エピローグ2 その後
「実際の旅行記より一部抜粋」
信じられない話だが、僕は今この手記を東京の我が家のベッドの上で書いている。
四日前の昼間に日本に帰ってきた。
二カ月しか留守にしていなかったのに、気分はまるで浦島太郎だ。時間の流れに心がまるで追いつかない。
尊敬していた先輩夫婦は離婚していたし、見たかったアニメはもはや終盤に差し掛かっていた。気になっていたあの子はどこぞの男と婚約していたし、親友はいつのまにか就職していた。無職夢追い人なぞというふざけた肩書きの人間はもはや僕だけになってしまっていた。
汚れていた部屋はすっかり片付いていて、ベッドもいつになくフカフカだった。こんな柔らかなベッドで寝るのはしばらくぶりだった。いつも固くて臭くて湿ったベッドばかりだったから、最初はここで寝付けるか心配だった。自分のベッドで寝付けるか心配だなんて変な話だ。
日本に帰ってきてまず最初に違和感を感じた。最初はそれがなんなのか分からなかった。一体何が変なのか。ここは自分の国じゃないか。何が僕を妙な心持ちにさせるのか。
その答えに気が付いた時、あまりのことに愕然としてしまった。
僕はここは日本人が多過ぎると感じていたのだ。ごく当たり前のことだ。ここは日本だし、日本人が多くて当然なのだ。しかし僕の感覚はとうにおかしくなっていた。日本人が多過ぎて、僕は疎外感すら感じていたのだ。
これが異国に旅することだと思い知った。長いこと故郷を離れ、そこに順応しようとした結果、僕はいつのまにか自国で異邦人になってしまったのだ。
あんなに会いたかった友達とも会話がまるで噛み合わず、とても居心地が悪い。
この違和感は、いつか自然になくなるものなのか。あの日、日本を出発した時のような気持ちに戻れるのだろうか。正直今は、わからない。
願わくば、いつかの僕が当たり前の日本人としてこの家のベッドで寝れる日がきてほしい。
しかしどうにも今はあの東南アジアの町が懐かしくてたまらない。タイがミャンマーが、インドがカンボジアが。懐かしくて懐かしくて仕方がない。
特にタイのカオサンだ。あの地は今日も賑わっているのだろうか。
僕の居ないあの町は今日も終わりのない宴が繰り広げられているのだろうか。毎日が週末のように忙しなく、眠らないカオサンロード。
目を閉じれば、あの狂乱にまみれた声と音楽たちが聞こえてくるようだ。ゲストハウスの窓から聞いていた時は死ぬほどうんざりしていたのに、今となっては不思議と懐かしい。
有象無象の衆が集まって夜な夜な繰り広げられるカオサンの宴。あれはまるで、ドイツのおとぎ話に出てくる「ワルプルギスの夜」のようだ。僕は帰国してから毎日、あの喧噪が愛おしくてたまらない。
僕の居るべき場所は、本当に
僕の居場所は、いったい何処へ行ってしまったのか。
ようやく生まれ育った我が家に身体が帰って来たというのに、心はまだあのアジアの青い空の下に残っていた。
了
盗難アジアバックパック記 三文士 @mibumi
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