第24話「朝が照らすもの」

 長い夜が、明けてゆく。

 悪夢のような時間は終わり、昇る太陽は等しく全てを照らして温めた。

 鉄屑ジャンクとなって廃墟に転がる、無数のパンツァー・モータロイド。

 死せる魂はなにも語らず、生き残った者たちは泣くこともまだできない。

 廃都東京での決戦は、おびただしい犠牲の上に決着した。

 初の飛行型セラフ級、サマエルは完全に撃破されたのだ。

 高度を落とした母艦の羅臼らうすを見上げて、五百雀千雪イオジャクチユキは風に髪を押さえた。肌寒い空気はまだ、陽の光にあらがうようにとがっている。

 摺木統矢スルギトウヤの膝から立ち、開放された97式【氷蓮ひょうれん】セカンド・リペアから降りる。

 誰もが疲れた顔で、勝利を味わうことすら忘れていた。


「……虚しいものですね、統矢君」

「ああ。俺たちは、いつまで勝ちを拾い続けなければいけないんだろうな」

「生きている限り、勝ち続けるしかない時代、なのでしょうか」

「さあな。ただ、俺は戦い続けるだけだ。戦わない自分をもう、自分でも許せるものかよ」


 片膝を突いた【氷蓮】から、千雪を追い越して統矢が飛び降りる。

 彼は振り向くと、珍しく「ん」と手を伸べてくれた。

 その手に手を重ねて、千雪も大地へと降り立つ。

 既に救護テントが沢山張られ、あちこちに包帯姿の幼年兵たちがいた。血と硝煙、オイルの臭いが充満する空気は、PMRパメラの駆動音が耳をつんざく。

 勝利したとは到底思えぬ、疲弊しきった光景が広がっていた。

 それでも、千雪たち二人に気付いて振り向く姿が駆け寄ってくる。

 それは、同じ皇国海軍PMR戦術実験小隊こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい、通称フェンリル小隊の仲間たちだった。


「ちょっと、統矢っ! アタシにあんなつまらない仕事させて、アンタねえ! ちょっと、聞いてる? なっ、なによ、ねえ! なんでアンタ、千雪と一緒なのよ!」

「おーい、ラスカー? お前のお陰でみんな、サマエルの隙をけたんじゃねえか」

「そうですよ、ラスカさん。とても素晴らしい機転でした。……やはりパラレイドは、更紗さらされんふぁさんと【シンデレラ】を狙っているのかもしれません」


 頬を膨らませて詰め寄るラスカ・ランシングを、統矢が手を伸ばして押しとどめる。

 オデコへつっかい棒を押し付けられたラスカは、左右の腕を振り回しながら息巻いていた。勿論、統矢には手が届かない。そんな光景が、ようやく千雪に生の実感を連れてくる。

 兄の五百雀辰馬イオジャクタツマも、その恋人の御巫桔梗ミカナギキキョウも無事だ。

 チームの仲間は、誰一人欠くことなく生き残ったのだ。

 そして、この場にいないもう一人もきっと無事だろう。

 千雪がそのことを考えていると、察したように辰馬が笑う。


「れんふぁちゃんなら無事だぜ? 統矢、あとで千雪と見舞いに行ってこいよ」

「え? 俺がですか? また俺か……い、いいですけど」

「【シンデレラ】はありゃ、完全にオシャカだな。元々怪しい機体だったが、れんふぁちゃんが壊したあとで、ラスカがなあ」


 全員の視線が、そろって小さな金髪娘に吸い込まれる。

 ラスカは唇を尖らせると、周囲をすがめてめつけ、最後の一人をロックオンした。


「なによ、文句あるっての? 統矢」

「な、なんで俺だよ!」

「アタシがアルレインでアレを運んで陽動しなかったら、アンタ死んでるんだからね?」

「……それ、俺のアイディア」

「なんか言った?」

「イエ、ナンデモナイデス」


 彼女がアルレインと呼ぶのは、89式【幻雷げんらい改型四号機かいがたよんごうきである。徹底した軽量化で、一撃離脱の高機動戦闘に特化した駆逐仕様のネイキッドモデル。今回は、パラレイドが狙っていると思われる【シンデレラ】を、母艦から引き剥がして撹乱かくらんするという大任をやってのけた。

 だが、その改型四号機も大ダメージだ。

 そして、フェンリル小隊の多くが、損傷を負っている。

 改型弐号機かいがたにごうき、試作型の電磁投射砲レールガンの誘爆により、中破。

 改型参号機かいがたさんごうき、格闘戦の末に大破し擱座かくざ

 改型四号機は辛うじて自力で帰還できたので、むしろ軽度な被害とさえ言える。

 無傷なのは統矢の【氷蓮】と、辰馬の改型壱号機かいがたいちごうきだけだった。

 千雪は改めて、二人の技量に感嘆する。

 兄は勿論だが、最近の統矢の操縦には鬼気迫るものを感じる。既に規格外の火力を得た彼の愛機は、その中に頭脳であり魂として統矢を宿したかのよう。ともすれば、あの紫炎フレアパープルがくゆるような機体が、統矢を連れ去ってしまうような錯覚すら覚える。

 気付けば千雪は、統矢の袖をギュムと握っていた。

 だが、彼はそんな千雪の想いもどこ吹く風で、呑気に話し出す。


「でも、桔梗先輩も無事でよかったですよ。さっき、凄い爆発がしたから」

「電磁投射砲は、以前から整備部の有志たちが佐伯瑠璃サエキラピスさんと作ってくれていました。冷却の安定化と小型化が今後の課題ですが」

「取り回し、悪くないですか? 外付けのジェネレーターも運ばなきゃいけないし」

「現状、わたくしたちの科学力と技術力では、あれが限界ということでしょう。だからこそ……【氷蓮】の、摺木君の力が必要になります。凄い鞘ですね……【グラスヒール】の巨大な単分子結晶たんぶんしけっしょう超小型粒子加速器ちょうこがたりゅうしかそくき。それを、あんな使い方を」

「そうなんですよ、あの八十島彌助ヤソジマヤスケって奴、凄くて」


 気付けば千雪を、ニヤニヤと辰馬が眺めていた。

 兄は昔から、自分をからかい、いじって、遊び倒す。そういう時は必ず、こういう顔をするのだ。彼は苛立ちも顕に統矢を蹴飛ばそうとしたラスカを抱き寄せ、さらに嫌な笑みを浮かべる。


「ちょ、ちょっと辰馬! なによ! アタシ、無性に統矢を蹴っ飛ばしたいわ!」

「はいはい、ラスカちゃん。それよか、約束したろ? 安くて美味いもん、おごってやるぜ。なんでも辰馬おにーちゃんに任せなさーい」

「な、なんでも!? ……アッ、アタシ、たい焼きってのが食べたいわ! アンコが入ってるのと、カスタードのと、あとチョコレートの!」

「へえへえ、どうせこの後は一度埼玉に寄るらしいからよ。羅臼が寄港する先で買ってやる。なーんでも御馳走してやるぜ」

「……ジュルリ。あっ、あったりまえでしょ!」


 ずるずるとラスカを腕にぶら下げながら、辰馬は行ってしまった。

 千雪に意味深なウィンクを残して。

 そして、その背を見送る桔梗はもう、あの似合わないサングラスをしていなかった。いつもの眼鏡の奥には、優しげにタレ目がまなじりを下げている。

 すっごく、面白くない。

 不愉快とも違う、なんとなく面白くない。

 ぶすっとしても千雪は、その気持ちを表情に表すこともできず憮然ぶぜんとしていた。

 しかし、思い出したように統矢と桔梗の間に割って入る。


「そういえば御巫先輩。兄様の言っていたって、なんですか? アレ、とは」


 それは、御褒美らしい。

 兄の辰馬は、大好きらしい。

 大好きな桔梗がしてくれる、大好きなアレ……気になる。

 よくわからないが、ひょっとしたら世の恋人たちは皆、アレをしてるのだろうか。アレとは食べ物だろうか、それとも行為をさすものだろうか。

 だが、動じずに桔梗は「まあ」とタレ目を細める。


「アレはアレですよ、ね? 摺木君」

「え?」

「男の子はみんな、アレが大好きですから……ふふ。でも、ちょっと千雪ちゃんには早いでしょうか」

「……御巫先輩はいいんですか? 一つしか違いませんけど」

「ふふ、どうでしょう。でも、男の子ってみんなかわいいですよね」

「答になってません」


 余裕の笑みだ。

 やっぱりなんだか、ヤな感じだった。

 統矢だけが、二人の間で訳もわからず首を傾げている。

 桔梗はでも、千雪をいつも優しい眼差しでみてくれた。いつでも、未来の義姉あねであることが当然のように優しかった。

 それも少しけむたいのだけど、くすぐったくて照れくさい。

 桔梗は長い三つ編みを手でいらいながら、僅かに頬を染めて話す。


「男の子って、いつも無茶で無鉄砲で、ちょっとおバカさんで。でも、そんな人にいつも、なにがしてあげたくなるんです。そうでしょう? 千雪ちゃん」

「……え、えと、その………………はい」

「こんな時代だからこそ、誰かに恋して、誰かを愛して、そういう些細なことを大事にしたいんです。あの人を生に繋ぎ止められるなら、わたくしはなんでもしますわ」


 かなわないなと思った。

 こんなことを堂々と言える桔梗に、女性として負けた気がする。

 同時に、ようやく素直に憧れることができそうだった。

 それだけ言うと桔梗も、遠ざかる辰馬とラスカを追いかけて、行ってしまった。

 余裕、そして貫禄である。

 恋する乙女である自分より、愛を知る女の桔梗が上だと千雪は実感した。

 そして、それが思ったほど嫌ではなかった。

 だが、気付けば桔梗を視線で追って、辰馬と腕を組む背中を見詰める統矢には、少しムッとした。


「統矢君。顔がにやけてます」

「えっ? 俺がか? どうして」

「こっちが聞きたいくらいです。どうしてですか? やっぱり、御巫先輩のアレが気になるんですか? アレってそんなにいいんですか? 私にアレは早いんですか? 統矢君!」

「まっ、待て千雪! 落ち着けって。……そんなん、俺は知らないよ。されたこと、ないんだしさ」

「本当ですか?」

「……お、俺は、千雪には嘘は、つかねえよ」


 真っ赤になって統矢は目を逸した。

 それで、問い詰めていた千雪にその熱が感染する。

 頬を赤らめた二人の間で、冷たい空気が言葉の伝達をやめた。

 だが、不意に統矢は「あ……ッ!」と声をあげるや、走り出す。

 彼が駆ける先にある人物を認めて、慌てて千雪もあとを追った。

 そこには、包帯姿の男が憔悴しきった状態で座っていた。

 正規の皇国陸軍軍人、美作総司ミマサカソウジ一尉だ。

 彼は、目の前に立った統矢が日差しを遮ったので、弱々しく顔をあげる。そこにもう、気の良さそうな青年の表情はなかった。


「あ、ああ……君は、っ!? ま、待ってくれ、僕は」

「歯ぁ食いしばれっ、お前! 覚悟はできてんだろうな!」


 総司の襟首を掴んで、無理矢理統矢は立たせる。

 彼の瞳には今、あの炎が渦巻いていた。

 光を吸い込む、暗い闇……奈落の深淵でたぎるような、冷たい業火だ。

 更紗りんなのかたきを取るべく、復讐の修羅と化した、あの目だ。

 少年を憎悪仕掛けの怨讐細工アヴェンジャーに飾る、てついた殺意。

 それを今、統矢は一人の少女のために再燃させていた。


「背中から撃ったな? 千雪をっ! ……それがお前の言う、幼年兵ようねんへいの守り方か? 正しい戦争だっていうのかよ!」

「統矢君、やめてください。この方は、怪我人です。あの状況では」

「止めるな、千雪! お前が許したって、俺が許さない……許せるものかよ! パラレイドの最前線に放り出されて、弾除けの盾にされ、使い捨てられる俺たちを! お前は背中から撃ったんだ!」


 統矢の眼光から、総司は逃げた。

 目を逸らす彼はもう、吊るされた咎人とがびとのよう。

 どうにか統矢を止めようとしつつ、千雪は知っている。

 こうなった時の統矢は、止まらない。誰も、止められない。

 強く想いを寄せている千雪ですら、止めることができないのだ。

 そんな時、りんとした声が走った。


「そこまでだ、摺木統矢。離してやれ……あれは不幸な事故だった。ガンナー・プリセットの94式【星炎せいえん】、その88mmカノン砲が暴発したのだ。そうだな? 美作総司一尉」


 振り向くとそこには、小さな銀髪の少女が立っていた。

 フェンリル小隊を預かる女傑、御堂刹那ミドウセツナ特務三佐だ。千雪たちにとっては、部の顧問であり、皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこうでの担任教師でもある。

 その刹那が、つかつかと歩み寄ってくる。

 統矢が鼻を鳴らして手を離すと、ドサリとそのばに総司は崩れ落ちた。

 刹那は冷静さを通り越して、冷酷とさえ思える声を響かせる。


「子供が大人を殴るものではない、摺木統矢」

「……そういう大人の理屈はいらねえよ、御堂先生!」

「ここは学校ではない、御堂刹那特務三佐と呼ばんか」


 そう言い放つと同時に、乾いた音が響いた。

 周囲の誰もが、騒がしい中で振り向き、刹那を見た。

 彼女が振り抜いた平手が、総司の頬に赤い手形を刻んでいた。


「……大人を殴るのは、大人の役目だ。そうだな? 美作総司一尉」

「御堂特務三佐、僕は……いや、自分は」

「悔しいか? また大勢の幼年兵が死んだ。幼年兵を有効戦力として活用し、正規軍と同等の権利で守ろうとしたお前が……結果的に多くの幼年兵を死地に追いやった。お前を慕って、誰もが自ら望んで出撃したのだ」

「そ、それは……そんな」

「貴様の失態だ。無様な結果で、なにも生まぬ致命的なミスだったな。……泣くな、馬鹿者が。貴様のこころざしは、手段を誤ったために多くの幼年兵を殺したのだ。覚えておけ!」


 そして、意外な光景に千雪は驚いた。

 厳しい言葉で、罵倒ばとうとも思える追求をしながら……膝をついて泣き出した総司を、刹那は抱き締めた。そのまま頭を平坦な胸の上に抱き寄せる。小さな小さな刹那は、立ったままでも座り込んだ総司より少し大きいくらいだ。

 そんな刹那の声が、驚くほどに優しくなる。


「泣くな、馬鹿者。人間は失敗から学ぶものだ……美作総司一尉、悔しかったら偉くなれ。戦果をあげて出世しろ。組織の中で、組織を変える戦いへ挑め。それまで今後は、泣くことを許さん。いいな?」


 そう言って刹那は、ジロリと千雪たちを振り返る。


「二時間後に羅臼に全ての資材と機体、及び生存者を乗せて出港する。いいからあっちに行ってろ! ……御苦労だったな、貴様等。まずは上出来だ、今後も期待させてもらう」


 それ以上の言葉を刹那は言わなかったし、返事も反論も許さぬ眼差しだった。

 それで千雪は、舌打ちする統矢と一緒にきびすを返す。統矢はまだ、食い込む爪の痛みが聴こえてきそうな程に、拳を握り締めていた。

 だから、隣を歩きつつそっと千雪はその手を握ってやる。

 統矢はなにも言わず、千雪を見もしなかったが……拳を開いて指に指をからめてきた。

 そうして二人は、勝利の実感がない朝を羅臼へ向かって歩いた。

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