第3話 タイ メリーヴイゲストハウス
『とにかく今日の宿を探さなくてはいけない』
こんな漫画か小説の様なセリフがまさか自分の頭上に降って来るとは思ってもいなかった。だが東南アジア旅行一日目、四時間と少し経過。僕はまだ宿無しだった。
70リッターもあるバックパックが途端に重く感じ、買ったばかりのコーヒーとサンドイッチを食べる場所を探す前にまず宿を探さなくてはいけない事に気が付いた。
ひとまずさっきボッタクリドライバー1号に降ろされた場所に戻ってきた。不幸中の幸い、もしくはあのボッタクリドライバー1号に残さたせめてもの良心なのだろうか。そこは割りかし綺麗なゲストハウスの目の前だった。
ひとまず部屋が空いてるか聞いてみようと思い中に入った。しかしそこはロビーとは呼べない程の広さでクーラーもロクに効いていない。しかも受け付けをやってるのがどうみても中学生にしか見えない女の子だった。イヤホンをしながらペラペラとノートをめくっている。どうみても満室には見えない。
ここにきて臆病になっている僕だったが既に外は暮れ始めている。当て所もなく彷徨うのは賢くない。ひとまずここに一泊して、もし良くなければ明日出て行けば良い。僕は事前に調べたとっておきの英語を繰り出した。
「部屋はありますか?」
実はこれだけは必須だろうと思われる英会話をあらかじめかい書き出しておいた。残念な事にそこには「高いよ!」と「バスで○○まで行きたいんだけど」という文は書いていなかった。
「もちろん、一人?」
「え?」
「一人でしょ?」
「ええ、ああ、イエス」
質問の意味はあまり解っていなかったがとりあえずイエスと答えておいた。
「パスポート」
彼女にそう言われて僕はゴソゴソと自分のパスポートを取り出す。慣れた手つきで受け取って僕のパスポートナンバーやらをデカいノートに書いている。
ゲストハウスによって自分で書いたり、スタッフが書いてくれたり様々だが外国人観光客は何かあった時の為にパスポートナンバーを控えられる。
「オッケー。前金で250バーツね。チェックアウトは明日の11:00。連泊したいならそれまでに追加の料金を払いに来て」
大体こんな事を言っていた。というのもたどたどしい日本語で書かれた紙を片手に説明してくれた。僕はこれを見て心底ホッとしていた。日本語表記があるって事は少なからず日本人客が来るってことだ。僕がただひたすらにカオサンロードを目指したのは、これが目的だった。
カオサンロードに集まるバックパッカーの数は計り知れない。日本人の数もまた然りだ。しかも彼らの半数以上は旅慣れたアジア上級者が多く、その特質として自分が旅で得た情報を頼まれてもいないのに細かく提示してくれるところにある。時々は煙たく感じるが、僕の様な初心者にはそれが何より欲しい物だった。
『ガイドブックがなくったってカオサンの日本人宿に行けばなんとかなる』
何かの本にそう書いてあるくらい、とにかくカオサンには旅人が多かった。
運悪くカオサンには辿り着けなかったが明日その日本人宿を探せば良い。何しろ時間は殆ど無限にある。僕の旅に期限はない。それに、このゲストハウスにだってアジア上級者の日本人が泊まってるかもしれない。そうすればその人から美味しい店や面白い場所を教えてもらえる。
受け付けの少女から部屋のキーを渡されて、僕は二階へ登っていった。
全体をそれとなく見回してみると、雰囲気がなんだか学校や公民館の中の様に感じた。清潔感はあるのだが、生活臭がまるでしない。壁は一面白で統一されていて安くてキツい洗剤の匂いが漂っている。そこら中にタイ語と思しき言葉が飛び交い、宿なのに落ち着かない雰囲気だ。
僕の部屋は203号室で、だいたい六畳無いくらいの広さだった。グレードの低い部屋なのでクーラーは無い。代わりに大きなファンが天井に着いていて、窓を少し開けながらファンのスイッチを入れると随分涼しくて過ごし易かった。ドアには少し頼り無いが鍵も着いていた。
僕は部屋の大半を占める硬いベッドに腰掛けバックパックを降ろし、大きなため息をついた。
一日目からなんて旅なんだ。タイってのはこんなに酷い所なのか。ここは『微笑みの国』じゃなかったのか。
僕はタバコに火をつけて咥えたまま窓を覗き込んだ。外はもうすっかり暗くなっていて、早くも酒に酔った連中の叫ぶ声やズンズン響くベース音が聞こえていた。
なんか違う。僕が想像していた一人旅と何かが違う。もっと格好良い物ではないのか。出だしから半べそかいてるじゃないか。既に僕の帰りたさは、かなりの度合いになっていた。
その後、コンビニで買ったコーヒーとサンドイッチを食べてすぐに眠りについた。外に出ようなんて気にはさらさらならなかった。
『1,600バーツなんて高過ぎるだろボケ———————当時の日記より引用』
続く
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