感染都市

愛花

第1話プロローグ【前編2050年】

 大都市東京都 西暦二〇五〇年 <化学島>(通称:東京24区) 三階建ての<ウイルス性新薬研究施設>最上階スーツ型実験室内にて―――


 極秘実験プロジェクトの主任である天才ウイルス学者 新藤玲人(しんどう・れいじ)(五十歳)は、ウイルス性新薬<死者蘇生ウイルス>に満たされた注射器を手にし、心電図と脳波計を装着させた心肺停止のラットに歩み寄った。


 「カメラを回してください」



 その様子を助手の研究員 佐伯純一(さえき・じゅんいち)(二十八歳)がハンディカメラに録画しなければならないのだが、お調子者の彼は自撮りを始める。


 「え〜と、撮影記録者 佐伯純一です。まずは、このハンディカメラの紹介から。

 新藤博士の息子さん賢人(けんと)君がカメラマニアの僕のために作ってくれたエコなハンディカメラです。

 半永久式太陽電池のお蔭で、太陽光を利用して充電する事ができ、経済的で……」


 「カメラストップ」カメラレンズを指す。「ストップして!」


 「え?」


 「“え?” じゃないよ。いつも言ってるじゃないか。前置きと自撮りはしなくていいの。自撮りがしたいなら家に帰ってからにしなさい。その映像は日米政府上層部の皆さんも見るんだから」


 話の途中で研究員の鈴野(すずの)(二十八歳)が言った。

 「カメラの紹介なんかどうでもいいし」


 玲人が一瞬憤然とし、ズイッと前に出て鈴野に目をやった。

 「どうでもいいことないだろ!? ウチの息子が一生懸命頑張って作ったんだから!」



 下唇を突き出し、ふて腐れる鈴野。

 「……言ってること違うじゃないですかぁ」



 アメリカ人の化学者シャノン・シンプソン(三十二歳)は、長い金糸の睫に縁どられた青い双眸を玲人に向け、ふっくらとした少し肉厚な唇に笑みを浮かべた。


 乳白色のきめ細やかな肌、すっと通った鼻筋。端正な顔立ちに色を差す柔らかなプラチナブロンドの持ち主であり、非の打ち所がないほど美しい化学者である。


 シャノンは、防護服に覆われた玲人の肩をポンと軽く叩いた。

 「新藤博士、実験始めましょう」


 「そうだな。佐伯君、僕の息子が作ったカメラを回してくれ」

 

 優秀な息子を強調した。しかしそれは親馬鹿を強調したに過ぎない。



 「はい、録画を開始します」


 「人類初の試みとなる<死者蘇生ウイルス>の研究は、妻の死をきっかけに始め、十二年の歳月が経過しました。

 本日も心肺停止のラットによる実験です。

 腐敗が進行していない状態のラットに<死者蘇生ウイルス>を投与し、その後脳内細胞が活性化されることにより、蘇生を果たしますが、前回の実験で各界の皆様から心臓が機能しているのではないかとの疑問の声が上がりましたので、心電図を装着した上で実験を開始したいと思います」

 


 人工ウイルスである<死者蘇生ウイルス>を脳内に感染させることにより脳内細胞が活性化され、死体の蘇生が可能なのだが、全ての死体に適合するわけではない。脳や身体の状態において条件を満たした死体だけが蘇生対象となる。


 一つ目は脳が無傷であること。但し、著しい損傷が診られなければその対象とする。二つ目は身体共に腐敗が進行していないこと。これら二項目が死者蘇生の必須となっている。



 「では始めます」

 玲人は、十一名のウイルス学者が固唾を呑んで見守る中、<死者蘇生ウイルス>をラットに投与した。その直後、脳波計が反応し、ラットの前肢がピクリと動いた。


 心電図に変化は見られず、直線を映し出したままだったが、ラットは元気よくパチと瞼を開け、深紅の双眸を研究者一同に向けて背を起こした。


 眼球が深紅に変色するのは<死者蘇生ウイルス>の特徴であり、何の問題もない。通常の眼球の色とは異なるが、研究員たちは蘇生した証の色と言っている。




 「蘇生実験成功。心電図に動きは見られず、心肺停止の状態である事が一目瞭然かと思われます」

 脳波計のデータに目をやった。

 「生前の記憶を持ち、頭皮上、蝶形骨底、脳表、脳深部、鼓膜も正常に働いています。<死者蘇生ウイルス>に感染し、完全なるレッドソウルとなりました。

 明日は轢死した鈴野君の飼い犬での実験となります。そのあと、いよいよ人体実験に入ります。

 <死者蘇生ウイルス>による初の人体実験は我妻 新藤結子(かんざきゆうこ)です。死から蘇生を果たし、素晴らしいレッドソウルになる事でしょう」


 <死者蘇生ウイルス>を投与して蘇生した場合、ウイルスに感染した罹患者となる。玲人は罹患者にレッドソウルと名付けた。


 妻の結子を蘇生させたい一心で始めたウイルス性新薬の研究。この新薬で蘇生した者の深紅の双眸を目にしたなら、誰もが生ける死者(ゾンビ)を思い浮かべるだろう。


 しかし、血も涙もなく、人を襲い、人を喰らう悍ましいアンデッドモンスターではない。


 身体の機能は殆ど停止し、死体と変わらぬ状態だが、恰も血の通った魂が存在するかのように、生前の記憶を持ち、生前と同じく感情もあり、人を愛する。


 赤い愛のある心、赤い血の通った魂―――


 妻に対する愛と想いを籠め、レッドソウルと名付けたのだ。


 玲人はカメラを止めた佐伯に顔を向けた。

 「そろそろ正午だ。休憩にしよう」


 「はい。寝坊して朝ご飯食べそこねたからお腹ペコペコです」


 「みんなも食堂に行こう」


 研究員一同は気密性の高い重厚なドアで隔離されたスーツ型実験室を出て、感染防護服の汚染を除去する為の消毒液(ケミカルシャワー)が降り注ぐトンネルを潜り、男女それぞれ別の更衣室へと入っていった。


 女子更衣室に入った紅一点のシャノンも防護服と衣服を脱いで全裸になり、ギリシャ彫刻を思わせる長くてしなやかな脚を浴室へと進ませた。


 シャワーの温水を浴びながら、薔薇の精油が漂うオーガニックソープをスポンジにつけ身体を洗う。

 それから豊かな半球型の乳房と曲線美を描いたウエストに付着した泡をシャワーで流し、ボディソープと同じ香りのオーガニックのシャンプーで髪を洗った。


 こだわりは常にオーガニック。肌への優しさを追求しつつ、女性ホルモンの分泌を促す効果のある薔薇の香りを選ぶようにしている。


 リラックスタイムを終えて浴室から上がったシャノンは、身体の水滴をタオルで拭いた。衣服を着用してから洗面台へと向かい、濡れた髪にドライヤーを当てると、穏やかな温風に柔らかなブロンドが揺れた。


 猫っ毛だから乾くのも早いし、化粧っけもないからナチュラルなクリームだけで素肌をさっと整え通路に出る。健康維持の為にエレベータを使わない思考なので、いつも通り階段を下り、一階フロアの廊下を歩いて食堂内に足を踏み入れた。


 食欲をそそる昼食の馨しい匂いに鼻孔が擽られたシャノンは、調理ロボットにメニューを注文する空腹の男性研究員一同が並ぶカウンターに歩を進ませ、最後尾に並んだ。


 「味噌ラーメン! チャーシュー大盛り!」注文する佐伯の声が聞こえた。「いつも通り、葱抜きね」


 「畏まり!」調理ロボットが返事する。「チャーシュー大盛り味噌ラーメン、葱抜き一丁!」注文を取ると元気がいい。たぶんロボットを造った技術者のユーモアだろう。


 シャノンも男性研究員一同に負けじと大きな声で注文する。

 「サーモン尽くしの寿司と豆腐の味噌スープお願いします」


 「はい! 畏まり! シャノン博士、サーモン尽くし寿司定食一丁!」


 歩み寄ってきた玲人がシャノンの注文の品に一言。

 「寿司はしめ鯖でしょう?」


 「私は苦手ね、ちょっと難しいものがあるわ」両手の手のひらを天井に向け、軽く首を振り、アメリカ人らしいリアクションをとった。「挑戦したけど、どうしても無理ね」


 「そうだ。息子に電話をせねば……あ」玲人がはっとした。「携帯時計を自宅に置いてきてしまったようだ」


 シャノンは手首につけた腕時計型携帯電話を向け、電源ボタンを押した。宙にクリアウインドウが浮かび上がる。

 「私のを貸してあげるけど」


 「ありがとう。でも、ウチの息子は登録していない電話番号には出てくれないんだ。すまないね」


 「私もそうかも」


 腕時計型携帯電話を自宅に取りに行く為に玲人が食堂から出ていった直後、シャノンの注文したメニューがカウンターに載せられた。


 「へい、お待ち! サーモン尽くしと豆腐の味噌汁でい!」調理ロボットの威勢のいい音声が食堂に響く。そしてロボットらしく音声の抑揚もなく淡々とたずねた。「栄養の説明は要りますか?」


 「いいえ、けっこうよ」


 「畏まりました」


 お膳に載せられた定食を手にしたシャノンは、佐伯と鈴野が座るテーブルへと向かい、腰を下ろした。


 「いただきます」


 箸を手にし、美味しそうに鮭の寿司を頬張るシャノンを見て佐伯がたずねる。

 「明日の人体実験は成功する、必ずね。シャノンは辛くないの?」


 「え? 何が?」


 「何がって……だってシャノンは新藤博士の事が」


 台詞の途中で鈴野が佐伯の肩に手を置き、静かに首を振った。沈黙の目はそれ以上言うなと言っている。



 「そうね……」双眸に寂廖(じゃくりょう)の色を浮かべたが、その唇に笑みを浮かべた。

 「私が初めて新藤博士と出会ったのは六年前。

 彼の才能と優しさに惹かれたわ。

 でもね、出会った時から彼の心の中に亡き奥さんがいた。

 私の入る余地などなかった。だけど、私は奥さんとの想い出を語る彼の表情が好きだった。奥さんの為に研究する彼が好きだったの」

 優しく微笑んだ。

 「きっと私は奥さんを愛する彼を好きになったのね。そう思うようにしたのよ」

 

 (だって、どう頑張っても自分のモノにならない人……亡くなった人との想い出は何よりも美しい。

 愛していたなら、なおさら。自分の気持ちを楽にさせる為にも、そう思うことが一番だったのよ……)



 「そっか……」

 化学はめっぽう強いが、女心はからっきし。だから言葉を付け加えずに返事した後続けた。

 「でもさ、俺は思うんだ。このウイルスは本当に世の中の人の為になるのかな? 亡き愛する人に逢いたいと願うのは人として当然の心理だと思うけど……」



 鈴野が佐伯に突っ込む。

 「この実験に声を掛けられた時、俺は自分自身のステータスやスキルアップになると思った。

 それに国家機密事項に携わる実験に立ち会えるなんて、化学者として光栄だろ? ごちゃごちゃ考えるならどうしてこのプロジェクトに来たんだ?」


 「俺も最初はお前と同じ考えだったけど、どうせなら世の中の役に立ちたいじゃん。でもさぁ、最近になってこのウイルス性新薬が本当に人類に必要なのかなって、ふと考えることがあるんだ。新藤博士は奥さんを愛しすぎて肝心な事が見えてないような気がする」


 シャノンがポツリと質問する。

 「ねえ、世の中の権力者、億万長者、王族を含め、莫大な財産を所有する所謂セレブが、どれだけ大金をつぎ込んでも購えないモノってなんだと思う?」


 佐伯が答える。

 「時間、健康、寿命」


 「その通りよ。私達が研究する<死者蘇生ウイルス>は相当な額で取引されるはず。民間には出回らない。後に莫大な国益となるであろうウイルス性新薬に、政府は多額の費用を投資した。

 このウイルス性新薬を手に入れた人達は実質上、不老不死となる。過去の記憶を持ち、生前と然程変わらぬ姿で蘇生できる。

 それは古来から権力者が望んできたこと。でも絶対に叶わなかった夢でもあるのよ。

 彼らはこぞって<死者蘇生ウイルス>を手に入れたがるでしょうね。それこそが政府の狙い。結局、民間人の役には立たない」



 鈴野が言う。

 「それでいいんじゃないのか? 実際、民間に出回れば過剰なまでの人口の過密化が進む。だって誰一人として死なないんだから。自然界の法則を無視した危険な実験であることは言われなくてもわかってるさ」一呼吸置いて、シャノンに顔を向けた。「単純に博士が好きで、ここまで着いてきたんだろ?」


 「…………」



 シャノンは返事せずに、食堂の窓硝子越しに見える紺碧の東京湾を見つめた―――










・・・・・・










 <ウイルス性新薬研究所>が建つ東京湾の中心に位置する人工島の建設が始まったのは、今から十二年前の夏。


 技術者たちはたった二年で人工島を創り上げた。その目的は民間人には極秘で進められた化学プロジェクト ウイルス性新薬<死者蘇生ウイルス>実験の為である。


 この人工島は<化学島>と名付けられ、二つの大規模な化学研究施設が建設された。そして二つの研究施設は北と南に境界線を引くような形で高い塀が聳え立ち、双方 行き来できる人物は極秘プロジェクトに携わる北に勤める者と、ごく一部の政府関係者のみとなっている。


 極秘プロジェクト<死者蘇生ウイルス>の研究を進める北の<ウイルス性新薬研究施設>のカモフラージュである南には、湾口浦賀水道からこの島に入る為の鉄橋が架けられており、一般のウイルス化学者が務めるバイオセーフティレベル1から4までの四階建てのウイルス研究施設に入ることができる。


 バイオセーフティーレベル(英: biosafety level BSL)とは、細菌・ウイルスなどの微生物・病原体等を取り扱う実験室・施設の格付けのことである。

 世界保健機関(WHO)が制定した実験室生物安全指針に基づき、各国で病原体の危険性に応じて4段階のリスクグループが定められており、それに応じた取り扱いレベル(バイオセーフティーレベル 以後BSL)が定められている。


 【出典 バイオセーフティーレベル ― Wikipediaより。(尚、言葉の一部を変えています)】


 最も危険と定められているのは、BSL4に属するウイルスで人から人へと感染する。また、これらに感染した場合、重篤な感染症を引き起こし、死亡率も高く、有効な予防法も治療法もないとされてきた。


 二〇五〇年から遡ること三十六年前―――


 二〇一四年三月から西アフリカを中心とし、当初BSL4に定められていたエボラ出血熱が流行した。WHOによるエボラウイルス終息宣言が発表されたのが二〇一六年一月十四日なのだが、長期間に渡って世界中を震撼させた事により、抗ウイルス薬の研究開発が劇的に進んだ。


 二〇五〇年、現在においては確立したワクチンも開発され、完治する感染症であるが危険である事には変わりない。その為、抵抗力が弱い子供や年配者が感染し、発症してしまうと致死率が高く、未だ脅威的な感染症の一つとして挙げられている。


 そして、日本が誇る天才ウイルス学者 新藤玲人も、アメリカの若手天才ウイルス学者 シャノン・シンプソンと共に、BSL4のウイルスに対抗すべく幾つかのワクチンを開発してきた。


 だからと言って全てのBSL4のワクチンが開発されているわけではない。何故なら一つのワクチンを開発するにおいて、途方もない年月を要するからだ。


 <化学島>の北側を占めているのが玲人率いる極秘プロジェクトチーム十一名のウイルス学者が務める<ウイルス性新薬研究施設>なのだが、BSL4のワクチン開発に力を注いでいた当時、玲人とシャノンは北と南を行き来する生活を送っていた。


 つまりワクチンの開発と極秘プロジェクト<死者蘇生ウイルス>の研究を二つ同時に行っていたからである。


 当然の事ながら極秘プロジェクトに携わる化学者らは、南への出入りは自由となっているが、国家機密を請け負う為に常に政府の監視下に置かれ、<化学島>に建設された化学者専用のマンションに住むことを義務付けられている。それ故、プライベートに関しての自由が一切許されていないのだ。


 また、化学者らの生活拠点の北側には、一般非公開軍事組織の軍事施設(駐屯地)が設けられている。

 そこに所属する極秘任務を遂行する総軍勢三四〇名のシークレット特殊部隊が各国の諜報員を含めた外部からの侵入者を防ぐ目的で、昼夜問わず交代で巡邏する為に<化学島>の北に派遣された。そして彼らも玲人達同様、政府の監視下に置かれている。


 民間人から見れば物騒の一言に尽きる<化学島>が建設された二年後、更なる不安を仰ぐように地底都市が創られた。


 軍事施設を突っ切った奥に地底都市へと繋がる堅牢な鉄扉があり、ここから先は玲人ら化学者も立ち入り禁止区域となっている。


 その内部から100キロ隔てた位置に海上に上がる為の大型エレベーターを設け、人工島を創り、宇宙基地を建設した。



 恐怖心からか民間人の間で様々な憶測が飛び交い、現在<化学島>は東京24区という謎めいた名で呼ばれるようになり、宇宙基地を設けた人工島も東京25区と呼ばれるようになった―――





 食堂の椅子に座るシャノンは、キャンバスに描かれた曖昧で抽象的な油絵のようにぼんやりと見える東京25区の宇宙基地を眺め、玲人が愛する妻の蘇生実験を控えた明日に想いを巡らせた―――








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