第7話2050年【感染経路3】

 二階に蔓延るレッドソウルを全滅させた一同は、三階の階段室へと足を踏み入れた。天井のスプリンクラーにシステムウエポンの火炎放射器で熱を与え、水のバリゲードを作りながら進んでいく。


 君嶋の無線機に凛から現状報告が入った。

 『君嶋指揮官、矢崎です。この方法で一気に四階まで行けそうです』


 「四階に辿り着いた時点で、合流だ」


 『イエッサ』


 通信を切った直後、水を恐れずにのらりくらりとこちらに向かって歩を進めるレッドソウルが現れた。生体から<死者蘇生ウイルス>に感染した罹患者であると読み取った兵士は、銃弾を放った。


 額を撃ち抜かれたレッドソウルは白目をむいて仰向けに倒れ、ゴロゴロと転がりながら階段から転落していく。


 三階に辿り着いた彼らの行く手に剽悍な部類のレッドソウルと、君嶋曰くのろまなレッドソウルが混同して群れを成していたが、結子と鈴野の姿はなかった。


 (もし、佐伯がいるB班に妻がいたなら腕時計型携帯電話に着信が入るはずだ。と、いうことは結子は四階だろうか……)


 君嶋たちはスプリンクラーを利用して厄介な剽悍なレッドソウルを撃退し、動きが鈍いレッドソウルに関してはとにかく銃弾を乱射した。


 玲人とシャノンは、兵士達の背後に身を隠しながら血液を採取する。闘いに自分達の出る幕はないのだから、己のやるべき事に集中するだけだ。


 兵士と共に相手の弱点をついた戦略で前進する君嶋が、壁沿いにある硝子張りのBSL3の実験室を覗いてみると、鈍重な足取りのレッドソウルが三匹連なって歩いている姿が見えた。


 君嶋はレッドソウルから実験室の奥へと目を転じた。その時、実験器具の裏から頭部を失った死体を脇に抱えた結子が現れたのだ。


 玲人は兵士達を押し退け、君嶋の背後に立った。生前とまるで別人と言っても過言ではないほどの変貌を目の当たりにした玲人は、硝子張りに両手をつき、暫し無言で結子を凝視した。


 深紅の双眸で玲人を睥睨した結子は、床に蹲って死体を喰い始めた。前歯で死体の肉を削ぎ落とし、ガリガリと骨を齧る。そこには人間としての知性など微塵もなかった。


 「結子は殺さないでくれ……僕の結子……」

 

 君嶋は鋭い目線を玲人に向けた。

 「あれが妻か? だが今はレッドソウルだ。お前の記憶は既に失っている。人肉を喰らう殺戮マシーンのアンデッドモンスターと何ら変わりはない」


 「言われなくてもわかっている!」玲人は大声を張った。「あなたのような冷たい鉄の心では理解できないかもしれないが、理屈や現実より感情を優先したいときだってある血の通った人間なんだ! 僕の気持ちは一生あなたには理解できない!」


 言いすぎだと感じたシャノンが玲人の肩に置き、グイッと引いた。

 「新藤博士」静かに首を横に振る。


 「それは俺が感情に乏しいと言いたいのか?」君嶋はピクリと眉を上げた。「貴様が生み出したウイルスにより部下を失った! 貴様の感情なんざどうでもいい!」


 怒りを露わにした君嶋は、玲人の腹部に膝蹴りを喰らわせた。ズシッとした膝蹴りが腹部にめり込んだ玲人はむせ返る。

 「ゲホッ!」


 激痛に顔を歪め、通路に倒れ込んだ玲人をシャノンが屈み込んで抱き寄せた。

 「口で言えばわかることよ! 暴力はやめて!」


 「口で言ったってこの馬鹿には足りねえ」部下に命じる。「手を出すな。俺がやる」


 機関銃の銃口をBSL3へと続く硝子張りの壁に向け、銃弾を放つ。けたたましい銃声が通路に響いた瞬間、硝子が木端微塵に砕け散り、透明の鋭い破片が足元に散乱した。


 玲人は眼の色を変えた。

 「やめろー! 結子に手を出すな! 僕の結子に!」


 感情をむき出しにして怒号する玲人の姿を初めて目にしたシャノンは動揺し、抱き寄せたその肩から手を離した。

 「…………」


 君嶋は、ぎこちない脚を動かして歩く三匹のレッドソウルに機関銃を乱射し、息の根を止めた。その直後、床から腰を上げて立ち上がった玲人が、君嶋の頭部に銃口を突きつける。


 「僕の妻に手を出すなと言ってるんだ」


 シャノンは目を見開き、咄嗟に玲人に組みつく。だが、それと同時に周囲の兵士達が玲人に銃口を向けた。


 「やめて! 奥さんは、結子さんはもう博士の記憶もないの! 君嶋指揮官の言う通り、多くの兵士を死に至らしめたアンデッドモンスターでしかないのよ!」


 「君までそんなことを……僕は妻を愛しているんだ」双眸から溢れる涙で頬を濡らし、静かな口調で憂いを口にする。「言っただろ? せめて僕の手で天国に送ってあげたいって―――」


 兵士の一人が厳しい警告をした。

 「銃を下ろせ! さもなければ撃つ!」


 君嶋は首を動かし、玲人に目をやる。

 「お前の妻を撃つ気はない。さっさと始末しろ」

 

 鈴野より知能が低い結子は死体を齧り続けていた。確かに君嶋の言う通り、この姿は紛れもなくアンデッドモンスターだ。


 こんな姿を結子は望んでいるはずがない。そして、一刻も早く殺して欲しいはずだと、銃口を結子の頭部に向け、

 「すまない、結子……君を愛している」

 別れの言葉を告げて発砲した―――


 頭部を撃ち抜かれた結子は、仰向けにバタンと倒れた。玲人は結子に歩み寄り、見開いた双眸を手で塞いでからギュッと抱きしめた。

 「結子……」


 生きた君に逢いたかった。

 ずっと、ずっと、逢いたかったんだ。

 結子、通常のレッドソウルならキスすることもできるのに……今の君にはキスすることすらできない。


 土気色の頬を防護服に包まれた手で優しく撫で下ろす。生前、結子の頬に触れ、唇を交わしたことを思い出し、涙を流した。


 肩を震わせて泣いている玲人にかける言葉が見つからないシャノンは、沈黙の唇のまま、そっと優しく玲人の背中をさすった。


 玲人は嗚咽混じりの声でたずねる。

 「シャノン、正直に答えてくれ……僕の、僕達の研究は間違っていたのだろうか……亡き愛する者に逢いたい為に始めたこの研究は……間違いだったのか……」


 今の玲人にどう答えていいかわからないシャノンは唇を結んだ。その時、君嶋が固く閉ざしていた口を開いた。


 「戦地で様々な死を見てきた。過酷な人生を経験して得た結論は、神なんかいやしないって事だ。

 俺は神の存在を信じない。だがな、宗教家の概念で共感できる台詞が一つだけある。

 それは、“人間が神の領域を超えてはならない” ということだ。それこそ、不老不死は神だけで十分なんだよ。

 お前の妻が通常のレッドソウルとして蘇生し、お前が人生を全うした後、お前自身もレッドソウルになり、妻と永遠に生きるのか?」

 一瞬、間を置いた君嶋の口調は、どこか哀調を帯びていた。

 「人間は限りある命だからこそ、その命に価値がある。政府は国益の為にお前達化学者に<死者蘇生ウイルス>を創らせたのだろうが、俺自身この研究には反対していた。無論、ここにいる兵士達もな」


 「妻は病気で死んだんだ。幼くして病で死んでしまう子供達だっている。僕はあなたの言葉に納得できない」


 「……。だが、それが寿命というもの。時に残酷な運命を背負う人間もいる……その命を全うするまで苦悩し続ける残酷な運命をな……。死を受け入れる、それは残された遺族に科せらた定めなのだ」


 「うっう……」嗚咽が止まらない。「妻に、逢いたかった……結果、僕は妻をモンスターに変え、多くの被害者を出してしまった。

 五年前のあの日、こうなることを予測できたはずなのに、僕は妻に逢いたい衝動を押さえきれなかった……」


 宥めるように玲人の背中を撫でるシャノンは、ふと君嶋の目を見た。口調だけでなく目の奥に悲しみが溢れているように思えた。涙を流さず、乾いた目で泣いている、そんな気がした。何故だかわからないが、そんな気がしたのだ。


 温室育ちの自分には想像もつかない厳しい環境下で様々な死に直面し、ドス黒い社会の奥底まで見てきた人の眼(まなこ)―――


 多くの兵士を率いる君嶋指揮官は常に冷厳を装っているけど、彼の本当の心は違う気がする……


 君嶋が玲人に背を向けた。

 「行くぞ。嘆くのも死体の回収もあとだ。四階に急ぐ」






 その頃、三階の廊下を進むB班は―――



 天井のスプリンクラーから降り注ぐ水の中に歩を進ませ、銃を散乱させる兵士達。この階には剽悍なレッドソウルが殆どおらず、水が通用しない動きが鈍いレッドソウルが密に蔓延っていた。 



 長丁場の体力戦が続き、兵士達と共に闘う佐伯は顔に疲労の色を浮かべた。

 「くっそ、銃弾切れだ!」


 真横で威嚇するレッドソウルの顔面に蹴りを仕掛けた佐伯は、息絶えた兵士が手にしていたシステムウエポンを拾い上げ、発砲した。


 「はは」凛は鼻で笑う。「マジで化学者にしておくのが勿体無い。ウチの軍に入隊しない?」


 乱射させながら答える。

 「遠慮しとくよ、だって俺は頭脳派だしさ!」


 「言うと思った」凛もレッドソウルに銃口を向け、舌打ちし、「次から次へと限(きり)がねぇ!」男勝りな台詞と共に銃弾を放ち、大声で兵士達に戦略を伝える。「横一列に並べ! 通路に隙間なく乱射させろ!」


 「イエッサ!」返事する兵士達。


 横一列に体制を整えた兵士たちが銃弾を乱射させた。周囲に群がるレッドソウルが次々と倒れていく中、スプリンクラーの水が降り注ぐ手前に、じっとこちらを凝視する鈴野が立っていた。鈴野は晴天より、静けさを保った雨がしとしとと降る日が好きだった。


 だが、今の鈴野は水を恐れている。一歩たりともスプリンクラーの下に入ろうとはせず、威嚇し続けていた。


 佐伯は目を見開き、自動システムウエポンを持つ手を緩める。

 「鈴野……」


 「グルルルル……」


 獣同様に喉を鳴らし、深紅の双眸をこちらに向ける鈴野は、もう親友だった彼とは違う……と頭では理解しているが、鈴野との沢山の思い出が走馬灯となり、心を駆け巡る。


 幼い頃から化学オタクで一人ぼっちだった自分にとって初めての友人が鈴野。口は悪いが、飼い主に捨てられて彷徨う動物を保護しては餌を与え、愛情を注ぐ優しい人間だった。そんな鈴野が大好きだった。彼自身がこんな姿は望んでいないと……


 唇を結んで、鈴野に銃口を定めた。

 「鈴野……お前は俺の親友だ」

 一足先にあの世で待っててくれ。俺が天国に逝ったらまた一緒に語ろうな……

 「鈴野は俺が……絶対に手は出さないでくれ」


 「好きにしな」凛は答えてから兵士に声を上げた。「鈴野は佐伯がやる! そのほかのレッドソウルを撃ち殺せ!」


 「イエッサ!」大勢の兵士は狙いを鈴野から外し、乱射する。

 

 狙いを定めた佐伯の目頭に涙が滲む。

 「お前は最高の親友だ。ずっとずっと俺の心の中で生き続ける」


 凶変した研究員の中で最も知能を残した鈴野は、驚いたことに片言の言葉を口にした。

 「死ンデ……我ガ……種族トナレ」


 「鈴野、鈴野!」声を張った。「言葉がわるなら、俺を思い出してくれ!」


 「グルルルル……」


 佐伯の頬を伝う涙に籠められた哀訴や複雑な感情は、今の鈴野に伝わることなく、鼻に皺を寄せて威嚇し続けていた。


 生き残る為の術を残しているとはいえ、それはウイルスと生物の特徴でもある “増殖” の為であり、本能に近いものだ。


 <ウイルス性新薬研究施設>の地下に設置された指紋センサーのシステムが記憶に残されていた理由も種の増殖の為。残念ながらそれに不要な友情は、海馬の奥底にも残っていない。 

 

 覚悟を決めた佐伯は銃弾を放った。

 「ごめんな鈴野」


 水への恐怖心から身じろぎ一つできなかった鈴野の額を銃弾が貫いた。血と脳みそを絡んだ銃弾が後方の壁にめり込んだ瞬間、鈴野は深紅の双眸を見開き、通路に倒れた。


 微動だにしない鈴野の周囲にも、赤く染まった白衣を纏ったレッドソウルが横たわる―――


 一匹残らず撃ち殺されたレッドソウルの僅かな隙間を縫うように歩き、鈴野へと歩み寄った。


 佐伯は鈴野の見開いた双眸に手を当て、沢山の思い出をくれた友人に対し、感謝の念を籠めて瞼を閉じてあげた。


 「四階に進む!」凛は声を張り上げた後、佐伯の肩に手を置いた。「血液を採取しろ」


 「…………」


 佐伯が鈴野の血液を採取し、肩に掛けた保存容器にスピッツを収めたことを確認した凛は、兵士に目をやった。指先で合図を出し、廊下に歩を進ませる。


 エレベーターを横切った位置にある階段室へと向かう兵士と佐伯の額から汗が噴き出す。目の中に汗が滴り落ちた佐伯は、ピリピリと滲みる痛みに顔を歪めた。今すぐサウナ化した防護服のヘッド部分を外し、汗を拭いたい気分だ。


 階段室に辿り着いた凛は、無線機の液晶画面に目をやり、階段を上っていく。君嶋率いるA班が四階の階段を上り切ったところだった。


 凛は無線機に口を寄せ、君嶋に連絡を取る。

 「君嶋指揮官、応答願います」


 君嶋が応答した。

 『どうした?』


 「数名の犠牲が出ましたが、レッドソウル化した鈴木博士を発見し、撃ちました。今から四階に向かいます」


 『そうか。非感染者は?』


 「自分達が進んできた三階に非感染者はゼロ。そちらの状況は?」


 『同じだ。四階に急げ』


 「了解」


 無線から口を離した凛は、一同に声を張った。

 「これからA班と合流する」


 隣で息を切らす佐伯に凛が気遣う。

 「やっぱりお前は化学者向きらしい。息が上がりっぱなしだぜ」


 防御服のヘッドに覆われている為、拭うことのできない涙を流しながら答えた。

 「硬い筋肉で覆われた兵士と比べないでよ」


 一瞬口元に笑みを浮かべ、行く手に視線を戻し、真摯な面持ちで言った。

 「親友を失ったお前の気持ちはよくわかる。だがな泣くのはあとだ。我々に着いてきた以上、最後まで任務遂行に集中しろ」


 「ん……わかってる」


 四階に辿り着いた一同の向かい側に、君嶋指揮官率いるA班が立っていた。通路にはレッドソウルはおらず、異様な静けさを保っていた。


 凛は部下を引き連れ、君嶋指揮官に歩み寄る。

 「レッドソウルは?」


 「四階にはいないようだ。今からBSL4の実験室へと向かう」


 「非感染者……」言葉を変える。「生存者がいるといいけど……」


 凛率いるB班の兵士の中に佐伯を確認した玲人とシャノンは、安堵の表情を浮かべながら佐伯に駆け寄った。


 玲人が佐伯に言う。

 「無事でよかった」


 玲人のヘッド部分から覗く頬に涙の痕が窺えた。結子を撃った事を悟った佐伯は、敢えてそれには触れずに返事を返す。


 「新藤博士も」シャノンに目をやる。「シャノンも」

 

 「ええ。なんとか」


 君嶋が三人に言う。

 「再会の喜びを分かち合うのは後回しにしろ。実験室にレッドソウルがいる可能性もある。気を引き締めろ」


 玲人の中で君嶋に対する苦手意識が芽生えていたせいか、棘のある返事を返した。

 「あなたに言われなくてもわかっています」


 「ならいい」


 君嶋が歩を進めると、凛率いるB班はA班の後ろにピタリと張り付くように列を成し、進行する。

 四階の通路を進み、BSL4スーツ型実験室に繋がるスチール製のドアを開け、足を踏み入れた。狭く短い通路を挟んだ先にある重厚なハッチを開けて、スーツ型実験室に歩を進めると、カタン、と小さな物音がした。


 君嶋が足を止めた。

 「……待て」

 レッドソウルなら襲ってくるはずだ。生存者である可能性が高い為、問いかけてみる。

 「誰かいるのか!?」


 安全キャビネットの裏から、防護服を着用した女の研究員が這い出てきた。長時間に渡る不安と恐怖に曝された女は、泣き腫らした顔をしており、腰が抜け、立ち上がれそうにない。身震いしながらペタンと床に尻をつけた後、顔に皺を寄せて安堵の号泣をした。


 「怖かったぁ! みんな、みんな……白い狂犬が、みんなを! 何が起きたのか全然わからなくて、ずっとここに隠れていたの!」


 君嶋は女に歩み寄り、背中をさすって落ち着かせようとした。

 「もう大丈夫だ。よく一人で頑張ったな」


 よく見れば実験室の床に点々と血痕が付着していた。君嶋は暫し女に目をやり、考えを巡らせる。


 (この研究室にいた研究員たちは全員シロに噛み殺され、レッドソウル化したのか……だが、それにしても何かが引っかかる……

 嗅覚と聴力が鋭い狂犬が、安全キャビネットの裏に隠れただけの女を見逃す? 偶然にしては出来過ぎじゃないか?)


 女の背中をさすり続ける君嶋。すると女が突如咽るように咳をし、息を切らし始めた。小刻みに眼球を動かし、どう見ても落ち着きがない……


 訝し気な表情を浮かべた君嶋は、じっと女の双眸を凝視する。玲人、シャノン、佐伯らも女の様子が気になり、君島と同様の目線をやった。


 その時、一人の兵士が気を利かせて女に歩み寄り、背を向けて屈んだ。

 「立てないよね? 負ぶってあげるよ」


 息を切らし続ける女は、兵士の肩に腕を回した。

 「……。あり……が……と……う……」


 兵士が女を負ぶった瞬間、一同は女の太腿の裏に赤い血が滲んでいるのを発見する。怪我を負った箇所の防護服は引き裂かれており、シロに噛まれたことを意味していた。


 一人の兵士が呟いた。

 「あの研究員……噛まれてんじゃねえのか?」


 玲人、シャノン、佐伯の三人は、瞬時に同じ事を考える。

 「…………」


 狂犬病なら噛まれた位置によって潜伏期間が大きく異なる。狂犬病と<死者蘇生ウイルス>に何らかの関連性があるならば、彼女の場合、頭部(脳神経)から遠い場所を噛まれている為、他の研究員より発症が遅いのも理解できる。勿論個人差も関係しているだろうが……


 そして彼女は間違いなく感染しているはずだ。だとすれば、レッドソウルと化すのも時間の問題だ。


 玲人が兵士に大声で注意を促した。

 「その女性を下ろして!」


 君嶋や凛、そして他の兵士も声を張った。

 「感染者だ! 早く、床に下ろせ!」


 「え?」咬創が確認できていない兵士は、状況を理解できず、首を傾げた。「んなわけないだろ……」


 女は兵士の肩に爪を食い込ませ、息を荒くした。双眸の色が徐々に黒から深紅へと染まっていく。レッドソウルと化した女は、兵士の上半身に腕と脚を組みつかせた。

 「グルルルル……」


 兵士は顔色を変え、レッドソウルを振り落そうとするが、ビクともしない。もはや性別の範疇を超える凄まじい力。


 レッドソウルが兵士の首筋に深紅の双眸を向け、歯を光らせた。君嶋達は銃口をレッドソウルに定める。しかし、引き金を引くより先に剽悍なレッドソウルは、兵士の首筋に噛り付き、防護服もろとも勢いよく肉を引き裂いた。


 兵士の悲鳴が実験室内に響き渡り、動脈が破壊された首筋から凄まじいまでの血飛沫が噴き上がった。口周りを赤く染めたレッドソウルは、首筋から引き裂いた肉塊を噛み砕き、胃袋に収めた。


 致命傷を負った兵士は虫の息だが、ウイルスに感染した為、もうじきレッドソウルと化す。君嶋達は唇を結んでその兵士とレッドソウル目掛け、銃弾を乱射させた。床に転がる二体の亡骸が、周囲に哀しい血溜まりを作った。


 「くそったれ!」君嶋は慄然と立ち竦む玲人の襟首を鷲掴みし、この<死者蘇生ウイルス>を生んだことへの怒りの双眸を向けた。「全て貴様のせいだ!」


 身震いが止まらない玲人は、君嶋の手を振り払うことすらできない。シャノンは咄嗟に君嶋の腕に手を置いた。

 「さっきも言ったでしょ? 暴力はやめて」


 「大量殺人化学兵器を創り出した化学者が“暴力はやめて”だと? 虫唾が走るわ!」玲人を突き離し、口元を緩ませ、言葉に嫌味を孕ませた。「それとも……滑稽と言うべきか?」


 舌打ちした君嶋は、玲人から手を放した。シャノンと佐伯は、咳き込んで床に倒れた玲人の腕を引き上げた。

 「大丈夫ですか?」佐伯が気遣う。


 「ああ……大丈夫だ。すまない……」


 凛が玲人にたずねる。

 「<死者蘇生ウイルス>の空気中の滞在時間は?」


 「約、二週間……」

 一瞬間を置き、事の重大さを口にする。

 「室内は安全キャビネット同様にHEPAフィルターが取りつけられ、無菌操作の安全性が保たれていますが、通路には設置されていません。

 闘いにより、研究所内の窓硝子が割れてしまった箇所が大部分です。外部に漏出した可能性も視野に入れて今後の対策を考えた方がいいかもしれません」


 「〝闘いにより” だと? 俺たちがウイルスをばら撒いたかのようなものの言い方だな」君嶋はピクリと眉を上げ、不快感を露わにした。「まるで他人事、危機が迫れば政府もテメーらも一緒だ。俺達に責任転嫁しやがる」


 「そんな、僕はそんなつもりで言ったわけじゃ……」


 「通路もHEPAフィルター備え付けるべきだった」

 重苦しい溜息をつく。

 「軍に戻り、状況を政府に報告する。ウイルスも機密情報が漏洩したその後の隠蔽手段が既に上がっているだろうよ。

 そう言うことに関しちゃ根回しも行動も早い狡猾な連中だ。全く、どいつもこいつもくそッたれだ」

 愚痴を吐き捨て、部下に厳しい目をやる。

 「お前らもくそッたれだ。怠惰しやがって」


 辛辣な叱りを吐き捨てた後、「A班は俺と凛と共に軍事施設に引き返し、まずは通常の任務に戻れ。B班はC班と共に遺体の処理に徹せよ」と指示を出し、施設の外を巡邏するC班の一班に無線機で現在状況と指示を告げた。

 続いてB班の兵士 守山(もりやま)に命令を下す。

 「遺体処理の現場の指揮はお前に任せる」

 不安げな表情を浮かべる玲人に顔を向けた。

 「安心しろ、お前の大事な女房の遺体も軍事施設の地下にある火葬場で骨にしてからくれてやる」


 玲人は唇を結んだ。

 「…………」


 殉職や不慮の事故で死亡した場合、通常は遺族とって哀しい面会が待っている。

 しかし、<死者蘇生ウイルス>は極秘プロジェクトだ。家族といえども、死因を告げるわけにいかない。

 それに……ここに勤める多くのレッドソウル化した研究員たち銃弾を受けて死んだ。

 兵士は常に危険と隣り合わせ。ましてや、君嶋指揮官率いる兵士はシークレット特殊部隊。兵士の遺族ならまだしも、研究員の遺族は納得しないだろう。


 火葬し、遺族に渡すのが一番いいのはわかるが、「……。死因をどう告げるつもりですか?」と最大の問題点をたずねた。


 「そんなもん俺が知るか! 政府の犬(上戸)が隠蔽工作を命じてくるだろうよ!」

 苛立ちを孕んだ返事を玲人に返し、指揮を命じた兵士に言った。

 「後は任せる。トラブルが起きた場合は直ぐに連絡しろ。どんな小さなトラブルでもな」

 

 最悪の状況と出世が常に並行する組織に身を置く兵士である守山は、腹から声を張り上げ、威勢のいい声で答えた。

 「イエッサ!」


 守山に命令を下した君嶋は、玲人らと凛を引き連れ、ウイルス研究施設を後にした。

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