第四話 神聖アーステイム王国で夕食を -7-

「はー、コロッケを沢山作ったから疲れたけど……心地よい疲れだな……」


 ヒヨリは海原亭の二階にある一番綺麗な部屋を宛てがわれており、大きめのベッドに倒れるように寝転がった。

 久しぶり……というより、この世界(ミッドガルニア)に来てから初めて、柔らかい布団の上で横になれたのである。


 開け放れている窓から夜空……満天の星に、金色の優しい光を照らす満月が見える。その満月が、先ほどのコロッケがたいらげた後のお皿のようで、ヒヨリはくすっと笑った。


「月とか星とか、同じなのよね……」


 故郷の飛芽島の発展度は田舎なので、煌めく星空が見えていた。


「そういえば、千代さんや茂さんはえらく感動していたな……。たくさんの星が煌めいて見えることに」


 千代たちと砂浜で夜にバーベキューをした思い出がよぎる。都会育ちで都会暮らしだった千代たちにとって、田舎ではありふれた景色も宝物ように見えて感動していたのが不思議に思った。


「そうだ……茂さんは無事なのかな。私みたいに、こっちの世界に来てないよね……」


 海底に引き込まれる時、茂は海上に浮いている姿が見えた。


「きっと大丈夫だよね。もし巻き込まれたのなら私と同じ場所に居たと思うし……」


――だけど、もしかして、茂さんもあの場に居たけど、ヴァイルたちに助けて貰えなかったとしたら――


 ヒヨリは悪い考えを振り払うかのように頭をフルフルと振った。


「大丈夫、大丈夫。この世界に来たのは私だけ。茂さんは助かって、今頃島に戻っているはず……はず……」


 飛芽島の景色が、実家の民宿、母や婆ちゃんたちの姿、そして千代から料理を教わっているシーンがフラッシュバックした。


 見知った人が誰一人居ない異国よりも遠い場所……異世界に一人。もしかしたら元の世界(地球)に戻れないかも知れない。大切な人たちにもう会えないかも知れない。




――天涯孤独の身――




 揺れない陸地、柔らかいベッドに横たわり安心したからなのか、張りつめていた緊張の糸が緩んだのだろう。


 無意識に瞳から涙がこぼれた。


「あれ、なんで……」


 海原亭の雰囲気が実家(民宿)に似ており、先ほどのヴァイルたちとの食事も合わさって、思い起こされた望郷の念がとめどなく噴出した。


 とっさに口を手で覆い、泣くのを堪えた――堪えた――堪えきれなかった。


 婆ちゃんが作った筑前煮が食べたかった。母さんが作ったカレーが食べたかった。千代さんが作ってくれる洒落た料理が食べたかった。好物のピーパリやチーズケーキも食べたかった。


 ぽろぽろと涙がこぼれては、シーツを濡らしていく。


 強がっていたものの、やっぱり不安だった。このまま見えない重い闇に潰されそうになる。

 嗚咽が静寂の部屋に響き、それがより自分の憂慮を増幅させた。


――コンコン


 突然、扉がノックする音が鳴った。


「えっ! あ、だ……誰?」


「……俺だ。ヴァイルだ」


 扉越しに話しかけてきた。扉は施錠されているので開かないからだ。


「な、なに?」


「この宿の壁が薄いのでな」


 泣き声が聞こえたという意味であった。

 恥ずかしさと動揺でヒヨリは涙でグチャグチャになっている顔を手で隠す。


「どうした? 何があったのか?」


「べ、別に、なんでもないわよ! ちょっと家のことを思い出していただけだから」


「……中に入って良いか?」


「えっ?」


「少し話したいことがあるからな」


 真夜中に、しかも勝手に嫁にしようとする人物と二人きりになるのは、ライオンのような猛獣を中に招き入れるのと同義である。


 話すだけなら、この状態でも充分だろう。


 けれど――今、孤独のまま夜を過ごすのが嫌だった。耐えられなかった。


「ちょっと待ってて……」


 ヒヨリはなるべく正常な心持に整えてから、開錠して扉を開けた。


 窓から入り込む月明かりで微かにヴァイルの姿が見えた。いつもの眉を吊り上げている顔ではなく、どこか憂いている顔色だった。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫と言えば、大丈夫かな……」


「そうか」


 ヴァイルはヒヨリにベッドに腰掛けるよう促し、自分は備えられている椅子に座った。


「そ、それで話しって?」


「ああ。ヒヨリの家探しのことだ。一応、この国の偉いやつ(セシル)に談判して頼んできた。ニホンという国を探してくれとな。一海賊の情報収集力じゃたかが知れてるからな、一国の情報収集力の方が見つかる可能性は高いだろう」


「そ、そうなの……」


 と言ってくれたものの、地図を見せて貰った時にこの世界が地球ではないと認識していた。くまなく探したとしても日本を発見するのは無理だろう。


 だけど――


 ヴァイルが約束通り日本を見つけようと行動してくれているが嬉しく、気持ちが安らいだ。


「でもまあ、シュイットの件を片付けないことには、先には進めないが……心配するな。それはすぐ

に片付けてやるから、ちょっと待ってろ」


「う、うん。でも……」


 途中でヒヨリは口を閉ざした。

 先の通り日本は、この世界に存在せずに、違う世界に有る。超常的な事象に陥っている今、暖簾に腕押しの状況だ。


 しかし、せっかく努力を費やしてくれているのに、腰を折るのは本意ない。


「どうした?」


「あ……改めて、訊きたいんだけど……。なんで、私を嫁にしようとしているの? ただ、その…美味しい料理を作っただけで」


 “男性の胃袋をつかむ”という言葉を見事に体現した結果(ヴァイル)。


 ヴァイルは斜めに視線を逸らし、考えこむように口を手で覆った。そして、ゆっくりとヒヨリの方に顔を向けて、見つめた。


「そうだな……。確かに、それが切っ掛けだが……直感もあった。おまえを絶対に手放したくないとな」


 あまりにも真っ直ぐの理由(想い)に、ヒヨリの頬が熱くなっているのを感じた。


「……な、なによ、それ! 意味が、解らない、んですけど!」


 困惑と動揺で上手く舌が回らなかった。

 ヴァイルは微笑みを浮かべ――


「俺もよく解らん。あの時、心のままに言っただけだ。で、ヒヨリ。約束は守ってくれるんだろうな?」


「約束?」


「ヒヨリを故郷を探して、そこへ連れていったら俺の嫁になることだ」


「え……まあ、うん。解っているわよ。私の国では、結婚相手は絶対に親に会わないと結婚できない決まりがあるからね!」


 嘘も方便……ではない。結婚前に相手の親御さんに挨拶するのは習慣がある。結婚しようとするのなら――いや、その前にヒヨリ自身がヴァイルとの結婚を了承はしていない。


 そもそも別世界の日本へと連れて行けるのかが覚束無い。


「……でも、本当に見つけて、連れて行ってくれるの?」


「そうしないと、おまえを嫁に出来ないのだろう。だったら、絶対に見つけて連れていくさ。主神アルファズルと九偉神の名に誓……いや、俺自身とヒヨリの為に誓うよ」


 ヴァイルの言葉が、視線が、熱意を強く感じて、身体が熱くなってきた。

 先ほど帯びていた頬の熱が身体全身に伝わっていくようだった。


「あっ……その……き、期待しているからね!」


 ヒヨリは耐えかねて布団の中に潜り込んでしまった。


「ああ、それと。今後の予定も話しておく。明日、俺たちの島に物資に届けに行くから、そのつもりで準備をしておけよ」


「俺たちの島?」と、ヒヨリは布団から少しだけ顔を出して訊ねた。


「ああ、ヨルムンガンド海賊団の本拠地がある島だ。そこでお前を紹介したい人も居る。それじゃ、しっかり寝ておけよ」


 ヴァイルは席から立ち部屋から去ろうとする。

 急にヴァイルの姿が遠くに居るようで、急に寂しさが押し寄せてくる。


「ちょ、ちょっと待って!」


 ヒヨリが呼び止めた。


「なんだ?」


「その……こんなことをお願いするのはアレなんだけど……。わ、私が眠りに就くまで、近くに居て欲しい…かなって」


 子供じみたお願いにヴァイルは思わず微笑してしまう。


「俺の嫁の頼みごとだ、断れる訳ないだろう」


「で、でも! まだ、結婚した訳じゃないんだからね。何もしないでよ! 私が眠ったら、何もしないで出ていってよね」


「解ってるよ。契りを交わさずに、不義をする気はない」


 ヴァイルは再び椅子に座り、見守るようにヒヨリを見つめると、その視線を避けるようにヒヨリは横になって背を向けた。


 成人男性と暗い部屋で二人きり。危険視した状況ではあるが、不思議と恐怖感は無かった。


 これまでの出来事でヴァイルは思った以上に誠実であり、生真面目な性格だと見受けられた為に、信頼感が生まれていた。そもそも野獣の如く襲ってくるのなら、すでに船の上で襲ってきただろう。


 自分(ヒヨリ)の無理な願いを叶えようとしている。でも、相手(ヴァイル)も無理の願い(結婚)を言い寄ってきているのだから、おあいこだ。



 まどろみの中、ヒヨリは小さな頃の思い出が過ぎった。



 海の亡霊の怪談を聞かされて、夜一人で眠れなくなった時、珍しく父親と一緒の布団で寝たことがあった。父の大きな手を握り、父が語る寝物語を子守唄にして心地よく眠りについた。


 暫くして、ヒヨリは安らかな寝息をたてたのであった。


 愛らしい唇に触れようと、ヴァイルは手を出そうとしたが……ぐっと堪えて、その手は虚空を掴んだ。


「やれやれ、嫁に迎え入れようとする為に、こんなに苦しい思いをしないといけないかよ」



   ***



 窓の隙間から朝陽が差し込み、鳥(スペェロー)の鳴き声に、ヒヨリは目を覚ました。


 寝起きでぼんやりする中、上半身を起こす。


 揺れず柔らかいベッドでの睡眠は快適で、久方ぶりの良い目覚めだった。

 朝ごはんの準備をしないと思った矢先、


「……あっ!?」


 ヴァイルを部屋の招き入れていたのを思い出したが、「あれ?」と、部屋の中を見渡してもヴァイルの姿は無かった。


 続けて自分の衣服を確認したが、着崩れをしている形跡はない。


「本当に、何もしなかったんだ……」


 安堵と共に、なぜか少しだけ残念な気持ちも在ったが、瞬時に首を横に振った。


「いやいやいや、そんなんじゃない! そんなんじゃないぞー、私! よし、顔を洗いに行こう……」


 ベッドから出て、真っ赤になった顔を洗いに行こうと部屋の扉を開けると重みが手に伝わり、なすがままに扉が引き開けられ――ヴァイルが背中から倒れ込んできた。


「きゃあっ!……な、なにしているのよ!」


「ん? ああ、もう朝か……」


 床に倒れたままヴァイルが答えた。


「いや、だから、なんで、そんなところに?」


「……ヒヨリが眠りについたから、部屋を出ようとしたけど、扉の鍵は内側じゃないとかけられないからな」


「それで、そこで門番的な?」


「そういうことになるのかな」


「……ふふふ、なにやってるのよ」


 ヒヨリは思わず笑ってしまったが、あの発言を律儀に守るヴァイルの誠実さには、好意を寄せたのあった。

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