第四話 神聖アーステイム王国で夕食を -1-

 ヴァイルたち一行は、助け出したシュイットを送り届けるべく神聖アーステイム王国へと目指していた。


 追い風が吹き、帆は大きく膨らんで、快速に進んでいく。順調に運航するヨルムンガンド号。


「良い風だ。この風ならば、二日程度でアーステイム王国に着くな」


 舵の隣に設置されている特等席のハンモックに寝そべっているヴァイルの独り言のような言葉に、操舵手のガウディが反応する。


「ええ。この速さならば、ダーグバッドの追っ手も簡単に追いつきはしないでしょう。それにアーステイム王国の領域に入っていますから、よほどの馬鹿か策士でなければ侵攻しないでしょう」


「暫くは、ゆっくりとした船旅を満喫は出来るかな……ん?」


 ヴァイルの視界にヒヨリが映った。

 ヒヨリは船酔いでダウンしているシュイットを介抱していた。


 シュイットは意識を取り戻してからは、重度の船酔いによる不快感と宝剣を奪われた喪失感から死にそうだった。


「だ、大丈夫ですか?」


「…………」


 ヒヨリの配慮にも無言のシュイット。


「なんだか、茂兄さんの最初の頃を思い出すな」


 漁師になるべく飛芽島に移住してきた立花茂も最初の漁で船酔いでダウンしてしまい、親戚のおじさんから「あいつは、漁師は無理だな」と確信持って言われ、茂は一か月間ほど酔い止め薬が欠かせなかった。


「酔い止めの薬でもあれば……あった!」


 ヒヨリは救命胴衣の非常用一式の中から、酔い止め薬(顆粒剤)のシートを取り出した。


「うん、水なしでも飲めるやつだ」


 薬の包装シートを切り取り、シュイットへと差し出す。


「えっと……これを飲んでください。気分が楽になりますよ」


 得も知れないものと、優れない体調の為に何も口にしたくはなかった。が――


「ほら、飲んでください!」


 ヒヨリは強引にシュイットの口の中に薬を流し込んだ。


「うっーーー! ん?」


 ほのかに甘い味が口の中に広がると、清涼感が食道から胃へと身体全体に浸透していく。

 暫くして不快感は緩和され、船酔いが治まったのであった。


「体調が良くなったみたいですね」


 先ほどとは打って変わって、シュイットの顔色が良くなっているのがハッキリと解る。


「ええ、ありがとうございま……えっ、女性?」


 シュイットは、ここで初めてヒヨリの存在に気付いた。体調が悪かったので気にする余裕がなかったのだ。


 じっくりとヒヨリを見る、シュイット。


 ヴァイルたち海賊員は、これまで“例外のあの人を除いて”女性の船員がいなかったはずである。

 ましてや、ヴァイルや自分とは違った顔つきや着ている服装から、異国の者であるとうかがい知れる。


「あなたは?」


「あ、私ですか? 名前は、若林日和って言います」


「ワカバヤシ、ヒヨリ?」


 その名も珍しかった。


「あ、私は……遭難者というか、この人たちに救助されて致し方なく同船している訳で……」


「助けて貰った、ですか?」


「うん。それで、私の家を探して貰っているところなの」


「そうなのですか。ところで、貴女の家……ワカバヤシヒヨリの国は何処なのですか?」


「あ、若林は苗字だから、下の名前のヒヨリだけで良いよ。えっとね、日本って所なんだけど、知らないよね?」


 シュイットもヴァイルの時と同様に首を傾げる。少なくとも自国……アーステイム王国の領内には思い当たらない地名だった。ヒントになるような情報を求めようとしたが、


「シュイット、そいつは遭難した影響で、どうやら記憶を失っているみたいだから、あまり深く追及してやるなよ」


 シュイットたちが振り返ると、そこにヴァイルが立っていた。


「遭難ですか?」


「ああ」


「そうだったのですか……。それは……」


 シュイットは申し訳なさそうな表情を浮かべて、ヒヨリを見た。記憶喪失、しかも帰る場所も解らないとなると、その不安と恐怖に心中察してしまう。


「あ、いや、その気にしないでください。まあ、頑張ってこの人(ヴァイル)たちに、日本へ連れて行って貰いますから」


 ヒヨリの他愛も無い物言いに、シュイットはあっ気に取られてしまう。

 仮にもヴァイルたちは名を轟かす海賊である。その者に対しての軽い扱い方に異様さを感じた。


「ところで、シュイットは……あっ! そういえば、どこかの国の王子様なんだよね。だったら、やっぱり様とか敬称を付けた方がいいよね?」


 自分の名前を呼び捨てにされたことより、どこかの国……アーステイム王国の名前が出なかったのには、シュイットは少し眉をひそめてしまう。この世界に生きる者たちにとって、三大国を知っていて当然だからだ。


「べ、別に構いませんよ。ヒヨリの好きなようにお呼びください。アーステイム王国の王子と言えど、このヨルムンガンド号の船では国の身分など無く、個人の名前を呼び合うのが決まりですから」


「そうなの?」


「船にはそれぞれの決まりがあります。ある意味、国のようなものです。このヨルムンガンド号では、そういった決まりがあるんですよ。船員、乗り組み員は平等だと」


 船の上では船長命令は絶対であるというのは地球でもある習わしだ。とはいえ、流石に客人、ましてや高貴の身分の方を呼び捨てにしたりしないが。


 だからこそ、海賊の頭目であり船長でもあるヴァイルに対しては、それなりの敬意を払うべきだが、ヒヨリからは、それを感じられなかった。


 ただの遭難者や救助者ではないと察して、シュイットはヴァイルに目を向けると、ヴァイルは不敵な笑みを浮かべた。


「まあ、俺の嫁だからな。多少の無礼は免じているんだよ」


 シュイットは「嫁?」と一瞬驚くも、この世界では十代での結婚は珍しくはない。


「こ、これは失礼……」


 だからだと納得しようとしたが、ヒヨリは怒気を含んだ顔色に変えて、いきり立った。


「な、なに言ってるのよ! あんたが勝手言っているだけでしょう! 私はあんたのものでも、嫁でもなんでもないからね!」


 ヒヨリの反論にヴァイルは涼しい顔で聞き流す……もとい聞いてないようだった。だが、シュイットは身体を震わせて、ヴァイルを睨んだ。


「ヴァイル、どういうことですか! 誘拐や奴隷、本人の意志を反しての強制的な婚姻はアーステイム王国では禁じられていることですよ!」


「確かに、まだ良い返事は貰ってはないが……決定事項だ。だがな、シュイット。そもそも俺はアーステイムの民ではない」


 他国民ならば自国(アーステイム王国)の法律を破っても問題無い……訳が無い。


「確かにそうですが、同盟を結んでいるのです。アーステイム王国の法は順守されるべきです」


「だったら、アーステイムとの同盟を破棄しても良い」


 ヴァイルの不図した宣言にシュイットは心臓が飛び出しそうになった。


「な、何を……。冗談です、よね?」


 訊ねるものの、今にも斬りかかってきそうにヴァイルの好戦的な鋭い瞳から、とても冗談ではないとシュイットは察し、ヴァイルの視線から逸らすように、しかめっ面を浮かべているヒヨリを見た。


(あのヴァイルが、これほどのことを言わせるなんて。このヒヨリという女性は一体……)


 幼い頃よりヴァイルと付き合いがあり、彼の摯実(しじつ)な人間性を知っている。若くしてヨルムンガンド海賊の頭目を務め、屈強な凶賊を討ち破る強さを持ち、実の兄と同じように尊敬している所もある。


 たった一人の女性の為に、アーステイム王国との結びつきを切ろうとしているのだ。


 シュイットもヒヨリに、より興味が沸いてしまう。


 しかし、先ほどの会話から無理強いをし、誘拐などの疑いもある。神聖アーステイム王国の王子として見逃せはしない。真意を問い正そうした時だった。


 カーン! と、高い音が鳴り響いた。


 見張り台に居るラトフが、柱に括り付けられている鐘をダーグバッドの船を見つけた時とは違って、遅い間隔で打ち鳴らしている。


 鐘の鳴らし方によって様々な情報を伝えて分かるようにしてある。今回のような遅い間隔での警鐘は、近づく船が敵船または不審船では無いと報せていた。


「ヴァイル様、北西の方向。アーステイム王国の軍船です」


 ラトフが大きな声で伝えると、一同はその方角を向いた。


 その方向には大型の軍船が四隻も在り、帆にはアーステイム王国を示す剣と翼を象徴した紋章が描かれていた。


「ということは、シュイット救援の船だろう。良かったな、シュイット。お迎えが来たみたいだぞ。だけど念の為に陰に隠れていろ。敵の罠かも知れないしな」


 ヴァイルはシュイットの頭を軽く叩くと、背を向けてその場を立ち去ったのであった。


   ***


「私は、神聖アーステイム王国の第二兵士軍長、スーイ・ヘルベスクと申します。貴殿は?」


 ヨルムンガンド号とアーステイム王国の軍船は接舷すると、立派な口髭を蓄え、歴戦の戦士の証である傷跡が何箇所もある顔に相応しく、絢爛豪華な鎧をまとった兵士が声高に名乗った。


「ヨルムンガンド海賊団、船長のヴァイルだ。見るからに、シュイット王子の救助に向かっている援軍か?」


「如何にも。貴殿の話しは、我軍兵士のルドから伺っている。して、シュイット王子救出に向かっていたと聞いたが……何故、ここに居るのか?」


「シュイット王子ならば無事救出に成功して、アーステイム王国に送り届けている最中だ」


 用心して敵(ダーグバッド)などの偽装や罠ではないと確認し、ヴァイルはシュイットに姿を現すように指図した。


 敵の襲撃を受けて囚われの身となり、あまつさえ宝剣を奪われてしまったのだ。面目ないとして、シュイットは静々と身を出した。


「シュイット殿下、ご無事でしたか」


 アーステイム王国の兵士たちは全員は一斉に敬礼のポーズを取り、王族に向けて軍式の挨拶を行った。


「ああ、ヴァイルたちヨルムンガンド海賊団が助けてくれた」


「そうでございましたか」


 軍長のスーイはヴァイルの方へと身体を向けると、最上級の辞儀をすると、他の兵士たちも後に続いた。


「シュイット殿下をお救いいただき真に多謝至極にあります。アーステイムの臣と民を代表して、礼を述べさせていただき……」


 話しの途中で、ヴァイルは堅い礼に煩わしさを感じて手のひらを向ける。


「別にあんたたちから感謝を言われなくても、セシルたちに直接述べて貰うさ。それと、ガッポリと報奨もな」


 王族を呼び捨てにされて、臣子としては内心腹ただしいが、王子たちのヴァイルとの関係は把握しており、なおかつシュイットを救助してくれた恩人である。そもそも海賊なのだ。無礼なのは承知しておかなければならない。スーイは叱責したいのをぐっと飲み込んで、平静さを繕った。


「そうですか。我が陛下や殿下からも謝辞を承ることでしょう」


「それじゃ、さっさとこのお荷物(シュイット)を引き取ってくれ」


 ヴァイルの催促にスーイたちは直立不動のままだった。渡り板をかけるなり準備作業をしても良いものだが。


「スーイ軍長、どうした?」と、シュイットが訊ねた。


「……シュイット殿下、大変申し訳ありませんが、セシル殿下より仰せつけられているのですが……先の無法海賊討伐の任を完遂するまで、アーステイム王国への立ち入りを禁じられております」


「なっ!?」


 予想だにしない返答に、シュイットのみならずヴァイルたちも絶句してしまったのだった。


「うん、なになに?」


 その中で一人話しついていけないヒヨリは、各々の顔を伺うしか出来なかった。

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