第三幕 猫には首輪を。

「マオ、買い物行くけど、どうする?」

 テレビの前に座ったマオに尋ねる。今は絶賛実体化中だ。

「んー、待ってるぅー」

 テレビから目を離さずにマオが言う。

 だと、思ったよ。

 今やっているのは、四苦八苦久美子、だ。疑心暗鬼ミチコと同じ美少女四字熟語シリーズでありながら、実写版は予算の都合で作成されず、アニメ版ではじめて作成された話だそうだ。

 まあ、当然のことながら、マオはそれに夢中だった。もう今更、それには何も言うまい。

 しかし、ウェディングドレス姿で戦う少女が四苦八苦とは。なんというか、皮肉っぽいよなあ。

「留守番しとけよ、勝手にでかけんなよ」

 一応釘を刺しておく。一人で出かけた先でなにかあったら困るから、一人での外出は禁じている。

「んー」

「マオ」

「はーい」

 片手をあげての返事に、逆に不安になりながらも、家を出る。

 マオが実体化して、隆二が助かっていることがあるとすれば、テレビの操作をマオ自身が行えるようになったということだ。前は、やれ電源いれろ、チャンネル変えろと寝ていようが本を読んでいようがおかまいなしにリモコン代わりに使われていたが。

 久美子が終わって次の番組がつまらなくても、適当にチャンネルまわして楽しい番組を見つけてくれるだろう。

 マオの相手は、テレビに任せておくことにする。まったく、優秀なベビーシッターだ。

 今日の夕飯は何にするか、考えながらスーパーに向かう。

 手を抜いてコンビニで買うことも多いが、やはり自炊の方が体にいいのではないか、と気づいてから、それなりに積極的に料理するように気をつけている。簡単なものしか作れないが。

 こんなことになるとわかっていたら、京介に料理でも習ったのになー。そんなことを思う自分に苦笑する。

 しかし、仮定の話、自分の心の中での話とはいえ、京介のことをこんな風に思い出すことができる。それに思い至ると、なんとも言えない気分になる。

 思い出すのが辛くて避ける時期は終わった。そのことを意識すると、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからなくなる。

 そんなことをつらつら思いながら歩いていたからだろうか。

 前方に、なんだか見覚えのある黒髪が見えた。

 そろそろ切った方がいいんじゃないか、と思うぐらいの長さの黒髪。

 思わず、早足になってそちらに向かう。

 地面に座りこんだ、その体格は似ている。

 神野京介に。

「きょっ……」

 近づいて呼んだところで、その人物が顔をあげた。

 確かに似ている髪型で、体格だったけれども、見えた顔は女のものだった。

 違った。当たり前だ。

 やっぱりまだ、踏ん切りがついていない。

「……すまない、知り合いに似てて」

 怪訝そうな顔をする女にそう告げる。

「あら、昔の女にでも似てた?」

 言いながら女がくすくすと笑った。

「いや男」

 正直に答えると、

「うわっ、失礼な! 何か買いなさいよ」

 地面に座り込んで何をやっているのかと思ったら、路上でアクセサリーを販売しているらしい。

 まあ確かに、男に間違えるのは失礼だったな、いくら、よくいえばスレンダーな体格が似ているからといって。

 並べられた手作りアクセサリーとおぼしきそれらを眺めていく。

 まあしかし、眺めたところでどうしたらいいのか。適当になんか安いの買って逃げるか。

 そんなことを思っていると、視線が一点でとまった。

 猫のチャームがついた、ペンダント。猫の横にちょこんっと緑色の石がついている。

「それねー、キャッツアイ」

 隆二の視線を追って、女が言う。

「キャッツアイ?」

「そー、猫目石。光があたると、猫の眼っぽい筋がでるから」

「へー」

「えっとね、邪悪を祓うとか、そういう効果があるらしいよ」

 適当で投げやりな台詞。売る気あるのか。

「触っても?」

「どうぞ」

 それを手に取って、目の前まで掲げる。そっと値札を確認したが、お手頃価格だった。

 緑色、猫。おまけに邪悪を祓うとか。

 これはもう、ぴったりだろ。家でテレビを見ている、緑の瞳を持つ居候猫に。

「……じゃあ、これ」

「どーも」

 手渡すと、女が袋に入れてくれる。

「カノジョに?」

 金銭と引換に袋を受け取りながら、その質問に苦笑いを返す。

「いや? 猫に」

「猫?」

「そういえば、まだ首輪をつけていなかったんでね」




「ただいま」

 スーパーでの買い物を終えて、家に戻ると、

「おかえりなさーい」

 ぱたぱたとマオが玄関まで出て来た。

「走らない」

「走ってない!」

 うそつけ、走っていただろうが今。

 テレビはニュースを流している。ああ、飽きたんだな、さては。

「夜ご飯なにー?」

 スーパーの袋を覗き込んでくる。

「んー、シチュー。っていうか」

 野菜達と一緒にいれていた、ペンダントの袋を渡す。

「これやる」

「え? なになに?」

 小さな袋を受け取ったマオが、驚いたような顔をする。

「あけていい?」

「どーぞ」

 びりびりと、酷く乱暴に袋をあけたマオが、

「わー」

 出て来たペンダントを目の前にかざして、きらきらと顔を輝かせた。

「え、なに、どうしたの? どういう風のふきだまり?」

「強引に売りつけられた。あと、吹き回しな」

 また優しいから気味が悪い、とか言われないように言い訳する。浮かれたマオは、そんなこと聞いちゃいなかったが。

「えー、わー、嬉しい! 猫、可愛い! 緑お揃い!」

 えへへ、っとだらしなく頬を緩ませる。

 思っていた以上に喜んでくれたので、こちらも小さく唇を緩ませた。

「ね、つけて! つけて!」

 はいっと渡される。自分でつけろよ、とは思ったが、ここまで喜ぶのならば、多少サービスしてもいいかもしれない。

「後ろ向いて、髪じゃま」

 後ろ向いたマオが、髪の毛をひとまとめにする。ペンダントをそっととめた。

「はい」

「ありがとー! 大事にするね!」

 こちらを向いて、マオがまた、さらに笑う。首元の猫を指で弾く。

 かわいいねーなんてペンダントに向かって話かけていたが、

「そうだ!」

 ソファーに置いてあった自分のケータイをとってくる。

「写真撮って!」

 そしてそれを隆二に渡した。

 途端に、渋い顔になったのが自分でわかった。撮ってって、お前。

「もー、待って」

 それを見て、マオが呆れたような顔をしながら、ケータイを操作する。

「はい、これで大丈夫。あたしに向けて、そのカメラのマークそっと触ればいいから」

 ご丁寧にカメラを起動させてくれた。

 しぶしぶ、それを持ってマオに向ける。

 浮かれた顔をしたマオとペンダントが画面にはいるようにして、言われたとおりカメラのマークに触れた。

 かしゃっと音がする。

「撮れた?」

 横からひょいっとケータイを奪いとられた。

「あ、うん、撮れてる撮れてる。ほら」

 見せられた画面には、確かに浮かれたマオの写真があった。

 よかった、取り直しを要求されなくて。

「そうだ」

 隆二のズボンのポケットからひょいっと、隆二のケータイを抜き取った。

 今度は何を企んでいる。

「マオ」

 呆れて名前を呼ぶと、マオは手慣れた様子で隆二のと自分のケータイを操作しながら、

「これ、隆二のケータイの待ち受けにしてあげる!」

 とんでもない発言をした。

「ちょっ」

 慌てて取り返そうとすると、それよりもはやく、マオはひょいっとソファーに飛び乗った。

「跳ねない!」

「もー、あとちょっとなのー!」

 ソファーのうえに立ち上がり、隆二からケータイを庇うように背中を向ける。

「ちょっとじゃなくて、返せ」

 近づいて手を伸ばすと、マオはそれを避けるように身をよじった。ソファーの端っこでそんなことをするから、バランスを崩して倒れそうになる。片足がソファーから落ちる。

「ひゃっ」

「マオっ!」

 それほど高くないとはいえ、足を捻るぐらいはしかねない。慌てて手を伸ばし、その体を支えた。

「わ、びっくりしたー」

 無事着地したマオが、驚いたような顔をする。

 びっくりしたのはこちらの方だ。頼むから、むやみやたらに怪我するようなことをしないで欲しい。なんで家の中でまで、こんなに肝を冷やさなきゃいけないんだ。

「マオ! お前な」

「助けてくれて、ありがとー」

 小言の一つ二つ言ってやろうと口を開いたが、笑顔でそうお礼を言われて言葉につまる。わかっているのか、わかってないのか。

 マオはそんな隆二のことは気にせず、ケータイを操作し、

「あ、はい、できたよ」

 隆二にケータイを返した。

 受け取ってみると、確かに待ち受け画面がさっきの浮かれたマオの写真になっていた。

「勝手になにすんだよ!」

 直せないだろうがっ!

「それが嫌なら隆二が、自分でがんばって直せばいいんだよー」

 どうせ無理でしょう? と言いたげに勝ち誇って笑われる。実際無理なのだが。

 しばらくケータイを睨みつけていたが、

「……まあ、いいか」

 誰に見せるものでもないし。

 そう自分を納得させると、諦めてケータイをテーブルの上に置いた。

「……怒った?」

 ここにきて、急にマオがそう尋ねてくる。恐る恐る、隆二の顔色を伺うようにして。不安になるぐらいなら、最初からこういうことするなよ。

「呆れてるだけ」

 溜息まじりにそう言うと、片手でその頭をぞんざいに撫でた。それにマオが、安心したようにちょっとだけ笑う。

「あと、あんまり飛び跳ねたりしないように。危ないし、下の人に迷惑になるから」

「……危ないし、心配?」

 なんでそこでちょっと嬉しそうな顔をするんだ。

「下の人の迷惑になるから」

 後半の理由を強く推すと、

「……はぁーい」

 ちょっと頬をふくらませる。

「ほら、夕飯作るから」

 ちょっとどいてて、と言おうとすると、

「手伝う!」

 元気よく言われた。

 手伝う、ね。台所って刃物も火もあって危ないんだがなー、とは思いつつ、

「じゃあ、とりあえず買って来たものしまっといて」

 無難なところを頼む。

「はーい」

 マオは持っていたケータイをテーブルの上に置くと、代わりにスーパーの袋を手にとった。

 マオのケータイには、猫のぬいぐるみがついている。ストラップにしてはでかすぎだろ、とは思うが本人は気にしていないらしい。裏返しておかれたケータイ。そこには、この前とったプリクラが貼られていた。最初の、一番うまくとれたやつ。

 それを見て少しだけ微笑む。

 まあ、マオが楽しそうだし、いいか。

「りゅーじー!」

「はいはい」

 台所で手招きしているマオの方へと向かった。



 胸元で揺れる猫を、ぴんっと軽く弾く。

 ふふふっと、笑みがこぼれた。

 ソファーに横になりながら、マオは存分にペンダントを楽しんでいた。

 もうすぐ日付が変わるころ。お風呂に入るからと外していたそれを、つけ直したところだった。

 やっぱり、これ、可愛いなー。

「……お前、寝るならベッドいけよ」

 マオの足元の方、床に座った隆二がつまらなさそうに声をかけてくる。

「わかってるよー」

「あとちゃんと、髪の毛乾かせよ」

「わかってるってばぁー」

 今、ネックレスを愛でるので忙しいんだから、放っておいて欲しい。

 隆二は、マオを一瞥すると、どうだか、とでも言いたげに肩を竦めた。

 まったく、隆二は本当、ちっともマオの気持ちをわかってくれない。すっごく嬉しいからこうしているのに。嬉しいっていう気持ち、ちゃんと伝わっているんだろうか。

 飄々と本を読んでいる隆二を見ていると不安になる。

 傍においていてくれることも、面倒をみてくれていることも、本当に嬉しいと思っているし、感謝しているし、こんなに大好きなのに隆二にはいまひとつ、伝わっていないんじゃないかなーと思うときがある。

 だってほら、ひとでなしだし。

 それに、マオも言葉で全部を伝えられるほど、賢くない。

 溜息まじりに起き上がると、タオルで濡れた髪を拭く。

「……ドライヤー使えよ。せっかく買ったんだから」

 やっぱり呆れたように言われる。

 本当、隆二は注文が多い。

「めんどうなんだもん」

 なんだか素直になれなくてそう言って唇を尖らせると、

「……やってやるから、もってこい」

 心底面倒くさそうだったが、思ってもないことを言われた。

「え、本当!?」

「嫌なら自分でやれ」

 言って隆二の視線がまた本に戻る。

「やじゃない!」

 慌ててそう言うと、立ち上がって洗面所にドライヤーをとりにいく。

 戻ってくると、隆二は読みかけの本を適当に床において、ソファーに腰掛けた。

「そこ」

「はーい」

 指差された隆二の足元、床に座る。

「……あ、これかスイッチ」

 背後からちょっぴり不安な声が聞こえるけれども、気にしない。もしかしたら、隆二がやると酷いことになるかもしれないけれども、気にしない。

 大事なのは結果じゃないのだ。隆二が髪を乾かしてくれる、と言い出したことなのだ。

 ぶぉぉぉっと、ドライヤーから出た温風が髪を揺らす。

 思っていたよりも手慣れた手つきだった。そっと触れる手と風が嬉しくて心地よくて、目を細める。

 機械の類いにはめっぽう弱いが、決して隆二は不器用じゃないのだ。機械さえなければ、なんでもそつなくこなしてしまう。

 料理だって、すっかり上手になったし。

「隆二はー」

 ドライヤーの音に負けないように声をはりあげる。

「なんでもできてすごいねー!」

 素直な感嘆の言葉に、

「お前がなんにもできなさすぎなんだよ」

 ちょっと笑いながら言われた。

 それはまあ、そうかもしれない。字も、練習しているけれども難しいし。なんにもできない。

 ちょっと落ち込んでしまうと、

「ばーか」

 くしゃくしゃっと髪の毛をかきまわされた。

「ちょっとぉー」

 振り返ると、隆二が笑っていた。楽しそうに。

 それになんだか嬉しくなる。最近の隆二は優しいし、前よりもいっぱい笑ってくれる。多分、本人は無自覚だから言わないけど。言ったら恥ずかしがって、もう笑ってくれないかもしれないし、また意地悪されるかもしれないから。

 ドライヤーを止めて、

「いいんだよ、ゆっくりで」

 隆二が優しく言った。

「零歳児なんだから」

 からかうような言い方だったけど、やっぱりいつもよりちょっと声が優しい。

「……もう、一年経つよ」

 発生してから。

 小声でそう訂正すると、

「あれ、そうだっけ」

 時間の感覚に乏しい隆二は軽く首を傾げた。

 隆二のところにきてからだって、一年経った。

「まあ、対して変わらないよな」

「隆二から見たらそうだろうね」

「だからまあ、ゆっくりでいいんだよ」

 ぽんぽんっと頭を軽く叩かれた。

「ん」

 それに素直に頷く。

 それを見て隆二は満足したのか、またドライヤーのスイッチをいれた。

「それに、ほら、あれだろ」

「んー?」

「ケータイは、お前の方が使いこなしてるだろ」

「それは、ねー?」

 だって、機械は隆二が不得意過ぎるから。

「それに」

 そこで隆二は、躊躇うようにちょっと間をおいてから、

「一緒に学んでいこうって言っただろ」

 なんだか早口で言った。

 それに思わず振り返りそうになるのを、

「前向いてろ」

 ぐっと頭を押さえつけられて、妨害される。

 多分、今、隆二はちょっと照れている。

 それに思い至ると、ふふっと笑みがこぼれた。

 隆二が約束をちゃんと覚えていてくれたことが嬉しい。すぐに色々忘れちゃう人だから。

「はい、終わり」

「ありがとー」

 振り返ると、

「どういたしまして」

 いつもどおりの、ちょっとつまらなさそうな顔で隆二が答えた。

「ほら、そろそろ寝ろ」

「はーい」

 実体化している時に嫌だな、と思うのは、ちゃんと夜寝るように言われることだ。幽霊のときだったら、夜中どんなに起きていても何も言われないのに。

 でもやっぱり、幽霊のときよりも眠くなる。実体化していると動き回るからしかたない。

「寝る時それ、外して寝ろよ」

 首元を指差される。

「これ?」

 ペンダントをつまむと、頷かれた。

「お前、寝相悪いから寝ている間に首しまるかも」

 そっけなく言われる。

 バカにされて一瞬むっとしたけれども、よくよく考えてみれば心配されている気がしてきた。だから怒るのを一度ぐっと堪えて、

「わかったー」

 小さく頷くにとどめた。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 立ち上がる。

「うん、おやすみ」

 軽く片手を振った隆二は、また本の世界に戻っていた。

 隣の部屋のベッドに潜り込む。すっかりマオ専用となったスペースだ。

 ペンダントを外すと、ちょっと迷ってからタンスの上に置いた。

 何かお洒落な箱かなにかにいれておきたいな。幽霊に戻っている時に、万が一どっかにいってしまったら困るし。とりあえず、明日何か箱がないか隆二に訊いてみよう。

 思いながら目を閉じる。

 うつらうつらしながら、思う。

 何かお返しがしたいな、と。

 実体化したなら、なにかお礼の品を買いに行くこともできるじゃないか。言葉や態度だけじゃなくて、物をプレゼントできる。そうしたら、マオの気持ち、ちょっとはわかってくれるかもしれない。あの駄目駄目隆二でも。

 今月はもう、明後日には元に戻ってしまうから難しいけど、来月になったら隆二がいない隙をついて、買い物に行こう。一人ででかけるなとか言われているけど……。まあ、いいや。怒っている隆二も笑顔になるぐらいの、なにか素敵なものを探そう。

 自分の想像にふふっと笑みが溢れる。

 喜んでくれるもの、あるといいな。

 そんなことを思いながら、意識は落ちていった。

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