第四幕 The cat is hungry when a crust contents her.

『今さっきね! テレビで見たんだけどね!』

 いつものようにソファーで本を読みながら、気がついたら寝ていた隆二が、目覚めて最初に言われた言葉はそれだった。

 言ったのは当然、居候猫。

「……うん、またテレビの話な」

 っていうか、人の腹の上に乗るなよ。

 キラキラした瞳の近過ぎる顔をさりげなく片手で遠ざけながら、適当な相槌を打つ。

『心霊写真って、怨念とか思いの強さでできるらしいよ!』

 まだ諦めてなかったのかよ、心霊写真。

 喉まででかかった言葉を、なんとか飲み込む。先日、この話でマオの機嫌を損ねたばかりだ。地雷がそこに埋まっていることを知っているのに、わざわざ踏みに行くほど悪趣味ではない。

 にしても、幽霊が幽霊のことをテレビで学ぶなよ……。

『強い思いを抱くから、写真とって!』

 期待に満ちた顔でマオが告げる。

 とりあえず降りろ、と跨がったままのマオをどかすと、ソファーに座り直す。

「えっと、悪いけど一旦整理するな」

 起き抜けの頭をフル稼働させ、

「心霊写真を撮りたいと」

『そう!』

 隆二の正面にまわりこんで、マオが何度も頷く。

「で、テレビに出すんだっけ?」

『そう! 深夜の番組でね、募集しているの!』

「あー、そう。……採用されなくても文句言わないな?」

 どうにか上手いこと心霊写真がとれたところで、放送に使われなかったら使われなかったで、ぶーたれるマオの様子が手にとるようにわかる。自分の想像にげんなりしながら問いかけると、

『へ?』

 採用されない、ということはちっとも考えていなかったらしい。マオが間抜けな顔をする。それでも、隆二の呆れたような視線に気がついたのか、

『言わない! 約束する!』

 慌てたように告げてくる。

「約束なー。約束は守らなくちゃいけないからなー」

『大丈夫、守る!』

 念を押すと、力強く頷いた。ここまで言っておけば、いざそのときになっても、「約束」と一言呟くだけで静かになってくれるだろう。

「……わかったよ」

 しぶしぶ、テーブルの上においてあったケータイを持ってくる。まあ、どうせ暇なのだ、付き合ってやっても罰はあたらないだろう。

『いいの!? やった!』

 マオが本当に嬉しそうに笑うから、悪い気はしないし。

 ええっと、それでどうしたら。

 あれ以来カメラの起動なんてさせていないから固まっていると、

『ふぅ、あのねー、そこを押してー』

 マオがわざとらしくため息をついてから説明してくれる。悪かったな、覚えてなくて。

 なんとかカメラの画面を出すと、マオに向ける。

『待ってね、今集中するから』

 眉間に人差し指をあてて、むむむむっと難しい顔をしながらマオが唸る。

「……何やってんの?」

『強い思い!』

 強い口調で言われた。心霊写真に写るような強い思いって、そういうことだったっけな? もっと現世への執着心とか、そういうことなんじゃないだろうか。別に詳しく知っているわけでもないけど。

 ケータイ片手にそんなマオを見ていると、きっとマオが顔をあげた。

『今っ!』

 叫ばれて、慌ててシャッターボタンを押す。あ、ちょっとぶれたかも。

『どう? どう?』

 叫ぶと同時にしていたピースサインを降ろすと、マオが駆け寄ってくる。なんとかさっきとった画像を出すと、

「あ」

『おおっ!』

 かすかに手ぶれが感じられる赤いソファーの写真。その真ん中に、うっすらと、浮かれた顔でピースサインしているマオの姿があった。うっすらとしていて、透けていて、体を通して奥の景色が見える。しかもよく見たら、上半身しかなかった。下半身がぷつり、と切れている。マオのその、心底楽しそうな笑顔をのぞけば、怖い心霊写真といっても差し支えない、気がする。いや、考えようによってはこの満面の笑みは怖いか。

『やったね! 大成功っ! ありがと隆二っ!』

 歌うように言いながら、浮かれたマオがぎゅっと隆二の首筋に抱きつく。

「あー、まあ、よかったな。成功して」

『うんっ!』

 顔を離して、満面の笑みでマオが頷く。

 それから隆二からは慣れると、

『やっぱり強い思いを抱いているといいのねー!』

 くるくると楽しそうに宙を回転しながら言う。まあ、喜んでいるならなんでもいいんだが、ピースサインの心霊写真って、なんだよ。幽霊のスナップ写真か。

「強い思いって、なに考えてたんだ?」

 うっかり消してマオに怒られたりしないように、それ以上その画像をいじらないように気をつけながら、ふっと気になって尋ねてみる。

『賞金一万円っ!』

 マオが弾んだ声を出す。

「……賞金?」

『そー。採用されると一万円でねー。隆二にはいろいろよくしてもらってるし、あたしただの居候だし、バイトも出来ないからなにかないかなーってずっと思ってて。手に入ったら、隆二の生活にちょっとぐらい足しになるんじゃ』

 そこで、弾んだ声がぴたりと止んだ。くるくるまわっていた動きも止まる。後ろ姿のマオがゆっくりと振り返る。

『……聞いてた?』

 恐る恐ると言った感じで尋ねて来る。

「聞いてた」

 素直に一つ頷く。

 正直、驚いた。居候だからなにかしなくちゃ、とか、そんなこと考えていたのか。別に気にしなくてよかったのに。

 ちょっと意外で、どういう顔をしていいのかわからなくて真顔になってしまう。

 それをどう受け取ったのか、瞬時にマオの顔が真っ赤になった。

『違うのっ! テレビにでたかったの! それだけなのっ! 賞金とかついでなのっ! 別に隆二のためとかじゃないのっ!』

 あわあわと両手を彷徨わせながら、早口でマオが言う。

「え、あ、うん」

 こっちも事態の処理が追いつかなくて、適当な相槌になってしまう。それがますます、マオを慌てさせたようだ。

『本当っ! 違うんだからねっ!』

 恥ずかしいのかなんなのか。むきになって否定すると、

『お腹空いたからご飯食べてくるっ! エミリさんに写真の送り方聞いといてよねっ!』

 吐きすてるようにそう言って、ふいっと壁を抜けて消えていった。

 お腹空いたって昨日食べたばかりじゃないか。まったく、嘘が下手なんだから。

 思いながらも、気づいたら、知らずに口元が緩んでいた。それに自分でも驚きながら、片手で隠す。

 ああ、なんだ、可愛いじゃないか。

「ふーん、賞金ね」

 そんな風に役に立とうとか無理に考えなくてもよかったのに、と思う。だけれども、なにかしようと考えていてくれたことが、何故だろ、なんだか嬉しい。

「バカだなぁ、あいつ」

 ふふっと、らしくない笑いが溢れる。顔がにやけているのが自分でもわかって、我ながら気味が悪い。こんな緩んだ顔は絶対に見せられない。だから、気持ちが落ち着くまで帰って来るなよ、と居候猫に対して念を送った。




 マオが帰ってきたのは、たっぷり一時間後。Gナンバーのこともあるし、さすがに隆二が探しに行こうかと思った頃だった。

「遅かったな」

 心配していたことなんてちっとも見せずにそういうと、

『なんかお腹いっぱいにならなくてー』

 のんびり言われた。その設定、まだ守っているのか。

『あ、エミリさんに聞いてくれたー?』

「ああ」

 頷く。ちゃんとメールしてみたのだ。忘れているとマオうるさそうだし。

「次来たら、やってくれるってよ」

 メールで説明するのが面倒なので、と書いてあったことは忘れることにする。

『本当? やった、ありがと!』

 軽く手を叩き、マオが笑う。

「なぁ」

 その嬉しそうな顔に問いかける。

『ん?』

「もう平気なのか、嬢ちゃんのこと」

 ついこの前まであんなに怖がっていたのに。あの嬢ちゃんは研究所の中では、比較的、どちらかといえばまともな部類ではあるが、だからといって急に距離感を縮めすぎだろう、エミリさんエミリさんって。ちょっと前まで名前を聞くのも嫌がっていたのに。

『んー』

 マオはほんの少し表情を曇らせる。

『たまにやっぱりちょっと怖いけど。今、エミリさんがあたしに何もしないのは、そういうお仕事がないからであって、もしそうしろって命令されたら、エミリさんまた何かしてくるのかもしれないな、って思うことはあるけど』

「……ああ」

 それは否定できない。そして、命令に背けということを、エミリに願ってはいけない。それは踏み込んではいけない領域だと、弁えている。それが彼女の生き方なのだから。まあ、口八丁で説得もどきぐらいはするけど。

 それもマオは、恐らくなんとなくわかっているのだろう。決して賢い部類ではないが、勘が鈍いわけでもないのだ。

『だけど、でも、エミリさん、良い人だから。あたしと普通に話してくれるし、ケータイくれるし』

 ああ、やっぱりケータイのくだりは、影響力大きいんだな。幽霊にも使えるケータイあげるよ、とか言われたら、あっさり誘拐されるんじゃないだろうか、こいつ。

『あたし、研究所のことは大嫌いだしなくなっちゃえってずっと思ってるけど。エミリさんのことは嫌いじゃないよ』

 ほんの少しだけ、マオは微笑んだ。少し強張った笑みだけれども。

『隆二とね、テレビとね、このソファーと』

 一つずつ、指折り数えながら列挙していく。

『あと、それから京介さんの次ぐらいに、エミリさんのこと好き』

「……そうか」

 屈託なく言われた京介の名前に、一瞬どきりとした。現在進行形で京介のことを好きだと言う、マオの屈託のなさになんだか心が揺さぶられる。そうか、別に無理に過去の話にしなくてもいいのか。そんなことを思う。

 あと、テレビとソファーの順位高過ぎだろ。知っていたけれども。

『研究所は嫌いだけど、それとエミリさんは関係ないから、今は平気』

 マオは微笑んだまま締めくくる。

「そっか」

 変なこと訊いて悪かったな、と言いながらその頭を撫でる。くすぐったそうにマオが笑い、それでも素直に撫でられるままになっていたのが、

『ああっ!』

 突然くわっと顔をあげて大声をだした。

「うわっ」

 それに驚いて手を離す。

『大変っ! ミチコはじまっちゃうっ! 隆二、テレビ! チャンネル!』

 大慌ててテレビの前に座るマオに呆れながら、チャンネルを合わせる。

 なあ、さっきの好きランキング、やっぱり俺の上にミチコがいるだろ? そう問いかけたい衝動にかられる。ばかばかしいし恥ずかしいし、口にはしないが。自分の上には何もいないのが当たり前だ、と言っているみたいで、なんだか自意識過剰にもとれる。

 オープニングテーマを一緒に熱唱しているマオを呆れて見ながら、ソファーに腰をおろす。しばらくマオを眺めていると、ソファーに置いていたケータイが震えた。着信、進藤エミリの文字。電話ということは、さっきの無駄な質問とは関係ない、重要な用件ということだろう。

「嬢ちゃん?」

「エミリです。今いいですか?」

「ああ」

 さりげなさを装って、マオから離れ、キッチンの方に向かう。

「研究班から資料を奪いとったのでお伝えします」

 奪い取ったのかよ。

「ああ」

 冷蔵庫と棚の隙間に身を隠すように背中を預ける。こんなことしなくても、テレビを見ているときのマオが、隆二の会話に気をとめるとは思えないが。

「Gナンバーが消滅している原因ですが、原動力の回路に異常が発生したことです」

 エミリは淡々と言葉を重ねて行く。その冷静さが、今はなんだか安心できる。頭が冷える。

「Gナンバーの原動力はご存知のとおり、人の精気です。摂取したそれを存在維持に使う回が経年劣化といいますか。うまく処理できなくなってきたんです。人間でいうと、そうですね、消化器官に病気が見つかったようなものだと思っていただければ」

「ああ」

「もともと無理矢理作り出しているものですから、多少の齟齬がでてしまうのはしょうがないこと、だと研究班が言い訳していました」

「……しょうがないですますなよ、バカが」

「まったくです」

 本当に仲が悪いのだろう。身内のことでありながら、エミリが冷たく吐きすてた。

「原動力が上手く処理されない。エネルギーが上手く消費できなくなるんです。燃費が悪くなる、といいますか。だから眠って行動を抑制することになるんです。エネルギーの消費が最小限で済むように、と。あとは、食事の量が増えたり」

「……待て、今なんて言った?」

 聞き捨てならないことを言われた。

「食事の量が増える、と。……心当たりが?」

「……大ありだ」

 衝動に任せて舌打ちする。

 最近、こころなしか増えた気がする食事の回数。燃費悪いな、と揶揄したことを思い出す。さっきなかなかお腹いっぱいにならなくて、とか言っていたのも、家を出て行く言い訳じゃなくて本当のことだったのかもしれない。

「はやく言えよ」

 もう一度舌打ち。

「すみません」

「止めていたのは研究班だろう?」

 あっさり謝るエミリに、それはそれで拍子抜けしながら続ける。

 それに、気づかなかったのは自分の落ち度だ。ヒントに気づいていたのに、それを結びつけて考えることが出来なかった。

「ちょっとマオの様子見てくる」

 急に持ち上がった不安に、背中を離し、テレビの方を向く。

「……マオ?」

 そこに居候猫の姿はなかった。

「マオっ」

 鋭く名前を呼び、そちらに足を踏み出したところで、

『なぁにー。今テレビ見ているんだけれどー』

 マオの面倒そうな声がして、次の瞬間には、さっきと変わらない場所に座っているマオの後ろ姿が視界に入ってきた。

 突然現れた姿に、足が止まる。

「神山さん?」

 電話の向こうでエミリの怪訝そうな声。

 そこにいるはずのマオが、今、見えなかった。

 視認、できなかった。一瞬消えた。

 視界から。

 ぞっと肌が粟立った。

 存在が、揺らいでいる?

 視認出来なくなるほどまでに、存在が揺らいでいる。消えかかっている?

「マオ!」

 そのことに行き当たると、慌てて駆け寄り、その手を掴む。

 マオが驚いたような顔をしてこちらを振り向いた。

『え、どうしたの?』

「大丈夫か?」

『なにが?』

 不思議そうな顔をするマオに、どこか強張った笑みでなんでもないと告げると、少しだけ距離をとる。そして放置していたケータイを耳に当てる。

「どうかしましたか?」

 エミリの声がどこか焦ったように聞こえる。

「頼む、すぐに来てくれ」

 思ったよりもあっさりと、頼る言葉が口から出た。そのことに自分で驚く。ああ、自分が誰かをこんな風に頼るなんて。それも研究所の人間を頼るなんて。

「もうこの際だ、研究班も連れてこい」

 背に腹は代えられない。例え代償にどんな無理難題をふっかけられても、ここでマオを失うことに比べたら安いものだ。それだけはあってはいけない。

「何がありましたか?」

「一瞬、視認できなかった」

 一拍の間のあと、

「すぐに行きます」

 エミリがそう返事して、すぐに通話が切れた。

 エミリがきて、研究班もきて、それをどうマオに説明したらいいものか。ふっとそんなことが頭をよぎる。

 これ以上、起こっていることを隠し通すのは無理だろうか。

 腹立ち紛れに片手で髪をかきむしると、マオの方をふりかえった。

「……マオ?」

 こぼれ落ちた声が掠れる。

 さっきと同じ場所に彼女は居た。ただ、さっきまでと違うのは。

「マオっ」

 慌ててかけよる。

 いつの間にか、少し目を話した隙に、マオは丸まって眠っていた。

「マオ、マオ」

 揺さぶる。なんで起こすの! と怒鳴られてもいい。とにかく一度、目を覚まして欲しかった。

 テレビでは、疑心暗鬼ミチコがやっている。丁度、変身して戦闘の真っ最中だ。

 だって、ありえない。マオが疑心暗鬼ミチコの途中で眠るなんて、こんな一番盛り上がる場面で眠るなんて、そんなこと。あってはならない。

「マオっ!」


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