第24話2050年【エナジーバンド】

 死臭を運ぶ生温い風が漂う上空を汎用ヘリコプターが進んでいく。後数分で軍事施設へ到着する中、玲人は神妙な面持ちで考え込んでいた。

 

 機内から望むスカイツリーにもレッドソウルが群がっており、そして日本電波塔(東京タワー)の上部も同じ状況だった。それは、建ち並ぶ摩天楼ビルの屋上にも散見する。


 きっと最上階はレッドソウルの巣窟となっているだろう……君嶋や遊介も懸念する光景に違和感を感じずにはいられない。


 もしからしたら……いや、たぶん……高層建築物がない田舎町では、周囲を囲む山々の山頂に群がっている可能性もなくはない。


 「…………」


 (何が一体どうなっているのか。異変性が関係しているとするなら、何を意味しているのか……

 恐らく、我々人類にとって重要な鍵を握っているはずだ……)


 じっと地上を見つめる玲人に、汎用ヘリコプターを操縦している安岡が到着の合図をした。

 「もうすぐ着くぞ」


 「はい」


 「君嶋指揮官やあんたが言うようにレッドソウルは高い場所に群がっているのは俺が見てもよくわかる。それして……地上を蔓延るレッドソウルの数も減っているのも間違いない」


 安岡が言うように、疫病センターに向かった時間帯より、レッドソウルの数が少ないように思えた。


 「確かに……だが、何故」


 「さあな。それに、全部が全部、高層ビルの上にいるわけじゃないと思うし、何て言うか……どこかに消えてしまったというか……」


 「どこかに消える?」

 (自然消滅などあり得ない。だとすれば何処へ)


 「なんかよくわかんないけど、俺はそう感じた。てか、この際、マジでどっかに消えてくれないかなぁ」


 自衛隊や特殊部隊で固められた鉄橋を越えた汎用ヘリコプターが<化学島>上空に入った。島を眺臨すれば爆破されて瓦礫の山と化したウイルス研究施設が見える。


 多くの化学者が犠牲となった惨劇の場。瓦礫の下から被害者の悲鳴や呻き声が今にも聞こえてきそうだった。


 玲人は涙を滲ませた目を瞑り、重苦しい溜息をついた。

 「……。すまない、みんな」


 小声の懺悔はプロペラの風切り音に掻き消された。聞き取れなかった安岡がたずねる。

 「なんか言ったか?」


 「いえ、何も……」


 <ウイルス性新薬研究施設>と自宅マンションを突っ切り、軍事施設の屋上へと辿り着いた。汎用ヘリコプターはヘリパットへと距離を縮めて着陸した。機内から屋上に降り立った二人の身体を強い浜風が過ぎ去る。

 

 「何だかさっきより風が強いな」

 

 「ええ。ですが、波は穏やかです」


 (このまま天候が崩れて雨でも降ればいいのだが……)


 人工雨も上空にある程度の積乱雲がなければ降らせられない。太陽が一番高く上がる時間帯は、陽炎が揺れるほど暑く、高温多湿の日が続いている。雨を期待したいが、そう上手くいくはずもなかろう……


 「行くぞ」安岡は玲人の前を歩き始めた。


 「はい」


 感染防護服を着用している為、屋上の出入り口を使用するわけにはいかない。若干不便だが、外壁に取りつけられた剥き出しのスチール製の階段を下り、東棟のエントランス入口へと向かった。


 安岡が網膜センサーに片目を寄せて、入口を開けた。壁に設置されたボタンを押し、トンネル状の通路にケミカルシャワーを注がせた。汚染物質を洗い流しながら通路を歩く二人は、軍事施設内部に繋がる扉を通り抜け、東棟へと歩を進ませる。


 ラボの入口手前で玲人が歩を止めた。

 「安岡さん、僕も矢崎さんの容体が気になります。ラボに戻る前にご同行してもよろしいでしょうか?」


 「ああ、構わないぜ。とは言え、もう深夜二時を回っている。きっと寝ているだろうけどな」


 「もうそんな時間ですか……」


 一日が地球の五十六日分に相当する金星のように、もう少し自転が遅ければあり難いのに……と ふと思った。非現実的な妄想に奇跡を重ねるが、余計虚しくなるだけだ。


 「気持ちが焦ると時間の流れが速いです」


 「確かにな」返事を返して言った。「そうだ。矢崎副指揮官の顔を見に行く前に、経過を君嶋指揮官に伝えたいからワクチン開発の様子を見ておきたい」


 「はい。わかりました」


 実験の経過……きっと自分が軍事施設内を出る前と然程変わらないだろう。衰退も進歩もない。砂時計の砂が固まってしまったかのようだ。


 玲人はラボの網膜センサーに片目を寄せて、ドアを施錠した。ラボ内に足を踏み入れた二人は人体実験室へと続くドアを開けた。


 実験室には警護役と死刑囚(ラット)を運ぶ二つの役割を担う兵士二人がドアの奥に立っており、シャノンと佐伯は人体実験用の安全キャビネット内部で<新型狂犬病ウイルス>に罹患した死刑囚に真剣な眼差しを向けていた。


 兵士二人が安岡に敬礼した。

 「お疲れ様です」


 「お疲れ」


 振り向いたシャノンと佐伯は玲人に目をやる。そしてシャノンがたずねた。

 「どうだった?」


 「どうって……」肩を落す。「僕は余計な事を言ってしまった。そのせいで八人のレッドソウルの命を危険に曝してしまう結果に……」


 「八人のレッドソウル?」


 「死体から<死者蘇生ウイルス>の罹患者になってしまった人達だ」


 シャノンも佐伯も驚きの表情を見せた。

 「奇跡ね。<新型狂犬病ウイルス>に罹患したレッドソウルの餌食ならなかったなんて」


 佐伯も頷く。

 「ホント、奇跡ですよ。赤い眼の彼らが非感染者に受け入れてもらえたのでしょうか?」


 「いや、黒いカラーコンタクトレンズで誤魔化している」


 「ああ、なるほど」


 安岡はたずねた。

 「ワクチン開発の進み具合は?」


 シャノンは静かに首を横に振り、佐伯はだんまりと下を向いた。

 「…………」


 「そうか……」

 返事した安岡は、玲人や君嶋と同じ考えを頭に巡らせた。

 (期待しても無駄なんだろうか……。だけど、結局、十年後には<ノア>に旅立つわけだし。きっと十年後だろうと、99パーセントの人達が地球に置き去りにされるはずだ。だけど、どうして十年後なんだろうか?)


 玲人がシャノンと佐伯に、レッドソウルの動きについての情報を教えた。

 「君嶋指揮官に分析を頼まれたんだ。<新型狂犬病ウイルス>の罹患者達が高層建築物の上部に群がっている」


 安岡が言った。

 「今朝よりレッドソウルの数も減っている気がするんだ」


 シャノンがたずねた。

 「他の地域ではどうなっているの?」


 「訊いてみるよ」


 安岡は防護服越しに腕時計型携帯電話を探り、電話帳をタップした。各地の軍事施設の電話番号が登録されている電話帳から、北海道札幌市真駒内に建つ軍事施設を選択してタップする。


 呼び出し音の後、腕時計型携帯電話から宙に浮き上がったクリアウインドウに、執務室の椅子に腰を掛ける大佐が映し出された。


 「夜分遅くにもし分けありません。自分はシークレット特殊部隊に所属する安岡と言います」


 『この非常事態に朝も夜もない。前置きは結構だ。用件は?』


 安岡はたずねる。

 「レッドソウルの動きに関してなんですが。そちらでも高層建築物などの高い場所に群れになっている姿を目撃したなどの情報はありませんでしょうか?」


 大佐は答えた。

 『そう言われれば、中央区のビルの屋上がそのような状態だった。それから今朝に比べてレッドソウルの数が減ったかのように思える』


 「やっぱり……」

 (全国各地で同じ状況なのか)


 『このまま蒸気のように空気中に蒸発してくれりゃ助かるんだが』


 「ええ、同感です」


 大佐は真摯な面持ちでたずねた。

 『ところで……安岡さん、君は<ノア>に行くのか?』


 既に北海道にまで情報が行き渡っていた。

 「もうご存じだったんですか……。自分は<ノア>には行きません。名前自体載っていませんでしたから、選抜落ちですよ」


 『今しがた東京の自衛隊から電話があってな。まあ、俺も選抜落ちってところだ。こっちは<ノア>やらレッドソウルやらで市民の対応に忙しい』


 「すいません。ありがとうございました。失礼します」


 『共に闘おう』


 「はい」


 クリアウインドウから大佐の顔が消えたので、安岡も電源ボタンを押した。玲人が通話を終えた安岡に顔を向けた。


 「全国各地で同じようなレッドソウルの動きが見られる。まるで、避難でもしているかのようだ」


 「まさか」信じられんとばかりの表情を見せたシャノン。「化学では解明されていないけど、野生動物には災害等が起きる危険の前触れを察知できる何かがあるらしいわね。でも彼ら罹患者は動物じゃない。元々人間なわけだし、考えられないわ」


 佐伯も言った。

 「俺もシャノンと同意見です。もっと別の何かかと思います」


 安岡も言った。

 「よくわかんないけど、それでもシャノン博士と同感かな」


 胸の前で腕を組んだ玲人は首を捻る。

 「だよな……そんな事あるわけないよな」


 「そろそろ俺は矢崎副指揮官のところに行くけど。新藤博士、あんたも来るんだろ?」


 玲人は返事した。

 「行きます」


 佐伯が独り言のように言った。

 「一時間前に行った時は痛みに苦しんでいた。口には出さないけど、脂汗掻いてたし。そろそろ鎮静剤が効いて眠ってるといいけど」


 玲人は佐伯とシャノンに言った。

 「僕は矢崎さんの容体を見てくるよ。直ぐに戻ってくるから」


 玲人と安岡は実験室を出てた。網膜センサーにより施錠されたドアを解錠し、ラボ内からケミカルシャワーが降り注ぐ通路を抜け、男子更衣室を通って通路に足を進めた。


 無言の二人は二階へと続く階段を上り、閑寂な通路を歩いて医療室に辿り着いた。滑るように開いた自動ドアの奥に広がる室内。


 その一番手前のベッドで仮眠を取る三浦の姿が見えた。奥のベッドには凛が横たわり、敷布団にもたれるように賢人が眠っていた。


 医療室には行った玲人は、すやすやと眠る賢人に目をやった。安岡が歩を進めた時、人気を感じた三浦が薄っすらと片目を開ける。


 「お疲れさん」三浦がボソッと小声で言う。


 「あんたもな」安岡が返事を返した。

 

 背を起こした三浦が玲人に言った。

 「賢人君がな、凛にサンドイッチと飲み物を持ってきてくれたんだが、ついさっきまで痛みが酷くて食べられなかったんだ。きっと朝飯に食うだろう」


 デスクの上にお膳に載ったサンドイッチと飲み物が上がっていた。

 「賢人が……」


 安岡が玲人にたずねる。

 「あんた、賢人君に<ノア>行きの事、伝えたのか? 当日なんかに言ったら本当に恨まれるぜ」


 その時、ベッドの影にいたフレンド君の硝子の双眸がキラリと光った。フレンド君に気づかなかった安岡は、しくじったと手で口を覆う。

 

 「いや、その……」


 「<ノア>って……人工惑星の名前ですよね? どういう事でしょうか? 隠し事はよくありません」


 すかさず訊いてきたフレンド君に玲人が言った。

 「何でもないんだ。忘れてくれ。僕とフレンド君は友達だ。友達同士の約束」


 「ですが、賢人博士は隠し事を嫌いますよ」


 一瞬唇を結んで「いいんだ……」と返事を返し、凛が眠っているベッドに歩み寄って賢人を抱き上げた。


 久しぶりに抱き上げた我が子。親バカかもしれないが、いつまでたっても小さな子供扱い。きっと大人になってもそうなのだろう。


 玲人の双眸に涙が滲んだ。

 「…………」

 (賢人の大人になった顔を僕は見れないんだ……賢人、ごめんな)


 玲人は空いているベッドへと賢人を寝かせた。

 「さあ、フレンド君も一緒に」


 ちょこちょこと歩いてベッドに上がったフレンド君は、嬉しそうに賢人の隣に横たわった。

 「私と賢人博士はずっとお友達です。大好きです」


 「賢人をよろしくな、フレンド君」


 どこか憂いを浮かべた玲人の双眸を見上げたフレンド君。

 「はい。お父様もいつも私のお友達です」


 賢人の髪を撫でた後、玲人が安岡に言った。

 「実験を続けますので、そろそろ戻ります」


 「ああ」期待と絶望が交錯する。「成功するといいな、ワクチン」


 「…………」玲人は安岡が望む返事を返せず、唇を結んだ。「では、失礼します」


 軽く会釈し、安岡と三浦に背を向けた玲人は、シャノンと佐伯が待つラボに戻っていった。安岡は、双眸に涙を浮かべて強く祈った。


 成功してくれ―――これ以上の感染者は出したくない。




・・・・・・・・・




 翌日、早朝八時丁度。


 物資等と共に仕上がったエナジーバンドが政府関係者から軍事施設へと届けらた。一旦軍事施設に戻ってきた君嶋から、食堂にて玲人達はエナジーバンドを手渡される。


 それはシンプルな銀細工のバングルのようだった。中心には小さな青金石(ラピスラズリ)が嵌め込まれており、アクセサリー感覚で装着できる。


 本来、医療目的で開発されたエナジーバンドには、若さあふれるセンスが光り、そして賢人の温かな想いが籠められていた。


 手に取ってまじまじと見つめる玲人。

 「これがエナジーバンド」


 早速、腕に通してみると、自動で縮小し、腕にフィットした。エナジーバンドの中心にあしらわれた青金石を押すと、一瞬で解除されて元の大きさに戻る仕組みになっていた。


 どんな体型の人にも合うように考慮されて作られたエナジーバンドに圧巻してしまう。それと同時に感極まった玲人は思わず涙する。

 

 「あいつは天才だよ」


 シャノンと佐伯も装着してみた。

 「凄いわ。自動でジャストフィットよ」


 「これで一日に必要な栄養素と水分の半分が補えるなんて賢人君はスゲーや。もっと研究を重ねれば100パーセント栄養をチャージできるんだろ?」


 玲人は最愛の息子が作ったエナジーバンドを見つめた。

 「賢人はいい科学者になる。将来有望な科学者に」



 君嶋が言った。

 「俺達はこれからエナジーバンドを市民に配布する。必ず多くの役に立つだろう」


 君嶋が三人に背を向けた瞬間、腕時計型携帯電話に着信があった。


 発信者は上戸。


 玲人らの座る椅子に腰を下ろした君嶋は、通話ボタンを押した。宙に浮き上がったクリアウインドウに上戸の顔が映し出された。


 朝一にはくどすぎる顔に笑みを浮かべた上戸は、君嶋の周囲にいる三人にも目をやった。

 『やあ、おはよう諸君』


 「俺達にもう用はないはずだろう」


 『大ありだよ、君嶋君。ワクチン開発が終わっていないだろう』口元の端を緩ませた。『それはそうと、政府からの最後の情け(プレゼント)を受け取ってくれたかな?』


 射貫くような鋭い目で上戸を見据える。

 「用件を言え」


 『せっかちだね、君は。あっちの方も直ぐにイッちゃうのかな? なんてな』


 「ふざけるな。俺は用件を聞いているんだ。貴様のくだらん下ネタに付き合っている暇はない」


 『冗談の通じないつれないヤツだ。まあいい。物資等とエナジーバンドとは別便で<ノア>行きスペースシャトルの搭乗券がもうじき到着する』


 君嶋ははっきりと言った。

 「俺達には必要ない。必要なのは賢人の分だけだ」


 玲人に訊く必要はなかった。それを訊かずとも玲人の選択を悟っていたからだ。だが、玲人は上戸に向かって声を張った。

 

 「いります。 僕とシャノンの分はいります」


 君嶋とは驚きを隠せず、目を見開いた。そして佐伯が口にする。


 「新藤博士、行くんですか?」


 動揺するシャノン。

 「私は……」

 (地球で共に生きると約束したのに何故? 急に気が変わったとは思えない)


 上戸が哄笑した後言った。

 『やはり地上に置いていかれるのは辛いだろう。こっちとしても最高のDNAが手に入るのだからあり難い限りだ』


 玲人は言った。

 「誤解しないでください。僕は行きません。ですが、搭乗券は貰います」


 玲人の考えがいまいち理解できない一同。シャノンが言った。

 「意味がわからないわ……」


 上戸も首を傾げ、「君にはぜひ来てもらいたい」と返事を返した。


 その後、君嶋がすかさずたずねる。

 「“最高のDNA”とはどういう意味だ?」


 口元に笑みを浮かべた上戸。

 『こっちの話だ』


 「昨夜の電話からいちいち貴様の意味深な言葉に疑念を抱く。はっきり言いやがれ」


 『だから、こっちの話だ。君には関係ない事だ。では、諸君、またな』


 クリアウインドウから上戸の顔が消えたので、君嶋は電源ボタンをタップした。苛立ちが収まらないが、冷静になり、玲人に訊く。

 

 「お前、一体何を考えている」


 玲人は答えた。

 「<ノア>の件で一つお願いがあります、君嶋指揮官」


 「聞ける事と聞けない事がある」


 玲人は真摯な面持ちを君嶋に向け、最善の選択を告げ始めた―――

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