第七話 花嫁日和は異世界にて -2-

「…う、うーん……」


 誰かに自分の名前を呼ばれた気がして、ヒヨリは目が覚めた。


 上半身を起こしながら周囲を確認する。

 辺りは薄暗く、見通しがきかない。また目覚めたばかりで覚束無い状態だった。


「……ここは、何処なの? たしか、私……空中に浮かんで……」


 意識が徐々に明瞭していき、気を失う直前の出来事が頭に過(よぎ)ぎる。


 不思議な光に照らされたと思ったら、空中を飛行していた。

 自分の意志に関係無く重力を逆らい、ジタバタするしかない出来ない感覚は恐怖だった。体験したことはないが、逆バンジージャンプをしたら、あんな感じだろうか。


 飛行していく間……空に浮かぶ大型船を視認したと思ったら、途中であまりの高度と酸素が薄くなった為か気を失ってしまったようだ。


「お目覚めかしら?」


 突然の呼びかけにビックリしつつも声がした方を向くと……奥で水晶玉から光が発せられて、巨大で豪華な椅子に座る人物を照らしていた。


 先ほどまで暗い空間だったのにと不思議に思いつつも、注意して様子を伺った。


 椅子に座る人物は、腰まである長い髪の女性で、豪華な椅子が色褪せてしまうほど、奇妙な柄を刺繍された彩り豊かな布には幾重にまとっており、透かし模様の布状で口元を隠しているが、透けた先に見える端麗な顔立ちが見えた。


 その外見と身体から漂う怪しげな雰囲気にヒヨリは警戒してしまう。


「ふふふ。そんなに怖がらなくても良いでしょう……といっても、仕方ないことかしら。いきなり、こんな所に連れてこられたら愛想の良い動物でも怯えるものよね」


 怪しい雰囲気とは裏腹に明るく軽い口調のお蔭か、少しだけだが警戒心は薄れる。


「……あなたは、一体、誰なんですか?」


「私の名はファムファタール。魔女や巫女とも呼ばれる者よ。そして私が貴女(ヒヨリ)を、この世界(ミッドガルニア)に喚(よ)んだ張本人よ」


「えっ?」


 ヒヨリの身体が一瞬硬直した。

 唐突に語られた真実に頭を突き貫かれて、思考力が停止してしまう。


「……えっと、それは、どういうことですか?」


「あら? 理解力が乏しいのね。地球という世界から、この世界(ミッドガルニア

)に喚んだ……いわゆる召喚ってやつね。けど、喚んでいる最中、貴女が抵抗したから転移場所がズレちゃって大海のど真ん中に。お迎えを行かせたけど、チンケな海賊たちに邪魔にされちゃったのね」


「……そ、それじゃ、茂さんの船が転覆して、私が海の底に引きずこまれたのは……」


「そう、私の仕業」


 ファムファタールは笑顔で返した。


 ヒヨリは思考を再起動させて、考えを整理する。

 彼女が言う内容が本当に真実であるならば、目の前に居る怪しげな女性……魔女ファムファタールが、自分(ヒヨリ)をこの世界に連れてきた元凶。


 それは解った。だからこそ、次の疑問が浮かぶ。


「ど、どうして、私をこの世界に?」


「どうして……か。簡単に言ってしまえば、生贄のようなものかな」


「生贄?」


「そう。この世界の秩序と安寧を保つ為のね。貴女の世界でも、そういうのがあるでしょう?」


 古代の日本でも神への供物として命を捧げたりなどの人身御供の文化は存在していた。甚だしい時代錯誤の風習である。


「……昔はそういうのが有ったとか聞くけど、今は無いですよ」


「あら、そうなの。まあ、だからと言って、貴女が生贄になる運命は変わりようはないけどね」


 ファムファタールは笑顔を浮かべているが、氷のように冷たく感じて、身体を凍てつかせた。

 震えながらヒヨリは理由を訊ねる。


「なんで……なんで、私なんですか? なんで、私が生贄に?」


「そんなの、ただの偶然に過ぎないわ。生贄に相応しいモノを呼んだら、貴女が召喚されてしまった。そういう訳。お解かり?」


 素っ気ない回答に、ヒヨリはあ然としてしまい……ふつふつと苛だたしさが込み上げてくる。


「そ、そんな、偶然に過ぎないって……」


「落ち着きなさいな。こういう理不尽な出来事は、いつも突然で不意に訪れるものよ。諦めなさい。でも、とても光栄なことなのよ。貴女の命で、この世界が救われるのだから」


 ファムファタールは両手を今から飛び立つ翼の如く大きく広げた。さも生贄になることが、全ての喜びであり崇高なる名誉であると讃えるように。


「私の命で、この世界が救われるってどういうこと?」


「言葉の通りよ。貴女の命で世界が救える。生贄ってそんなものでしょう。これほどの大義はないでしょう。そうそう。そんな貴い貴女にふさわしく、その服は餞(はなむけ)の服よ。素敵でしょう?」


 言われて初めて自分が着ている服を確認した。


 アーステイム王国で買った絹織物の服ではなく、真っ白なドレス……シルクのような肌に優しい生地感で、クローリアーナの羽のような繊細な柄のデザインが施されて、スカートはふんわりとボリュームがあるように膨らんでいる。まるでウエディングドレスのような服だった。ご丁寧に化粧も施されていたが自分の顔を確認できないので気づかなかった。


 乙女の憧れを象徴した服ではあるが、今は感慨にひたる時ではない。


「これは?」


「大切な生贄だからね。それなりに綺麗した方が良いと思ってね」


「さっきから生贄とか、世界を救うとか、喚んだとか。訳が解らないよ!」


 自分(ヒヨリ)の意志に関係なく、無謀で手前勝手な要求に、素直に従える訳がなかった。


 涙目になりつつもファムファタールを睨む。


「まあ生贄に、全ての理(ことわり)を完全に理解して貰おうと思わないわ。貴女は安心して生贄におなりなさい」


――この人に頼めば地球に戻して貰えると思ったのに……。まさか私をこの世界に喚んだ人だったなんて……。


 希望を打ち砕かれ、深淵なる絶望が押し寄せきて、視界が真っ暗になってしまう。

 だが、暗闇の彼方から微かな光が見えた。いや、浮かんだ。ヴァイルの姿が。


「ヴァイル……」


 異世界に召喚されて誰も何も知らない場所で、結果的に助けてくれた。そして、この状況からでも助けてくれる気がした。


――だけど待つだけじゃないのが、私……若林海賊の血を引く末裔なのよ!


 身の回りを確認すると拘束をされてはいない。ただ着替えさせられただけのようだ。足元には脱がされた服が転がっていた。



 ヒヨリは決意した。



 ファムファタールに背を向けて駆け出したのである。ついでに服……救命胴衣も拾って。

 咄嗟の行動にもファムファタールは慌てたり追いかけたりもしない。


「あら? まあ、気が済むまで逃げれば良いわ。でも、この天之箱舟から逃げ出すことが出来るかしらね」


 親指と薬指でパチンッ♪と小気味の良い音を鳴らすと、ヨルムンガンド号を襲った同種の海魔たちが姿を現した。


「さあ私の可愛い下僕たちよ、あの可哀想な贄を捕まえてきなさい」


 そう指図すると、海魔たちはヒヨリの後を追い始めたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る