第五話 嵐の《ヴァーン》島で微笑んで -1-

 ヨルムンガンド号は波に揺られて、ヴァイルたちヨルムンガンド海賊の本拠地が在る―ヴァーン島を目指していた。


 晴れやかな空が広がり、追い風に吹かれて、航海は順調だった。アーステイム王国の領海内でもあるので、ガンダリア帝国の軍船や不法海賊たちと遭遇する可能性は低い。


「甲板掃除しとけよ、シュイット!」


 一番年少のトーマから呼び捨てにされたシュイットは手渡されたモップで、甲板をぎこちない手つきでゴシゴシと力無く擦る。


 王子と言えど、正式にヨルムンガンド海賊の一員となったので、様付けせずに呼ばれ、また新入り扱いなので雑用を言いつけられていた。


 慣れない環境でシュイットは苦悶を浮かべていたのを、ヒヨリが気遣う。


「シュイット、船酔いの方は大丈夫?」


「ええ、大丈夫です。ちょっと気分が悪いですけど、前に比べては軽いですから」


「もし体調が悪くなったら言ってね。あの薬を渡すからね」


 とはいっても、酔い止め薬はあと二個しかない貴重品ではあるが、体調が優れない人間が船に乗っているのは危険なので惜しまないつもりだ。


「そういえば、シュイット。差し入れのコロッケはどうだった?」


「差し入れ……ああ、あの揚げ物の料理ですね。すっごく美味しかったです!あれは、ヒヨリが作ってくれたのですね。王宮料理でも食べ事がなかったです。あれは、ヒヨリの郷土料理なのですか?」


「うん、コロッケというの。ヴァイルたちも喜んで食べてくれたから、大丈夫だと思ったけど、お口に合って良かったわ」


「心惜しくは、もっと食べたかったですけどね」


「え? 五個もあったんだけど、それで足りなかったの?」


 シュイットは女性も羨ましがるほどの細身だけに、意外と大食漢なのかと我が目を疑ってしまう。


「五個? いえ、二個しかありませんでしたけど?」


「二個……」


 ヒヨリとシュイットの横をトーマが素知らぬ顔で通っていく。


「ちょっと、トーマくん」


 ヒヨリが優しい声で呼びかけると、トーマは背中をビクっと震わせた。


「たしか、五個のコロッケをトーマくんに渡したよね。それがなんで、シュイットに届くまでに三個も消えているのかな?」


 トーマは視線が横へと泳ぎつつ、しどろもどろに答え始める。


「……えっと、ヒヨリ様が温かい内に届けて言ったから、急いで走って、そしたらコロッケが落っこちて。落ちたものを食べさせるのは悪いので、自分が食べた」


「あーそうなの。それならしょうがないけど……コロッケが落ちたのは本当なの?」


 微笑みを浮かべたヒヨリの問いかけに、トーマは顔をそっぽに向けては、


「ほ、本当だよ……」


 自信無く、小さな声で答えた。


 その態度で子細を察する。自分(ヒヨリ)にも覚えがあり、大方つまみ食いをしたのであろう。


 しかし、行く前にもコロッケをかなりの数を食べていたのにも関わらず、つまみ食いされてしまった冥利もあった。


「そうなの……それならしょうがないけど、今度は気を付けなさいよ」


 ヒヨリはトーマの額を人差し指で軽く押し突いた。

 てっきり怒られると身構えていただけに、トーマは肩透かしを食らった。


「でも罰として、トーマくんはおやつのクッキーは無しね」


「えっ!? そんな!」


「ほらほら掃除しないと、ヴァイルたちに怒られるわよ」


 ヒヨリは船室へ向かう中、トーマは平謝りをしつつ後を追っていく。


 ヒヨリたちの和気藹々なやり取りを、船尾の操舵場にてヴァイルとガウディが伺っていた。


 海賊という職柄、殺伐としているのでヴァイルを始め船員たちは無愛嬌者が多い……というより、ラトフの気さくさが異例なのだ。


 トーマの子供っぽい態度にガウディは、その主因である人物(ヒヨリ)に視線を移す。


「あのお嬢さん(ヒヨリ)、なんだか元気になったというか明るくなられましたね」


「そうか?」


 ヴァイルは少々不機嫌な声で返した。

 ヒヨリがシュイットと仲良くしているからではなく、これから向かう場所に居る人物に対して、どう応対するべきか憂慮(ゆうりょ)していたからだ。


 ガウディは主(ヴァイル)の心模様を知りつつも話しを続ける。


「救出した頃は私たちを警戒しているようでしたが、少しばかり心を許してくれている感じですね」


 アーステイム王国に入国する前は、ヒヨリが笑っているところを見た覚えはなかった。


「本当に何をしたんですか、ヴァイル様? 真夜中にヒヨリ様の部屋に入っていきましたよね」


 いつの間にかラトフがヴァイルたちの横に立ち、いやらしい笑みを浮かべていた。


「……ラトフ、見ていたのか?」


「そりゃ、ヴァイル様とヒヨリ様の護衛ですからね。いつなん時でも見張……じゃなくて、見守っていますから。で、何があったんですか?」


「……別に何もしていないよ」


「えー、男女二人きりっで何も無い訳が……」


 部屋に入っていたのを見ていたのなら、ヒヨリの泣き声も耳にしていたはず。何かをしていたかは把握しているだろう。いつものタチの悪いからかいだ。


 ヴァイルは今に手斧で切りつけようと言わんばかりに睨み、これ以上触れるのは身の危険に及ぶとラトフは黙り込んだ。


「サボってないで、ちゃんと仕事をしろ」


「へいへい、と言っても、そろそろ島が見えますよ。我が愛しの住処の島、ヴァーン島が!」


 前方の遠くに、僅かに島の姿が見え始める。

 船員たちは久しぶりの島に心を躍らせるが、ヴァイルは憂鬱のままだった。

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