第5話2050年【感染経路1】

 民間で東京25区と呼ばれている宇宙基地に繋がる地底都市へと降り立つ手前に建つ軍事施設の監視室にて、戦闘服(BDU)(Battle Dress Unifrm)に身を包んだ君嶋が怒号を響かせながら監視係の頬を殴った。


 前置きもなしに突然殴られた監視係は、不服な表情を浮かべたが、長時間居眠りしていたのも事実であり、何も言い返せずにだんまりとした。


 君嶋は殴りつけた部下を押し退け、軍事施設内や<ウイルス性新薬研究施設>の監視カメラの映像が収められた監視室の記録データを巻き戻し、佐伯が撮った戦慄の一部始終と同じ場面が収められている光景を見せた。


 この映像は操作一つで兵士達全員が前腕に装着している液晶画面が取りつけられた無線機にも送信される。

 画期的な無線機にはもう一つ機能が備わっており、GPS発信機が搭載されている。これにより液晶画面で味方の位置を確認する事ができる。


 無線機自体、敵の電波を妨害する作りなので、敵に位置を知られることもなければ、傍受される心配もない。特に複雑な建物内での戦闘では、なくてはならない機能なのだ。因みに当然の事ながら、君嶋も無線機を前腕に装着している。


 無線機の液晶画面から映像を目にした軍事施設内の兵士達も、そしてモニター画面を凝視する監視係も、事態の重大さに身震いした。驚愕した監視係はモニター画面に両手を置き、映像を覗き込む。

 「信じられない……これはいったい……」

 

 「……。残念ながら現実だ。合成画像じゃねぇぞ」ぼそっと言った後、一考する。「…………」


 君嶋は軍事施設に到着後すぐに執務室へと直行し、上戸と連絡を取り、非常事態である事を伝え、電話を切った。数分後、上戸から折り返しの電話があり、次のような指示を受けた。


 鉄橋の封鎖と、凶変した化学者を抹消せよ――


 エマージング対応策として、空港の規制は政府が対応するとのことだが……

 それにしても、よくも簡単に抹殺という言葉が使えるな。自分らが手を下さないからだろうか、そこに罪悪感など微塵も感じさせなかった。

 そうだ……どうせ俺達が撃ち殺すんだ。罪悪感などあるはずがない。


 民間人に<死者蘇生ウイルス>の存在を伏せておきたい政府の要望と指示に応えるべく早急に事態を鎮圧する為、マイクに口を近づけた。

 「よく聞け、クソ野郎ども」


 この放送も軍事施設内のスピーカーのみならず、映像同様に無線機へと繋がっている。無線機から直接命令を下すことも可能だが、軍事施設内のプライベートルームでのんびりと休暇中の部下もいる為、敢えてマイクを選択した。

 全ての室内に放送が行き渡るように全室にスピーカーが設置されているので、無線機を外していたとしても聞き逃すことはない。


 「見ての通りだ。貴様らがぼさっとしている間に非常事態発生だ」辛辣な嫌味を吐き捨てる。

 「<死者蘇生ウイルス>の罹患者であるレッドソウルがいるであろう南のウイルス研究施設に武装して乗り込む。A班とB班は一階北棟 軍需物資武器保管倉庫へ急げ。

 C班に関しては防護服着用後二班に別れろ。一班は<ウイルス性新薬研究施設>からウイルス汚染防護服を着用した新藤博士、佐伯博士、シャノン博士がこちらに向かっている為、東棟にて待機せよ。

 二班は鉄橋の封鎖を命じる。以後、出入口は東棟のみとする。以上だ」


 東西南北の棟に分かれた二階建ての軍事施設は、渡り通路で繋がっており、屋上にはヘリポートが設けられ、上空から眺臨すれば漢字の“田”を形成している。


 それぞれの棟には網膜センサーが設置された出入口があり、軍事施設内の兵士以外には反応せず、玲人ですら勝手に侵入することは許されていない。


 東棟は、万が一、感染症が蔓延した事態に備えた隔離施設になっており、エントランスの入口を繋ぐ密閉された気密性の高い短いトンネルが設けられ、ボタン一つでケミカルシャワーが降り注ぐ仕組みになっている。


 トンネル内部の構造は、スーツ型実験室の出口と同様であり、隔離施設専用のエントランスなので普段は施錠されている。また、三ヶ月にいっぺん定期的に点検を行うが、本格的な東棟エントランスの開口は軍事施設が建設されて以来、初めてのことである。


 「お前はここで東棟以外のハッチを封鎖しろ」監視室のコンピュータからハッチの封鎖も可能な為、監視係に命じた。


 監視係は戦地で闘っていた頃と同様の勇ましい兵士の眼光を放ち、返事を返す。

 「了解です、君嶋指揮官」


 監視室から通路に出た君嶋は深刻な面持ちで軍需物資武器保管倉庫へと歩を進ませながら、C班の二班の兵士数名に連絡を取った。


 前腕に装着した無線機に口を近づけ、命令を下す。

 「新藤博士の息子の賢人君が自宅マンションにいる。東棟の隔離施設に誘導してくれ。感染の有無等の検査は新藤博士らが行う」


 君嶋が部下と連絡を取りながら北棟に向かっていた頃、防護服を着用した厳戒態勢の兵士たちが立つ東棟に玲人たちは辿り着いた。


 外壁に設置された網膜センサーに兵士が歩み寄り、液晶画面に片目を寄せる。ドアが開くと、内壁に設置された赤いボタンを押した。トンネル状の通路にケミカルシャワーが降り注ぐ。


 悍ましい事態を招いた化学者をよく思っていない兵士は、刺すような双眸を向けてきた。

 「行け」


 三人は悪魔を見るようなその目を直視できず、固く結んだ沈黙の唇のまま通路へと足を踏み入れた。正面のケミカルシャワーの跡切れには兵士が一人立っており、その奥には軍事施設内部に繋がるハッチがある。


 三人を見た兵士は網膜センサーに目を寄せ、ハッチを開けた時、佐伯がポツリと言った。

 「皆さんの目が怖いですね」


 ハッチを通り抜けた三人の正面に、網膜センサーが取りつけられた重厚なドアで遮られた西棟へ向かう渡り廊下が見えた。


 左右には<隔離施設>と書かれた案内表が取りつけられた通路が続いており、隔離室と思われるドアが整然と立ち並んでいる。


 北棟方向の突き当たりは渡り廊下同様、網膜センサーつきのドアが一つ、その左側には何も設置されていないドアが立ちはだかる。たぶん左側のドアは施錠されているだろうと読み、三人は触れようともしなかった。


 東棟は<隔離施設>なので気密性が高く、密閉された造りになっている事は理解した。しかし、網膜センサーのデータに登録されていない三人にとっては八方塞がりでしかない。

 

 首を傾げた玲人が腕時計型携帯電話で君嶋に連絡を取ろうとした時、渡り廊下のドアが滑るように開き、防護服を着用した一人の兵士が現れた。驚いたことに防護服のヘッド部分から覗く顔は若い女だった。


 三人は同じ事を考え、顔を見合わせる。

 (女の兵士がいたんだ……知らなかった)


 「これから君嶋指揮官が待つ北棟の軍需物資武器保管倉庫に行く。着いてきな」

 口は悪いがかなりの美人だ。化粧っけのない褐色の肌に浮き上がるような力強い切れ長の双眸を三人に向け、ぶっきらぼうな男口調で言った。

 「監視係がサボってて状況が把握できなかった。事態の悪化に関し、確かにこちらにも落ち度はある」重苦しい溜息をつく。「あんたらが創り出したウイルスのお蔭で、とんでもないことになっちまったな……」

 渡り廊下を歩き、女は網膜センサーに片目を寄せた。

 「お前らの網膜も一時的にデータ登録した方がいいかもな。いちいち面倒だし」


 育ちのよい才女と共に仕事をすることが多い玲人と佐伯。女の口の悪さに戸惑い気味だった玲人とは対照的に、女に興味を持った佐伯がたずねる。

 「名前は?」


 「矢崎凛(やざきりん)」名前を口にした後、誇らしげに言った。「若干二十四歳で副指揮官を任されている」


 「君嶋指揮官の右腕でもあるんだね」


 「まーな」


 網膜照合を終えたドアが解錠された。一同は西棟へ続く通路に入り、北棟へと進む。隔離室が連なる東棟と異なる造りの西棟の通路には、行く手を阻む余計なドアもなく、スムーズに君嶋がいる軍需物資武器保管倉庫に辿り着けた。

 

 だが、通路を遮るドアは無くとも、軍需物資武器保管倉庫の重厚な扉には、当然の事ながら網膜センサーが設置されている。凛は再び網膜センサーに片目を寄せ、ドアを解錠した。


 倉庫内は多種多様の銃が種類ごとに陳列され、その他にも見たこともない武器が保管されていた。奥には巨大なシャッターが見える。おそらく外に繋がっているのだろう。


 倉庫内の武器に若干の興奮を覚えた映画好きの佐伯は、思わずハンディカメラの録画ボタンを押し、内部の光景を収め始めた。その非常識な行動に給弾ベルトを肩に掛けた君嶋が眉根を顰め、ベルト給弾式機関銃の銃口を佐伯に向ける。


 「撃ち殺されたくなかったらカメラを止めろ」


 佐伯はビクリと身を強張らせ、君嶋と周囲に立つ兵士達の険しい表情に目をやった。

 「は、はい」

 (ヤバい。みんな怖い顔してるよ)


 顔色を変えたシャノンが、ハンディカメラのレンズを掌で遮った。

 「すぐに止めます」佐伯に目をやる。「早く止めて」


 玲人も顔を強張らせ、小声で「止めなさい」と注意する。


 佐伯は停止ボタンを押し、段ボール箱が積み上げられた棚にハンディカメラを置いた。

 「ここに置かせてもらっていいですか?」


 「好きにしろ」返事を返した君嶋が、「銃は使えるか?」とたずねた。


 実物を見たのは今日が初めて。三人は激しく首を振り、拳銃を拒否する。だが、強引に拳銃を押し付けられた。


 「使え」


 受け取った三人は、初めて手にする拳銃の重量感に驚く。玲人が手を震わせながらたずねる。

 「どうやって使えば……」


 「銃口を敵に向けてぶっ放す。以上だ」


 当たり前であり、且つ単純明快な説明ではあるが、拳銃未経験者にとっては頭が混乱する。君嶋は動揺の色を浮かべる三人を余所に、慣れた様子で銃を手にする兵士達を率いて、保管室の奥に連なるように停車したジープに乗った。


 正面の巨大なシャッターが上がると、眩しい日光が一同を照らす。太陽はいつもと変わらぬ顔なのに、この先に地獄が待っているような気がした玲人は、ギュッと握り拳を作って恐怖に駆られた感情を押さえた。


 君嶋が乗るジープの助手席に飛び乗ったライフル銃を持つ凛が、三人に声を張った。

 「急ぐよ。ぼさっとすんじゃないよ」


 三人が後部座席に腰を下ろしたのを確認した君嶋は、アクセルを踏んだ。部下達も次々と軍事施設の外にタイヤを走らせる。


 自分達の心とは異なり、東京湾の波は穏やかだ。心地よいはずの潮風の匂いさえ、重く肩にのしかかるように思えた。


 玲人は<ウイルス性新薬研究施設>にふと目をやり、その裏に建つ自宅マンションでロボットの研究をしている賢人を心配した。


 高速で走行するジープは<ウイルス性新薬研究施設>を横切り、北と南を区切る塀の中心に聳え立つ扉の正面に辿り着く。停車させたジープから凛が降り立ち、塀に設置された網膜センサーに片目を当てた。


 『照合……矢崎凛、網膜合致』


 照合確認を終えた扉が重量感のある音を響かせながら開いた。凛は再び軽い身のこなしで再びジープへと飛び乗る。


 久しぶりに南の景色を望む三人は、もっと楽しい時に眺められたらよかったのにと、一瞬唇を結んだ。


 ウイルス研究施設に勤める研究員の自動車が並ぶ駐車場を横切り、ジープを停車させ、君嶋がアスファルトへ降り立った。君嶋は四階建てのウイルス研究施設を見上げた後、凛率いるB班に目を向け、政府の指示通り命令を下す。


 「凶暴化した罹患者(レッドソウル)は撃て。感染の有無が不明な者については撃つな」


 凛が言う。

 「罹患者はぶっ殺せってこと?」


 「そうだ」


 政府の指示であることを知らない佐伯は、血も涙もない命令を下す君嶋が冷酷無慈悲な闘うクローンに見えた。


 「新藤博士、自分はB班に行きます。鈴野を……」

 

 親友の鈴野を自分の手で殺したい。それを口にしてしまえば血も涙もない君嶋と変わらない気がした佐伯は、台詞を呑み込んだ。


 「僕は君嶋指揮官に着いて行くつもりだが、もしB班の行く手に妻がいたなら携帯に連絡を頼みたい。妻を……愛して……」


 佐伯が返事を返すより先に君嶋が口を開く。

 「連絡を受けてどうする? どうやってB班の許へ行く? 誰が殺そうが一緒だ。そこにあるのは死だ」


 君嶋の鋭い目は、護衛はしないと言っている。だが、玲人は食らいつく。

 「自分一人で行く! 妻を……妻を愛しているんだ!」


 「ちっ」舌打ちをする。「ウイルスを生み出したのはお前だ。そのお前に死なれては困るんだよ!」


 打たれ弱い玲人が俯いた時、白衣を纏った大勢の研究員達が悲鳴を上げながらエントランスを飛び出し、救助を求め、こちらに走ってきた。


 返り血を浴びた赤い白衣に身を包む研究員の男が叫ぶ。

 「助けてくれー!」


 その時―――パニック状態の研究員一同が突如断末魔を上げ、次々と大地に倒れ出した。

 

 玲人達も君嶋率いる兵士も、倒れた研究員に目をやる。現場は一瞬静まり返り、研究員の呻き声一色になった。ものの数秒も経たないうちに研究員一同の双眸から血の涙が溢れ出した。その直後、全身の血管も葉脈のように浮き上がり、一斉に痙攣し始める。

 

 君嶋は研究員の体内で何が起きているのか、その答えを玲人に求める。

 「どうなってるんだ!?」



 五年前の生体ラットで試みた実験が頭を過った三人は、脊髄に流れる髄液が一瞬にして氷水に入れ替わったような気がした。


 鈴野が<ウイルス性新薬研究施設>の実験室から持ち出した<死者蘇生ウイルス>がウイルス研究施設内で蔓延した―――


 あの時、ラットの脳は破壊され、<死者蘇生ウイルス>が宿主を死に至らしめた。しかし人間の細胞を用いて実験したわけではない。


 それらに関する研究は上戸を介し、政府に要求したが却下された為、<死者蘇生ウイルス>が生体に及ぼす影響は依然として不明のままだった。


 生体に感染した場合、罹患者は地獄の苦悶を虐げられる―――


 三人の予想を遥かに凌ぐ研究員達の苦痛。鬼の形相で断末魔を上げながら、地面をゴロゴロとのたうち回っていた。


 やがて膨張した全身の血管が破裂し、大量の血飛沫が宙を舞った。ラット同様、脳みそが入り混じった乳白色の血液が鼻孔からドロッと垂れ落ち、苦悶の末に息絶えた。


 一人の兵士が研究員の亡骸に歩み寄り、狙撃銃の銃口で軽く突いてみる。充血した動かぬ黒い双眸の中心に大きく開いた瞳孔を確認し、君嶋に顔を向けて静かに首を横に振った。


 誰もが絶命したと思ったその瞬間、突如背を起こし、今しがた生死の確認をした兵士の首に組みつき、勢いよく噛り付いたのだ。


 <ウイルス性新薬研究施設>で凶暴化した研究員たち同様、兵士に噛みついたその研究員もレッドソウルの証である深紅の双眸に変貌していた。


 防護服を貫く強靭な歯で肉に埋もれた血管を喰い千切ぎられた兵士は、悲痛な悲鳴を上げた。君嶋は咄嗟にレッドソウルと化した研究員の頭部を機関銃で撃ち抜く。レッドソウルは生ける死者から再び動かぬ死者となり、アスファルトに倒れた。砂埃と共に赤い血が舞い散る。


 噛まれた兵士に声を張った君嶋。

 「大丈夫か!?」


 「は、はい……君嶋……君嶋……き……」兵士は全身をガタガタと痙攣させ、唇の端から唾液を垂らし始めた。黒い双眸が見る見るうちに深紅へと染まっていく。

 「アガ……ガ……ガ……」言葉として成り立たない声を出し、フラリと立ち上がった。


 凛が君嶋より先に罹患した兵士に銃口を向け、銃弾を放った。

 「あいつら研究員もレッドソウル化した狂犬に噛まれたのか!?」焦燥の色を浮かべた凛。「全員噛まれちまったのかよ!?」


 「シロ……狂犬に噛まれた咬創が見当たらない研究員が殆どです」玲人は大地に倒れた罹患者に目をやった。「レッドソウルになった鈴野は知能を残している。彼は<死者蘇生ウイルス>をスーツ型実験室から持ち出し、この研究所内でウイルスを拡散させた。空気感染したとしか考えられない」


 「空気感染だと!?」君嶋の問い掛けが、周囲に緊迫感を漂わせる。「生体に感染した場合どうなる!? 説明しやがれ!」


 この時、玲人達三人は、五年前に試みた実験自体、君嶋には一切知らされていなかった事を知る。

 「…………」


 (政府はあの時の実験結果を見て見ぬふり。事実を捻じ伏せたい。だから君嶋指揮官にも伝えなかったのか……)


 玲人はふと思い出す―――


 実験から数日経った某日、珍しいことに上戸が<ウイルス性新薬研究施設>にやってきた。実験を収めたSDカードを回収し終えると、さっさと帰っていた。きっと……あのSDカードは既に破棄されているはずだ。


 (あれこそ公になったら一大事なのだから。だけど、事態は最悪だ。この状況を捻じ伏せる事など無理に決まっている。

 隠蔽した事実は露見し、もうじき君嶋指揮官の耳にも入ることになるだろう)


 「…………」


 「おい! なに黙りこくってる!? 俺の言っていることが聞こえないのか!? 説明しろと言ったんだ!」

 

 「…………」


 説明しろと言われてもどう説明していいのかわからない。生体に及ぼす影響について研究できなかったのだから。


 レッドソウル化させる条件は、脳が無傷であること、又は損傷があったとしても軽傷であること、そして腐敗が進行していないことだ。しかし、撃ち殺された研究員の脳は、明らかに破壊されている。


 その証拠に五年前のラット同様、倒れた研究員らは皆、腐敗した死体のように鼻孔から脳みそを垂れ流している。<死者蘇生ウイルス>によって、脳みそはミッシングされたかのようにドロリとしているはずなのだ。


 それなのに、なぜ、レッドソウルと化したのか、自分が教えて欲しいくらいだと思った。


 死体に<死者蘇生ウイルス>が感染したレッドソウルは、生前と変わらない穏やかな心を持つのに、生体に感染した場合、レッドソウルとなれば凶暴化する。


 玲人は考えを頭に巡らせる。しかし、混乱が増す一方。

 「…………」


 (狂犬病に犯されていたシロの体内で<死者蘇生ウイルス>と異種の狂犬病ウイスルの間で組み換えが起きたから凶暴化したんじゃないのか?

 ラットは生ける死体(レッドソウル)になることなく絶命したが、人間の脳細胞に感染した場合はレッドソウルになるのか? どうなっているんだ?)


 考えがまとまらなければ動揺も収まらない玲人の鼓動が速まる。ギュッと胸を押さえ、心を落ち着かせようとしながら周囲に倒れた化学者に目線をやる。


 どちらにせよ、脳への損傷が大きければ、<死者蘇生ウイルス>による脳細胞の活性化は不可能であり、それがレッドソウル化するための必須だった。


 しかし、脳への損傷が著しい他の研究員達も次々と背を起こし始めたのだ。そして、彼らの双眸もレッドソウルの証である深紅に染まっていたのだった。


 「…………」


 (やはり、人間とラットの差であるとしか考えられない……だが、なぜ凶暴化する? なぜ知能を失う?)


 玲人の疑問を君島はたずねる。

 「もう一度訊く。なぜ、凶暴化したんだ?」


 玲人は答えるが、答えになっていない。

 「……。どうして凶暴化したのか、それについては僕達もわからない。彼らの脳は破壊されている。レッドソウルになること自体不可能なはずなのに」


 「随分と他人事だな! テメーらで創ったウイルスだろうが!」

 君嶋は怒号した後、背を起こしたレッドソウルに目をやった。

 「だが、考えるのは後回しだ」

 大声を張り、部下に命令を下す。焦燥を感じた君嶋の口調は荒々しく、早口だった。

 「レッドソウル化した罹患者は撃ち殺せ! 感染から逃れた研究員が研究所内に残されているはずだ!」


 君嶋の命令後、敷地内にけたたましい銃声が谺した。頭部を貫く銃弾が散乱し、大地に血と脳みそが飛散する。


 頭部に銃弾を喰らわずに肢体に損傷を負っただけのレッドソウルがのらりくらりと歩を進め、軍隊に猛威を振った。


 通常のレッドソウルは記憶と痛覚を持ち、快楽をも得ることができる。しかし、ここにいるレッドソウルはその機能を失っている。


 シロに噛まれた罹患者達は生きる術の記憶をわずかに残しているが、その様子もない。そして更なる決定的な違いは、動きが鈍いことだ。


 死後硬直で凝り固まった関節を無理矢理動かしている印象を受けた。それにシロに噛まれてレッドソウルとなった罹患者は俊敏性も増し、力も増していた。だが、彼らの身体能力は通常のレッドソウルより遥かに劣る。


 玲人は凛率いるB班へと続いた佐伯を心配し、不安げな目をやった後、シャノンに疑問を問い掛けた。

 「脳が破壊された後遺症だろうか? 動きも鈍いし、僅かな知能すら感じられない」


 「私も思ったわ」

 (下等な生き物と言うべきかしら……生物の本能である増殖させることしか頭にないみたい)

 

 銃弾を乱射させながらレッドソウルを撃ち殺して進む兵士に続く二人は、ウイルス研究施設のエントランスを潜り抜け、施設内へと歩を進ませた。通路にはレッドソウルと化した大勢の研究員がわけのわからない言葉を発しながら蔓延っていた。


 兵士達が放つ銃弾が窓硝子を貫き、周囲に鋭い透明の破片が飛び散る。一歩足を踏み出す度に細く尖った硝子の音が足の裏を伝う。


 辺り一面レッドソウルの鮮烈な赤い血に覆われた悲惨な状態の通路の前方は、左右に分かれている。A班は右手に、B班は左手へと進んでいく。


 B班に続く佐伯が玲人とシャノンに顔を向けた。

 「二人とも気をつけてください」


 「ええ。あなたも」


 玲人はコクリと頷き、「君もな」と佐伯に返事を返した。




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