第9話2050年【感染経路5】
凛は玲人達に声を張った。
「非常事態だ!お前たちはここで待つか、二階で待ってろ」
玲人は席から立ち上がり、凛に言う。
「僕達はラボに行かなきゃいけないんだ。網膜センサーに登録されてないのに、どうすればいいんですか!?」
「データ登録はあとだ、あと! それどころじゃない!」
「それどころじゃないって……」信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた後、語気を強めた。「原因究明の方が大事じゃないか!」
(いったい、君嶋指揮官はどんな命令を下したんだ? 賢人がいるからここから出て命令を聞いたんだろうけど……)
「原因究明を急いだって……」
“原因究明を急いだって死者は帰ってこない” と言おうとしたのだが、賢人はウイルス研究施設で何が起きたか知らない。それに現段階で知られてはならない。だから言葉を呑み込んだ。
「執務室にあるコンピュータでしか登録できないし、登録の為のパスワードは君嶋指揮官しか知らないんだよ! 君嶋指揮官は執務室を出たと思うし、どうにもできない!」
賢人が玲人のワイシャツを軽く引っ張り、静かに首を横に振った。
「凛さん、行ってください。聞き分けのない父ですいません」
普段敬語なんか使わない賢人がやけに丁寧だ、と玲人は違和感を感じた。
「…………」
「物分かりがいい息子だな」玲人の肩をポンポンと軽く叩いて、会議室を飛び出していった。
「賢人、お前いったい何考えてるんだ?」凛がいなくなった瞬間、玲人は賢人に目をやり、たずねる。
「俺を誰だか忘れたの? 天才メカニックだよ」
賢人は教卓のように前方に配置されている君嶋が座るデスクに向かい、その上に置かれているコンピュータの電源を入れた。
ピンときた佐伯が声を上げる。
「あー! わかった! ハッキングするのか!」
口元の端に悪戯っ子の笑みを作り、両腕を高く掲げて万歳した。
「ピンポーン! 大正解!」
玲人もいつもなら注意するところだが、今回は特例。
「お前ならできる! やってくれ、こんなところでいつまでも油を売ってる暇はないんだ」
シャノンが賢人にたずねる。
「そんな事本当にできるの? だって、軍事施設のコンピュータよ」
「どこだろうと俺の手にかかれば。まあ、見ててよ」
立ち上がったコンピュータからクリアウインドウが浮き上がった。賢人はキーボードに指を置き、慣れた手つきで素早くキーを叩き始める。
それから十五分が経過した時、コンピュータに網膜を登録する為の画面がクリアウインドウに映し出された。
「よし! 成功! さすが俺だね」
フレンド君が言った。
「才能は素晴らしいですが、とても悪いことですよ」
「普段こんなことしないよ。だってハッキングしてデータを変えたり登録したりするのは犯罪だしね」
玲人が賢人の頭をくしゃくしゃする。
「いい子だ!」
「やめてよぉ。髪型崩れるじゃん」玲人の手を払い除け、説明する。「まずクリアウインドウ内に映し出された画面に眼球を近づけ、網膜を登録する。お父さんたちがする事はそれだけだよ。登録完了までの工程は俺にまかせて」
「賢人、お前の網膜は登録しちゃダメだぞ」
「つまんないけど、わかってるよ」
網膜の登録を終えた三人は、賢人が自分の網膜を登録しないよう目を光らせ、クリアウインドウに集中した。
「信用ないなぁ」
「賢人は好好奇心旺盛だからね」
頬っぺたを風船のように膨らませ、つまらなさそうな表情を浮かべた。
「そうだけど」
「結局、軍事施設内の説明もしてもらえなかった」シャノンは佐伯に目を向ける。「佐伯君と話してばかりで。随分と仲良くなったのね」
頭を掻きながら誤魔化す。
「いや、その……気が合うみたい」
「気が合うだけかしら?」
「え!?」
(体も合うでしょ? って言いたいのか? いつ気づいたんだ?)
「同じ二十代だから、話題も共通する部分が多いのね、きっと」
「そう、そう」
(ホッ)
賢人が言った。
「この軍内のマップなら出せるよ。たぶん、凛さんはこれを見せようとしたんじゃないかな。
だけど、それより佐伯兄ちゃんとの会話に夢中だったみたいだけど。
俺の勘だけど、凛さんは佐伯兄ちゃんに気があるね、絶対」
「そうなのかな……」
(まあ、両想いだけど)
「押し倒しちゃえよ。強気な女ほど、強引な男に弱いんだ。ベッドの上では子猫かもよ」
玲人が叱る。
「賢人! 大人をからかうような事を言うなと、いつも言ってるじゃないか!」
「そうだよ、賢人君」
(もう押し倒しちゃったけど……てか、最近の子供って……マセてる)
「はいはい」適当に返事し、キーボードを叩いて操作した。「マップだよ」クリアウインドウに軍事施設内のマップが映し出される。
「沢山部屋があるけど、お父さん達に関係ありそうな場所は……」キーボードを叩く。「これかな?」
三人は賢人が出してくれたマップに集中する。
<一階>
東――隔離施設・ラボ・ケミカルシャワー通路
西――会議室・執務室
南――監視室
北――軍需物資武器保管・爆薬製造室・薬品保管室
<二階>
東――個室
西――個室
南――食堂・バー
北――個室
「ラボばかりでなく爆薬製造室まであるのか」玲人が驚く。「二階は兵士達のプライベートルームが中心になっているようだな」
佐伯が言った。
「ここまで設備が整っているなんてびっくりですね。バーまであるし」
顔を強張らせるシャノン。
「万が一を考えると、爆薬製造室の真上の個室は怖いわね」
コンピュータの電源を切った賢人は、玲人に目線をやった。
「お父さん、俺は二階の空き部屋で休んでるよ」
「その方がいい。余計な場所を覗かず、まっすぐ個室に向かうんだぞ」
「しつこいなぁ~、わかってるってば」
フレンド君が言った。
「大丈夫ですよ、お父様。私がついていますから安心してください」
「頼んだよ、フレンド君」
「はい」
「おっと! カメラ、カメラ」佐伯はハンディカメラを手にした。「記録係の俺の使命だ」
一同は会議室から通路に出た。賢人とフレンド君は二階に向かい、玲人達は東棟のラボに歩を進めた。
会議室に向かう前に通ったシャワー室に繋がるドアを開け、男女別の更衣室へと入り、防護服を着用する。佐伯はハンディカメラにカバーを装着させた。
更衣室から出た三人は、ボタン操作でケミカルシャワーが降り注ぐトンネル状の通路を進んでいく。ラボに続くハッチまで辿り着いた玲人が、壁に設置された網膜センサーに片目を寄せた。
解錠されたドアの前で親バカぶりを発揮する。
「さすがだ、ドアが開いたぞ。天才だな賢人は。将来が楽しみだ」
佐伯とシャノンは顔を見合わせ、クスリと笑いながらラボへと足を踏み入れた。罹患者の血液で満たされたスピッツを収めた保管ケースから、それを取り出し、研究に取り掛かった。
ハンディカメラの録画ボタンを押した佐伯は、全体が収まる位置に置き、スピッツを遠心分離機にかけた。
「凛は君嶋指揮官からどういった内容の命令を受けたんだろう?」
シャノンと細胞培養シャーレを用意する玲人が首を傾げる。
「わからない。君嶋指揮官は上戸から命令を受けたに違いない」
シャノンが言った。
「そうね、だってそれが彼らの仕事なのだから」
遠心分離機からスピッツを取り出した佐伯は、手順を終え、電子顕微鏡をスタンバイした。
「まず、シロから診てみましょう」
「そうだな。その次はシロに噛まれた研究員。最後に空気感染によってレッドソウルになった研究員の順で行こう」
「はい」
シロの体内の細胞で組み換えが起きたウイルスを電子顕微鏡にセットする。三人はモニター画面に映し出されたウイルスを凝視した。
組み換えが起きる前の<死者蘇生ウイルス>は、表面が均一な直径100ナノメートルの円筒型のウイルスだった。
しかし、モニターに映し出されたウイルスは、表面の均一さが完全に失われており、小さな棍棒状の粒子が密に敷き詰まった状態だったのだ。
玲人は深刻な表情を浮かべた。
「やはり……シロの細胞内で異種間の組み換えが起きたことは明白。それを確定させる為にも狂犬病ウイルスと<死者蘇生ウイルス>を組み換え、改変の様子を見る必要がありそうだ」
シャノンはモニターを指す。
「組み換えが起きたモニターのウイルスの表面をよく見て。狂犬病ウイルスにそっくりだわ」
狂犬病ウイルスは棍棒状の粒子が密に敷き詰まり、構成されている。シロの体内から検出したウイルスの表面が狂犬病ウイルスに瓜二つだった。
「ああ。確かに」玲人の掌が嫌な汗で湿っぽくなる。
「だからこそ、狂犬病ウイルスと<死者蘇生ウイルス>を培養してみないと」佐伯が言った。「ここに狂犬病のウイルスはありません。君嶋指揮官に連絡して持ってきてもらった方がいいかと思います」
「そうだな」壁に設置された電話に手を伸ばし、君嶋の腕時計型携帯電話の番号を押し始めた。「賢人がハッキングしたのがバレるけど、どっちにしろバレるし、仕方ないだろ」
「君嶋指揮官は賢人君に甘いからお咎めも軽く済むと思いますよ。俺がやったならぶっ飛ばされそうですけどね」
宙に浮き上がったクリアウインドウに君嶋が映し出された。その後方に続くウイルス研究施設の通路には、未だ遺体が放置されたままになっている。遺体の回収は進んでいないのだろうか? と疑問を感じた。
『どうした……ん?』君嶋は目を丸くし、玲人を凝視する。『何故、ラボにいる!?』
「あの……僕達も原因究明を急いでいたので、執務室のコンピュータにハッキングし、必要なドアに設置された網膜センサーのデータ登録を賢人にしてもらいました。すいません、勝手に」
目くじらを立てた。
『あの、悪ガキ!』
「君嶋指揮官の手間も省けたでしょう。賢人が登録してくれましたから」賢人を強調し、君嶋の苛立ちを鎮めようと図る。
『ったく! その他はデータ登録してないんだな?』
「はい。余計な場所は一切」
『ならいい。だが、二度とするなと言い聞かせろ。で? 用件は? こっちも忙しいんだ』
「<死者蘇生ウイルス>と狂犬病ウイルスを融合させる実験をしたい」
『こっちから狂犬病ウイルスと<ウイルス性新薬研究施設>から<死者蘇生ウイルス>をペアでラボに持ち替えればいいんだな』
「はい、お願いします」返事した後たずねた。「遺体の回収が進んでいないように見えますが」
『…………』一瞬、唇を結んだ。『この施設ごと吹き飛ばす事が決定した。遺体もな……』
「な!?」
三人は顔を見合わせ、佐伯が声を張った。
「遺族に遺骨を渡さないんですか!?」
『……。お前らも社会の闇組織に首を突っ込んでしまった。そんなことも考えず、日々楽しい化学ごっごに夢中になっていたんだよ。いいか、これが闇だ。
だが、安心しろ、鈴野と新藤博士の妻は火葬してやる』
君嶋の辛辣な台詞より、賢人を案じる。
「……。爆発音が聞こえたら賢人に何て言えば……」
『……。賢人はウイルス研究施設内で何が起きたかを知らない。研究中に大爆発を起こした、それでいい』
そう言って君嶋は、電話を切った。
玲人は重苦しい溜息をつき、屈んで頭を抱えた。
「僕のせいだ……無関係の研究員まで巻き込んでしまった」
「もう、どうにもならないんですよ。弱音を吐いている場合じゃないんです、新藤博士。シロに噛まれた研究員のウイルスを電子顕微鏡にセットします」
脆弱な心では駄目だと理解している。だけど、罪の念に心が押し潰されそうだった。
「すまない。実験を続けよう」
シャノンが玲人に顔を向け、頷いた。
「頑張りましょう」
「……。そうだな……」
シロに噛まれて罹患者になった研究員の血液から検出したウイルスが、モニター画面に映し出された。その構造はシロから検出したウイルスと全く同じだった。
続いて空気感染した研究員の血液から検出した<死者蘇生ウイルス>がモニターに映し出された。五年前同様、通常の<死者蘇生ウイルス>と同じ構造だ。
「培養してみよう」
玲人は<死者蘇生ウイルス>を細胞培養シャーレに付着させた。この培養に用いる細胞は急速培養細胞と呼ばれている。
通常はウイルスを付着させた培養シャーレを数日間に渡り、その経過を観察する。しかし、この急速培養細胞を用いれば、急速にウイルスを増殖させ、培養することが可能なのだ。
ウイルスを付着させた細胞培養シャーレを数分放置してから、佐伯が電子顕微鏡にセットした。
<死者蘇生ウイルス>が細胞膜と結合し、細胞内に侵入していく様子がモニターに映し出された。徐々に細胞は細かく分裂し、破壊された。やはり、これも五年前の実験同様の結果だった。
玲人が疑問を口にすると、
「何故、研究員達はレッドソウルになったんだ? あの時脳細胞だって破壊されていたはずだ」
佐伯が見解を口にした。
「ラットは直ぐに絶命したけど、人間はもう少し時間がかるのかもしれない。
死体から安定感のある通常のレッドソウルになる為には、脳内の状態が必須条件。だけど、それは飽く迄、死体であることが前提です」
考えを巡らせた玲人が言う。
「五年前、同じ状況でラットの実験を行った時、生きたラットに<死者蘇生ウイルス>を感染させ、死後、もう一度投与したが蘇生しなかった。確かに人間の脳細胞とラットの脳細胞の違いかもしれない。
生体からウイルスに感染した罹患者は、脳内損傷の重度が著しい。だから生前の記憶を失い、知能も無に等しい。運動機能も大幅に低下していたが、何ら不思議はない」
「だけど、その状態から蘇生を果たしても、当然の事ながらラット同様そのうち絶命する。私も二人が言うように、ラットと人間の差でしかないと思うわ」シャノンが言った。「シロの体内で組み換えられたウイルスに感染した罹患者が彼らに噛み付き、自分の脳細胞と脳神経を支配するウイルスを感染させれば、自分達の種を増殖ことができる」
胸の前で腕を組み、深刻な面持ちで語る玲人。
「ウイルス研究施設で空気感染からレッドソウル化した研究員は、軍によって全員他界した。
たとえ生き残っていたとしても、明日の朝には死んでいるだろう。脳内の状態が思わしくない場合、レッドソウルでいれるのは一時的なこと。
だが、シャノン曰く、シロの体内で組み替えられたウイルスは、脳への損傷が著しい状態でも、感染し、自己を増殖させることができる。まさに……」
“まさに最強の殺人ウイルス” その言葉を伏せ、だんまりと唇を結んだのは、心底不安だったからだ。万が一、このウイルスが街に蔓延したなら……ウイルス研究施設からずっとそればかり考えていた。
恐怖と不安が頭を擡げ、泣き叫びたくなる。だけど、本当に泣きたいのは、巻き込まれたウイルス研究施設の研究員だ。
しっかりしなくては と、玲人が防護服に包まれた頭をコツンと軽く叩いた。その時、けたたましい爆発音が聞こえた。地震が起きたかのようにラボ内がカタカタと揺れ動く。
どうやら、ウイルス研究施設の爆破が開始されたようだ。北と南は隔絶されているが、それでも至近距離で耳に響く爆発音のように聞こえた。事前に爆破させると君嶋に聞いていた三人も、その凄まじい爆発音に身を強張らせながら一カ所に固まった。
「賢人、怯えてるんじゃないだろうか……」
シャノンが玲人に顔を向けた。
「行ってきたら?」
玲人がラボのハッチに足を向けた直後、ラボ内の電話が鳴った。近くにいた佐伯が通話ボタンを押すと、個室にいる賢人の姿がクリアウインドウに映し出された。
『佐伯兄ちゃん! なんだよ、今の爆発音は!』
「賢人君」玲人に顔を向けた。「博士、賢人君が」
『父さん!』
玲人は、かなり怯えた様子の賢人に君嶋に言われた通り説明した。
「南のウイルス研究施設で事故が起きたみたいだ……」
『嘘つき……凛さんが急いで会議室を出た理由がコレでしょ?』唇と声を震わせて言った。『俺に言えない事なんだよね? 父さんが急いでラボに向かった理由もなにかも』
不憫だと思った。だけど、今、自分の口からは言えない。だから、謝るしかなかった。
「……。ごめんな、賢人」
『いいんだ。君嶋指揮官も言ってたでしょ? いつか話さなきゃいけない時が来る、その時まで待ってて欲しいって。
だから俺、その時を待ってる。父さんの口から直接聞きたいんだ』
「その時が来たら……必ず教える」
きっと、心底嫌われるだろう。僕は死んだ研究員達にとって悪魔に等しい化学者なのだから。僕は、賢人に言うのが、賢人に知られるのが怖い。嫌われるのが怖い。
妻に逢いたかった僕は<死者蘇生ウイルス>が人類の夢と希望になると信じ込んでいた。だけど君嶋指揮官が言ったように手を出してはならない研究だったんだ。安らかに眠るはずだった結子にも、賢人にも……悪いことをした。
『研究、頑張ってね』精いっぱいのエールを送り、賢人は電話を切った。
懺悔を呟き、唇を結んだ。
「賢人、結子……本当にすまない」
その後も何度かに渡り、けたたましい爆発音がラボに響いた。それからやや暫く時間が経過した頃、防護服を着用した君嶋指揮官が現れた。右手にはバイオハザード物質を収めるケース。左手にもケースを持っていた。
「頼まれたブツと、一応、狂犬病のワクチンも持ってきてやったぞ」
玲人は軽く頭を下げ、二つを受け取る。
「すいません、ありがとうございます」
君嶋は説明を伏せたラボの奥の重厚なドアに目を向けた。
「奥の実験室は見たのか?」
「いえ。なんだか、知るのが怖くて近寄ってもいません」
「そうか。知らない方がいい。俺は執務室に戻る。新たな発見があったらすぐに知らせること。どんな小さなことでもな」
「はい、わかりました」
「携帯にかけてきてもいいが、執務室の内線は1だ。携帯電話を長々と押すより楽だぞ」
君嶋はケミカルシャワーの通路と繋がるハッチに歩を進ませ、ラボを後にした。三人は早速、<死者蘇生ウイルス>に狂犬病ウイルスの改変実験にとりかかった。
ハンディカメラを手にした佐伯は、レンズを自分に向け、実験内容を語る。
「映像記録者佐伯純一。八月四日、午後十七時二十五分。<死者蘇生ウイルス>と狂犬病ウイルスの組み換えによる改変実験を開始します」
玲人にレンズを向けた。玲人が説明し始めた。
「<死者蘇生ウイルス>を犬に投与したところ狂犬と化した今日の惨劇を、もう既にご存じかと思います。
この犬は狂犬病ウイルスに感染していた。そこに<死者蘇生ウイルス>を投与した結果、犬の体内で異種間のウイルスによる組み換えが起き、未知なるウイルスが生み出された。
それが僕達の見解です。そして、その見解が正しければ、実験後、ウイルスは狂犬の体内から検出したウイルスと同じ構造になるはずです」
玲人は、バイオハザード物質を収めるケースから<死者蘇生ウイルス>と狂犬病ウイルスを取り出し、二つのウイルスを細胞培養シャーレに付着させ、シャノンに渡した。
それを受け取ったシャノンが電子顕微鏡にセットすると、モニター画面に二つのウイルスが映し出された。
均一な表面の円筒型の<死者蘇生ウイルス>が、棍棒状の粒子が密集する狂犬病ウイルスと入り混じり、溶けるように構造が崩壊した。
その直後、狂犬病ウイルスと融合した<死者蘇生ウイルス>は、再び円筒型の形状に戻ったが、表面の均一さは失われ、棍棒状の粒子が表面を支配していた。
三人は新たな殺人ウイルス誕生に息を呑んだ―――
「狂犬から検出したウイルスと同じ構造です……」
玲人はレンズに顔を向ける。
「致死率100パーセント。潜伏期間は狂犬病同様、咬創の位置で異なります。しかし、潜伏期間と呼ぶには余りにも早すぎる発症ですから、潜伏期間と呼ぶより、潜伏時間と呼んだ方がいいでしょう。
感染症を発症した罹患者、つまりレッドソウルと化したなら、凶暴化し、人間や動物に猛威を振います。
空気感染の有無に関しては、後日ラットを用いた実験を<ウイルス性新薬研究施設>で行おうと思います」
数秒間を置き、真摯な面持ちで、このウイルスの名前を口にした。
「僕はこのウイルスを<新型狂犬病ウイルス>と名付けます―――」
玲人が無言で頷くと、佐伯は実験終了の合図だと判断し、ハンディカメラの電源を切った。
「君嶋指揮官に言ってコンピュータを借りて編集し、暗号化した映像を上戸さんに送信します」
「お願いします。その後、君嶋指揮官にも見せてあげて欲しい」
「はい、勿論です」
シャノンが重い口を開いた。
「BSL4が一つ増えたわね。だけど民間には知らされない、未知のウイルスよ。
また五年前のように研究を断念せざるを得ない状況にならなければいいのだけど」
「沢山の死者が出たんだ。それはないと思う」少し間を置いた。「僕はあの時、何故、シロの検査を怠ったのかと考えると……」
その時、佐伯のお腹の蛙が鳴き、実験室から緊迫感が掻き消される。
『ギュルルルルル~』
赤面し、咄嗟にお腹を押さえた。
「腹ペコなんすよ」
シャノンがフォローする。
「どんな状況下に置かれても、お腹って空くのよね」
「賢人もお腹を空かせているだろう。食事を取ってからミーティングにしよう」
三人はハッチを開け、ケミカルシャワーが降り注ぐ通路を歩いて更衣室に入っていった。
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