第24話 マンダレー バス乗り場

「お世話になりました」


「こちらこそ。色々とありがとうございました。日本へ帰ったら、連絡ください」


カワセさんは屈託のない子供の様な笑顔でそう言った。この人に教えてもらう子供たちはどんな大人になるんだろう。こんな先生が自分にも欲しかった。僕は再びそう思った。


「元気でね。良い旅を」


「サンキュー」


カワセさんに通訳してもらいながらジョジョさんと話すのもこの日が最後だった。


僕はその日、マンダレーを出発して最初に逗留した町である首都(当時)ヤンゴンに戻らなければならなかった。往復で買った飛行機チケットの出発日が二日後に迫っていた。


ジョジョさんが手配してくれたタクシーの様なオート3輪が到着した。


「格安でバス乗り場まで行ってくれるわ。荷台だけどね」


ジョジョさんは申し訳なさそうに肩を竦めた。僕は首を振って彼女に再度お礼を言い、握手を交わした。


「さようなら。またいつか」


僕は2人に手を振り、荷台に乗り込んだ。


ミャンマーのすこぶる悪い道路事情を差し引いても、荷台の乗り心地は良いとは言えなかった。


流れていくマンダレーの景色を眺めていたら、僕の中に数々のミャンマーの思い出が蘇ってきた。その時初めて、「ああ、ミャンマーとも数日でお別れか。もう二度とこないかもしれないな」と不意に寂しい気持ちがわいてきていた。カワセさんやマユさん、ジョジョさんやモルさんといった様々な人たちとの出会いが僕の中に溢れ出して、僕は感情のコントロールが出来ずに泣き出してしまった。自分でもどうして良いか分からなかった。


やがて、砂埃が舞ういつかのバス乗り場に戻ってきた。オート3輪の運転手にお礼を言い、僕はジョジョさんに手配してもらっていたバスのチケットを取り出した。しかしここで困ったことが起きた。


ミャンマーには世界で使われるアラビア数字以外にミャンマー数字というのがあり、いわゆる我々日本人でいうところの漢数字の様な現地特有の数字が存在する。このミャンマー数字というが厄介で、外国人には全く解読できない。不親切なことにバスの乗り場の案内にはミャンマー数字しか記されていなかったのだ。僕は途方に暮れてしまった。ご丁寧なことにチケットにはアラビア数字で「25番乗り場」と書いてある。しかし乗り場書いてある数字は全てミャンマー数字だ。全く噛み合わない。


僕はチケットを手に泣きそうな顔をして広場をウロウロしていた。もう嫌だ。なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ。感情のコントロールが上手く出来ていない僕は何もかもが嫌になりどうでも良くなってしまっていた。


「ハロウ?どうしたの?」


そんな僕に声をかけてきた人がいた。


振り向くと明らかに僕より歳下で背中に赤ん坊を背負った女の子が立っていた。日本でいうと高校生くらいの年齢に見える。彼女はとても流暢な英語で僕に何があったのか尋ねてきた。


僕は藁にもすがる思いで彼女にチケットを見せ、拙い英単語とジェスチャーで必死に自分の状況を訴えた。


彼女は色々と考えながらウンウンと頷き、そしてひと言「オッケー」と言ってくれた。


「ついてきて」


手招きしていたのでおそらくそう言ったのだろう。普通なら海外ですべき行動ではないのだが、僕にはもう目の前にいる少女しか頼れる人がいなかった。


出発の時間までもう五分もなかった。僕らは走って辺りを探した。と言っても僕には読めないので彼女が必死にバスの番号を読んでくれていたのだ。


「あった!これよ!」


彼女が突然飛び切りの笑顔でジャンプしながら目の前の一台を指差した。彼女はバスの運転手に何やらミャンマーの言葉で話しかけている。彼女は彼に僕のチケットを見せ、僕を指差して説明している。僕の胸は不安でドキドキしていた。違っていたらどうしよう。もう出発の時間だ。乗り遅れたら、ヤンゴンに帰れない。


「オッケー、オッケー」


運転手は手招きしてバスへ乗る様に促した。


「あああああ」


僕は思わず歓喜の雄叫びをあげてしまった。我ながら心底みっともない。


「サンキュー、サンキュー、サンキュー」


僕は案内してくれた女の子の手を握り、何度も何度もお礼を言った。彼女は嬉しそうにはにかんでいた。恥ずかしい事にこの時の僕はサンキュー以外に感謝の言葉を知らなかった。


「サンキュー、サンキュー」


彼女に何度も何度もお礼を言って、僕はバスに乗り込んだ。


来た時と同じ様な古い日本のバスで、車内はガチガチにクーラーが効いて既に寒かった。


僕が窓を開けると、例の彼女が振り返って帰ろうとしているところだった。


「サンキュー!サンキュー!」


僕はありったけのデカい声を出し彼女に手を振った。砂埃にまみれながら、彼女も笑って手を振ってくれた。バスはその後すぐに出発した。改めてミャンマー人の優しさに触れ、この国に大きな親しみを抱きつつあった。


僕はマンダレーに別れを告げ、最初の都市であるヤンゴンへと向かった。


続く









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