第18話 ミャンマー バガンのレストラン

遺跡巡りから帰った僕は、急いでシャワーを浴びていた。新しい服に着替え、それとなく身だしなみに気を遣い鏡の前でダメなとこが無いかチェックしていた。


ここまで書くと


「ははあ、こいつデートだな」と思われるかもしれない。だが残念ながら違う。本当に残念で仕方がない。本来ならそうなってもおかしくなかった。しかしそうならないのが僕という人間である。


話は遺跡巡りをする前の朝食まで遡る。




僕は例の離れにある一軒家で前の日と同じ様に朝ごはんを食べようとしていた。僕は部屋の中にマユさんの姿を探したが残念な事に彼女は見当たらなかった。


空いていた場所に座ると、既に両サイドに人が座っている事に気が付いた。左右とも男。彼らはどう見てもアジア人、というより完全に日本人の様だった。二人とも三十代半ばという感じで一人はさっきから食事に夢中。ガツガツと他には目もくれて無い。片やもう一人はさっきからこちらをジロジロと見て観察している。


彼らの事は気になったが僕はひとまず食事をする事にした。


朝食のテーブルには昨日と変わらない豪華なメニューが所狭しと並んでいた。


「うは。今日も凄いな」


僕は思わずそう呟いてしまった。すると、突然左右にいた男たちの動きがピタっと止まった。両サイドに目をやると二人ともこっちを凝視している。


「キミ、日本人かい?」


ガツガツしていた男の方が僕に話しかけてきた。


「ええ、まあ」


「ええ!?」


僕がそう答えると観察していた男の方が大きい声を出して立ち上がった。


「やっぱりキミ日本人か!って、あんたも日本人だったんかい!!」


「ええ、まあ」


ガツ食いの男がキョトンとした顔で答える。


「なんで話しかけて来ないんですかあ!俺、絶対中国人だと思ってたのに!」


「いやだって、あなたも話しかけてこないから」


どうやら二人はお互いに牽制し過ぎて、今の今までコミュニケーションがとれていなかったらしい。


「ええっと、じゃあ今この部屋の中にいるのは日本人だけってこと?」


「そうなりますね」


その瞬間、凝視男の方が手を叩いて妙な声を張り上げた。


「ふあああああ!良かったぁぁ!こんなに日本人に囲まれてるよお!」


「?」


「?」


僕らがあまりにキョトンとしているので途端に彼も我に帰って弁解をし始めた。


「いや、違うんですよ。実はここに来るまで色々ありまして。私、マンダレーから来たんですけどマンダレーでも何処に行っても日本人はおろかアジア系の観光客が全然いないんですよ。周りは白人ばっかりで。私、あまり英語が得意な方じゃなくて。それでここに来る途中のバスでようやくアジア人の女の人に会ったんですけど、話しかけたら彼女韓国人で。でも誰も他に道連れがいないから仕方なく一緒にいたんですけど、全然息が合わなくて。でも彼女になんか好かれちゃってて。もう参ってたんですよ」


彼は一気にここまでまくし立て、その後大きなため息をついた。


「‥あっ、ナカムラと言います。よろしくお願いします」


「カワセです。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


唐突に始まった自己紹介に戸惑いながらも、僕はすぐにこの人たちが好きになっていた。


ナカムラさんは仕事を辞めてフラッとミャンマーに遊びに来ている自由人。36歳。


カワセさんは、小学校の先生で夏休みを利用してかねてより来たかってミャンマーに来ているそうだ。39歳。なんと既婚者である。


「いやあ、キミも25歳でアジアを一人旅とはね。なかなかの度胸じゃないか」


「いやいや。一人旅たってまだ二カ国目だしいつギブアップするか分からないんですよ。英語も出来ないし」


「何でも挑戦するその気持ちが素晴らしいですよ。ウチの生徒たちにも見習わせたいですねえ」


カワセさんは職業柄なのか、いつまでも敬語のままだった。


「そう言えば二人とも、夜は何か予定あります?」


ナカムラさんが僕らに尋ねた。


「いえ何も」


「特にありませんね」


僕もカワセさんも首を横に振った。


「じゃあ、みんなで飯でも食いに行きませんか?いい店があったんですよ」


「良いですよ」


「もちろんです、是非行きましょう」


「例の韓国人も連れて来て良いですか?多分呼ばないと拗ねるんで」


それを聞いて僕はマユさんの事を思い出した。


「じゃあ僕も、同い年くらいの日本人の女の子がいるんですけど誘っても良いですか?」


「もちろんですよ。みんなで宴会といきましょう」


「くぁああああキタキター!これだよコレ!旅の醍醐味!」


ナカムラさんはよっぽど鬱憤が溜まっていたのかガッツポーズをして喜んでいた。


そういう事になったので、僕はそそくさと朝食を済ませオールドバガンに出発する前にマユさんの部屋を訪ねた。


「あれ?おはようございます!どうしたんですか?」


マユさんはレンタルサイクルでオールドバガンの遺跡を周ると言っていたのだが、軽装でスポーティな格好をしており健康的でいつにも増して可愛いらしく見えた。


「ああ、ええっとあの。実は今、このゲストハウスに僕らの他に二人も日本人が泊まってるんですよ。で、先ほどその人たちと朝食が一緒だったんです」


「ええ!?本当ですか!それは良いですね!」


「で、その人たちと今日の夜宴会をしようって話になったんですが良かったらマユさんもどうですか?」


「私も?良いのですか!?」


「もちろんです!皆さんにも事前に聞いてみたら是非どうぞ、って言ってましたし!」


「そうですか‥」


何故かマユさんは戸惑った顔をしていたが少し考えた末にいつもの笑顔でこたえてくれた。


「では是非、参加させてください。お酒は得意ではありませんが楽しくなりそうですね」


「はい!」


「ああそれと、少しお願いがあるのですが」


「なんでしょう?」


「実は私もさっき朝食の時にアイスランド人の男の子と友達になって。夜は彼と食べようって話になっていたんです。彼もそこに連れて行っていいでしょうか?」


「あ、ああ、ええ!も、もちろんです!ナカムラさんって人も友達の韓国人女性を連れて来るって言ってたんで、かなり多国籍になりますね!」


「素敵です!まさに海外ならでは!じゃあ彼にも伝えておきます。今日は一緒に遺跡巡りをする予定なので」


僕は笑ってマユさんの部屋のドアを閉めたのだが内心かなり穏やかではなかった。


アイスランド人の男。無知な僕には想像もつかなかったが、朝に出会っていきなり昼と夜の予定を埋めてしまうくらいだから相当なイケメンでジェントルマンに違いないと踏んでいた。


まあ(僕が)相手になるかならないかは夜に会ってみれば分かる。


そんな事を考えて遺跡巡りを始めたのですっかり寺どころではなくなってしまい、前述したような結果になってしまったわけだ。


話は冒頭に戻る。


僕はなるべく小綺麗な格好をしてマユさんの部屋のノックした。


「はーい」


中からマユさんが出てきた。彼女はシャワーから出たばかりの様で長い髪の毛がまだ湿っていた。


「あ、あの、待ち合わせ時間なんですけど。7時に下のロビーに集合で良いですか?」


僕はすっかり見惚れてしまっていた。


「ああ。ゴメンなさい。こちらから伺おうと思ってたんです。あの本当にゴメンなさい」


「いや、そんな謝ることじゃ‥」


「違うんです。実は例のアイスランド人の彼に話したら、『そんなに一杯日本人がいると緊張するから行きたくない』って言われちゃって」


「ええ!?そうなんですか」


「本当にゴメンなさい。でも最初に約束していたのは向こうの方なので‥」


彼女はかなり落ち込んでいて、なんだかこちらとしてもいたたたまれない気持ちになってしまった。


「気にしないでください!こっちこそ無理に誘ってしまったようでゴメンなさい」


「本当に、ゴメンなさい」


「大丈夫です。また次の機会に」


本当に次の機会があるかどうか分からなかったが、結果としてそんな風に僕はフラれてしまった。


宴会の場所はゲストハウスからすぐ近くにあるレストランで、いかにも観光客向けの場所だったが、値段も安く料理も美味かった。と、思う。それと言うのも酒が弱いクセに勢いに任せて飲んでいた僕はその日の料理に関しての記憶がほぼなかった。覚えているのは、宴会の始まりにした、こんな会話だけである。


ナカムラさんから僕へ、こんな質問があった。


「どうしてキミはミャンマーを選んだの?」


「え?」


「いや別に悪い意味じゃないんだけどさ。若い子ってもっと違うとこ選ぶじゃん。アジアでもさ。タイを拠点にしてたら、ラオスとかカンボジアとかベトナムとか!初心者でいきなりミャンマーは選ばないっていうかさ」


「ああ、そうですね‥」


「それは私も気になっていました。どうしてですか?」


カワセさんも便乗してきた。


その時まで誰にも話していなかったが、実は僕がミャンマーを渡航先に選んだのにはとんでもなく間抜けな理由があった。どうやらそれを言わなければいけない時がきていた。


「実はですね‥」


あらましはこうだ。



僕にはかねてより尊敬している先輩がいた。先輩と言っても随分年上なのだが、その人がとにかく凄い人なのだ。その破天荒な生き方もそうなのだが、言動や行動がとにかく常人の尺度では到底測れない様な人で、話は面白い上に才能豊か。男女問わずとても人気のある人だった。ある時その人に「今まで行った国の中で何処が一番良かったですか?」という質問をした事があった。先輩は散々悩んだ挙句にこう言い切った。


「ミャンマーだね」


先輩曰く、人も良いし気候も良い。先輩はインドの後に行ったそうなのだが、そのあまりの国柄の違いに驚いてしまい余計にミャンマーが好きになったそうだ。今でももう一度行ってみたい国は?と聞かれたら迷わずミャンマー、そうう答えると豪語していた。


そこまで言われてミャンマーに行かない手はない。僕はさっそく、ミャンマー版地球の歩き方を購入して日本でビザを取得した。


しかし、この話にはオチがある。


先輩からこの話を聞いていた時、僕は例の如くしたたかに酔っていた。話の半分以上を覚えていなかったのだ。そのうえあろう事か、国の名前を間違えて記憶していた。先輩が行った国はミャンマーではなく「ネパール」だった。先輩が心から愛し、死ぬまでにもう一度行きたいと思っているのはネパールでミャンマーではない。ちなみに先輩はミャンマーには一度も行った事がないそうだ。


何ともアホである。間違えたままビザを取得し、間違えたまま飛行機乗った。気が付いた時には遅いどころか既に現地にいた。


先輩が滞在してた都市、ポカラを探したのだが何処にもない。トーキョーゲストハウスのオーナーに「ポカラってどの辺りですか?」と聞いたところ「ポカラはネパールですね」と言われて初めて自分の間違いに気が付いたのだ。こんな事、恥ずかしくておいそれと人に話せる訳がない。それで今まで黙っていた。


余談だが僕には親友のMくんという奴がいて、僕がミャンマーに行くと話したら出発する三日くらい前の夜に尋ねて来た。そして


「これ何かの参考になると思うから観てくれ。返さなくて良い」


と一枚の包装されたDVDを渡してきた。


僕は親友の熱い気持ちにうたれとても感動していたのだが、包装を開けてタイトルを見てみると


「セブンイヤーズ・イン・チベット」


だった。


どいつもこいつも大間違いである。日本人にとって、ミャンマーの認識とはその程度なのだろう。



「とまあそんな理由でミャンマーに来た訳です」


相当恥ずかしかったが、酒の勢いも手伝って僕はようやくこの話を打ち明けられた。


「驚いたな、それじゃネパールと間違えてミャンマーに来たってワケか。キミって思った以より何ていうか‥」


「おバカですね‥」


「そうなんです」


皆に大笑いされた。まあしかし自分の事で皆が笑ってくれるならそれも良いかなと思えた。恥ずかしくはあったけれども。マユさんがこの場にいなくて良かったと思った。


僕らは夜通しそんな風に大声で笑い、ゲストハウスのロビーでも面白おかしく夜を過ごした。


いつまでもこの夜が続けば良いなと思っていた。


その時ふとタイであんなに孤独に苛まれていた僕が、今では沢山の人に囲まれて過ごしている事に気が付いたのだ。


僕はいよいよ、RPGゲームの主人公になった様な気がしていた。孤独や理不尽と戦いながら仲間を増やして宝を見つける。僕はずっと「旅する意味」という宝を探しているのだ。


僕は、ようやく自分が大冒険の真っ只中にいる事に気が付いたのだった。


続く

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