第23話「未来を、贖え!」

 夜空に浮かぶ、黒い太陽。

 今、再び飛行形態に再合体したサマエルが、かざす両手の中に暗黒を圧縮している。それは、放たれれば東京を巨大なクレーターへと変える戦略兵器クラスの力だ。

 だが、大破した愛機の中で、五百雀千雪イオジャクチユキが感じる不安は、ない。

 恐怖すら感じない。

 ひび割れノイズが走るモニタの中に、背を向け立つ97式【氷蓮ひょうれん】セカンド・リペアの姿があるから。再び剣をさやへと収めた、紫炎フレアパープルかたどる包帯姿が今は頼もしい。

 そして、交錯する広域公共周波数オープンチャンネルの中へ、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。


『やっこさん、本気になりやがったな! だが……こいつはチャンスだ、行くぜ野郎どもっ! フェンリル小隊、フルアタック! ブッ潰せ!』


 白亜に輝くパンツァー・モータロイドが、跳躍ジャンプと同時に光になる。

 スラスターを全開にして夜天に舞い上がったのは、千雪の兄だ。五百雀辰馬イオジャクタツマの駆る89式【幻雷げんらい改型壱号機かいがたいちごうきが火線をほとばしらせた。グレネードランチャー付きのアサルトライフルから、40mmのAP弾が炸裂する。

 サマエルは己の装甲で鉛のつぶてを歌わせながら、ゆっくりと首を巡らせた。

 群がる羽虫を払う巨象マンモスのように、その目から苛烈なビームが走る。

 辰馬はアクロバットな高速機動で、夜を引き裂く光を避け続けた。

 見ている者の寿命さえけずるような、危うい綱渡りのサーカス……そして、全く有効打を撃ち込めぬむなしい攻防。だが、そう見えた瞬間が、次の言葉でひっくり返る。


測距そっきょデータを送るぜ、桔梗キキョウ! こんなもんでどうだっ!』

『受け取りました、辰馬さん。お疲れ様です……あとで甘やかしてあげないといけませんね』

『へへ、だろ?』

『ええ』


 瞬間、なにかがサマエルの右腕を貫いた。

 禍々まがまがしく明滅する巨大な光球を掲げたまま、それを支えるかのような両腕の片方が滑落する。

 突然の出来事で、千雪にも理解が及ばない。

 突如、サマエルが狙撃された。

 無敵を誇ったセラフ級パラレイドの装甲が、あっさりと貫通弾を許した。

 ガクン! と揺れながらも、片腕でエネルギーの塊をより高々と掲げるサマエル。悪魔のような翼をひるがえして振り返る先に、魔弾の射手ザミエルたたずんでいた。


『誤差修正……次弾、直撃させます!』


 金切り声をあげる巨大なジェネレーターを、片足で踏み締める姿がそこにはあった。コンテナ大のジェネレーターと、何本ものケーブルで直結された超々長砲身……冷却に白煙を巻き上げるそれは、20mを超える巨大な電磁投射砲レールガンだ。

 それを構えた御巫桔梗ミカナギキキョウの89式【幻雷】改型弐号機かいがたにごうきが、バイザー状の狙撃スコープを回転させる。

 三つのターレットが回転しながら照準を合わせれば、超電導で加速された弾体が飛び出した。火を噴く電磁投射砲から、重質量のGx超重金弾頭ジンキ・フルメタルジャケットが炸裂する。

 サマエルの胸が火を吹いて、大きくぐらりとバランスを崩した。

 そして、三発目の射撃が、衝撃に耐えられず爆発した砲身から放たれる。

 改型弐号機を巻き込み自壊した爆炎の中から、最後の一矢がサマエルの頭部を穿うがった。


「御巫先輩っ!」

『へー、千雪でもそんな声だすんだ? ビックリドッキリって感じ……殺したって死にゃしないわよ、あの女! それより、分離するっ! これ、邪魔!』


 大地を消し飛ばす最凶最悪の攻撃が防がれた。

 放つべきエネルギーの塊は霧散し、夜空をビリビリと震わせる。

 同時に、損傷著しいサマエルは再び分離、三つの飛翔体となって乱れ飛ぶ。その軌跡を追いかけせる真紅が、担いだトリコロールのPMRパメラを投げ捨てるや加速した。

 【シンデレラ】を降ろした、ラスカ・ランシングの89式【幻雷】改型四号機かいがたよんごうきだ。

 非常識なまでのピーキーチューン、徹底して軽量化されたネイキッドな機体がぶ。

 誰もが予想だにせず、想像の余地を常に裏切るトリッキーな機動……ラスカは無軌道なランダム回避を織り交ぜながら、飛び去るサマエルの三分の一をとらえた。

 最後尾を飛んでいた黄色い翼に、あかい死神がのしかかる。


『こんのぉ! 暴れ、ん、なって、言ってる、でしょ! ……まず、一つっ!』


 ラスカは機体ごとブチ当ててしがみ付くや、乗り上げて抱える飛翔体へと刃を突き立てる。大振りな単分子結晶たんぶんしけっしょうマチェットのようなナイフが火花を巻き上げ食い込んでゆく。後にコードγガンマと呼ばれる、黄色い飛行型パラレイドが編隊を乱した。

 そして、三位一体のフォーメーションを崩した、他の二機にも動揺が走る。

 そう、見守るしかできない千雪の目には、動揺が見えた。

 狼狽うろたえる乗り手の不安が、揺れる翼から感じられる。

 やはり、セラフ級には人が乗っている?

 それは過去のセラフ級も、同じなのか?

 このサマエルだけが、人を乗せて駆動しているのだろうか?

 だが、そのことを考える余地を与えぬかのように、ラスカはとうとうコードγを叩き落としてしまった。一緒に墜落して炎上、大爆発。その中から、真っ赤な機体がゆらりと起き上がる。装甲らしい装甲を殆ど持たぬ改型四号機は、流血の満身創痍にも似た全壊状態で立ち上がった。

 激しく燃え盛る炎を背負った、その姿はまさしくくれないの修羅。

 そして、改型四号機がキュインと首を巡らせる先に……まだ、残る二つが飛んでいる。既に三分の一を失った今、合体することは無理に思えた。だが、それでよしとしないのがフェンリルの牙と爪だ。

 海軍PMR戦術実験小隊かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい……通称フェンリル小隊。

 皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうく戦技教導部せんぎきょうどうぶを母体とする、PMRの運用データ収集や各種兵装の実働試験を行う部隊。しかし、それは陸軍に遅れをとる海軍の表の顔でしか無い。

 秘匿機関ひとくきかんウロボロスとも密接に繋がったこの部隊の目的は、一つ。

 すなわち、あらゆるパラレイドの完全な殲滅せんめつ剿滅そうめつである。


『っし、よくやったラスカ! あとでおにーちゃんが安くて美味いもんをおごってやろう!』

『ちょっと辰馬! 誰がお兄ちゃんよっ! あと二つ、叩き落としてやるわ!』

『あとは任せな、あらよっと! こいつで……二つ目、ダウンだっ!』


 辰馬の改型壱号機が、再び空へ舞い上がるや急制動。雲を引いて飛び回る残りの飛翔体を攻撃する。即座に散開したコードαアルファとコードβベータは、左右へと別れて逃げ始めた。

 そして、それを目で追う千雪は、戦域が広がるのを感じてれた。

 既に動かない千雪の改型参号機かいがたさんごうきは、廃墟の街に横たわるスクラップに等しい。辛うじて動く首を巡らせても、その視界の外へ戦闘は続いてゆく。

 意を決した千雪は、ハッチを開いて外へ出た。

 大の字に横たわる愛機の胸に立ち上がれば、すぐ側に棚引たなびくマント姿の機神が立ち尽くしていた。そこからヘッドギアの無線へと、摺木統矢スルギトウヤの声が響く。


『下がってろ、千雪! ……幕を引くぜっ、こいつでっ!』


 統矢の声に呼応するように、空の戦域が一つの決着を呼ぶ。

 夜空を舞う辰馬の改型壱号機が、曳光弾えいこうだんの光をばらまきながら敵の機動マニューバ領域をぎ落としてゆく。徐々に自由な機動を奪われる中で、ついに白いコードβが火を吹いた。

 先程のラスカの攻撃でも見た通り、どうやら分離中の三機に特別な防御処理はされないらしい。サマエル甲乙丙こうおつへい、三機合体の三形態と違って、通常の兵装でも十分な打撃を与えることができそうだ。


『統矢っ、残り一つ! 任せたぜ! 辛えなあ、主人公ってな……嫌でも見せ場が回ってきちまう。なんてな、はは! っし、そこ! Rock and Rollロッケンロール!!』


 基本的に陸戦兵器のPMRで、辰馬は華麗な空中戦を演じていた。自らの空中での限界に挑みつつ、相手の自由を奪う戦い。最後には辰馬は、左腕に装備された大型シールドを叩きつけ、Gx超鋼ジンキ・クロムメタル製のパイルバンカーを叩き込む。

 空中での大爆発を突き抜け、純白の隊長機は墜落するように不時着した。

 同時に、敵を見据えて身構えていた、千雪のすぐ側の【氷蓮】が動き出す。


『見てろ、千雪っ! こいつが……蘇った俺の、お前と俺の……俺達の、【氷蓮】だっ!』


 ヒュン、と【氷蓮】が巨剣を振り回す。

 新開発された鞘は、単分子結晶の大剣【グラスヒール】の切れ味を覆うと同時に、その攻撃力を何倍にも高める秘密兵器だ。

 その鞘が、

 切っ先を包む先端を基部に、おうぎのように左右に割れてゆく。

 あらわになる刀身が、月明かりに輝いていた。

 割れた鞘の基部は、その奥に隠されていたグリップがせり上がり、それを【氷蓮】の左手が伸びて握る。

 それは、まるでゆみだ。

 【グラスヒール】の刃をに見立てて広がる、強大な剛弓ごうきゅう……だが、引き絞る程に張り詰める、弓に必要なつるがない。千雪がそう思った、次の瞬間だった。


『【グラスヒール】、アンシーコネクト、モードブラスト! 出力安定、フルッ、ドライブ!』


 光と光とが、走る。

 【グラスヒール】のつばにセットされた、二丁のビームハンドガンが輝いていた。リボルバーにも見えるシリンダーが回転し、現代人類が実現し得ぬ超小型の粒子加速器りゅうしかそくきが臨界の光に包まれる。そして、銃口から細い細い光の弦が伸びて、巨大な弓矢を完全な姿へと象った。

 【氷蓮】は、鋭い矢となった【グラスヒール】のつかを握って引き絞る。

 光の弦が張り詰めて、弓となった鞘が唸りを上げた。


「こ、これが……鞘の、もう一つの姿。……はっ、統矢君! 最後の一機が!」

『黙ってろ、千雪っ! って、なに外に出てきてんだよ。耐ショック防御、隠れてろ! いっく、ぜぇぇぇっ……こいつでっ、終わりだっ!』


 身を翻した最後の一機、赤いコードαが突っ込んでくる。

 その機体が、眩い光を集めて輝いていた。先程、飛行型のサマエル甲で生み出したエネルギーの塊に、勝るとも劣らぬ熱量が凝縮されてゆく。

 白熱に輝く光球そのものと化して、コードαは特攻するつもりだ。

 真っ直ぐ突っ込んでくるコードαに対し、【氷蓮】は動かない。

 長大な剛弓を構えたまま、その必殺の一矢を狙い定めて、そして放った。

 手を離した【氷蓮】から、統矢の気迫が叫ばれる。

 矢のような【グラスヒール】は、飛び去る代わりに切っ先から苛烈な光条こうじょうを絞り出した。

 咄嗟に愛機の影へと滑り降りる千雪を、爆風と衝撃波が襲う。

 統矢の生み出す地表の夜明けが、暗い闇夜を切り裂いた。

 爆光、そして轟音。

 暴れる長い黒髪を手で抑えながら、千雪は沸騰する空気の中で勝利を確信した。

 そして、緊張感のない仲間たちの声が、耳元のレシーバーに響いてくる。


『っし、状況終了。作戦完了ミッションコンプリートってやつだな。母艦の羅臼らうすに連絡して迎えに来てもらおうぜ』

『おつかれー、って……アタシの弐号機、またボロボロ。なっ、直るわよね! 辰馬! ……これというのも、全部、ぜーんぶっ! 統矢が悪いんだわ!』

『なんで俺だよ、ったく。いいから辰馬先輩に、安くて美味いもんでもおごってもらえ』

『アタシ、お好み焼きっての食べたいわ! 明太子めんたいこ? とか、海老えびが入ってるやつ!』

『勝手にしろ、それより千雪は……ま、大丈夫だよな。桔梗先輩は無事ですか?』

『平気ですよ、統矢君。電磁投射砲は、この試作型では三発が限度のようですね。ふふ……心配しないでください。統矢君もあとで、うんと甘やかしてあげますから』

『うおーい、桔梗? 俺の前でそゆ話、しないでくれよなあ……アレしちゃうのか? それともアレか、アレもいいよな。俺はどっちかってーと――』


 なんだか、面白くない。

 気付けば千雪は、ぷぅ! とほおを膨らませてむくれていた。

 同じフェンリル小隊の仲間で、自分だけ蚊帳かやの外のような疎外感。それに、やっぱりあの女はちょっと苦手だ。近い将来、確実に義姉あねになるであろう女性……なんだかかなり、面白くない。


「アレ、ってなんですか? アレとかアレとか、いったいどういう」

『わはは、愚妹ぐまいよ! 子供にはまだ早いぜ……お前もいつか、統矢に教えてもらいな』

『いや、俺もわかんないですけど。それより千雪、無事だよな! し、心配してねーけどよ、お前のことだから。……参号機、修理手伝うからさ。帰ろうぜ、千雪』


 バシュン! と【グラスヒール】の鞘が変形し、元の形で刃を包む。それを背負って、統矢の【氷蓮】が歩み寄ってきた。

 夜風に流れる髪を抑えれば、近付いてくる【氷蓮】の輪郭が光り始める。

 廃都と化した東京の戦場は、恐るべき敵を夜と共に拭い去っていった。

 地平の彼方に、払暁ふつぎょうの光が満ち満ちてゆく。

 それに目を細めながら、千雪は【氷蓮】を見上げていた。


『乗れよ、千雪。参号機はあとで回収してもらうからさ』


 片膝を突いて屈んだ【氷蓮】が、いかつい手を伸べてくる。それに飛び乗れば、ゆっくり持ち上がる中で千雪は振り向いた。

 最後まで自分を守ってくれた愛機、改型参号機が仰向けに横たわっている。

 損傷著しい擱座かくざ状態だが、直るだろう。

 否、直すのだ。

 我が身が傷ついたかに思える程の疼痛とうつうが、胸の中にうずく。

 それもまた、目の前の少年が治してくれるような気がした。

 【氷蓮】は片手で千雪を胸元へと持ち上げ、コクピットのハッチを開く。奥の暗がりから、計器の明かりに照らされた統矢がハーネスを外した。立ち上がる彼が身を乗り出し、手を伸べてくる。


「ほら、千雪。つかまれよ。……どした?」

「あ、いえ……」

「早くしろよな」

「ふふ、わかりました」

「……ったく、なにが面白いんだか」


 統矢は笑った。

 多分、千雪が笑ったからだ。

 徹底して無表情な千雪の、自分でも笑い方を知らぬ微笑み。ほんの僅かに口元を緩める、その笑顔を統矢はいつも拾ってくれる。

 統矢の手を取り、少しんでコクピットへと乗り移る。

 弾みで統矢の胸へと飛び込んでしまったが。少年の薄い胸板はびくともせず受け止めてくれた。二人はほんの数秒、短い時間だけ抱き合う。


「身体、冷えてねえか? お前……なんか、女の子って冷やしちゃ駄目なんだよな。昔からりんながうるさくてさ、そういうの」

「私、女の子ですか? ちゃんと、女の子できてるでしょうか」

おおむねな。概ね割りと、そこそこ女の子じゃないか。俺にはそれで十分だけど……嫌か?」

「いいえ、ちっとも」


 もう少しこうしていたい気もしたが、名残惜なごりおしくも千雪は統矢から離れる。

 こうして並び立つとやはり、千雪の方が少し背が高い。それも昔は気になったが、今は些細なことだと思える。見下ろす距離に統矢がいてくれる、それだけで満たされる気分だ。


「統矢君、アレってなんですか?」

「……は? いや、アレって……知らないよ」

「私にもできるでしょうか、アレ」

「だから知らないって! いいから早く乗れ、帰るぞ!」

「統矢君、御巫先輩にしてもらったことは」

「ない、絶対にない! 知らないっての、本当なんだからさ」

「兄様は好きらしいですけど……アレ。なんでしょう、アレ、とは」

「う、うるさい、放り出すぞ! ……は、早く乗れって」


 再びコクピットのシートに引っ込んだ統矢は、目をそらしつつ……膝の上をポンポンと叩く。

 千雪はおずおずと、内心はしゃぐ心を表現する術も持たず、そこに座った。

 夜明けの光が昇り始めた空には、薄らいで消えるような白い月が浮かんでいた。

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