ミャンマー編
第7話 ミャンマー トーキョーゲストハウス
朝に出発して夕方16時にミャンマーへ到着した。
ミャンマーは入国する際にビザが必要なのだがアホな僕には珍しく、日本で既に観光ビザを取得していた。これだけは自分を褒めてやらねばなるまい。もちろんタイなどの周辺国でも取得可能なのだが、仮に僕の英語力でそれに挑んでいたら最低でもあと三日はタイで引きこもっていただろう。皆さんもビザが必要な国へ行く際は是非日本で取得して行った方が良い。
当時のミャンマーはタイと違って観光客なんぞ滅多に来ない。なにせその当時はまだ軍国主義で、現在首相となっているアウンサンスーチーは軟禁状態にあった。
なぜ、そんなマニアックな国へアジア初心者の僕が趣いたのか。それは追々説明してゆくとして。
とにかく日本人自体が月に二十人来れば多いレベルらしく、イミグレーションでも多少すったもんだあったものの僕があまり英語が喋れない事もあって最後は半ば諦め気味に
「ああ、もう解った。行きなさい」
という感じで入国が許された。
ミャンマーの空港はタイに比べると随分貧相で、狭くてあまり清潔でない印象を受けた。施設や設備も乏しく、本当に国際空港なのかと疑ってしまう程だった。
ようやく出国ゲートを出たわけだが当然ここからほぼノープランである。
両替は空港だとかなり低いレートで替えられるとガイドブックに書いてあったから(当時は政府が外貨を欲しがっていた為、政府の管轄にある両替屋だと分の悪い両替になってしまう)しばらくは米ドルで乗り切る事にした。
ゲートを出てウロウロしていると襟付きのシャツを着たオッさんに声をかけられる。
「ハロー。私はタクシーマネージャーです。どこへ行きたいんですか?(割と聞き取り易い英語で)」
最初はまたボッタクリタクシーかと思って警戒していたがオッさんの笑顔があまりに眩しかったのでつい信用してみる気になってしまった。
「トーキョーゲストハウス」
僕はあらかじめガイドブックで調べておいた日本人宿の名前を告げた。
「オーケイ。料金は8ドルです。大丈夫ですか?」
「オーケイ」
実はこれもガイドブックで予習しておいたのだが、ミャンマーの空港から僕の泊まりたいゲストハウスまで行く交通手段はタクシーしかない。その料金の相場が正に8ドルと書いてあったのだ。どうやらこのマネージャーは信用できるようだ。
マネージャーは近場に待機していたタクシーを呼び、何やら話し合ったあと指で『goo!』のマークを作って見せた。
「細かい紙幣は持ってるかい?」
恐らくそんな感じの事を聞かれていると思ったので十ドル札を見せた。すると彼はうんうんと頷いて、また運転手と何かを話していた。
「いいよ。さあ乗って。料金は8ドルだからね」
何故かこちらが再三釘を刺されてしまった。一体どういうつもりなのだろう。
タクシーに乗り込むと三十代くらいの男が運転手だった。彼はぎこちない笑顔で挨拶してみせ、早々に車を発車させた。
正直この時の僕はタクシードライバーという連中をまるで信用していなかった。もしコイツが少しでも怪しい素振りを見せたらその時はどうしてやろうかと鼻息を荒くして考えていた。
しかし彼はどうしてだか信号待ちしている時に後ろの僕に振り返り
「8ドル、オーケイ?」
と聞いてきた。
なんでそんなに何回も聞くんだ。ミャンマー人は心配性なのか?と疑問に思いながら
「イエス、オーケイ」
と僕は答えた。すると彼は、満面の笑みを浮かべながら何故か僕に1ドル紙幣を二枚渡してきた。当然僕の反応は「?」である。なんだこれは。コイツはどういうつもりなんだ。僕の頭は混乱していた。
それから三十分ほどタクシーを走らせ、みすぼらしいビルばかりが立ち並ぶ場所に降ろされた。
「ここです」
ドライバーが指さす先を見ると、確かに「TOKYO GUESTHOUSE」と書かれた看板が見える。間違いない。目的地に着いたのだ。
「サンキュー」
そう言って僕は彼に10ドル札を渡した。そしてその時、アホな僕は初めて気がついたのだ。彼は僕が10ドル札しか持っていない事をマネージャーから聞いていたので、あらかじめ僕にお釣りの2ドルを渡してくれていたのだ。それが先ほどの金。なんてことだ。タイのボッタクリドライバーとはまるで違うじゃないか。
僕はすっかり感激してしまい、彼に何度もお礼を言って握手をした。彼もまた眩しい笑顔で「ウェルカム、ウェルカム」と言ってくれた。外国で僕が感じた初めての優しさである。
爽やかドライバーに別れを告げ、僕は古めかしい建物の二階にあるトーキョーゲストハウスへと入っていった。
薄暗い階段を上ると、まるで昔の米映画に出てきそうな古い造りのドアがあり取っ手をひねって押すと「チリリリーン」とベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ」
役一週間ぶりの日本語で僕を出迎えてくれたのは、落ち着いた雰囲気の壮年の男性だった。
「こんにちは。部屋、空いてますか?」
僕も方も一週間ぶりの日本語だったので何故か少したどたどしくなっていた。
「失礼ですが、予約していらっしゃいますか?」
あくまで落ち着いた調子で男性は応えてくる。しかし予約なんて気の利いたことが僕にできるわけがない。
「すみません。予約はしていないんです。飛び込みで」
もしもここに泊まれなかったどうしよう。他のゲストハウスは調べていない。僕は少し焦っていた。
「そうですか。ご覧の通り狭いところなので普段は予約の方優先なのですが、今日は偶然キャンセルが入りまして部屋が一つだけ空いてますよ」
彼はそう言ってにっこり微笑んでくれた。
「よかったぁ」
思わず大きな声で言ってしまうほど、僕はとてつもない安堵感に包まれた。
「では、宿泊名簿に記入してください。料金は9ドルです」
余談だがミャンマーのゲストハウスの相場では9ドルという料金は割かし高い方だそうだ。しかしここは日本人であるこの壮年の男性が経営している事もありミャンマーを訪れる日本人には人気のある宿らしい。しかも日本食の朝食つきという事もあって僕はここを選んだのである。
部屋というかしきりをつけただけの簡易的な場所に通され、色々な説明を受けた。
このホテルは安全だが万が一を考えて部屋の鍵は閉めること。
就寝時間はないがあまり遅くまで騒がないこと。
朝食があるので朝は九時には起きること。
クーラーは使い過ぎないこと。
いささか口うるさい様にも思えるがタイでの堕落した生活に飽き飽きしていた僕にはこれくらいの規律ある生活が少し心地よかった。
部屋は少しだけ湿っぽくカビ臭かったが、個別にクーラーと小さいランプもあった。
「本が好きなら、ご自由に読んでください」
とオーナーである彼自慢の本棚も見せてもらった。宿泊者たちが置いていった本もあるらしく多種多様なジャンルの本が所狭しと並んでいた。僕はこの宿がいっぺんに気に入ってしまった。
もう米ドルが尽きかけていたので少しだけ両替をしてもらい外へ夕食を食べに行く事にした。
「道路を挟んだ向かい側に小さなレストランがありますから、そこへ行くと良いでしょう。なんでもそこそこ美味しいし、なにより安い。美味しいビールもありますよ」
オーナーが親切に教えてくれた。
「ありがとうございます」
「今日はもう遅いから無理ですが、明日マーケットに両替をしにいった方が良い。レートの良い宝石商の店がありますから、明日道を教えますよ」
「はい。よろしくお願いします」
僕はオーナーに礼を言って外へ出た。辺りはすっかり暮れており、町は夜の顔になっていた。ミャンマーはタイと違って電気があまり普及していないのか、町は街灯が殆ど見当たらずかなり暗かった。それでも、宿のオーナー曰く危険は全くないという事だったのでその言葉を信じて僕はレストランを目指した。
僕は安心感からかすっかり腹ペコになっていた。
道路の反対側にはレストランのものらしき暖かい灯りが細々と輝いているのが見えた。
続く
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