ。前のボタンを全て外して、ズボンのポケットに両手を突っ込んでいる。こうしてみると、どこにでもいる普通の男子高校生だ。

 しかし、一度PMRに乗れば、パラレイドを倒すだけの狂戦士バーサーカーへと変貌する。

 それでも、今のこの瞬間だけは、ちょっと気の利かなくて鈍い男の子だった。


「統矢君。私、

「おう、さっさと行こうぜ。なんか、慌ただしくなってきたからよ」

「……降ります、から」

「なんだよ、もってまわるな、お前。どした」

「あ、あの……手を、貸してもらえますか?」

「……は? なに言ってんだよ、飛び降りりゃいいだろ。いつもみたいに」


 憮然ぶぜんとするも、千雪の無表情な仏頂面は、いつもの怜悧れいり玲瓏れいろうな美貌を浮かべるだけだった。冴え冴えとした凛々りりしい顔立ちに、冷たい瞳が平坦になってゆく。

 自分ではムスッと不満を露わにしているが、それが通じるのは統矢だけだ。

 統矢だけが、実の兄でさえ気付かぬ感情の機微を拾ってくれる、それが不思議で、そこも好きだった。


「……もういいです」

「な、なにを怒ってんだ?」

「怒ってないです。私、怒ってませんから」

「いや、お前なあ」


 自分でも、なんて面倒臭めんどうくさい女だとうと、内心溜息が出る。

 こんなことでは、統矢にきっと振り向いてもらえない。むしろ、煙たがられる。もっと素直に、そう……更紗サラサれんふぁのように愛らしく振る舞えればいいのに。

 そう思いつつ、ちらりと千雪は統矢の視線の先を見やる。

 そこには、先程回収された【シンデレラ】の残骸が横たわっていた。正体不明のオーバーテクノロジーで作られた、謎のPMR……鮮やかなトリコロールで塗り分けられていた機体は、今は見る影もない。

 そして、千雪と統矢の前を、ストレッチャーに乗せられたれんふぁが運ばれてゆく。ぶら下がる点滴を見上げながら、苦悶の表情を痛みに歪ませる彼女は、駆け寄る二人に口を開いた。


「あ……千雪、さん……統矢さん、も」

「大丈夫か、れんふぁ! なあ、おい……馬鹿、どうしてあんなことを! あ、いや、悪い……そんなことより」

「ごめん、なさい……わたし、なんだか……記憶が、頭が。それで――」

「いいんだ、いいんだよ。そんなこと、どうってことない! 早く元気になれよ、その……上手く言えないけど、俺、さ。……あ、あれだな、こんなこと言っても困るよな」

「ううん……」


 千雪は、困る。とても困る。そして、弱る。

 止まってくれた救護兵メディックの前で、統矢は寝かされたれんふぁへ上体を屈めている。彼の顔に浮かぶ心配そうな表情が、千雪の胸を締め付けた。

 今、恐らく……統矢はれんふぁの姿に失った面影おもかげを重ねている筈だ。

 死んでしまった幼馴染おさななじみ、それ以上とも言える存在……更紗りんなを。

 そう思う自分が自己嫌悪で、それがれんふぁの怪我よりも気になる。なんて嫌な女だろうと思うも、統矢も好きで、別の意味でれんふぁも好きで。結局、上手く感情表現が出来ない自分がいらただしかった。


「統矢君。あとは私の方でやっておきます。……れんふぁさんに、付き添ってあげてください。れんふぁさんには、今……統矢君が必要です」

「……わかった。悪ぃ、あとは任せた」

「ええ、任されました」


 統矢は励ましの言葉をれんふぁに投げ掛けながら、救護兵と一緒に行ってしまった。

 その背を見送る千雪は、背後で突然声をかけられる。


「あっ、あの! 皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくのエース、五百雀千雪先輩でありますか?」


 好奇心を滲ませた少女の声に「ええ」と千雪が振り返る。

 そこには、酷く小さな背の女の子が立っていた。制服はセーラー服で、恐らく関東のどこかの校区の生徒だ。そして、当然だが……この場にいるということは、幼年兵ようねんへいだ。

 そばかすが目立つ赤茶けたショートボブの少女は、ニカッと白い歯を見せて笑う。


「自分は皇立兵練予備校、埼玉校区さいたまこうく一年! 渡良瀬沙菊ワタラセサギクです! お会い出来て光栄であります、殿っ!」

「千雪……殿?」


 小首を傾げつつ、千雪は出された手を握って握手を交わす。

 沙菊はその手に手を重ねて、目をキラキラ扠せながら大きく上下させる。


「自分、ずっと憧れでありました! 青森校区のエース、フェンリルの拳姫けんき……【閃風メイヴ】の異名を誇り、触れる全てを巻き込み粉砕する! 空色の一角獣ユニコーンを駆るスーパーエース!」

「……そうなんですか?」

「そうであります! 自分、以前の月刊パンツァー・ビズのインタビュー、読みました! 感動であります……それだけに残念、無念であります! 今年は多分、その……全国総合競戦演習ぜんこくそうごうきょうせんえんしゅう、なさそうでありますからして」


 ああ、と千雪は思い出す。PMR関連の記事ばかりを集めた雑誌、月刊パンツァー・ビスの取材を以前受けたことがあるような気がする。その時驚いたが、自分が全国的に有名なPMR乗りだということは、すっかり忘れていた。

 ――全国総合競戦演習。

 それは、全国の全ての校区から選出された戦技教導部せんぎきょうどうぶ同士が、操縦技術を競い合うパンツァー・ゲイムの甲子園。だが、今年は本土防衛でそれどころではないだろう。


「自分ら、しばらくこの艦でお世話になることになったであります」

「……やはり、埼玉校区の皆さんは」

「先行して強攻降下、橋頭堡きょうとうほの確保を命じられていたのが幸いだったであります。正規兵たちは、乗ってきた艦ごと……降下中のクラスメイトも、大勢巻き込まれました」


 一瞬、沙菊は表情をかげらせた。だが、すぐに子犬のような笑顔で千雪の手を放す。この時代、こんなにも無邪気に笑って、無条件の信頼を示せる人間がいるものかと、千雪は少し驚いた。

 そうしていると、彼女のクラスメイトらしき少年少女が集まり出す。


「うわっ、本物の【閃風】!? ……写真より、すげえ……マブいじゃん」

「マブい、ってアンタねえ……いつの時代の人間よ。っと、五百雀先輩。うちの沙菊がすみません。コイツ、いつもこうなんです。千雪殿、千雪殿って」

「沙菊の生徒手帳みました? 五百雀先輩の切り抜きピンナップがギッシリで」

「これが……フェンリルの拳姫。空色の一角獣。青森校区もまだ、89式【幻雷】を使ってんだなあ。やっぱ94式【星炎】使ってんのは、皇国軍と廣島校区周辺だけか」


 一気に賑やかになってきて、憧れの視線で千雪は囲まれてしまう。そして、そんな周りの一年生たちから、沙菊は千雪を守るように振り返った。


「千雪殿はお疲れであります! ほらほら、散った散った! 解散、かいさーん!」


 笑いが舞い上がって、自然と千雪もわかりにくく表情を緩めた。それでも周囲には、普段と変わらぬクールな無表情に見えただろう。

 少しだけ、埼玉校区の下級生たちに心が安らいだ。

 忙しそうに行き来する海軍の兵たちも、そんな光景に自然と頬を崩す。

 だが、その時……背後で、厳しく冷たく作った声が響いた。


「千雪さん、お疲れ様です。そちらは、埼玉校区の幼年兵の皆さんですね?」


 振り向けばそこには、御巫桔梗ミカナギキキョウが立っていた。

 千雪にとっては、兄である五百雀辰馬イオジャクタツマの恋人という印象が強い。青森校区の戦技教導部副部長、そして今は副隊長だ。

 既に海軍PMR戦術実験小隊となった千雪たちは、正規の海軍軍人という扱いだった。

 そのことを示すように、桔梗は一同をすがめる。

 楚々そそとして物静かな、温和で柔和な印象が今はない。

 普段とは違って、桔梗は眼鏡ではなくサングラスをかけていた。三つ編みに結っていた黒髪も、今は解いて総髪に縛り直している。そのせいで、普段の優しい文学少女と言った雰囲気が一変していた。

 なにより、桔梗からは尖って威圧的な空気が無理矢理放出されていた。


「皆さん、ご苦労様です。海軍PMR戦術実験小隊の副隊長、御巫桔梗です」

「えっ……千雪殿! 御巫先輩、御巫ってあの……御巫重工みかなぎじゅうこうの! そうでありました、自分としたことが失念を。青森校区の魔弾まだん射手しゃしゅ、百発百中のスナイパー!」

「私語を許した覚えはありません。私は正規の海軍軍人です。皆さん、すぐにブリーフィングルームに集合してください」


 それと、と桔梗は一度を言葉を切る。

 そうして、サングラスを少し下にずらした奥から、酷く冷酷な瞳の光を皆に突き刺した。


「それと、覚えておいてください……私たちは既に海軍の軍人です。そして、あなたたち幼年兵に死ねといえる立場。私たちのために戦い、私たちの命令で死んでもらうこともあります。それを肝に銘じてください。……千雪さんも、千雪准尉もいいですか?」


 千雪は驚いた。なんだか、まるで人が変わってしまった桔梗が目の前にいた。この一週間、なにがあったのだろう? あまりに驚愕きょうがくで声を失って、それでもなにかと脳裏に言葉を探していると……小走りに奥から兄の辰馬がやってきた。

 彼は桔梗の隣に立つや、ポスン! と桔梗の頭をチョップで叩く。


「悪ぃ、こいつちょっと緊張でギスギスしてんだ! 埼玉校区だよな、お前ら。俺ぁ、青森校区の戦技教導部、今は海軍PMR戦術実験小隊の隊長、五百雀辰馬だ」

「隊長の辰馬二尉です、失礼のないように」

「おいおい、桔梗よぉ。そういうの、やめようぜ? お前ら、疲れてんだろ? ブリーフィングは一時間後だ、話つけといたからシャワーでも浴びてこい。飯もある! おーおー、新入生がみんな疲れた顔しちまって……こっちだ、来いよ!」

「差し出がましいようですが、辰馬隊長」

「桔梗、あと任せらぁ。それと愚妹ぐまい、千雪……あんま心配させんなよ。とりあえず、あとで話聞かせろや。場合によっちゃ、お兄ちゃんは、あれだ、あれだぜ……統矢の野郎、とっちめてやるからな、ウハ、ウハハハ!」


 豪快に笑うと、埼玉校区の一年生を連れて辰馬が歩き出す。一発で下級生たちの心をつかんでしまった彼は、いつものよく知る千雪の兄で、いつでもこういう男だ。そして多分、いつまでも変わらないだろう。

 辰馬は、妹の千雪がいうのもアレだが……だ。

 老若男女を問わず、人をけ好かれてしまう、一種の才能のような魅力を持っている。そのことには無自覚だが、自然と人を纏めるリーダー役を昔からやってきた。


「おお……おお! 流石さすがは青森校区のフェンリルたちを束ねる部長! 自分、感激したであります。ささ、千雪殿! もとい、千雪准尉殿! 自分たちも行くであります」

「あ、あの、ええと渡良瀬さん。准尉はやめてください」

「沙菊と呼んで欲しいであります! 千雪殿っ!」


 千雪の腕に小さな沙菊が、ぶら下がるように抱き付いてきた。

 そうして彼女は、グイグイと千雪を引っ張りながら歩き出す。

 肩越しに振り向けば、書類の束をバインダーに挟んで胸に抱く、桔梗の見えない視線があった。サングラスの向こうにどんな表情が浮かんでいるのか、全く読めない。読めないが……千雪にはすぐ、意図いとするところがわかった。

 本当は垂れ目気味の双眸そうぼうを、困ったようにうるませてる筈だ。

 桔梗はああいう人間ではないが、そうあろうとして見せた。

 何故かさえ千雪には理解できて、わかりやすい人だと溜息を零す。

 やはり千雪は桔梗が苦手だと思う……だが、嫌いではないと再確認したのだった。

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