第25話2050年【宝物を託して】
最善の選択を告げた玲人は、一時間ほど前に軍事施設に届けられた<ノア>行きスペースシャトルの搭乗券が収められた三通の白い封筒を手にし、君嶋と共に執務室にいた。
静まり返った室内に壁時計の時間を刻む音が響く。気持ちが落ち着かない玲人は、右往左往を繰り返して壁時計に視線を移すと、君嶋らに考えを伝えてから二時間半が経過していた。
「もうこんな時間か……」
君嶋が掛けるデスクの上にシンプルなボストンバックが載せられている。君嶋はそのボストンバックに目をやり、玲人に訊く。
「後悔しないんだな?」
漸く玲人が椅子に腰を下ろした。
「……。はい。これが一番いい方法なんです」
「お前自身が選んだ事だから何も言わないが……」
「ですが……彼らが納得してくれるかどうかはわかりませんが」
その時、執務室のブザーが鳴った。君嶋はデスクの上のボタンを押し、ドアの解錠をすると、ブザーを鳴らした安岡と守山が執務室に入ってきた。
二人は声を揃えて言う。
「失礼します」
君嶋が言う。
「お前達も掛けろ」
椅子に腰を下ろした安岡がたずねる。
「無線で言えない用件って何ですか?」
<ノア>行きを告げられた時も、同じ台詞を言われた。これ以上の悲劇は勘弁してほしい二人。顔には出さなかったが、内心 不安でたまらなかった。
玲人はエナジーバンドを装着した二人の手首に目線をやった後、真摯な面持ちで口を開いた。
「お二人に話があるのは君嶋指揮官ではなく、この僕です」
嫌な汗で掌を濡らした二人は玲人に顔を向け、守山が言った。
「俺達に話って……」
手にしていた封筒を安岡に差し出した玲人。それを受け取った安岡は首を傾げる。
「これは?」
「<ノア>行きスペースシャトルの搭乗券です」
二人は顔を見合わせ、動揺した。声を震わせた安岡が玲人ではなく上司の君嶋にたずねる。
「どういう事ですか?」
君嶋が言う。
「彼から聞け」
「あ、はい」
玲人は一呼吸置いてから、君嶋に告げた最善の選択を二人に話し始めた。
「その搭乗券は僕とシャノン、そして賢人の分です。僕とシャノン……佐伯君も<ノア>には行きません。
化学兵器と変わらないウイルスを生み出し、多くの人々を死に至らしめた罪を背負い、僕はこの地球に残ります。それしか道はないのです。
ですが……賢人には多くの未来がある。<死者蘇生ウイルス>の存在を知らなかった賢人は……あの子は何の罪もありません。賢人にとって最悪だった事はたった一つ。僕が父親だった事です」
頬に伝う涙を拭い、玲人は話を続けた。
「あの子は天才だ。天才だからこそ、良し悪し関係なく様々な誘いがあるでしょう。まだまだ子供の賢人を僕は守ってあげられない。僕のように足を踏み外さないように、賢人を守ってやって欲しい……
あなた達になら賢人を託せると僕なりに考えた結果です。身勝手な事を言っているのは重々承知の上……お願いしています」
安岡は咄嗟に席から立ち上がり、声を張った。
「何言ってんだよ!? マジで勝手だよ! 俺達は<ノア>には行かない! 仲間と地球に残り、人間に猛威を振るうレッドソウルを殲滅させる!
それに……賢人が心配なら何を言われても自分で守るべきだ! あんたの子供だろ!? それこそ無責任じゃないのか!?」
「君の言う通りだと思う」と静かに言った後、大声を上げた。大声を上げる気などなかったが、つい感情的になり、声が大きくなってしまった。
「だけど行けるわけない! 僕のせいでこんな事になってしまったんだ! どう考えたって行けるわけない! 僕が罪を償える場は、<新型狂犬病ウイルス>の罹患者が蔓延るここだけなんだ!」
「賢人は心底あんたを嫌ったわけじゃない。俺達に父親の代わりなど務まらない……」
安岡は席に腰を下ろし、搭乗券を見つめる。重苦しい溜息をつき、深く考えを巡らせた時、突然守山が泣き出した。
「俺……情けない話、君嶋指揮官から<ノア>への移住を聞かされた時、心底怖かった。みんなの前で号泣して、ホントに怖かったんだ。俺は……」
封筒をギュッと抱きしめた。
「これを返したくない。みんなで地球に残ると約束したのに、腰抜けの俺の頭の中は<ノア>に行きたい、そればかりだ。
君嶋指揮官や矢崎副指揮官が<ノア>に行かず、搭乗券を無駄にするなら欲しいって、喉から手が出るほど欲しいって思っていた」
再び席から腰を上げた安岡は、興中を語った守山の頬に拳を走らせた。椅子から転げ落ちた守山の唇の端から血が滲む。しかし、守山は血を拭いもせず、土下座した。
「不純な動機かもしれないけど、俺は命を懸けて死ぬまで賢人君を守る! <ノア>に行かせて欲しい!」
「おい! 守山! 正気かよ! 俺達は地球で命を懸けるんだろ!?」
玲人が安岡に声を掛けようとした直後、君嶋が二人に言った。
「賢人を守ってやって欲しい。不純な動機などではなく、俺からの命令だ。上司として最後のな……」
「君嶋指揮官!」守山が号泣する。「約束します。絶対賢人君を守りますから」
安岡は納得できない。
「ですが、俺は!」
君嶋はまっすぐ安岡の目を見つめた。
「最後の任務だ。だが、安岡、お前が死ぬまでの任務だ」
「……。君嶋指揮官」
「返事はどうした?」
唇を結んだ安岡の頬に涙が伝った。
「イエッサ……」
玲人は安岡と守山の手を握り、頭を下げた。
「ありがとう……ありがとう……」
心から一つ大きな不安要素が消えていった。玲人は自分の宝物である我が子を安岡と守山に託し、地上に残る事を決断したのだ。
安岡も守山も父親に慣れなくとも、善き兄となってくれるはずだ。そして、ありとあらゆる誘惑や勧誘から守ってくれるはず、そう信じて涙を流した。
玲人は君嶋のデスクに歩み寄り、ボストンバックを手にして席に戻ると、無言で席に腰下ろした二人に差し出す。
ボストンバックを受け取った守山は、ずっしりとした中身が気になりたずねた。
「このバッグは?」
答える玲人。
「結子と鈴野君それからシロの遺骨が入っている。結子も本来であれば安らかな眠りについているはずだった」
玲人の頼みを察した守山。
「綺麗な花畑にお墓を儲けます」
「何から何まで本当に申し訳ない」
化学者である玲人は天国を信じていなかった。だが、最愛の人を亡くした時、天国があって欲しいと強く願った。当然、化学では解明できないが、そんなユートピアがあってもいいんじゃないかと思い始めた矢先、死者を蘇生させる研究に手を染めたのだ。
ウイルス研究施設の闘いにて、君嶋が言ったように、死を受け入れる事ができなかった。
きっと、天国を信じるより、自分の才能を信じてしまったのだろう。
それが人類の希望になると思い込んでいた……
「天国を信じるかい?」玲人は守山に訊いた。
「はい。多くの仲間が死んだ。だから天へと旅だった仲間が幸せに暮らせる場があってもいいんじゃないかって思うよ」
「そうだな……そうだよな」
一人納得する玲人に君嶋が言った。
「俺もあって欲しいと願っている」
唇を結んだままだった安岡が漸く口を開いた。亡き弟を思い出し、賢人を重ねる。
「生涯かけて賢人を守るから」
感謝を籠めて今一度、「ありがとう」と言った。
席を立った安岡は、君嶋に顔を向けた。
「部屋に搭乗券を置いてから疫病センターに戻ります」
返事を返す君嶋。
「俺も直ぐにそっちに向かう」
「はい、では一足先に行ってます」
安岡と守山は執務室を後にし、通路に出た。誰もいない通路で安岡はポロポロと涙を零し、親友の守山を抱きしめて本音を語った。
「さっきは殴ってごめん。俺も地球に残るのが怖かった。ずっと、ずっと、虚勢を張っていたんだ」
安岡の背に腕を回した。
「絶対、賢人君を守ろうな」
「勿論だ、何があっても―――」
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