第8話 ミャンマー 町のレストラン
信号すらロクにない道路を渡る。とぼとぼと暗がりを歩いてゆき僕は一軒の小さなレストランにたどり着いた。そこはせいぜいニ十人ほど入れば一杯になってしまう様な狭い店で、店員も店先に一人厨房に二人という小規模で経営する場所だ。半露天というか店にはドアという物が無く、そのまま外にテーブルとイスがはみ出している。
僕が店先に立つと直ぐにウェイターが飛んで来て、向こうの言葉で何かを言ってきた。僕は身振り手振りで言葉が解らない事を伝えると、彼もまたジェスチャーで席に案内してくれた。
何軒かのゲストハウスが近い事もあって外国人の客はさほど珍しくないのかもしれない。メニューには英語が表記されていた。しかし僕はと言えば安定の英語力である。アルファベットが並んでいるだけでもう読む気が起きない。
僕はこの時生まれて初めて
「あの隣の席の人が食べる物と同じ物をください」
というヤツをやってみた。
もちろん拙い単語混じりのジェスチャーで。普通なら通じないだろう。しかしこの店のウェイターは勘の良い人らしく
「オーケー」
と言って微笑んでくれた。僕はついでに何処の国でも必ずある万能飲料「コーク」を注文し、ようやくひと息ついた。
店の中で真ん中に位置する席に座り周囲をグルッと見回す。どうやらここはタイで散々世話になったカフェとは違って観光客よりも地元の利用客が多いようだ。一人で来てるオッさん、集団で来てるオッさん、兄さんと来てるオッさんなど割りかし賑わいをみせていた。客層は主にオッさんである。
注文を取りに来てくれたウェイターは中学生くらいの年齢の男の子で、大人顔負けにちょこまかと忙しく働いていた。他のウェイターも同じくらいの子供である。
タイでもよく見かけたのだが未成年、というか日本ではまだ義務教育の範囲にいる子供たちが昼夜問わず働いているのを頻繁に目にした。それは家のお手伝いで働いているというよりも、いち従業員としてという様子だった。何故そう思ったのかと言えば、彼らの表情や勤務態度がみな立派に店の従業員としての物だったからである。
働いている彼らは一様にみな真剣そのもので
「俺たちを舐めるなよ」
とでも言いたげな表情なのである。
その熱意に溢れる顔に感動してしまって、写真を撮っても良いかと交渉してみる。すると途端に幼い表情に戻り首を横に振って恥ずかしがる。それがまた、なんとも言えず純朴で愛らしいのだ。
ミャンマーで働く子供たちは、みな優しくて暖かい笑顔をする。
程なくして注文したメニューが運ばれてくる。コークはいつも通りすでに到着済み。僕の目の前に置かれたのは見た事もない異国の料理、ではなくチャーハン。まごう事なきチャーハンである。唯一、いつもと違う点をあげるとすれば中華模様が描かれた皿ではなくアルミ皿で出されたとこくらいで、日本で食べているチャーハンとなんら変わらない見た目をしていた。付け合わせのスープもちゃんと出てきた。
残念なことにここまで盛り上げておきながら味の方は特筆すべき事が何もない。少々オイリー過ぎて次の日お腹の調子が良くなかったことくらいだろう。味はいたって普通だった。
僕は事前にゲストハウスでごく小額だけ両替してもらっていたのでミャンマーの通貨である「チャット」で支払いをすませた。チャットは汚れているうえにかなりシワシワで、いかにも使い込んでいる感が凄まじかった。余談だが、僕は結局チャットの新札というのをミャンマーで目にする事はなかった。「お札をみれば、今その国がどういう状況にあるか何となく解る」という話を聞いた事がある。この時のミャンマーは歴史的局面にたたされていたのだが、それは僕の旅に関係ないのでまた今度別の機会に。
幼いウェイターにありがとうを言って店を後にする。ゲストハウスまで目と鼻の先なので夜の冒険はすぐ終わってしまう。
ゲストハウスに戻ると外へ出かけていた宿泊者の人たちが何人か戻ってきていた。なんて事はない。なんて事はない日本人なのだが、僕はすっかり感激してしまった。男女の二人組が共有スペース的な場所で談笑していたのだが、僕にとってこんな大勢の日本人が同じ空間にいる事が久しぶり過ぎて泣きそうになってしまった。
「あのっ‥こんにちは!ミャンマー初めてなんです!」
いきなり何処の馬の骨とも知れないヒゲ面がこんな風に声をかけてきたら大概の人は無視するに決まっている。僕だってそうする。しかしここはミャンマー。ちょいと変なヤツだって同郷という事で優しく受け入れてもらえる。
「こんにちは。俺も初めてだよ。さっきバガンからこっちに戻って来たばかりなんだ」
「私はマンダレーから昨日ここに戻ってきたの。ここの日本食が恋しくなっちゃって」
「そうなんですね!」
久しぶりの日本語の会話が僕に安堵をもたらしてくれた。
男性の方はトウマさん。僕の二つ上でアジア諸国を旅している。ミャンマーで五カ国目だそうだ。茶髪で日焼けした爽やかなお兄さん。
女性の方はエリさん。今回はミャンマーだけ。アジア周辺をよく旅行してるそうだ。歳は聞いてない。
ひとしきり盛り上がっているとオーナーがニコニコ顔でこちらに来た。
「ゴメンなさい。うるさかったですか?」
エリさんが謝るとオーナーはとんでもないという顔をする。
「知らない者同士、旅先で語り合うのは大変素晴らしい事です。そうしてもらう為に宿をやってますからね」
「ありがとうございます」
「お茶を淹れたので、皆さんどうぞ飲んで下さい」
そう言ってオーナーが暖かいお茶をだしてくれた。東南アジアで出てくるものは基本、冷たくて甘い飲み物ばかりだったがこの時オーナーが出してくれたミャンマー茶はほうじ茶とルイボスの間の様な懐かしい味がした。慣れない国の味に疲れた僕の胃を優しく癒してくれた。海外に出て約一週間。殆ど誰とも口をきかないで不安と孤独に苛まれていた。自分の愚かさが身に染みて辛かった。そして今、同郷の優しさに触れている。僕はついに堪え切れず、涙を流してしまった。
「おいおいどうした?どうした?」
トウマさんが驚いて飛び退く。
「ゴメンなさい。いや大丈夫です。ホント大丈夫です。しばらく人と話してなかったんでなんか変になっちゃって」
「キミ、見かけによらず繊細だなあ」
思わず泣きながら笑ってしまった。ただ人と話せただけで泣いてしまったのは後にも先にもこれだけである。今思うとかなり恥ずかしい。
それから三人で就寝時間まで目一杯話した。と言っても僕は話す事も特になかったので主に二人の海外体験をうんうん言いながら聞いていた。それでも楽しかった。
僕らは互いにお休みを言ってそれぞれの部屋に戻った。少し湿ってはいたがフカフカのベッドに清潔なシーツ。久しぶりに熟睡できそうだった。
ミャンマーに来て、僕は少しだけ旅が楽しくなりつつあった。
続く
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