第14話 ミャンマー バガン市内
バガンの朝は早い。
何せエアコンが壊れていて効きが弱いので暑くて目が覚めてしまうのだ。昨晩、心配してくれたマユさんが英語でエアコンの修理を要請していたがしばらくかかるとのこと。部屋も人気のシーズンで埋まっているらしい。
いつまでも寝てられないので僕は部屋を出て、朝食を食べに行く事にした。
僕の泊まっていたゲストハウスは値段もそこそこだが、部屋のエアコン以外はしっかりしており朝食は別の一角にある一軒家で食べさせてくれる。明らかに後から作ったと思われる綺麗でバブリーな家で、大きなテーブルに所狭しと料理が並んでいた。
トースト、ハムエッグ、ベーコンエッグ。ゆで卵にサラダ。オレンジジュースにコーヒー。よく分からない甘そうなパンにチョコレートのかかったパン。どれこもこれも作りたてで、美味しそうだった。
正直、こんなまともな食事は海外に来て初めてだった。
眠そうでやる気のない顔をしたスタッフに案内された席に座ると、既にマユさんが席に座っていつもの笑顔で挨拶してくれた。
「おはようございます。エアコン、大丈夫ですか?」
開口一番まず自分の部屋の環境を心配してくれるマユさんに僕は心底ありがたみを感じていた。やはり旅慣れている人は余裕が違うのだろう。
「暑いですが、なんとか眠れてます。ありがとうございます」
「後でもう一度、スタッフに言っておきますよ。熱中症にでもなったら困りますからね」
「何から何まですみません」
「いえいえ」
僕らは出逢ってまだ一日しかたっていないのにすっかり意気投合していた。
「そう言えばマユさんは今日一日どうされるんですか?何か予定ありですか?」
「いえこれと言って。明日は遺跡巡りですけど、今日はのんびり過ごそうかと思ってます」
「でしたら今日一日、僕と市内巡りでもしませんか?」
日本であれば奥手も奥手で、女の子を誘うメールを送るまでに血反吐を吐きかねない小心者の僕であったが海外に来てすっかり大胆になっていた。何せ僕らは数少ない同じ日本人という共通点のお陰で距離の縮まり方が早い。少し小っ恥ずかしい台詞でも自然に言えてしまうのである。
「良いですね!私もちょうどそんな事を考えておりました」
彼女の方もまったく自然に嬉しくなる様な事を言ってくれる。海外の魔法とは本当に凄い力をもっているものだ。
そういう事で、僕らは朝食のあとバガン市内を散策する事になった。朝食は思いのほか美味しかった。
市内と言っても遺跡がメインの町なので基本は砂地と住宅しかない。一応少し歩いたところに市場があったが大した物はあまり売っていない。あとハエが凄い。殆どが屋台でやる気のないオバちゃんオッちゃんがハエを追いながら煙草を吸っているだけである。川魚や野菜。服にサンダル。それに加え観光地ならではの謎の民芸品の数々。どれもこれも大した値段ではないが、買おうとは思えない。
「うあ!サンダルやっす!私、予備に買っておこうかなあ」
マユさんはギリギリまで迷っていたが結局造りがちゃちだったので諦めたようだった。
僕らは歩き回ってほうぼうを冷やかしたあと、軽い昼食をとることにした。
「ここが良い感じですね。この喫茶店でお昼ご飯食べませんか?」
マユさんがチョイスした店は掘っ立て小屋の様な場所でよくここが喫茶店だと解ったなあと感心してしまう程の店構えだった。
「良いですね。地元の店って感じですよね。ここにしましょう」
僕も性格が段々と冒険心に溢れてきたのか、なんでも挑戦してやろうという気持ちになっていた。単純に、マユさんという友人といたから気が大きくなっていただけかもしれない。僕らが店の人間に声をかけると、外に出しっぱなしになっているガタガタするイスとテーブルに通された。
「で、なに食べます?サンドイッチとか正直怖いなあ」
メニューに目を通す限り、一応英語の表記があるのでかろうじて何かわかるものある。しかし衛生的な意味では少し不安にさせられる店ではある。とにかくハエが凄い。
「私、これにします!」
マユさんが指さしたメニューを見ると「モヒンガー」と書かれていた。
「モヒンガー、ってなんですか?」
「ミャンマー人のポピュラーな朝食だそうです。おやつ的なものでもあると聞いています。前からチャレンジしてみたかったんです」
「な、なるほど」
マユさんは興奮してすっかり鼻息が荒くなっていた。僕はその勢いにすっかり気圧されて、ついつい同じものを注文していた。
「いいんですか?無理して付き合わなくても大丈夫ですよ?」
心配そうなマユさんの顔を見ていたら、僕はますます虚勢を張らずにはいられなかった。
「ノープロブレムです。せっかくですから挑戦してみないと」
「ですね!」
正直、僕としては女の子とするランチにしては些か貧相な店だとは思っていたがモヒンガーなる食べ物がどんな物かも興味があった。
しばらくして運ばれてきたブツを見て、僕は少しだけ後悔し始めた。
ドロドロのスープの中に入った素麺のような麺。よく解らない菜っ葉の他に色の黒い揚げ物がのっていた。それにしてもえらい小ぶりである。ご飯茶碗程度の大きさである。まあ朝食ならこんなもんがとゆど良いのだろう。僕の昼ごはんには物足りない。
色々不満もあったが目の前でキラキラと目を輝かせるマユさんを見ていたらどうやら口に出すべきではないと思い、大人しく食べてみる事にした。
正体不明の揚げ物はひとまず避けておいて、まずは麺をすする。
「ん!?」
正直これが美味い。想像していたよりもずっと。タイでお気に入りだった牛肉麺なんぞ足元にも及ばいない出汁の美味さである。僕は思い切って揚げ物にも手を出して見ることにした。
「いやこれは美味い!なんだこの揚げ物」
ふわふわとして口当たりの良い食感。味は蛋白だが黒い見た目とは裏腹に臭みもなく出汁との相性も良い。完璧な料理である。
「ですよね!この出汁はナマズからとっているそうですよ。この揚げ物も恐らくナマズだと思います。モヒンガーはナマズを使うのが一般的だと言っていたので」
「ナマズ!?へええ。ナマズって美味しいんだなあ」
僕は生まれて初めてのナマズの味にすっかり感動していた。
「良かったぁ、えへへへ」
「え!?」
「いえ、私の選んだお店でまたまた私の選んだメニューじゃないですか。正直美味しくなかったらどうしようかと、内心ビクビクしてました」
「そうだったんですか…」
僕は知らず知らずのうちに彼女にプレッシャーを与えている事を申し訳なく思った。もし次、二人で食べる機会があったら今度は僕が店を選ぼうと決心した。
「そうだ、さっきゲストハウスの人から聞いたんですけど。どうやら今日、町のはずれでフリーのミュージックライブがやるみたいですよ」
「ミュージックライブ、ですか」
忘れがちだが僕も一応音楽をかじる者の端くれとして、ミャンマーの人々がどんな音楽を奏でるのか興味があった。
「良ければ一緒に見に行きませんか?フリーだっていうし」
今度は彼女からお誘いを受けてしまった。アホの僕が浮かれないはずがない。
「もちろん喜んで!では一緒に夕食を食べて、それからライブに行きましょう」
そんなわけで僕らは結局、バガン初日を一日中一緒に過ごす事になったのだった。
旅は道連れ世は情け。僕は旅の連れが可愛い女の子で、すっかりのぼせ上がっていた。
モヒンガーは残らず平らげた。
続く
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