第17話ミャンマー オールドバガン・ナイスカフェ
「ここだよ。ベリーナイス、カフェだろう」
僕が日本人だから理解できないのか。それともマオルがまた適当な事を言っているのか。どちらとも判断がつかない様な微妙な店構えの喫茶店の前で馬車は停まった。
この店も例のごとく半露天だった。先ほど僕のワガママで立ち寄った喫茶店と違うところといえば、馬車を降りた途端に店の人間が変な作り笑いで出迎えないところくらいだろうか。値段も少しだけ安いようだった。
「ミスター、中で少し待っていてくれ。俺は買い物をしてくる(多分そんな感じの英語)」
マオルは僕を一人店内に残して何処かへ行ってしまった。
もしかするとこのままここに置いていかれるのか。そうなると帰りはどうすればいい?現金は?今幾ら持っていたっけな?そんな事を頭では考えながら、実際は悠長にアイスを食べて煙草をふかしていた。
「ミスター」
予想に反してマオルが数分で戻って来た。手には何かを持っている。
「それ、何?」
マオルがいかにも聞いて欲しそうな顔をしていたので仕方なく質問してみた。
「こいつかい?こいつはな、俺の魂さ」
そう言ってマオルが差し出したのは二枚の写真だった。そこには軍服を着た男性とどこかで見たことのある女性がそれぞれ写っていた。
「この人って…」
「ジェネラル・アウンサンと娘のスー・チーだよ」
そうだった。女性の方は中学だか高校の教科書で見たことのあるアウンサンスーチーその人だった。そう言えば彼女はミャンマーの人だったな今更になって思い出した。
「将軍は俺たちミャンマー人の父で、スー・チーは俺たちの希望だ」
そう語るマオルの目はいつになく真剣で、家族の物よりもこの二人の写真を大事そうに扱っていた。
「その写真をここで買ったの?なぜ?」
「ここでしか売ってないんだ。ここは友達の店なんだ」
2016年現在とは異なり、僕が旅した時分のミャンマーはまだ軍国主義の状態にあって、アウンサンスーチー氏も軟禁されていた。それゆえ彼女や父親であるジェネラル・アウンサンの写真は大々的に売ったり所持したりする事を禁じられていたそうだ。
何故アウンサン・スーチー氏がマオルにとって希望なのか、今はどういう状況なのか、もっと突っ込んで話を聞きたかったが僕と彼の英語力には限界があり彼が彼女たちを崇拝し今の政府に不満を抱いているんだろうなと推測するのがやっとだった。再度、情けない気持ちになっていた。
「さて、そろそろ帰るかい?もうすぐ迎えもくるよ」
「ああ。頼むよ」
僕はこの陽気なお調子者がこの笑顔の裏で色々な苦労や理不尽と毎日戦っている事を少しだけ知った。
帰りの道中、マオルが僕に色々と質問してきた。家族は何人だ?とか。恋人はいるのか?とか。好きな音楽はなんだ?とか。
僕の語学力で答えられる限界もあったが、好きな音楽に関しては盛り上がった。何せ僕も自分で音楽をやっていたくらいの人間なのでこの話題には熱が入る。
「アメリカの音楽は聞く?」
僕がマオルに訊ねると、彼はもちろん!と胸を叩いてみせた。
「マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストンも好きだけど、最近はやっぱりエイコンが好きだな」
「AKON!!本当に!?」
驚いた事にマオルはその当時それなりに流行っていたAKON(エイコン)というR&Bシンガーの名前を出してきた。正直、ミャンマーは閉鎖的な国だから流行なんかも割と遅れていると思っていたのだが、どうやらそんな事もないようで彼と僕とのトレンドにそこまでの時間差はなかった。
「曲は?何が好き?」
僕は途端に食いつきを見せた。マオルは少し驚いた顔をしたが彼も得意になって色々としゃべりだした。
「そうだなあ。『Don‘t Matter』なんか好きだね」
「わお!僕も好きだよ!」
そう言うとマオルは拙い発音で歌いだした。僕はいきなり楽しくなって、負けじと拙い発音でそれに続いた。
「Nobody wanna see us together.But it don`t matter,no」
「サガーキュービン!!」
歌詞の中でどう聞いても「佐川急便」にしか聞こえない部分があってそこの空耳でよく友達と笑っていたのを僕は思い出していた。流石に日本語の解らないマオルにこれを伝える事は出来なかったが、彼も何だか楽しかった様で一緒になって笑ってくれた。
ひと昔前に日本の有名なミュージシャンが
「音楽に国境なんてない」
みたいなキャッチフレーズでCDショップの広告に出ていたが、当時の僕は「何言ってんだコイツ嘘くせー」くらいに捉えていた。
しかしその数年後に日本から遠く離れたミャンマーの地で、遺跡と砂漠に囲まれながらロクに英語も喋れないクセにミャンマー人の男とアメリカの歌を歌っている。これを「音楽に国境なんてない」と言わずして、なんと表現するべきか。あらためて音楽の持つ底力を知った瞬間だった。
「日本の歌も知ってる」
マオルはそう言って別の歌を歌いだした。
「ウーエーヲムーウーイーテー、アールコォウオウオウ」
「上を向いて歩こう!?」
坂本九の名曲がアメリカで「SUKIYAKI」というタイトルでカバーされていたのは知っていたが、まさかそれがミャンマーまで来ているとは思わなかった。
異国の人から聞かされる母国の歌は、何か心にくるものがある。僕は一層嬉しくなって大声で歌った。
久しぶりに日本語の歌を歌って、忘れかけていたホームシックが顔を覗かせた。エイコンの歌も手伝って、家族や友達の顔が頭を横切り僕の涙腺はまた大打撃をうけていた。
マオルは相変わらず下手くそな日本語で熱唱し続けた。
「ミスター、ありがとう。楽しかったよ」
最初に降ろされた場所まで戻ってくると、既に迎えの車がやって来ていた。
「マオル、ありがとう。僕も楽しかった」
実際、僕が楽しかった時間は全体の一割に満たない部分のだがそれでも僕にとっては十分彼に感謝したくなるほどの体験だった。
僕らは硬く握手を交わしてお互いの肩を手のひらで叩いた。
「ミスター、次は家族で来なよ。ミスターのお母さんもお父さんも、みんな俺が案内するからさ」
「ああ、必ずくるよ、必ず皆連れてくる」
僕がそう言うとマオルは今までにないくらい、とても素敵な顔で笑った。
「約束だ」
「イエス、オフコース」
多分、マオルも僕もこれが恐らく今生の別れになることを解っていた。それでも、「もう二度と会えないかも」と言うよりも「また必ず会いましょう」と言って別れる方が良い事を僕らは自然と理解していたのだろう。
僕は「バーイ」と言って車に乗り込みその場を去った。後ろは振り返らなかった。
あれから六年が月日が経過したが、マオルは今頃どうしているのか。相変わらず鼻歌を歌いながら土産物屋と喫茶店を周り、だだをこねる客に家族の写真を見せて小遣いを稼いでいるのか。そして時々、日本人観光客相手に「SUKIYAKI」を歌っては、大きな声で笑っているのだろうか。
こんな風に、僕のオールドバガン遺跡巡りは幕を閉じたのである。
続く
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