第五話 嵐の《ヴァーン》島で微笑んで -5-
ヨルムンガンド海賊が遠征から帰ってきた時は、無事と物資持ち帰りを祝して宴が催されるのが恒例行事だった。
娯楽や余興が少ない島では、滅多に口に出来ないご馳走にありつける一大イベント。
島の広場の中央にてかがり火がたかれては、周りを囲うように食べ物や酒が並べられ、戦士たちの帰還と海への感謝の踊りが行われた。
また今回はヒヨリやシュイット、ダーグバッドについて頭領のサリサから説明がなされた。ヒヨリたちはサリサの承諾を得たので島民たちから歓迎され、ダーグバッドへの宣戦布告に決起したのである。
宴の間、一国の王子であるシュイットに島民たちの話題が集まり、傍から見れば“ただの異国の娘”であるヒヨリ。
物珍しさレベルではシュイットに分があり、そのお蔭でヒヨリにはそれほど注目されなかった。それにヒヨリがヴァイルの嫁に迎え入れるのを内聞したからもあった。
シュイットが質問攻めで疲労の極みに達しているのを横目に、ヒヨリは肩身狭くしつつも、まったり宴を楽しめた。
ちなみに宴に出された料理は海原亭で見たようなばかりで、直火焼き物と鍋物がメインだった。脇に白い固形物があり、恐る恐る口にしてみる。
「あ、この白いの、チーズみたいな味だな」
食べるばかりではなく、また料理を振る舞いたかったが、ヒヨリは客人として扱われたのでサリサから制止されてしまい、終始陰に隠れてしまったのだ。
夜も更けて、メイン料理や酒が大方空っぽとなったので宴が締めくくられて、各々家に戻っていった。
ヒヨリの寝床として、サリサの館の一室が宛がわれた。
「あ、あのー……」
ヒヨリは恐縮ながらもかけた声に、
「ん、どうした? 何か必要なものがあったら、リイナに用意させるが?」
サリサが答えた。
その一室とはサリサの部屋だった。頭領の部屋に相応しく広やかで、豪華な家具やキングサイズのベッドが置かれており、ヒヨリは促されるままベッドに腰を落としていた。
ランプの灯りで夕焼け色に照らされて、幻怪な雰囲気を醸しだしている。
リイナの話しだと館には何部屋もあり客室も有るのが、サリサの命令でここに案内されたのであった。
「そうではなくて、なぜ私はサリサさ……サリサ様と同室なんでしょうか?」
ヴァーンの民の頭領で元王族ならば、地位が高いお方なので、失礼が無いように敬称を付けて言い直した。
サリサは上質の絹できたバスローブのような寝間着に着替えており、開けた襟元から豊満な胸が垣間見えて、女性ながらドキドキしてしまう。
「様(さま)なんて付けなくて良いよ。聞いた話しではヴァイルとかに敬称を付けてないらしいじゃないか。なーに、もう少し、あんた(ヒヨリ)と二人きりで話したかったから、ついでにね。おっと、こんな身なりだけど私は『そっちの気』は無いから安心しな」
そっちの気とは何の気なのかと中学三年生ながらもヒヨリは何となく察したが、追求しない方が身の為だと口をつぐんでいると、サリサが寝酒(ワイン)が入ったグラスを持ってベッドに入り込んできたので、念のために少しだけ距離を取った。
「……えっと、話したかった?」
「女同士しか話せないこととかね。さてと、ヒヨリ。あなたは、一体何者で、本当は何処から来たのかな?」
「何者で……何処からって……その日本という所から」
「うん、それは聞いた。で、そのニホンは何処にあるんだい?」
「それが解らないからヴァイルたちに探して貰っている訳でして……」
「そうね。ただ、そのニホンは『この世界』に在る所なの?」
意味ありげに含みを持った言い方だった。サリサは全てを見透かすように真摯な眼差しでヒヨリを見つめていた。
嘘を言うつもりはないが、もし嘘を言ったとしても簡単に暴かれてしまうだろう。
ヒヨリは事細かに、これまでの経緯を話した。
島に帰る途中で船が沈没して海に引き込まれて、海面に浮上したと思ったらヴァイルたちがガンダリア帝国の軍船を襲撃していた場面に遭遇……この異世界にやって来ていた。その後、交換条件で料理をご馳走して、嫁になれと求婚される始末。
「なるほどね……」
話しを聞き終わるとサリサは深く呟いた。
「信じてくれますか?」
ヴァイルたちにも話した内容だが、容易に信じてくれなかった。遭難して記憶が混乱しているのが都合が良い理由になる訳だ。
「ここではない別世界か……確かに到底信じられない話しだけど、これでも、ちょっと前までヨルムンガンド海賊の頭目を務めていた頃に、不可思議な体験を沢山したからね。それにヒヨリの話しを信じた方が辻褄が合うし、合点がいくわね。あのトマトケチャップの美味さは、この世界に存在しない美味しさだった。アーステイム王国の王様ですら食べたことがないものだろうしね」
実は宴の後、トマトケチャップを味見させて貰っており、この世のものとは思えない味を体験していたのだった。
「それで、元に戻れる方法を知っていますか?」
「んー。これだ! という方法は残念ながら解らないけど、そういう不可思議なことに詳しい知り合いが居るわ。一度、その人に訊ねた方が良いわね」
「ほ、本当ですか! その人は何処に居るんですか! 今すぐにでも会わせてください!」
地球に戻れる手立てが解るならば、その人に一秒でも早く会って話しが訊きたかった。
「ちょい待ち。慌てないの。残念だけど、この島ではなくアルフニルブ国という所に居るわよ」
アルフニルブ国。確か、アーステイム王国の市場で聞いた地名だ。妖精の女王が居るという。
「アルフニルブ国……そこにはどうやって行くんですか?」
「そりゃ、船に乗って、一週間程度かかるかな」
「……そこには連れて行って貰えますか? もちろん、私に出来ることなら何でもしますから!」
サリサは微笑みながら、人差し指でヒヨリの額を軽く突いた。
「慌てない慌てない。今日、ヒヨリのスフレオムレツの……花蜜を食べて、久しぶりにアルフニルブ国の花蜜を食べたくなってきたし、それに……。ねえ、ヒヨリ。他に食材があれば、他の料理も作れるだろう?」
「ええ、まあ。料理は材料次第ですから」
「だったら、もっと花蜜や砂糖とかがあったら、甘い料理とかも作れるのかい?」
「そ、そうですね。砂糖とかの甘味料があればケーキとか作りたいし」
「けーき? なにそれ美味しいの?」
「簡単に言ってしまえば、凄く柔らかいパンで、生地は甘くて、果物とかをトッピングした料理です」
「とても柔らかく甘いパンか……聞く限りでも面白いわね」
この世界のお菓子……甘い食べ物といえば、果物や花蜜といった天然食材が大半である。ケックス……クッキーというより乾パンに近い食べ物で、お菓子という部類では無かった。
「良いわ。この後、ヴァイルたちにアルフニルブ国に行って貰うわ」
「い、良いんですか!」
「物資調達(おつかい)のついでにね」
「ありがとうございます、サリサさん!」
ヴァイルだけではなくサリサからも協力して貰い、感謝の念がとめどなく溢れる。しかし、それと同時に疑念が沸いてしまった。下心や裏があるのではと用心してしまう。
そんなヒヨリの憂いを感じ取ったのか、サリサは優しく語りかける。
「前に話したけど、私たちの故郷(ヴァーン国)は失われてしまった。国を失くして……帰る場所を失った者の気持ちがよく解るのよ。それにヴァーンの民が奴隷として扱われているのも聞いているし、他人事だと思えないのよ。ちなみに、リイナやラトフはヴァーンの民ではないけど、同じ国を失くした者たちよ。だからヒヨリ、安心しなさい。ヴァーンの民、そしてヨルムンガンド海賊の長として、責任を持って世話してあげるわよ」
サリサの偽り言の無い真意の言葉に強く胸を打ち、安堵な気持ちに包まれた。ヴァイル以上の信頼感を感じてしまった。
「さてさて、ヒヨリ。ところで、ヴァイルのことはどう思っているの?」
「へっ!?」
「あの唐変木(ヴァイル)があなたを嫁に迎え入れたいとか言っていたけど、逆にあなたの気持ちはどうなのと思ってね」
「どうって……」
単純に言ってしまえば、命の恩人ではある。
その他には……我の強い所はあるが、丁重な扱いを受けていると思う。アーステイム王国でも別々の部屋だったし、航海中でも船の貴重なスペースである室内に寝所をあてがわれていた。その辺りにも恩を感じている。
海賊という荒くれ者の代名詞。万が一に備えて覚悟をしていたが、一度も襲われたりしない。嫁に迎え入れるための気遣いもあるだろうが……海原亭で一切身体に触られなかった一夜を思い出し、ヒヨリの頬に熱を帯びてしまう。
「……良い人、なんですかね。その、なんて言うか、二人きりになっても手を出してこなかったし」
「ふふ、王族の出だからね。不誠実なことはするなって、しっかり教育したし……。まあ、あいつ自身が元々不誠実を許せないヤツでもあるからね。で、ヒヨリ自身はヴァイルと結婚する気はあるの?」
「な、ないですよ! それに結婚なんて、まだ早いというか……」
「早い? ヒヨリは今何歳なの?」
「十五歳ですけど」
「十五歳って、なんだ適齢期じゃないの」
「適齢期って……」
二百年ほどの昔の日本でも、その年齢で結婚するのが普通だった。また、現代でも女性が結婚できる年齢は十六歳からと法律で定められている。もっと細かく言えば、実は戦前(第二次大戦前)の法律では女性は十五歳から結婚ができていた。
十五歳での結婚は、特段早いという訳ではないのだが、平均寿命が延びて、医療が発達した現代の基準からすると大きくズレ始めている俗習であった。しかし、この異世界では昔の俗習の方が基準となっているのだ。
サリサを注視する。自分より年上の外見であり、見目麗しい顔立ちに抜群のプロポーション。先の結婚話しから、当然サリサの方はと気になった。
「……ちなみに、サリサさんはご結婚をなさっているのですか?」
サリサは首は横に振った。
「残念ながら独り身よ。一応、一国の姫だったから許嫁相手の一人や二人は居たけど、国が滅びた後ではご破談になったわ。で、混乱と多忙が続いて婚期を逃しちゃった」
「す、すみません……」
地雷を踏んでしまったと気まずさを感じたものの、サリサは他人事のように関せず、寝酒を一口飲んだ。
「……良いのよ。当人たちが望んでいた婚姻ではなかったし、けど、その経験があるから無理強いの結婚とかに嫌気が差すのよ。だから、私の目が黒い内はヴァイルが何を言っても黙らせるから。大切なのは結局はお互いの“ここ”だからね」
と、サリサはヒヨリの心臓がある場所を軽くノックした。
それは“気持ちが大切”だと表していたのだろう。
初めての出会い(ファーストコンタクト)は、いきなりヴァイルを殴り飛ばしたので、恐ろしい人だと思っていたが、頭領として難民やヨルムンガンド海賊たちをまとめている。また、第三者に対しても対等な扱いで、気兼ねなく会話してくれるのが何よりも心を和ませてくれたのであった。
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