第2話2050年【ウイルス性新薬研究施設1】
出勤前の玲人は、煙草を吸いながら朝のテレビニュースに集中していた。
テレビ画面の中で笑みを浮かべるキャスターが、人類初の人工惑星型コロニーを創ることに成功した『NASA』を褒め称える。
『壮大な宇宙に煌々と光り輝く銀河系には、太陽と同質の恒星が二千億から三千億あると言われています。その周囲を取り巻く星々に生命の兆候は観測されておりません。
現在生命体が存在する惑星は、太陽系惑星の一つである私達が暮らす蒼く美しい地球のみとなっております。
太陽の恩恵を受け、生物が誕生してから約三十八億年、人類は遂に居住可能な人工惑星型コロニー<ノア>を創ることに成功しました。
規模は火星の五分の一に相当し、現段階においての収容人数は約二万人となっております。また、環境も地球に似ている為、非常に快適だということです。
このプロジェクトチームのチーフである<NASA>のアンジェリカ・ブラウン博士は……』
テレビに集中している玲人の隣に、1・3メートルのシルバーのロボットと共に息子の賢人(けんと)(十二歳)が腰を下ろした。
「ふ~ん、成功したんだね。今夜は月の隣に人工惑星が光るのかな?」
「たぶんな」
「だけど人類はいつになったら昔の天才物理学者ホーキング博士の理論『ワームホール』を見つけられるのかな?
それさえ発見できたら異星人にも会えそうな気がする。
四次元の人間がいたら発見出来ちゃいそうだけど、俺達には無理なのかなぁ?」
『ワームホール』とは読んで字の如く虫食いの穴である。イギリスの理論物理学者スティーブン・ホーキング博士の理論である『ワームホール』は、過去、現在、未来そして別の宇宙にも通じているトンネルなのだが、二〇五〇年の現在においても人類の科学はそれを発見するに至っていない。
「そうだね、僕達ニ次元の網膜とは異なる網膜を持つ異星人が存在したなら、『ワームホール』を発見する事が可能かもしれないね。
僕達は三次元に棲みながらも平面しか捉えることができない二次元の網膜しか持っていない。だけど四次元に棲む異星人だったら、僕達より優れた網膜を持っているはずだろうし、時間の道筋まで肉眼で捉えることができるからね。
彼らが紙に正方形を描いたら立方体に見えるだろうし、テレビだって3Dに見えるだろうから、ひょっとしたらひょっとするかもね」
「俺もスペシャルな目ん玉が欲しかったな」気を取り直して創ったロボットに目をやった。「でもさ、四次元の異星人には敵わないけど、メカ博士の俺も負けてないよ」
今から十五年前、二〇三五年に飛び級制度が正式に法律として成立した。天才児であった賢人は七歳で大学に入学し、十一歳になった年に首席で卒業する。
現在は天才メカニックとして世界中から脚光を浴びている旬な“ちびっこ博士”と言えよう。
煙草の火を消した玲人は、ロボットに目をやった。
「そのロボットは?」
「半永久型ロボット1号、フレンド君だ」
フレンド君が挨拶する。
「こんにちは、賢人博士のお父様でいらっしゃいますね、私はあなたの友達です。よろしくお願いします」
「はい、こんにちは。フレンド君」玲人が笑って返事をしてから賢人に言った。「僕を父だとプログラムしたのかい?」
「違うよ」自慢気に答える。「フレンド君はDNAを読み取ることができるんだ。だから血の繋がりのある家族を認識できるし、体の不調も瞬時にわかっちゃうんだよ」
驚きの表情を浮かべる玲也。
「それは凄い!」
「だろ? ロボット業界、世界初だぜ。充電の必要もないし、介護施設でも大いに活躍してくれるはずだよ」
二人が会話に花を咲かせていると、お盆に飲み物を載せたお手伝いロボットがやってきた。
『今日は猛暑です。熱中症予防の為に一時間に一回は水分補給をしてください』
玲人が返事する。
「はい。ありがとう」
フレンド君が玲人に言った。
「水分補給も大切ですが、お煙草をお控えになさった方がよろしいようです。肺がニコチンに汚染されております」
「はは……」苦笑いする。「わかっちゃいるけど止められない」
「ねえ、お父さん、今日は大事な実験の日なんでしょ?」
「ああ。そうだよ」
「何を実験してるのか内緒で教えてよ」
「だーめ」
まるでCIAの工作員のようだが家族にも極秘なのだ。
「でも、お父さんのことだから、きっと人類の役に立つ研究なんだろうね」
「勿論だよ」
即答だった―――
信じていた―――
この実験が人類の為になると―――
そして妻に対する究極の愛であることを―――
・・・・・・・・
出勤した玲人は<ウイルス性新薬研究者>の最上階のスーツ型実験室へと入り、研究員の化学者一同に挨拶をした。
「おはよう、みんな」
一同は挨拶を返す。
「おはようございます」
鈴野のペットである傷ついた白い毛並みの犬を乗せた実験台を少し横切り、冷凍保存されてから十二年の時を経て見る妻の結子へと歩を進ませ、冷たく凍った愛しい顔を覗いた。
自分は年を取ったが、結子は十二年前のままだ。肌も滑らかなまま保たれている。冷凍保存の優れた技術に圧巻した。
年齢を重ねた自分を目にした蘇生後の裕子は “おじさんになったわね” そう言いながら笑うだろうと、微笑ましい光景を想像し、口元に笑みを作った。
(結子、もうすぐ君に逢える。この日をどんなに待ち望んだことか……この研究こそ君に捧げる究極の愛だ)
シャノンがどこか悲し気な瞳で玲人を見つめ、防護服に覆われた胸をギュッと掴んで、感情を呑み込んだ。
「…………」
(奥さんが蘇生したら、私は祝福しなければいけないわね)
不安げな表情の鈴野が実験台に乗せられた脳波計を装着した犬に歩み寄った。
「シロも蘇生されるだろうか……」
「大丈夫だ。必ず甦るよ。鈴野君の愛犬も、そして僕の妻もね」
ふと目線を下ろし、犬の身体を見る。左後肢に事故で負った傷とは違った咬創の痕を発見する。
「犬同士で喧嘩でもしたのかな?」
鈴野は詳しく説明してくれた。
「野良だったシロが<化学島>来た経路はわかりませんが、拾ってから二日後にこの辺一帯をうろついているところ軍のジープに轢かれて死んじゃったんです。
きっとこの島に来る以前に他の野良と喧嘩したんだと思います。拾った時からその傷はありましたから。
まだ狂犬病のワクチンを受けていないので、落ち着いたら自分が打ってあげようと思っていた矢先の悲しい事故でした」
「なるほど、そうだったのか。蘇生したらすぐに狂犬病のワクチンを打ってあげなさい」
「はい。そのつもりです」
ハンディカメラを手にした佐伯が、玲人に言った。
「もうすぐ十時です始めましょう」
「そうだね、始めようか」
再生ボタンを押した佐伯はカメラを回し、
「映像記録者佐伯純一。八月四日、午前十時丁度。脳内細胞活性化による轢死した犬の蘇生実験開始」機械的な台詞を言った後、玲人を画面に収め始めた。
昨日同様<死者蘇生ウイルス>に満たされた注射器を手にし、実験台に歩み寄った。
「怪我の状態は、内臓損傷、右前肢骨折、左後肢に咬創の痕が診られますが、脳へのダメージは比較的軽く、死亡原因は内臓損傷によるものであり、蘇生実験には差し支えないかと思われます。今日は心電図を装着しておりません。通常通り脳波計のみで蘇生実験を開始します」
十一名の研究員たちに囲まれた玲人は、緊張を孕んだ指先でシロの背中の皮を摘まんで伸ばし、注射針を射した。
<死者蘇生ウイルス>を投与した直後、心肺停止のシロがパチッと目を覚ました。ラット同様、蘇生実験の成功に一同は歓喜の声を上げた。
生前のように尾を振り、愛想を振りまくシロの姿に安堵した鈴野は、ホッと胸を撫で下ろす。
「ワン!」
「シロ! ちゃんと俺の事覚えてる?」
シロはレッドソウル特有の深紅の双眸に喜びの色を浮かべ、尾っぽを左右に振って答えた。
生前同様の従順さを見せた後、鈴野の首に前肢を絡ませ、愛想を振る。
「ワン! ワン!」
「あはは! 生き返った! シロ」涙ぐむ鈴野はシロを力いっぱい抱きしめてあげた。「いい子だね、いい子だ」
「やったな、ついに犬でも成功だ! 完璧なウイルス性新薬だよ」一人が玲人の肩を軽く叩く。「俺達と同じ赤い血が通っているかのようだ! まさにレッドソウルだな!」
「その通りさ。魂の再生だ。生きる者に真っ赤な愛を与えてくれる。それが<死者蘇生ウイルス>の素晴らしさなんだよ」
(妻が一番好きだった色は赤だ。純粋な愛を籠めて、この名をつけたんだ。君は喜んでくれるだろうか?)
犬の蘇生実験を成功させた玲人は、気持ちを切り替え、冷凍保存された結子に目をやり、真剣な面持ちで研究者一同に言った。
「いよいよ、人体実験を行う。失敗は許されない」
シャノンは、愛する人を再び抱きしめる為だけに研究を重ねてきた玲人をじっと見つめた。
(決して私の物にならない愛する人は、本来あるべき夫婦に戻ろうとしている……応援するべきよね、私は……)
カメラを回す佐伯は緊張で強張った玲人を画面に収めてから、再び元気なシロにアングルを戻した。
その時―――予想もしなかった戦慄をカメラが捉えた。
突如シロが鈴野の喉元に鋭い歯で噛みつき、防護服ごと柔らかな肉を引き裂いたのだ。喉の粘膜に絡みついた唾液混じりの粘性のある血が周囲に飛散する。
目を見開いた状態で勢いよく頭部から床に倒れた即死の鈴野は、実験室に頭蓋骨が陥没するような衝撃音を響かせた。
白い毛並みを返り血に染めたシロ。狂犬にとって鈴野の肉は餌も同然。愛らしさを失った口に銜えた鈴野の肉を旨そうに嚥下した。
その口元に光る鋭い犬歯から、鈴野の血で混濁した唾液が滴り落ちた瞬間、喜び一色だったはずの実験室が一瞬にして恐怖と動揺の色に染まっていった―――
予想外の惨烈な光景。成功を収めるはずだった犬の蘇生実験に何が起きたのか、状況が理解できない。しかし、彼らにそれを考える余裕はなかった。不可思議としか言いようのない現状より、恐怖の二文字が頭を擡げる。
玲人も数歩あとじさり慄然とし、身体を硬直させた。
「そ、そんな、馬鹿な……」
ハンディカメラを胸に抱えた佐伯の唇が恐怖に震えた。
「ウソだろ……」
射竦める深紅の双眸に研究員一同を捉えて隅目するシロ。鼻に皺を寄せて威嚇し続ける変わり果てた姿は、もはやアンデッドモンスター以外何者でもなかった……
悲鳴が飛び交い騒然とする中、一人の研究員が大声を張った。
「みんな、逃げるんだ!」
しかし―――次の瞬間、その研究員にシロが襲い掛かった。凄まじい勢いに押し倒され、シロに肩を噛まれる。深い噛み傷に灼熱の激痛が走った。
「噛まれた! 噛まれたぁ!」
とどまらない恐怖―――次から次へと悲劇が続く。シロの凶変を皮切りに、絶命したはずの鈴野までもが背を起こし、立ち上がったのだ。
深紅の双眸に一変した鈴野の喉元は、シロに喰い千切られている為、咽頭が剥き出しの状態だった。見るからに悍ましい姿ではあるが、顔色だけは生前と変わらぬ血色のよさだ。しかし、心臓が停止している。土気色の肌に変化していくのも時間の問題だろう。
今しがたシロに肩を噛まれた研究員は、豹変した鈴野の姿に慄然とした。逃げねばと血相を変えて出口に設置された重厚なハッチに触れた途端、突如ガタガタと全身を痙攣させた。
徐々に瞳孔が開いていき―――黒い双眸がみるみるうちに深紅の双眸へ―――
遂に凶暴なレッドソウルと化した研究員は身を翻し、一同を睥睨しながら咆哮した。
「ウゴ……ガガ……グオオオオ!」
尋常を失った玲人は頭を抱え、悲痛な悲鳴を上げた。
「何故だぁ―――――!」
こんなはずじゃない! 何故!? 何が起きた!? そればかりがグルグルと頭の中を回り続ける。
予想だにしていなかった戦慄の光景に研究員一同も恐怖し、逃げ惑う。実験室を走り回る研究員のうち一人が喘息持ちだった為、パニックから発作を起こしてしまい、息が吸えずに防護服のヘッド部分を外そうとした。
それを目にしたシャノンが声を張った。
「外しちゃダメ! 感染するかもしれない!」
「ゲッホ! ゲッホ!」咳き込んだ研究員は、苦しさに耐え兼ね、遂にヘッド部分を外してしまった。「ヒュー……ゲホッ!ゲッホ!」余程苦しいのか、前屈みで咳き込み始めた。
普段なら背中をさすって喘息の症状を心配するところだが、一つの疑問が頭を駆け巡る。
「…………」
(感染しない? 単なる考えすぎ? 取り越し苦労だろうか? だけど、生体に<死者蘇生ウイルス>が感染したなら、数秒で恐ろしい事態に発展する。
だからこそ、あたし達は防護服を着用している……
もしかしたら、犬に<死者蘇生ウイルス>を投与した為に、別のウイルスに組み替えられたのか―――
だけど、何故?
わからない、わからないわ……
一体何が起きてるのか、何が起こったのか―――)
考えを巡らせるシャノンの至近距離で喘息の発作を起こした研究員の呼吸が漸く落ち着いた。研究員は感染していないと信じ、急いで防護服のヘッドを再び被ろうとした瞬間、飛びかかってきたシロに襲われる。
目にも留まらぬ素早い攻撃を回避できなかった研究員は、頭部を噛みつかれ、強靭な顎の力で頭皮をも引き裂かれてしまう。断末魔を上げる研究員の頭部から、血に染まった頭蓋骨が痛々しく覗いた。
悲惨な光景を目にしたシャノンは懼然とし、恐怖に満ちた涙を青い瞳に溜めた。混沌とした地獄に突き落とされたかのように、身震いが止まらない。
激痛に発狂し続ける頭皮を失った研究員も、今しがたハッチの前でレッドソウル化した研究員同様に突然全身を痙攣させ、黒い双眸を深紅へと一変させた。
「ボヘ……グ……アギ……」言葉として成り立たない声を出し、口元の端から涎を垂らし始めた。「ゴ……ウゴ」
驚愕の光景に正気を失った玲人は気づいていなかったが、どんな状況下に置かれても化学者としての慧眼を失わないシャノン、そして不謹慎とは理解しつつも悲惨な現状に好奇心を抱かずにはいられない少年のような佐伯が同時に思った。
シロに頭部を噛まれてレッドソウル化した研究員は即座に発症した。一方、肩を噛まれてレッドソウル化した研究員は、それに比べて発症が遅い。
つまり、噛まれた箇所が頭部に近いければ近いほど、発症が早まるということだ。
まるで狂犬病のようだ、レッドソウルとなってしまった研究員に目をやった。
言わずと知れた狂犬病は、ワクチンの投与で予防できる人獣共通感染症の一つである。発症後は確立した治療法がない為、呼吸障害で100パーセントの致死率と言われている恐ろしい感染症だ。
狂犬病ウイルスは神経系から一日数ミリから数十ミリ単位で進み、脳神経に到達した時に発症する。平均的な潜伏期間は一ヶ月から三ヶ月程度となっているが、咬創の位置によって潜伏期間が大きく異なるのも狂犬病ウイルスの特徴でもある。
脳神経に近い顔や首などを噛まれた場合、二週間程度で発症する可能性も十分にありうる。だが、対照的に脳神経から遠い足元を噛まれた場合、発症するまでに二年かかったというデーターもあるのだ。
狂犬病と何らかの関連性があるかもしれない凶変したシロのDNAサンプルが欲しいところだが、それよりも逃げねば、自分たちにも命の危機が迫る。呆然と立ち竦む玲人の腕を引いたシャノンが大声を張った。
「博士! 新藤博士! しっかりして!」
「あ……あ……ああ」なんとかシャノンに目をやる。「ああ……あ……」
「逃げるんです!」
「……。逃げる」
玲人は足を震わせながら、愛する結子に顔を向けた。
(こんなところに置いていけない!)
結子に足を向けた直後、佐伯も玲人の腕を引いた。
「奥さんは死んでいます。新藤博士の命の方が大切です!」
鈴野が研究員を襲い始めた。死体とは思えぬほど、素早い。そして力強い。生前より力も俊敏性も格段に上がったような気がしてならなかった。
だからこそ、ここから一刻も逃げるべきだと、頭では理解している。
だが、人間には感情がある。愛する者をこんな場所に置いていく事なんてできない!
「妻を助けないと!」
「もう死んでるんですよ!」
「僕は妻の為に研究を重ねてきた! 妻を愛しているんだ!」
「新藤博士!」
佐伯とシャノンの手を振り払い、冷たい結子を背負った。佐伯がハッチを開け、トンネル状の狭い通路へと足早に入っていった。シャノンと玲人もその後に続く。
このトンネルはボタン一つでケミカルシャワーが降り注ぐ仕組みになっている。実験室から出る際は、必ずケミカルシャワーを浴び、防護服を脱いで通路に出るのが常識だ。
しかし、その暇もなく、それどころではない。それに防護服を脱いでしまえば、感染する恐れもある為、全力疾走で滑るように通路に飛び出した。逃げ切ったと思いきや、自分達を追う足音と呻き声が聞こえた。レッドソウル化した仲間が追ってくる。
三人は後方に目をやった。その時―――自分達以外の研究員全員が悍ましいレッドソウルになってしまったことを知る。レッドソウル化した研究員達の深紅の双眸は、まるで獲物を狙う野獣のようだった……
戦慄の状況下に置かれた三人は、この窮地から逃れるために三階の通路を走った―――
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