第19話2050年【疫病センター2】
水飲み場から通路に出た稔に安岡が眼(がん)を飛ばしながら、歩み寄った。
「このクソガキ、君嶋指揮官と何をこそこそ話してたんだよ」
「はっ」稔は鼻で笑う。「ガキはどっちだよ。内緒話は嫌いだって駄々をこねる子供みたいな奴だな」
まるで喧嘩する不良のように、稔の顔面を覗き込む。
「ああ!? なんだと?」
安岡は軍人としては優秀な人材だが、“元ヤン” なので喧嘩っ早いのが玉に瑕。安岡の胸に手を置き制した君嶋は、稔と七穂に真摯な面持ちを向けた。
「こいつらには君達の身体に起きた異変の事を言わねばならない」了承を得た上で伝えようと思った。「全ては君達の為だ」
稔と七穂は顔を見合わせ、頷いた。
「あなたに……君嶋さんに任せるわ。きっと君嶋さんなら正しい判断ができるはずだもの」
稔は安岡を親指で指す。
「こいつを信用していいのかよ?」
君嶋が言った。
「大丈夫だ。少し口が悪いだけだ」
「……。俺だけならまだしも七穂まで危険に曝すことになるんだから絶対って保証が欲しい」
七穂が稔に言った。
「お兄ちゃん、この非常事態に絶対って言う保証はどこにもないわ。君嶋さんが大丈夫と言うなら大丈夫なのよ」
確かに七穂の言う通りだ。稔が安岡に言った。
「……。信用するぜ、あんたを」
安岡が言う。
「時と場合による」
鼻で笑った稔は、七穂を連れて健達が待つ隔離病棟に戻っていった。折しも二人がいなくなった通路に君嶋の腕時計型携帯電話のバイブレーションが響いた。
通信を確保する必要のある機関同様、君嶋ら特殊部隊や政府も、公衆回線の途絶後も問題なく通信機器を使用できるのである。
君嶋は安岡ら部下に手招きし、再び水飲み場へと入っていった。ガタイのいい男が敷き詰まった狭い空間に息が詰まりそうだ。
しかし、話し合いができる個室はここしかなさそうだ。少々窮屈だが我慢してもらうほかない。
君嶋が感染防護服に覆われた携帯電話の通話ボタンを手探りで押した瞬間、最もむさ苦しい上戸の顔が宙に浮き上がったクリアウインドウに映し出された。美人でも映し出されればさぞ救われるだろうが、見るに耐え難い光景だ。
クリアウインドウから目を逸らした安岡がボソッと言う。
「うお、強烈……」
君嶋に厳しい目を向ける上戸の背景は、異様に白くて無機質な空間だった。どうやら国会議事堂にいるわけではないらしい。
『随分と勝手な行動を取ってくれて……指導者にでもなったつもりか? 何様のつもりだ?』君嶋の周囲にいる部下達にも刺すような視線を投げた後、口元に気色悪い笑みを浮かべた。『まぁ、いいだろう。どうせ君達は……』意味深な言葉を言い掛けて止める。『いや……何でもない』
上戸がいる場所が気になった君嶋はたずねた。
「どこから電話をかけているんだ?」
『国が設けたシェルターだ。全国各地から<ノア>行きスペースシャトルの搭乗者が集まった。ところで新藤博士達の方はどうなったかな?』
「自分で訊けばいいだろう。ウイルスの滞在期間は二週間、てめえらは国民から逃げるかのように、彼らに一週間しか猶予を与えなかった」
『国民から逃げる? いや、違うな……もっと別の何か……それも君達には関係のない事だ』
上戸の言っている意味がわからない。苛立った君嶋は用件を訊く。
「何しにかけてきやがった?」
『単純なことだ。散々人を殺めてきた君嶋君が正義風を吹かせている光景が滑稽に見えてねぇ。せいぜい好きにやってくれたまえ。どうせ時は迫っている』
人を小馬鹿にした台詞を言う上戸を不快に思ったが、それよりも違和感が勝った。
事態がどうであれ、相当なお咎めを食らうと思っていた。それに意味深な言葉を立て続けに言う上戸に疑念を抱かずにはいられなかった。
「何か俺達に隠していないか? とてつもなく肝心なことを」
「いや、何も……」口角を緩ませる上戸。「せいぜい頑張ってくれたまえ。虚しい努力をな」
一方的に電話を切った上戸の顔がクリアウインドウから消えたので、君嶋も携帯電話の電源を切った。
やはり、上戸は何かを隠しているように思えた。自分達が知らせれていない何かを……
「何を隠していようと俺達には関係ありませんよ。好きに言わせておけばいいんです」安岡が言うと、
「そうですよ、好きにやってくれと言われたんです。寧ろ好都合の万々歳じゃないですか」部下の一人も言った。
確かに部下の言う通りだ。どんな事情を隠していたにせよ、もはや自分達には関係のないこと。何故ならあいつらは<ノア>に行き、自分達は地球に残るのだから。それは今であっても、十年後であっても変わらない。揺らぐことのない決意。
「お前らの言う通り好都合かもしれんな」
安岡がたずねた。
「それはそうと、生意気なカメラ小僧と可愛い感じの女性と何を話していたんですか?」
部下一同を真っ直ぐ見据えた君嶋は、真剣な面持ちで話を切り出した。
「あの二人は兄妹だ。稔と七穂。年はお前と大して変わらん。兄の稔は戦場で活躍していたカメラマンだったそうだ、そして妹の七穂は保育士だった……。しかし、今の彼れらはレッドソウルだ」
「マジかよ……」一同は顔を見合わせ、安岡が言った。「もしかして、夢ちゃんを連れたあの親子もですか?」
「ああ」君嶋は頷いた。「内密に頼む」
「はい、もちろんです」
「あの兄妹には、生体から<死者蘇生ウイルス>に感染した場合を大まかに説明した。だが、ここに集まった市民にとっては、どちらも同じレッドソウルに変わりない。身内をレッドソウルに殺された者なら猶更、赤い目に恨みを持っていて当然だろう。
稔達の身の安全の為に、一旦その事実を伏せた上で<新型狂犬病ウイルス>の説明をしようと思う」
一人の部下が言った。
「もし、新藤博士らのワクチン開発が失敗に終われば、<新型狂犬病ウイルス>の罹患者が蔓延るこの地で生き抜かねばなりません。だからこそ、真実を知る必要があるかと思います」
「正しい決断ですよ、君嶋指揮官」納得した安岡がたずねた。「ですが、<ノア>に関してはどのように説明するつもりですか?」
君嶋は真摯な面持ちで答えた。
「一時的にパニック状態に陥ると思うが、それこそ知る必要があると俺は考えた」
ゴクリと唾を呑んだ。
「言うつもりなんですね?」
「ああ」
部下の一人が通路に足を向けた。
「そうと決まったら隔離施設にいる市民を待合室に集めないと」
「そうしてくれ」決然とした目を部下にやった。「ここにいる自衛隊が話を聞けば、各地で闘う彼らの仲間や警察、そして消防隊員にも直ぐに伝わるだろう。そして別の疫病センターや病院に身を潜めている市民にも話は広まっていくはずだ」
<新型狂犬病ウイルス>と<ノア>に関する事実を伝えるべく、水飲み場から廊下に足を踏み出した。市民らが腰を下ろす廊下に出た君嶋は、病棟から顔を出す稔と健と目が合った。
「俺達にできることがあったらなんでも言ってくれ」と言った稔は、先程とは違い哀れみの表情を向けてきた安岡に顔を向けた。「そんな顔、よせよ。同情が欲しくてここに来たわけじゃないんだから」
「そんな顔ってどんな顔だよ」安岡はいつもの口調で言った。「勘違いしてんじゃねえよ」
「だといいけど」
(ヤンキー上がりだけど、案外、根はいいヤツなのかもしれないな)
君嶋は稔と健に頼んだ。
「……。今から大事な話をしようと思う。待合室にみんなを集めてくれると助かる」
「お安い御用」
稔にも七穂にも<ノア>への移住は告げていなかった。君嶋は稔に言った。
「稔、俺達の話を冷静に聞いてほしい」
「あ、ああ……」苦笑いした。「自分の身に起きた驚愕を超える事実なんてあり得ないし。ちょっとやそっとじゃ、驚かないよ」
「それを上回るかもしれん……」小さな声でポツリと囁いた。「いや、何でもない」
君嶋の声が聞こえなかった稔は、健に言った。
「じゃあみんなを待合室に集めようぜ」
「おう」
・・・・・・・・
レトロな雰囲気が漂う店舗が犇めき合って立ち並ぶ浅草地下街―――
狭い通路には死体が横たわり、各店舗の壁は人々の血で赤く染まっていた。既にレッドソウルが去った後であり、惨烈な状況ではあるが異様なまでに静かだ。
飲食店の並びにビールの銘柄をペインティングした看板を掲げた開放的な一軒の居酒屋があった。通路から見える長テーブルと床には、注文された品とジョッキグラスの硝子片が散乱していた。
荒れ果てた長テーブルに俯せの状態で絶命した客達が大勢いる。彼らの頭部はショットガンで吹き飛ばされ、額から後頭部にかけて抉れていた。
飛び散った血と脳の一部が皿の上に盛られた麻婆豆腐と入り乱れ、まるで具材の如き……床に散乱したレバニラの上にもレッドソウルに喰い千切られた生の肝臓が落ちていた。干乾びた肝臓の表面を見る限り、この惨劇が起きてからかなりの時間が経過しているようだ。
肝臓を突っ切った位置にあるカウンター手前には積み上げられた死体の山がある。レッドソウルを撃ち殺した軍が、死体処理しやすいように一時的に積み上げたのだろう。
死体のみが横たわる店内に山積みにされた死体。動くものなどないはずなのに、ゆらりと影が揺れた。それと同時に、二人の少年の話声が静まり返った空間に響いた。
少年は君嶋が心配していた秋葉原の兄弟、遊直と遊介だった。二人は店内へと歩を進めた。遊介は、赤いハート型のフレームのサングラスを人差し指で上げながら言った。
「兄ちゃん、ここにも僕達のような自我を保ったレッドソウルはいないようです」
道の途中で拾った拳銃を構えた遊直。
「……。血みどろホラー映画の中にトリップしたみたいな現実に目が慣れてきている自分が怖く思うよ。それに死臭にも慣れてきたかも」
「恐怖の麻痺ってとろこでしょうか」遊介はサングラスを軽く下げ、深紅の双眸で周囲を見回した。「レッドソウルになってから不思議なことに視力が上がりましたね。もう眼鏡いらずですよ」
「確かに……って、そんな事より、やっぱり稔さんと七穂さんたちに着いていった方がよかったかなぁ」
「モルモットにされたら大変です。僕は反対ですね」
「だよな。でもさ、携帯番号くらい聞いておけばよかったな。貴重な仲間だったのに」
「それは僕も同感ですが、今更です。済んだことを考えるより、今からどうするべきかを考えないといけませんよ」
遊介は大きなリュックサックをせから下ろし、ファスナーを開けた。中にはゲーム機とゲームソフトが数十枚収まっている。ゾンビを撃ちまくるホラーゲームが大半を占めていた。
秋葉原の友人達とゲームソフトの交換を終えた帰り道に、悲劇に巻き込まれた二人。共通のゾンビ好きの友人の携帯電話や自宅電話に何度電話をかけても繋がらず、安否を懸念するもそれを確かめる術はなく……今はただ生きている事を祈るばかり。
友人を思い出して滲んだ涙をグッと呑み込んだ。
「どうする気だ?」
「生き抜く為にゲームソフトは役に立ちそうもありません。ゲームはここに置いてリュックを空にします」
「空に?」
「はい。この先にドラッグストアがあります。役に立ちそうな生活用品を詰めれるだけ詰めるんですよ」
「その方が利口かもしれないな。ちょっと勿体無い気もするけどさ」
「仕方ありません。事が落ち着いたらネットオークションで買い漁ればいいんです」
遊直もリュックサックを背から下ろし、名残惜しい表情を浮かべてゲームソフトを床に置き始めた。
「だー、勿体ねぇ」
「諦めてください。危惧すべきは物資不足です。それに衣食住。どれが欠けても死に直結し兼ねません」
「わかってるよ」
空っぽのリュックサックを再び背負った時、突然、死体の山が崩れた。驚いた二人は情けない悲鳴を上げ、跳び退る。
「ぶぉあー! レッドソウルだぁ!」
遊直は震える手で拳銃を握り締め、崩れた死体の山に銃口を向けた。
「出てこい! ぶっ殺してやる!」
ぺっぴり腰で声を張る。
「そうですよ! 観念しなさい!」
だが、死体の山から顔を出したのは<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルではなく、自分達と同じ自我を保ったレッドソウルだった。それも、この地下街で二人の行きつけだったお好み焼き屋の店長だったのだ。
二人は目を見開き、同時に声を上げた。
「ええ!? 店長!?」
血と腐敗臭が滲みついたエプロンと衣服を纏った蒼井(あおい)(三十三歳)は、深紅の双眸に涙を浮かべて二人に駆け寄り、抱きついた。
「遊直! 遊介!」
遊直は安堵の笑みを浮かべた。遊介の顔にも笑みが零れた。まさか知り合いに逢えるとは思ってもみなかった。
しかし、自分達はゾンビマニアだが、蒼井は違う。その為、蒼井を少し不憫に思った。だが自我を保っていたのだからついている方だろうと、考えを切り替えた。
「超くっせぇ! てか、なんであんな死体の山に隠れてたんだよ?」
「レッドソウルってヤツが暴れ出してな、この店に逃げ込んだんや。で、俺は自衛隊にレッドソウルと勘違いされて撃たれたてしもうたんや」
赤く血の滲んだ自分の胸を指した。
「ほら見てみぃ、弾が心臓に命中したんや。そのあと、気絶した俺を山積みにしたんやで。ホンマ酷いもんやわ。
目覚めりゃ死体に埋もれ、自分はゾンビ化。吃驚や。で、今までずっと怖いから隠れていたっちゅーわけや」
遊介が言った。
「なるほど。どうやら、死体から空気中に舞った<死者蘇生ウイルス>に感染した人は、僕達同様に自我を保っていられるようですね」
「なんだがよくわからへんけど、世の中どうなるんや……」二人のサングラスに指を掛けて下におろし、その目を真っ直ぐ見つめ、憂いを浮かべた。「君達もホンマにゾンビになってしまったんやな」
「僕達はゾンビ好きですからこの状態に満足していますが、軍に捕まればモルモトットにされるかもしれないので不安はあります。まあ、でも、兎に角、生きた状態で感染しなくてよかったですよ」
満面の笑みを浮かべた遊介。
「死んでよかったな、店長!」
「……。よかないやろ……」
口元の端を強張らせた蒼井だったが、二人に会った事によりひとまず安堵した。しかし、安堵と共に冷静さも蘇ってくる。
周囲を見回し、改めて店内に転がる死体に目をやった直後、急な吐き気を催し、床に膝をついて咽返った。
「気持ち悪い……」
蒼井の背中をさする。
「大丈夫かよ」
蒼井はふと視線を下ろし、遊直が手にしている拳銃に目をやった。
「それ……本物かいな?」
「そうだよ。きっと軍が回収し忘れたんだ。もしかしたら武器が載ったままになっているジープとか路上に放置されているかもしれない」
「そうか……なんや、物騒な話やな……」恐怖に涙が零れた蒼井は、目頭を押さえた。「いつもならお好み焼き拵えているのに……なんだってこんなことに……」
遊介が青いの肩に手を置いた。
「……。僕らもゲームして遊んでいる時間帯ですよ。ですが、嘆くよりこの状況を生き抜くことを考えないと」
涙を吹いて重苦しい溜息をついた。
「そうやね」
「この先にあるドラックストアで生活用品の備蓄をしようと考えています」
「ドラッグストア……」蒼井ははっとした。「麻里子(まりこ)ちゃんは大丈夫やろか!?」
遊介は首を傾げた。
「麻里子ちゃん?」
「化粧品売り場の店員さんや」
平手を握り拳で軽くポンと叩いた遊直。
「あの美人か!」
「心配や! 急ごう!」床に転がっていたビール瓶を武器代わりに拾い上げた。「行くで!」
大阪から上京して十三年、独身の蒼井が想いを寄せる大手化粧品メーカーの店員である麻里子は、美人で有名だった。
高嶺の花と思いながらいつも見ていた。一日一回は必ずドラッグストアに行き、買い物をして自分をアピールしていたが、想いはまだ告げていなかった。
大好きな女性が変貌した姿など見たくはない―――
それなのに自分はこの現状に怖気づき、動くことさえできずにいた。無事でいてくれと祈るような気持ちで、遊直と遊介と共に居酒屋から血塗られた通路を急いだ。
だが、いくら急いでいるとは言え、死体を踏むのは気分がいいものではない。なるべく踏まないように死体を跨ぎながら懸命に走る三人は、正面突き辺りを左に曲がってドラックストアを目指した。
建ち並ぶ店舗が飲食店から雑貨売り場に切り替わった。殆どの店舗のシャッターは下ろされた状態だった。
そして……相変わらず、死体の道が続いていた。
その時、右手のアクセサリー売り場から、レッドソウルが突如飛び出してきた。凄まじい力で遊介の肩を鷲掴みにする。素早い攻撃に回避のしようもなかった遊介は、失禁しそうになった。
レッドソウルは大きな口を開けた。鋭い歯から唾液の糸が滴り落ちた瞬間、“噛まれる!”と思った。
もし噛まれてしまえば、自分は自我を失い、目の前にいるレッドソウルのようになってしまう。それだけは絶対に嫌だ。遊介は目に涙を溜め、助けを求めた。
「兄ちゃーん!」
「遊介!」
遊直が咄嗟に引き金を引き、発砲した。ゾンビゲーム内では、ありとあらゆる武器を使いこなしてきたが、実戦は初めてだ。
二発続けて発砲したうち一発が頭部を貫いた。後頭部から抜けた銃弾が壁にめり込み、よろけたレッドソウルが遊介から手を離した。
半ベソの遊介は、その隙に遊直の後ろに素早く隠れた。
「兄ちゃん! び、吃驚しましたぁ」
蒼井が言った。
「よっしゃ、当たったで」
遊直も“やっつけた!” と心の中でガッツポーズを取る。しかし、額に風穴を開けたはずのレッドソウルが鋭い目を向けてきた。ゲームでなら死んでいるはずなのだ。だが死なない。死んでいない。何故だと恐怖する三人。
「何発撃てばやつけられるんだよ!?」
「兄ちゃん! 兎に角撃ってください!」
焦燥に駆られた蒼井も声を張る。
「早く!」
深紅の双眸はレッドソウル特有の色だ。しかし、その感情のない目は三人とは明らかに違う悍ましいアンデッドモンスターの眼。獲物を狙う双眸に三人を映したレッドソウルは、勢いよくこちらに向かって突進してきた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
遊直は裂帛の気合と悲鳴の中間に位置する大声を張り上げ、連続で四発放った。狭い通路にけたたましい銃声を響かせながら発射された二発の銃弾は見当違いな方向へと飛んでいったが、残りの二発は見事レッドソウルの頭部に命中した。
その後も必死に引き金を引く、が―――銃弾が込められた手応えがない。
カッチン……カッチン……
―――弾切れ。
「頼む、倒れてくれ!」遊直は緊張と恐怖の面持ちで声を発した。「頼むよ……」
その願いも虚しく、銃弾によって破砕した双眸と額から夥しい血液を垂らしたレッドソウルが、遊直目掛けて飛び掛かってきた。
人間の身体能力を超越した動きに目が追いつかない。自分達もレッドソウルなのに何故だと落胆した。
絶体絶命の危機を感じた遊直は、最後に自分を慕う可愛い弟 遊介の顔を記憶に留めようとした。
レッドソウルに肩を鷲掴みにされた遊直の喉元に生温い歯が当たった。引き離そうとするも凄まじい力に為す術がない。
もうダメだ、自分は噛まれる!
自我を失った自分が二人に襲い掛かるのではないかと危惧した遊直は「逃げろー!」と大声を張った。
「嫌だ!」泣きながら叫ぶ遊介。「兄ちゃん! 兄ちゃん!」
「遊直ー! くそー! 浪速の根性見せたるわー!」
蒼井がレッドソウルにビール瓶を投げつけようとした、その時―――
辛うじてレッドソウルの命を繋いでいた糸がプツリと切れ、突如通路に倒れたのだった。合計三発命中した銃弾は確実にレッドソウルにダメージを与えていた。死への時間経過が若干遅かったようだ。
命拾いした遊直は全身の力が抜け、ヘナヘナと通路に腰を抜かした。
「た、助かったぁ……」
顔に皺を寄せて泣きじゃくる遊介は遊直に抱きついた。
「兄ちゃーん!」
「おいおい、そんなに泣くなよ」
「だって、僕、兄ちゃんが死んじゃうかと思って」
「よかった……ホンマどうなるんやろって貧血起きそうやわ」蒼井は、通路に横たわるレッドソウルの亡骸に渾身の蹴りを喰らわせた。「このアホが! ビビらせんなや!」
遊介の頭をくしゃくしゃと撫でた遊直は腰を上げた。
「さあ、急ごう」
「兄ちゃん、やっぱり僕達も稔さん達のように黒のカラコンを付けて避難所に当てられた場所に行きませんか?」
レッドソウルの攻撃に恐怖を感じた遊介は、空気中に蔓延したウイルスの滞在期間を乗り切るより、大勢の軍人で守られた避難所の方が安全であると判断した。
一匹だったから助かったのだ。もし集団攻撃に遭えば自分達は間違いなく凶暴なレッドソウルの餌食になる。
避難所でカラーコンタクトレンズさえ外さなければ、人間と変わらぬ姿をしている自分達の正体が暴かれる事はないだろうと考えを変えたのである。
「そうだな、避難所の方が安全かもしれない」遊直も遊介と同じ考えを巡らせ、蒼井に目をやった。「運転できる?」
「免許は持っとるけど、ペーパードライバーやな。でもできると思うで。但し、マニュアルはかんにんな。オートマやないと無理やわ」
「わかったよ」
三人はドラックストアに歩を進めた。不気味なほど閑寂な通路に人々の声が聞こえ始めた。平和的なものではなく争うような激しい声に三人は顔を見合わせた。
「何事や!?」
遊介が言った。
「僕と兄ちゃんと同じ考えの人達が殺到したのかもしれません」
地上に立ち並ぶドラックストアやスーパーなどは、既に物資を求める人々が殺到しており、店内は品薄状態だった。殺到する人々の大半は、避難所を頼らずにサバイバル覚悟の者達だ。彼らは、国やそれに従っていた特殊部隊を信用できなかったのだ。
地下は地上とは異なり、レッドソウルに襲撃されれば逃げ場は難しい。しかし、それでも物資が欲しかった二人も、人々とは異なる理由で避難所を避けていた。しかし、考えを変えた今は危険のある場所には近づきたくない。
とは言え、「カラコンだけはゲットしないと話になんないからな」と遊直がドラックストアの方向を見た。
「麻里子ちゃんも無事かもしれへんし、見捨てられへん」
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