第四幕 放浪猫の後始末
「マスター、こんにちはー」
茶色い巻き髪をふわふわと揺らしながら、一人の女性が喫茶店に入って来た。
「ここなさん、こんにちは」
喫茶店のマスターがそれに応じる。
ここなと呼ばれた女性はカウンターに腰掛けた。
「ランチセットをお願いします」
「はい。……そういえば、京介くんからは連絡ありましたか?」
マスターが尋ねると、
「ないのー」
と女性がふくれた。
窓際のテーブル席で、エミリはそれを聞いていた。ぎゅっとスカートの裾を握る。
そっと鞄から取り出したプリクラ。そこで神野京介の隣で笑う女性。今、カウンターに座っている彼女。
カップに僅かに残ったコーヒーを飲み干すと、プリクラを再び鞄に押し込んだ。席を立ち上がり、言葉少なに勘定を済ませると、足早に、逃げるようにその場を後にした。
「見慣れない子ー」
エミリが出て行ってから、ここなが呟いた。
「そうですね」
「外国の子かな」
「綺麗な金髪でしたね」
「ねー。……なんであんなに格好が赤いのかはわからないけど」
ここなの言葉にマスターは軽く微笑みながら、テーブルを片付けるためにカウンターの外に出る。
「……おや」
エミリが座っていたテーブル。その下に、見慣れない紙袋がある。
「ん? 忘れ物?」
それを見ていたここなも、席を立ち上がり、そちらに近づく。
「そのようですね」
言いながらマスターは紙袋を開き、言葉を失った。
「どうしましたー?」
軽い口調でいいながら、ここなもそれを横から覗き込み、
「え」
小さく呟いて言葉を失った。
なんでもない紙袋の中に入っていたのは、大量の札束だった。身代金の受け渡しでもできそうな。
「ちょっ、えっと。とりあえず、さっきの子探して来るっ!」
慌てたようすでここなは言い放ち、ヒールを鳴らしながら店を出て行く。
「ここなさんっ」
マスターが名前を呼んだ時には、もう扉は閉められていた。
「……警察に届けないといけませんね」
マスターは困ったように呟く。一応金庫にしまっておこう。そう思ったとき、紙袋の中に入っている一枚の紙に気づいた。
そっとそれを持ち上げる。連絡先でも書いていないかと思って。
けれども、そこに書いてあったのは、ごめんなさい、の一言だった。小さな丸い字で一言だけ。書いてあったのは一言だけだった。
「……ああ」
喉の奥から、声が漏れる。
ごめんなさいの横に貼られていたのは、常連の彼女と、その恋人のプリクラだった。
「京介くん」
少しだけこの店でアルバイトしていた青年。久しぶりに見るその姿に、小さく名前を呼ぶ。これは一体、どういうことですか。
「マスター、駄目だったー。見つからないー」
ドアが開き、ここなの声がする。慌ててマスターは、その紙をエプロンのポケットに滑り込ませた。
「あんなに目立つのにー」
「そうですか」
「とりあえず、それ、交番?」
「そうですね」
走り疲れたように椅子に座り込むここなに、マスターはいつもと同じ微笑みを向けた。
「持ち主が現れなかったから、ここなさん、もらったらいかがですか?」
「それならマスター、半分にしようよ。山分け」
言ってここながくすくすと笑う。
「ランチセット、もうちょっと待っててくださいね。先に交番に電話します」
「はーい」
ここなは明るく返事をし、鞄からケータイを取り出した。
マスターは店の電話にむかいながら、ポケットにそっと触れた。
これは彼女には見せられない。見せない。だから、京介くん。ちゃんとここに、帰って来てくださいね。
ここなはケータイをひっくりかえし、電池蓋を見る。そこに写るのは自分と、京介。二人の間に押された大仏のスタンプを指で軽くたたくと、
「連絡ぐらい寄越しなさいよ、ばーか」
小声でぼやいた。
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