第1話 タイ スワンナプーム国際空港
成田空港からタイ、スワンナプーム国際空港へ直行便。それが僕の選んだルートだった。いくらバックパックの旅と言っても始めから厳しい環境に身をおく必要はない。そう考え、いきの便は普通のランクを選択した。所要時間、約七時間と少し。
あらかじめ空港でのやり取りについて調べていた僕は、イミグレーションを何の問題も無く通過して無事にタイの空港出口まで辿りついた。何もかもが順調にみえた。まずい事にこの時の僕は「なんだ。海外ちょれえわw」と思い始めていた。
浮かれ気分の僕はさっそく空港から第一目的地であるカオサンロードに向かう事にした。
カオサンロードは世界中のバックパッカーの聖地と呼ばれており、さまざまな国の旅人たちがそこに集うとされていた。通称「アジアの玄関口」。ベトナム、ラオス、カンボジア、インド、ミャンマー等々。周辺の東南アジアを含む国々に行くにはこれほど便利な場所はない。まるでファンタジー小説に出てくる冒険者の町のさながらである。安宿に道具屋、美味い飯屋に酒場。そして何より膨大な数の情報が集まる場所。それがカオサンロード、らしい。その時の僕はまだカオサンがどういう所か見当がつかなかったのだ。しかしカオサンロードに行けばなんとかなる。これも事前にネット調べておいた情報だった。今考えてみれば、楽天的なただの阿呆である。しかしその時の僕はただただ無知であった。
なにはともあれ、僕は冒険の準備をする為にカオサンロードを目指す事にした。
しつこい様だがこれも下調べによると、バスで行くのが安くて便利という事だった。そこで僕は空港のインフォメーションでカオサンロードまでのバスが何処から出ているか聞こうと考えた。しかし何というか情けないことに僕は英語がほとんど解らなかった。 致命的な事だと今なら思える。
海外に一人で旅行に行く。ツアーでもない。知り合いもいない。帰りのチケットも買っていない。なのに英語が解らない。ほとんど、というか全く解らない。再三の例えになってしまうが、僕はレベル1の冒険者のくせに丸腰でフィールドに出ていた。ここでRPGゲームなら親切なガイドキャラクターが止めてくれてチュートリアルが始まるところだろう。でも人の生き方にチュートリアルは存在しない。
僕は単語を適当に並べただけのお粗末な英語でインフォメーションのお姉さんにカオサンロードまで直通で出ているバスの乗り場を尋ねようとした。当たり前だが通じるワケがない。彼女は「waht?」と「sorry?」を繰り返すばかりで次第に不機嫌な顔つきになっていった。それでもしつこく食い下がる僕は自分がカオサンロードに行きたいという事だけはどうにか伝えられた。インフォメーションのお姉さんは半ばあきれ顔で一言。
「TAXI」そう言った。
そう、それもひとつの選択肢だったのだ。しかしながらタクシーはどうしたって値が嵩む。飛行機で出だしから金を使い過ぎていた僕はどうしてもここで節約したかった。しかし自分の英語力の無さはどうしようもない。仕方なく彼女の言う通りタクシー乗り場に行くことにした。
インフォメーションからほんの数十メートルしか離れていないので場所はすぐに解った。サイケデリックなカラーのタクシーが列をなして客を待ち構えている。ここは日本のタクシー乗り場と同じルールで前から順番に乗るようだ。
僕が一番手前のタクシーに乗り込もうとすると空港のスタッフに遮られた。
「何処まで行きますか?(英語)」
「えー、あー」
正直一瞬のことで軽くテンパっていた。しかし彼は僕の買ったばかりのバックパックを一瞥するやいなや
「カオサンロードですか?」
と聞いてきた。
なるほど。流石はタイの空港スタッフと言ったところだ。バックパッカーが何処へ行こうとしているのか大体心得ているのだろう。
「イエス!」
僕がここ一番の大声で言うと
「では少しお待ちください。手配します(多分こんな感じの英語)」
僕がタクシーの前で待っているとスタッフが一枚の紙を持ってきた。その紙には英語とタイ語で何やら色々な事が書かれていて、僕にはさっぱり読めなかった。どうやらその紙は複写になっていて、スタッフはその一枚を僕、そしてもう一枚を僕が乗ろうとしていた一番手前のタクシーに渡した。
「どうぞ、乗って下さい(おそらくそんな感じの英語)」
僕には何が何だか解らないまま割とボロいタクシーに乗り込んだ。運転席にスタンバっていたのは如何にも胡散臭い顔つきのオヤジだった。
「ハロー、カオサン?」
「イエス、カオサン」
僕は馬鹿の直感でこのオヤジが僕とほぼ同等の英語力しかない事を瞬時に悟った。一抹の不安が頭をよぎる。
「オーケー。レッツゴー」
こうして発進したのだが僕は不安で一杯だった。何しろこっちもあっちも英語が喋れないんじゃコミニュケーションがとれない。本当にカオサンに着くのだろうか。
そう思っていた矢先、空港から少ししか離れていない場所でオヤジが突然車を停めた。
もう着いたのか?いやそれは無い。事前調べによれば高速道路を使っても空港から車で一時間半以上はかかる。では一体どうしたのか。
オヤジは車のエンジンをかけたまま僕に向かってやや引きつったうえになんとも汚い笑顔でこう言った。
「チケットをくれ」
最初は何の事か解らなかったが親父の身振り手振りで、それが僕がさっき空港スタッフからもらった謎の複写紙だという事が理解できた。
「ああこれかな」
そう言って僕が紙を差し出すと
「イエス」
と言いぶっきらぼうに僕の手からひったくった。
さて、良い加減この謎の複写紙について説明せねばらならい。
これは俗にいうタクシーチケット(そのまま)というヤツである。これには客が空港スタッフに伝えた行き先、日付け、おおよそかかるであろう料金。そしてタクシー運転手の名前と車のナンバーが書いてある。何故こんな物が存在するのか。それはタイでは法外なタクシー料金を観光客に請求するボッタクリタクシーの被害が後を絶たないからである。所謂、無届けでやっている白タクだけでなく、ちゃんと国が認めたタクシー会社のドライバーまでがボッタクリ行為を行っていた様で、その鎮圧に向けタイ政府が発行した物であるらしい。どうやってこの紙っペラ一枚でボッタクリドライバーを取り締まれるのか。このチケットはご存知の通り複写になっている。ドライバーが真っ当であれば目的地到着後に捨てても良し。しかしもし、運悪くボッタクリドライバーだった場合、被害者はこの複写を空港スタッフもしくは然るべき場所に届け被害を訴え出なくてはならない。そうして後、被害を受理した政府によってボッタクリドライバーはあえなく御用となるわけである。もちろん免許の類は剥奪になり彼らは職を失うだろう。
僕の考えではこのチケットを使う云々というよりも、このチケットの存在自体がボッタクリ被害の抑止になっていたのではと思っている。
そして僕は、その抑止たるチケットをいとも簡単にこの胡散臭いドライバーのオヤジに渡してしまったのだ。
この胡散臭いうえにヤニで汚れた汚い笑顔のオヤジがこの旅で一番最初に僕を詐欺に引っ掛けた通称「ボッタクリドライバー1号」であった。
つづく
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