第14話2050年【戦闘1】
部下を率いて軍事施設から出た君嶋が、ジープで鉄橋を横断し始め数分が経過した頃、民間人が鉄橋の封鎖に当たっている兵士達に群がって抗議している姿が見え始めた。
君嶋は首から下げた双眼鏡を覗き、民間人に視線を集中させる。皆マスクを着用していた。心理は理解できるが、ほぼ無意味だろう。
案の定、そのうちの数名が空気中に漂う<死者蘇生ウイルス>に感染し、アスファルトに倒れ、悶え始めた。恐ろしい光景に惴慄とした民間人が悲鳴を上げて騒然とする様子を見た君嶋は、双眼鏡から目を離す。
特殊部隊が乗るジープは民間人まで距離があった。しかし、大勢で罵るその大声はこちらにまで届いていた為、双眼鏡を覗かなくても状況が理解できた。故に、敢えて苦悶する姿を見る必要はないと双眼鏡を覗くのをやめたのだ。
固く唇を結んだ君嶋の耳に、橋の封鎖に当たる兵士の声がはっきりと聞こえた。そして、敵愾心を剥き出しにする民間人の声も……
兵士が群がる民間人に大声を張る。
「自宅に籠っていた方が感染する確率が低い! ここにいては危険だと何度も言っているだろ!」
「どこにいても一緒だ!」民間人らは兵士に歯向かう。「新藤玲人を出せ! 今すぐきちがい化学者を出しやがれ!」
乗車する部下の一人が双眼鏡を覗き、前方に群がる民間人に目をやりながら疑問を口にする。
「マスクでは感染するでしょうね。しかし……感染しない者もいる。いったい、何故……」
君嶋が言った。
「さあな、たぶん……免疫力の違いかもしれん。きっと、遺伝子的なモノだろう」
もう一人の部下が言う。
「インフルエンザの患者がごった返す中に身を置いても移らなかった俺みたいな感じっすかね?」
「そんな単純な話じゃないと思うがな……」
ジープが封鎖地点手前に到着した。君嶋達は、今しがた生体から<死者蘇生ウイルス>に感染した微動だにしない民間人に向かい即座に発砲した。
けたまましい銃声が周囲に響き渡る。頭部と肢体に幾つもの風穴が開いた無惨な死体がアスファルトを赤くした。
死者がレッドソウルとなり背を起こせば、また被害者が増えるだけだ。なるべくなら非感染者の死は避けたい。
君嶋達は警戒態勢を緩めることなく、叫喚する民間人の合間にジープを走らせ進もうとするが、恐怖に我を失った者達がボンネットに膝をつき、にじり上がってくる。
このままでは前進できない。やむを得ず機関銃の銃口を空に向け、威嚇射撃を行った。
「轢かれたくなければ、どけ!」
ジープの周囲に群がっていた民間人は、一人の男を除き、銃声に身を強張らせながら数歩あとじさる。
その一人の男はボンネットに乗った状態でワイパーを握り締め、血走った眼を君嶋に向け、瞬目一つせずにたずねた。
「もう威嚇射撃にはビビらねえ……。家に籠っていれば感染しないのか? 何の情報もなく、死を待つなんてまっぴらごめんだ」
「………。そろそろ、政府から国民に何らかの情報が与えられるはずだ……全国規模の停電に陥る前にな。わかったらさっさとボンネットから降りろ」
「俺は絶対にゾンビ……いや……レッドソウルだったな……俺はレッドソウルにはなりたくない。冗談じゃねぇ、なってたまるかよ」
男がワイパーから手を離し、ボンネットからアスファルトに足を下ろした直後、君嶋はアクセルを強く踏み、都心部へと急いだ。
その頃、新宿東口付近で任務に当たっていた凛は、安岡を含めた数十人の兵士と自衛隊と共にレッドソウルと闘っていた。
ここには既に民間人はおらず、<新型狂犬病ウイルス>に犯されたレッドソウルが蔓延る巣窟と化していた。
通常ならこの時間帯は、社会人やお洒落をした人々で賑わっているはずなのだ。しかし、アスファルトには息絶えたレッドソウルが横たわり、その合間を縫うように血液が飛散した非日常的な光景がどこまでも続いていた。
凛率いる軍人らは、攻撃態勢を取りながら血塗れの路上に歩を進める。一歩ずつ進む度、群れを成した数百匹のレッドソウルと狂犬がこちらに深紅の鋭い双眸を向けてくる。
凛は嫌な予感がした―――機関銃を握る手が不安と緊張を孕ませた汗で湿っていく―――
目だけで建ち並ぶビルの屋上を見る。地上だけでなく、ビルの屋上にもレッドソウルの群れがこちらを威嚇しながら見下ろしていた。数百匹はいるであろうレッドソウルに周囲を囲まれている。
人間とは比べ物にならない身体能力を持つレッドソウルに痛覚は存在しない。それ故、正常な人間なら激痛を伴う無茶な攻撃をも容易く仕掛けることができる。上空から攻撃されては、こちらの勝利の色が薄くなってしまう。
多くの部下と自衛隊を率いる凛は、戦略を練って闘っていたつもりだったが、敵に周囲を固められるということは、逆に敵の戦略に嵌っていたということ。
レッドソウルの中に戦略を考える知能を持つ指導者(リーダー)がいるように思えてならなかった。
頼みの綱だった消防車もタンク内の水が切れてしまい、交代で出動するはずだったのだが、殊(こと)の外(ほか)遅い。
もしかしたら、消防署に警護に当たっている自衛隊らもろともレッドソウルによって壊滅させられたのでは? と、思わず最悪なケースを想像してしまう。
しかし、それなら無線機に連絡が入るはずだ。焦燥感が恐怖心を掻き立てる。気持ちを落ち着かせようとした凛は、息を深く吸い込んで吐き出した。
一瞬唇を結んだ。
「どうなっていやがる……くそ」
(凄い数だ。あたしらだけで片付けるのは無理がある……)
一同が息を呑んだ瞬間、地上のレッドソウルが猛烈な速さでこちらに突進してきた。凛は大声で命令を下した。
「撃てー!」
その時、ビルの屋上にいたレッドソウル達が地上を目指し、一斉に飛び降りてきた。上空からの攻撃。凛の嫌な予感は的中する。
地上を跳梁するレッドソウルを撃つ兵士と、落下してくるレッドソウルを撃つ兵士に別れ、無我夢中で発砲する。
地上のレッドソウルに発砲する兵士目掛け、ビルから飛び降りたレッドソウルが体当たりの攻撃を仕掛けた。
たとえ軽いテニスボールでも摩天楼の下を歩く通行人目掛け落下させたなら、スポーツ用品の範疇を超えた凶器でしかない。
それが人間の重量ともなれば死は待逃れないだろう。直立不動で落下したレッドソウルの攻撃を脳天に喰らった兵士は、頭蓋が陥没し、頚椎骨折で息絶えた。
だらりと垂れ落ちた頭部をぶら下げた兵士の胴体を軽く持ち上げたレッドソウルは、陥没した頭部に噛みつき、<新型狂犬病ウイルス>を感染させ、別の兵士に襲い掛かっていった。
このレッドソウル含め、ビルから投身した全てのレッドソウルは、落下の衝撃で折れた骨が脛から飛び出している状態だった。
通常の人間なら立てるはずもない複雑骨折だが、無痛覚のレッドソウルは素早い動きで銃弾を掻い潜り、攻撃を躱していく。戦地での経験を持つ凛でさえ、死への恐怖を感じずにはいられなかった。
だが、怯むことなく、背後から援護する兵士と共に進んでいく。アスファルトの血溜まりに足を踏み入る度、跳ね返る血液がブーツの紐とカーゴパンツを色濃く染めていった。
一同がアルタの真正面を横切った時、街頭テレビ(アルタビジョン)に厚生労働大臣が映し出された。銃声と悲鳴が厚生労働大臣の声と重なり合い虚空に響く。
『世界中が今大変な事態に陥り、多くの国民が亡くなりました。しかし、根も葉もない荒唐無稽の巷説を鵜呑みにしないでください。
ゾンビウイルスに関し、様々な憶測が飛び交っておりますが、<死者蘇生ウイルス>など存在致しません。昨日<化学島>で起きた爆発も無関係であります。
BSL4に属する感染症のワクチンの開発に携わってきた新藤玲人博士が、そのウイルスの生みの親など馬鹿げた話としか言いようがありません。
現在、把握している情報は、ゾンビウイルスの空気中の滞在期間は大凡(おおよそ)二週間程度。感染力が弱まるまで決して自宅から出ないでください。
その間の食事等は軍の方でエナジーバンドなるものを配布いたします。
えー、こちらに関しては……』
この状況で街頭テレビなど悠長に眺める余裕はない。凛は一瞬だけ画面に目をやり、厚生労働大臣を睨みつけ、舌打ちした。
(どこまでも隠蔽かよ)
銃を乱射させながら一人の自衛隊が言った。
「大嘘だ! <化学島>で<死者蘇生ウイルス>を創っていたのは間違いない! そして、こいつらは、ゾンビなんて名前じゃない! レッドソウルだ!」
凛の背後で銃を乱射させる兵士が、このウイルスを創り出した玲人に対する恚望を吐く。
「何が “赤い血の通った魂だ” ふざけやがって! “赤い血の通った魂を喰らう魔物” それがレッドソウルだ!」
凛の左方向にいた狂犬に向かってショットガンを発砲した安岡は、兵士の台詞を聞かないふりをした。
確かに兵士の言う通りだが、賢人のことが頭を過ってしまう。安岡には年の離れた弟がいた。いつも自分の後ろを着いてくる可愛い弟だった。
だが、無情にも六歳を迎えた年に白血病で他界した。君嶋が自分の息子を賢人に重ねてしまうように、安岡もまた弟を重ねていたのだ。
「息が上がってるぜ」安岡が凛に言った。「数が半端じゃない。消防車はまだなのか? 俺達が全滅しちまいそうだ」
「ああ、わかってる! なんで来ないんだよ!」
凛が無線機に口を寄せた瞬間、<新型狂犬病ウイルス>に感染した兵士に防護服の背中部分をグイッと鷲掴みにされる。
背後を取られないように援護する兵士をつけていたのだが、その兵士は既にレッドソウルの餌食となり、アスファルトに倒れていた。
安岡が凛に噛みつこうとしているレッドソウルに銃口を向けた直後、今しがた凛の後方で援護を務めていた兵士がレッドソウルと化し、アスファルトに這いつくばった状態で足に絡みついてきた。
安岡は即座にレッドソウルの頭部を蹴飛ばし、顔面にショットガンを放った直後、凛の悲鳴が聞こえた。すぐさまショットガンの銃口を凛の方向に向けるが、目を離したほんの数秒の間に凛の右前腕はレッドソウルに噛みつかれていたのだった。
「あ……あ……」悲痛な声を上げる凛。「早く……撃て」
慄然とした安岡の頭の中が絶望感でいっぱいになった。
「そ、そんな、まさか……」
だが、動揺する安岡とは対照的に、凛はカッと目を見開き、大声を張った。
「ウイルスが全身に回らないうちに、あたしの腕を撃てって言ってるんだよ! このうすのろ!」
「……。マジかよ……何言って……」
つまり、ソウルレッドが噛みついた右前腕部をショットガンで吹き飛ばせ、ということだ。
躊躇した安岡は意を決し、凛の右前腕にショットガンを放った。けたたましい音と共に木端微塵に粉砕した右前腕の骨肉が瞬時に宙を舞い散る。
凛の命令を実行した安岡は、息つく間もなく、もう一発をレッドソウルの頭部に放った。頭蓋を抉られたレッドソウルは絶命し、白目をむいて斃れた。砕け散った凛の骨肉とレッドソウルの頭部から飛散した脳みそが、アスファルトの上で混濁していった。
激痛に顔を歪めた凛は、失った腕を押さえて、断末魔に近い声を上げた。夥しい血液が滴り落ちる。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
その時、周囲に水が降り注いだ。漸く七台の消防車が到着した。凛はふらつきながら消防隊員に悪態を突く。
「おせえよ、クソッたれどもが……」
消防車から放たれる水を浴びたレッドソウルは痙攣し、次々とアスファルトに倒れ始めた。水に恐怖を感じるとは言え、尋常を超える身体能力を持つ。
攻撃や放水を躱され、噛まれては元も子もない。安岡に支えられている凛は、指示を出そうとした。しかし、形勢逆転の兆しが見え、安堵したのか、全神経が痛みに奪われていく。視界が霞んで曖昧になると、朦朧とした意識がやがて暗闇に落ちていった。
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