第15話2050年【戦闘2】
大幅に遅れた消防隊員の一人が、安岡に支えられて気絶した凛に目をやり、駆け寄ってきた。
「凄い出血だ。止血した方がいい」
「ああ。わかっている」
安岡は止血帯代わりにポケットに入っていた大き目のハンカチを利用し、切断部の十センチほど上部にそれを巻きつけ、止血し、遅れた理由をたずねた。
「何故、これほどまでに遅かった……」
答える消防隊員。
「すまない。署の前にもレッドソウルの群れが押し寄せ、自衛隊と共に手こずっていた」
今しがたテレビ画面に映し出されていた総理大臣の説明など信じてはいない。間違いなく<化学島>から漏洩した<死者蘇生ウイルス>が蔓延し、このような事態を招いたのだろうと、マスコミの報道が真実である事を悟っていた。そして安岡も弁解する様子もなく、返事を返した。
「なるほど。大変だったな……被害状況は?」
「多くの消防隊や自衛隊そして警察がレッドソウルにやられた……」グッと目に涙を溜めた。
「そうか……」消防隊員に返事を返した安岡は、自衛隊と共に銃を乱射させる守山に声を張った。「守山! 俺は一旦軍事施設に戻る! この場を頼んだ!」
守山はレッドソウルを撃ちながら、返事を返した。
「任せろ!」
安岡が周囲に乗り捨てられた自動車に目をやった時、一匹のレッドソウルがこちらに向かって攻撃を仕掛けてきた。
狙いを定めて、首元にショットガンを一発お見舞いする。安岡の銃の腕はいい。瞬時にレッドソウルの頭部が首から断裂し、吹き飛んだ。
一匹だけなら狙いを定めることも可能だが、群れで攻撃されれば、それは難しい。銃弾の消費量は激しいが、数十発の発砲により、ボディを潰す作戦が有効と言える。
安岡は乗り捨てられた大型トラックのドアを開け、鍵がついているのを確認し、凛を担いで運転席に乗った。レッドソウルの群れに襲われても大型トラックなら意図も簡単にボディを潰すことが可能な為、小回りが利く軽乗用車より大型トラックを選択したのだ。
ぐったりした凛を助手席に移し、手にしていたショットガンの銃口も助手席に向ける。万が一、凛が目覚めた時、双眸が深紅だったなら撃ち殺さねばならない。それ故、凛を寝かせた助手席に銃口を向けた。
凛にとってもかなり大きな賭けだったはずだ。噛まれた腕を吹き飛ばしたからといって感染の源を一掃したという保証はどこにもない。
「…………」
(それにしても、自分の腕を吹き飛ばせなんて命令するヤツは矢崎副指揮官……あんたくらいだよ)
「大した女だ。まったく……」
安岡は大型トラックのエンジンを掛け、アクセルを踏み込んで急発進させた。正面からこちらに向かって飛びかかってくるレッドソウルを撥ね飛ばしながら走行する。
「おらおら! 邪魔だ! くたばれ!」
レッドソウルを轢き殺しながらタイヤを走らせる安岡は、君嶋に連絡を取る為、無線機を操作した。まず、君嶋がいる位置を知りたい。東京都全体の小さなマップが無線機の液晶画面に映し出され、君嶋がいる場所がクローズアップされた。
「墨田区か……」
墨田区押上一丁目 電波塔(スカイツリー)前―――
スカイツリー前には絶命したレッドソウルが累々と横たわる。周囲の建物は返り血に染まり、アスファルトには臓物が散乱している状態だった。銃を構えた君嶋がレッドソウルの死体を跨ぎながら歩を進めていると、無線機が反応した。
「安岡か……」無線機に口を寄せる。「こちら君嶋」
『安岡です。矢崎副指揮官が右手首をレッドソウルに噛まれました』
君嶋は目を見開き、声を上げた。
「なんだと!?」
『右手上腕部をショットガンで吹き飛ばせと命令を受けたので撃ちました。現在意識を失っており、感染の有無は不明です』
ウイルスが腕を伝い頭部に行き付く前に自ら腕を捨てたのだと理解した。しかし、目を覚ませばレッドソウル化している可能性もある。君嶋は唇を結んだ。
「そうか……わかった」
『今、乗り捨てられていたトラックに乗り、軍事施設に向かっているところなんですが、矢崎副指揮官を医療室に運び次第現場に戻ります』
「いや、その必要はない。一旦現場を自衛隊に任せ、俺達もそっちに向かう。会議室で待機しててくれ。伝えねばならないことがある」
『わざわざこんな時に集まらなくても無線機で十分では?』
「……。無線機で伝える内容ではないから言っている」
『イエッサ。では会議室で待機しています』
君嶋は無線機から口を離し、目の前にいるレッドソウルの頭部を狙い、ショットガンを放った。一発で頭部が破壊され、顔面もろとも失ったレッドソウルがアスファルトに倒れた。
「…………」
無線機では伝えられない理由。それは余りにも重大だからだ。君嶋は<ノア>の移住を全員に伝えようと考えていた。
ワクチンの開発が無残な結果に終われば、その殆どが地球に置き去りにされる。ショックも大きいはずだ。だからこそ直接口で伝えたかった。
(もし、予定通り十年後の移住なら、全員<ノア>に行くことができたろうに……
だが、彼らはそれを喜ぶだろうか……どちらにせよ複雑だ……)
君嶋はスカイツリーに上っていくレッドソウルに目をやった。
「はっ」鼻で笑う。「馬鹿と煙は高いところに上がるってか……。遠吠えでもする気か?」
兵士らに命令する。
「スカイツリーにぶら下がっているレッドソウルも撃て!」
・・・・・・・・・・
その頃、軍事施設内の人体実験室で実験を行う三人は、細胞培養シャーレを手にしながらワクチン開発を進めていた。安全キャビネット内には、生体から<死者蘇生ウイルス>を感染させた三人の死刑囚がのらりくらりと歩いている。
死刑囚が何時間後に息絶えるのかを確認する為、観察し続ける。この実験を始めて三時間以上が経過しているが、それでも息絶える様子はなく、鼻孔から溶けた脳みそを垂らしながら延々と歩を進めていた。
「このウイルスは複雑だ。少しまとめてみないか?」玲人がミーティングを持ちかけた。
「私も同じ事を考えていたの」
玲人が言う。
「ラットに感染した場合即死だった。そしてその後<死者蘇生ウイルス>を投与しても蘇生しなかった。それは脳が崩壊している状態だから当然の事だが、人間でもおそらく結果は同じだろう」
「死への時間差はラットと人間の違いと言えるわね」シャノンが死刑囚に目やった。「脳への損傷が大きいからこそ自我を失い、知性をも失う。死者から感染させた場合と打って変わり、人格は崩壊し、凶暴性も増す」
佐伯が言う。
「身体能力も著しく低下する。だけど<新型狂犬病ウイルス>に感染してしまえば剽悍なモンスターと化す」
玲人は唇を結んだ。
「もし、全人類が<死者蘇生ウイルス>に感染したとし、息絶えたとする。だが<新型狂犬病ウイルス>に感染すれば、佐伯君の言うように剽悍なモンスターとなる。
命が尽きても<新型狂犬病ウイルス>にさえ感染すれば生前とは違う形で蘇生を果たせる。この状況が長く続いたなら地球上は<新型狂犬病ウイルス>に犯された人々で埋め尽くされるだろう。
……。僕は思ったんだ、開発した<死者蘇生ウイルス>は、まるで<新型狂犬病ウイルス>の誕生を予測していたのではないかと―――
人類を破滅に追いやる為に生まれてきたようなウイルスだよ」
佐伯が玲人に鋭い目を向けた。
「何のために?」
玲人が答える。
「僕は化学者だ。神の存在は君嶋指揮官同様に信じていない。だが、もし神が存在したとするならば、美しい地球を滅亡へと導く人間を消す為にこのウイルスを僕に託したのではないかと思うくらいだ……」
「ふざけるな!」玲人の襟首を鷲掴みにした。主任である玲人に対し、常に敬語だった佐伯も遂に堪忍袋の緒が切れた。「新藤博士、あなたは逃げてる! いつもそうだ! その度に俺やシャノンが負担を背負う! いい加減にしろ!」
「僕は……」
(逃げている……この現実を直視したくない為に逃げている? だが、何故<新型狂犬病ウイルス>が誕生した? それこそ人類を消す為に……
いや、そんな馬鹿なことはあるまい。僕は……逃げたい。ここから。この現実から……)
「佐伯君、言い過ぎよ!」
シャノンは佐伯の腕を掴み、玲人から離そうとするが、佐伯は一歩も引かない。
「シャノン! 恋愛感情抜きに考えてくれなきゃ困るんだよ!」
ギリギリと歯ぎしりし、声を荒立てる佐伯。全員、疲労もピークに達していた。苛立ちが募る。
「そんな……私はそんなつもりで言ったわけじゃない!」
玲人は佐伯の腕に手を置いた。
「佐伯君。君の言う通りだ。僕は逃げている。もう……」ポロポロと涙を零した。「もう、どうしていいかわからない」
「……。泣いてどうにかなるなら、いくらでも泣きますよ」佐伯は玲人の襟首から手を離した。「もう少し、主任らしくしてください」
「すまない……」泣きながら唇を震わせる。「こんな脆い男で本当に申し訳ない……」
気まずい雰囲気が漂う中、実験室内の壁に設置された電話が鳴った。泣いている玲人の代わりに佐伯が通話ボタンを押す。子機から浮き上がるクリアウインドウに安岡の顔が映し出された。その顔は焦燥感に満ち、ただ事ではない様子が窺えた。
『凛が重傷だ。医療室に運んだが、一応佐伯博士に知らせた方がいいかと思って』佐伯と凛が恋仲名である事は勘付いていた。その為、ラボに連絡を入れたのだ。
佐伯は顔色を変えた。
「凛が!?」
「<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルに右手を噛まれ……」一瞬間を置き、真剣な眼差しを向けた。「咬創の箇所をショットガンで吹き飛ばせと命令された俺は、矢崎副指揮官の右前腕を撃った」
佐伯は声を震わせ、恐る恐るたずねた。
「右前腕を失ったという事か?」
コクリと頷き、返事する。
「ああ……そうだ」
シャノンが訊く。
「感染は……」
安岡は答える。
「噛まれてから随分経つが、気を失ったままだ。感染していれば目を覚まし、レッドソウルと化すはずだから、たぶんしていないと思う。だが目を覚まさない限りはっきりとしたことは言えないけどな」
「そう……」
感染していなかったとしても凛は以前右脚を失い義足だ。その上右手まで失ったのだ。感染していなかったにせよ不憫に感じた。
佐伯が安岡にたずねた。
「医療室は?」
「一階執務室の近くだ。網膜センサーは設置されていないからすぐに入れる。行ってやれ」
玲人が漸く口を開いた。
「行ってあげなさい。矢崎さんには佐伯君が必要だ。後の実験は僕達に任せて」
「……。すいません」佐伯は軽く頭を下げ、実験室から出た。
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