第2話 タイ ランプトリ通り

異国のタクシーに揺られながら僕は不安と戦っていた。


このまま無事に目的地に着けるのか。それとも全然別の場所に連れて行かれるのか。薄汚れた窓から見える景色は当たり前にどこまで行っても見たことの無い場所で、距離を重ねる毎に不安も増していった。


ドライバーのオヤジとは


「ハイウェイ、オーケー?」


「イエス、オーケー」


というやり取りがあったっきりもう一時間以上、ひとことも話していない。オマケにオヤジが選択した高速道路は凄まじく混んでいて運転する側も乗る側もイライラが募っていた。


色々な意味で不安だ。僕はストレスでタバコが吸いたかったが、悲しい事に車内で吸っていいのかそれを聞く英語力もなかった。


ようやく車が停まったのは、空港を出発してから実に二時間半が経過した頃だった。


オヤジが停車した場所はやや狭い通りのど真ん中で明らかに車道とは言い難い。すぐ隣では屋台がフルーツを売っているし、さっきから脇を欧米人とおぼしき連中が歩いて通り抜けている。もう少しマトモな停車場所はなかったのかとも思ったが、どうやらそこはゲストハウスの前だった。


「着いたぞ(多分そんな英語)」


オヤジは後ろを振り向いてそう言った。


え?本当に? ここがカオサンなのか?僕が下調べで見た画像のカオサンロードとはあまりに違う場所だ。


「カオサン?」


僕は外を指さしてそう尋ねた。言っても自分は素人だ。タイの地理はまるで解らない。もしかしたらここがカオサンロードなのかもしれない。僕は確認の意味も込めてそう聞いたのだ。しかしオヤジから出て言葉は予想外だった。


「違う。ここはカオサンロードじゃない。ランプトリだ」



『タイ人てのは嘘つきとか言葉が解らないとかって言うより単にアタマがイかれてると思った—————当時の日記より引用』


なんでコイツは再三に渡ってカオサンロードにと言ったのに全然違う場所に来てるのか。流石にこれは僕も憤りを隠せない。


「ノー!カオサン!プリーズ!ゴーカオサン」


しかし抵抗も虚しくオヤジは平然とした顔でいる。指二本で足を作りピョコピョコ動かしてみせこう言った。


「ウォーク、カオサン、ファイブミニッツ」


歩け、と言っているようだ。それ位は僕にも理解できた。理解は出来たが納得出来ない。出来るわけがない。


今の僕なら


「フッザケンナこのファッキンハゲ!良いからカオサンまで行けこのヤロー!」


くらいは言えるだろう。しかし当時の僕は弱く、ただ黙って頷いたのだった。信じられないかもしれないが、異国で自分の意思を伝えられないというのはそれだけで弱い立場に立たされてしまうのだ。


コンビニやなんかで言葉がまだ上手くできない外国人アルバイトが、上司や客から虐められている光景をよく目にするだろう。それらによく似ている。


僕はもう諦めてオヤジのいう通りカオサンまで歩く事にした。既に日も暮れてきていたし、異国でいきなり夜に出歩くのは避けたい。早急にカオサンに行って宿を探さないと。


僕は財布を取り出して空港で両替しておいたタイバーツを取り出した。


「ハウマッチ?」


僕の問い掛けに対しオヤジは待ってましたと言わんばかりの顔で料金を提示した。


「1,600バーツ」


「は?」


耳を疑ったのはこの短い期間に二度目。タイに着いてから空港で飲み物を買っている為その料金との比較はできる。僕が泊まろうと目星をつけていたゲストハウスの料金が一泊150バーツ。1,600バーツがかなり高額な事も解った。しかし僕は抵抗できない。何故なら、空港からここまでのタクシー料金の相場が解らないからだった。オマケに高速も乗っている。もしかすると、タイのタクシー料金はこんなものなのかもしれない。そう思い始めてしまった。何より、「高いよ!」という英語も解らない。


僕が色々考えて渋っているとオヤジは眉間にシワを寄せた。


「プリーズ、1,600バーツ。じゃないと車から降ろさないぞ(的な英語)」


僕はオヤジの雰囲気にすっかり気圧されてしまい、渋々1,600バーツを支払ってしまった。


「サンキュー」


オヤジは例の胡散臭い笑顔を見せドアのロックを解除すると、僕に降りるよう促した。


見知らぬ土地でまったく予期せぬ場所に降ろされ方角すらも解らない。オマケにどうやらボッタクられた様で、僕は狭い道に立ち尽くし途方に暮れていた。


喉が渇いていたのと何か腹に入れなければと思ったのでひとまずセブンイレブンに入った。


購入したサンドイッチとコーヒーで合わせて50バーツ未満。この金額を見たとき、改めて自分が騙された事を痛感した。


果物と水の腐った様な臭い。うだる様な暑さ。飛び交うムニャムニャとした異国の言葉。色々な物が一度に押し寄せて来た。自分の無知と認識の甘さが悔しくて、僕は少しだけ泣いてしまった。


タイに到着して四時間と少しだったが、僕はもうすぐにでも日本に帰りたくなっていた。


続く

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