第五話 嵐の《ヴァーン》島で微笑んで -9-

 ダーグバッドの嵐が過ぎ去り、ヴァーン島に安穏の時が訪れた。


 だが、逃げそびれたダーグバッドの配下が居ないか、念のためにとまだ夜が明けない中、ラトフたちは島内を調査することになった。


 島の森で松明の灯りが点在しているのを、サリサが広場に設置されている高台から眺め、その傍らでリイナが広場に島民を集めては安否確認を行っていた。

 怪我人は多数だが、犠牲者が一人もいなかったのは幸運だった。


「姉上、話しがあります」


 腕を組み構えているサリサに、ヴァイルがいつも以上に目を釣り上げて話しかけた。

 普段、冷淡な弟が立腹している理由を察するも、サリサはあえて聞き返す。


「なんだい?」


「なぜヒヨリを、あの場に連れてきたのですか?」


「そんなことかい? まあ、私の側に居た方が安全だからよ」


 その言葉に、ぐうの音も出なかった。おそらくサリサとやり合ったとしたら、自分の方が無事ではないと経験していた。


「……それが半分。もう半分は、あの娘(ヒヨリ)に私たち…ヨルムンガンド海賊のお勤めを見せてやろうと思ったからよ。話しを聞く限り、あの娘は戦争とは一切無縁な平和で国を過ごしていたようね。そんな耐性の無い子が、こんな生活に耐えられると思う? そして、それを貴方に解らせるためにね」


「俺に?」


「気が気じゃなかっただろう? もしあの娘を嫁に迎え入れたら、世間的にはヨルムンガンド海賊頭目の嫁。そしてヴァーン一族の者にもなる。つまりそれは、私たちに恨みを持った奴らからの標的にもなるということ。何度もこういう危険な目に遭うでしょう。その覚悟をあんたに、そしてあの娘が持てるのかい?」


 ヴァイルは自分の決意を言おうとしたが、サリサが手の平を前に差し出して止める。


「それは私に言うじゃなくて、あの娘に言ってやりな」


 指を差した先に広場の外れで、ヒヨリはポツーンと腰を落としては身を縮めていた。余所者なので誰からも声をかけられず、島民の輪の中に入れてなかった。


「あの娘を嫁に迎えることに、私は反対も賛成もしない。今は中立な立場だと言っておくわ。だから今回は特別だったけど、もしまたこんな危険な場面が訪れたら、今度はヴァーンの民を優先するからね」


 サリサはそう言い残して、リイナの元へ現時点の被害状況を訊きにいったのだった。


   ***


 ヒヨリは出来る限り身体が小さくなるように体育座りをして、広場の焚き火に照らされた周囲を……島民たちの様子を眺めていた。


 島民たちはお互いの無事を喜び合ったり、傷を受けた者の手当てをしている光景に、疎外感を強く感じた。


――元々、私は別の世界からやってきた訳だから、どうしようもないけど……。


 この異世界(ミッドガルニア)の生活や雰囲気に慣れてきたが、やっぱり地球(日本)とは別の世界。襲われる現場に遭遇したからこそ、より恐怖があった。


――あんなことが、唐突に…普通に…起きる世界。


 鬱陶しげな気持ちに苛まれていると、ドシッと、誰かが隣で座ったような気配が有った。

 その方を向くと――ヴァイルが座っていた。


「……」

「……」


 無言の時が暫く続き、わざわざ隣に座ってきたヴァイルの存在感に耐え切れなくなったヒヨリが話しかける。


「……な、なんなのよ?」

「その、なんだ……大丈夫か?」


 単調な言葉だったが、先の一件が起きてから初めてかけられた配慮の言葉に安堵してしまった。


「う、うん……怪我とかはしていないけど、かなりショッキングなシーンだったから、ショックが大きいというか、なんというか……」


「……姉上から聞いた。ヒヨリは平和な所で暮らしていたんだな。戦いも無く、食べ物も困らない……まるで夢の国のような場所とか」


「う、うん……」


「ヒヨリ、約束する。ここがヒヨリの国のような平和な場所では無いかも知れない、だからヒヨリの国と同じような暮らしが出来るように、俺の側に居る限り、必ずお前を守ってやる」


 ヴァイルはヒヨリの肩を抱き、自分の方に引き寄せた。


「えっ……!」


 ヒヨリの頬が目頭が急激に熱くなっていき、鼓動が激しく打つ。ヴァイルにも聞こえそうなほどに。


「だから、その……怖がらないでくれ」


 いつものの自信ありげな言葉ではなかった。言った当人が怯えているような口調だった。

 ヴァイルは見たくなかったのだ、落ち込むヒヨリを。


 海原亭の時もそうだ。ヒヨリの啜り泣き声が聞こえた時、御しきれないほどに心がざわついてしまった。


 ヒヨリはそっとヴァイルを見た。


 今、一番近くに居てくれるヴァイルが拠り所になり始めているのを実感し、「うん」とヒヨリは静かに頷いたのであった。


「……今から言うけど、最初にヴァイルたちに会った時が一番怖かったんだからね。右も左も解らないのに、脅迫まがいで問い詰めてきたりして」


「あれはヒヨリの素性が不明だったからで……」


「素性不明でも女性には優しく扱って欲しかったな~」


 出会いは最悪でもお互いのことを理解する度に、ヴァイルとヒヨリは距離は縮まっていたのだった。


「「ぐ~~♪」」


 二人のお腹の虫がタイミグ良く同時に鳴ってしまった。

 張り詰めた糸が緩んだからなのか、ヴァイルとヒヨリは顔を見合わせて笑う。


「腹が減った。何か作ってくれよ」


「うん、そうだね。島の人たちもお腹を空かしていると思うから、一緒に作っちゃうね。そうだ、ヴァイル。暇なら、ちょっと手伝ってよ」


 ヒヨリは元気良く立ち上がり、ヴァイルの手を引っ張った。


 暇ではないがヨルムンガンド海賊団は島の見回りをしており、それはガウディに任せているので、ヒヨリの護衛として食材探しに出掛けたのだった。


 一から食材を用意出来る状況では無い。余り物で手早く沢山作れて、元気になれるような料理が良いだろう。


 目についたのは宴の残り物。骨だけとなった魚の残骸や余った茹で野菜(ポータト、グラタイル、レーイク)やお酒。


「うん、充分充分。よし、まずはと……」


 洗った魚の骨を焚き火で炙った。生臭さを取り、香ばしさを出す為だ。


「骨を食うのか?」


 手伝うヴァイルが訊ねた。骨は食べられないものではないが、流石にメイン食材になるものではない。


「骨から出汁を取るだけよ」


「ダシ?」


「んー、うま味成分というか、骨にはうま味という美味しい成分が詰まっているのよ」


 鍋に魚の骨と水、白ワインを入れて、グツグツと煮だす。


 煮だしている間、別鍋に小麦粉と水を注ぎ入れ、塩も適量混ぜて、耳たぶより柔らかくなるまで練っておく。


 魚の骨から充分出汁が出たら、骨を取り除いて、塩とコショウを入れて味を調整をする。


「うん、ほどよい濃い味。これに野菜を入れて、練っておいた小麦粉をちぎって、びょ~んと伸ばして、これも投入していく。ほら、ヴァイルも同じようにして鍋に入れていって」


「ああ」


 見よう見まねで練った小麦粉をちぎり取り、平たく延ばしては次々と煮出つ鍋に入れていったのである。


 料理をするヒヨリが笑みを浮かべては、楽しんでいるようであった。その姿に心地よさを感じた。


「ヒヨリ、ところでこれは何を作っているんだ?」


「私の郷土料理、だんご汁よ。そのだんごが、ほど良く煮えたら……本当は味噌があれば良いんだけど、無いからチーズっぽいのを入れて、完成!」


 料理の匂いが広場へと広がり、


「うん? なんだこの匂いは……あの娘は異国の……あれ? ヴァイル様が料理を作っている、だと!?」


 島民たちは驚愕してしまった。あのヴァイルが料理をしている姿に。


「さあ、みなさん! お食事が出来ましたから、どうぞ取りに来てください!」


 ヒヨリが呼ぶものの、島民たちは躊躇していた。異国の娘が作った、ましてや初めて見る料理に警戒していたのである。


 そこでヴァイルはおもむろにヒヨリからだんご汁が注がれた深皿を奪い取ると、食し始めた。

 汁を一口飲む。


「これは……美味い!」


 魚の骨からの濃厚な深味に驚いてしまう。続けて、自分が作っただんごを口に入れる。モチモチと今まで味わったことがない食感が新鮮で、次々と食していき、あっという間に完食したのであった。


 初めて食べる料理だが、どこか懐かしかった。


「お、おい……」

「ヴァイル様がお食べになられたから大丈夫なんだろう」

「美味しそう」


 伺っていた島民……最初に、お腹を空かした子供たちが鍋の前に集まると、ヒヨリはだんご汁を深皿に注いで木のスプーンと一緒に手渡した。


 子供たちは先のヴァイルと同様に美味しく食べる。それを見た大人たちも堰を切ったように集まりだして、だんご汁を食べだした。


 出汁がよく取れた塩味のスープが、襲撃された不安と徹夜の疲労した身体に染み渡り、よく煮た具が柔らかく、ほっとする味だった。


「ほお、これは! スープの味が濃ゆいのも良いが、この白い具の歯ごたえが面白いし、こりゃー腹に溜まるな」

「温かいものを食べると、なんだか安らぐね……」


 だんご汁の湯気に包まれて和やかな雰囲気が生まれ、島民たちは笑顔を浮かべる。


「お嬢さん、美味しかったよ。ありがとう」


 島民たちのお礼にヒヨリは照れ笑いで返したのである。


「ほう……残り物で、よくこれだけのものを作るとはね」


 サリサもだんご汁を食しながら、ヴァイルとヒヨリを遠目で眺めていた。


 二人の初々しい姿にうすら笑いを浮かべる。かつて自分も体験したことがある淡い思いを燻らせつつも、これまで人との関わりを避けていた弟(ヴァイル)の態度の変化に、姉として、ヴァーンの頭領として喜ばしかったからだ。


「しかも、ヴァイルが料理り手伝いをするとはね……ふふ。あの子がもう少し人に対して思いやりを持ってくれるのなら、頭領の座も譲れるんだけどね……おっ、夜明けだね」


 徐々に夜が明けてきて、広場は朝焼けに照らされた。


 数件の家が燃やされて破壊されているのを明確に視認すると、怒りがこみ上げてきたが、無事だった島民たちの顔を見て、サリサは初めて安堵の息を吐いたのであった。


 ヴァーン民が無事であれば、また家を建てられる。そして、やがて国を――


 見回りをしていた島民がサリサの元に駆け寄り、不可解な内容だった為に耳元で話しかける。


「サリサ様、ダーグバッドと思わしき死体が見つかりませんでした」


「なに? それは確かか?」


「仕留めた場所やその周囲を念入りに確認したのですが、沈んでいたりはしていませんでした。もしかしたら、波にで沖に流されたのではないかと」


 その可能性はゼロでは無い。しかし、厄介事の本人(ダーグバッド)の姿がないことに一抹の不安が募ったのであった。


   ***


 ヴァーン島より遠く離れた沖合にて、ダーグバッドの船…シーサーペント号が航行していた。


「ダーグバッド船長亡き今、どうするんだよ?」


「ガンダリア帝国に行くか?」


「馬鹿。行ったところで、顔利きが居ない俺たちが行ったところ、で門前払いされるのが目に見えているだろう」


 生き残った配下たちが今後の方針について話し合っていたが、頭(リーダー)を失った集団で、話しがまとまるはずはなく、大いに荒れていた。


「待てよ、おまえら……」


 船尾から聞き覚えのある声が、かすれながらも聞こえた。


 一同が振り返ると――


「ダ、ダ、ダ……ダーグバッド様!」


 ずぶ濡れで背中がに矢が刺さり、息も絶え絶えのダーグバッドが立っていた。


「い、生きていたのですか!?」


「ああ……。泳ぎは得意でね。射たれた後、あいつら(ヴァイルたち)にバレないように水死体を演じつつ、お前らが乗ってきた小舟に掴んでいたんだよ……しかし、悲しいぜ。俺を見捨てて逃げるなんてよ……」


「そ、それは……ダーグバッド様が死んだと思って……」


「まあ、良い。俺は寛大だ。今回のことは許してやる」


「それで、この後は如何がいたしますか?」


 主力の兵士たちは討たれ、船員数も半分も失っている。ここから立て直すのには多大な時間と費用が必要になるだろう。


「ここは体制を整えつつ、他の海賊団……いや、ガンダリア帝国の協力を仰ぐ……んっ?」


 突如、辺りが暗くなった。

 まるで太陽が曇天に覆われたかのように。

 急激に温度が下がり、船に居る者たちに寒気を感じる。


「あらあら、簡単な“お使い”もできないなんて……使えないわね」


 何処からともなく声が響いてきた。


 冷たく、妖しく、恐ろしく――声を聞いた者たちは本能で恐怖を感じ取り、震えあがった。特に誰よりも身体を震わせていたのはダーグバッドだった。


 ゆっくりと振り返る。

 そこには人の姿を形どった黒い靄(もや)が立ち込めていた。


 その姿と声で目の前に存在している者の正体を知るダーグバッドは、額だけではなく全身から汗が溢れだし、呼吸も思う通りに出来なくなる。まるで、まだ海の中に潜っているような感覚だった。


「あ、貴女様は……た、大変申し訳ありません。じゃ、邪魔が入りまして……」


「邪魔が入るのは当然でしょう。だから頼んだのだから。でも、たかが小娘一人も連れてこれないなんてね……期待ハズレ。と言っても、最初から期待なんかしてなかったけどね」


「も、申し訳ございません。ただ今、島に引き返して、あの黒い髪の娘を……」


「別にそんなに必死にならなくても良いわよ。面白いと思って、ただ野望だけしかなかったアナタに手を貸してあげたけど、所詮そんなものね。用済みよ、ダーグバッド」


 黒い靄が広がり、ダーグバッドや配下たち、そしてシーサーペント号の全てを包み込んでいく。

「や、やめてくええええええーーーー!」


 ダーグバッドたちの悲鳴が断末魔の如く海上に響き渡ったのだった。

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