盗難アジアバックパック記

三文士

第0話 日本から旅立つ

「早く1,600バーツ払ってくれ。じゃないと車から降ろさない」


タクシー運転手の男は拙い英語でそう言った。特にすごむ風でもなく、かと言って冗談ではない真面目な顔で詰め寄る。冷静に考えてみればここで喧嘩するなり荷物を持って無理やりにでも降りてしまえばよかったのだ。しかしこの時の僕にはそんな事を考える余裕はなかった。何せ僕はまだタイに着いて、三時間くらいしか経っていなかったからだ。


もう家に帰りたかった。





今から五年も前になる。僕はその当時二十歳から続けていたバイトを辞め、長期の海外旅行に出る決心をしていた。


理由はごく簡単で、その当時の僕を取り巻いていた環境を一度全てリセットしてしまいたかったからだ。今考えてみると随分身勝手な話だと思う。


当時僕は長年組んでいたバンドを解散してソロで活動していた。と言っても到底音楽では食っていけない状況で僕が音楽活動を辞めても困る人はあまりいないと思っていた。そう自分に言い聞かせていた。有り体に言ってしまえば、僕は逃げ出したのだ。自分の音楽が世間に認められないという事実。大学にもいかずやり続けた音楽が芽が出ないという事実。周りの友達たちが少しずつ大人になっていくという事実から、僕は逃げ出したかった。


そこで見つけたのが海外というかっこうの逃げ場所だった。海外だったら誰も僕に説教を垂れないだろう。僕はそう思った。


僕は一応その当時の僕に出来る精一杯の力で一枚の自主制作ミニアルバムを作り自分なりに目処をつけ、海外に逃亡を図った。今思えばそのミニアルバムを作るに当たり、大変多くの方にお世話になった。ジャケットを作ってくれたデザイナーさんに音楽雑誌を紹介してもらいニューエイジとして特集してもらったり。ミックスマスタリングをしてくれたプロデューサーさんは怒りながらも僕の知らない所で凄く僕を売り込んでくれたり。「今時自主制作のCDなんて売れないよ」と言った音楽事務所の社長さんは、それでも僕をローカルのラジオ番組に紹介して出演させてくれたり。何よりも僕の身勝手な理由で解散したにも関わらず、ミニアルバムの制作に携わってくれたうえに盛大にリリースパーティをしてくれたバンドメンバー達。彼らには感謝してもしきれないくらいの世話になった。


にも関わらず、当時の僕はお構いなしに逃亡を図る。


もしかすると、あの時もう少し真剣にプロモーションしていたら、違う今があったかもしれない。だが同時に、あの時無理にでも海外に行かなかったらここでこんなエッセイも書けていない。そのどちらの未来も、僕にとっては天秤にかけることのできない魅力的な人生だと思っている。


のっけから結論を言ってしまうと、東南アジアを旅したあの二ヶ月のおかげで僕は今、とても幸せである。主に心の豊かさ、という意味で。もちろんそれは今にしてみればの話である。旅をしていた時の僕は自分で決断した事なのに家に帰りたくて仕方なかった。心から旅をしたいわけではなく現実から逃げ出したかっただけという何よりの証拠である。身体はアジアの旅の空にあったが、心は依然として実家の部屋にあるままだった。


それでは少しだけ長くなるがしばらくの間、お付き合いください。

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