第五幕 好奇心猫を殺す

 どうやら本当に寝入っていたらしい。嫌な夢を見てしまった。昔の夢を。

 隆二は体を起こし、小さく伸びをした。

 あたりはすっかり夜になっている。

『おはよ』

 隣でマオが小さく微笑んだ。

「おー。夜だけど」

 くすぐったそうに、マオが笑った。

「マオ、大丈夫か?」

『何が?』

「腹減ってないかってこと。食べないと消えちゃうだろ、お前」

『ああ、うん、大丈夫。昨日、食べたばかりだから』

「ならいいけど。俺の精気をあげられたらいいんだけどな。人間じゃないからどうなるかわかんないしな」

『そっか。だから、嫌がったの? あの時』

「んー? ああ、まあ普通にほいほいあげるもんじゃないとも思ったしな」

『……そっか』

 マオは何かに納得したかのように頷いた。少しだけ笑っている。

『うん、そっか、ならいいんだ』

「なにが?」

『なんでもない。隆二は大丈夫? お腹空いてない?』

「ん、あー、別に食べなくても平気だから」

 ここのところ三食ちゃんと食べる癖がついているけれども。

 まったく、余計な出費だったあれは。マオの正体が最初からわかっていたらあんなことしなくてよかった。普通の人間のフリ、なんて。

『隆二も、ひとでなしだったんだね』

「まあ、普通にひとでなしなんだがな」

 人間じゃないし、道徳的な存在とは言い難いし。

「さって、これからどうするかな」

 なぁ、マオ? とマオの方を見る。

 マオは何故か、大きく目を見開いて驚いたような顔をしていた。

 何をそんなに驚いている?

『隆二、後ろっ!』

 マオが叫ぶ。

 慌てて振り返る。

 銃声。

「っ」

 肩に走る痛み。

『隆二っ!!』

 マオが叫ぶ。

 おろおろと、隆二の肩に手を置く。けれどもその手は何の意味もなさない。

 肩から血が流れ落ちる。

『ああもう! どうしてあたしはこんなときに何にも出来ないのよっ!』

 悲鳴に近い声でそういうと、それでも手は必死に隆二の肩を押さえていた。そうすれば、傷が消えるとでも言いたげに。

『隆二、大丈夫? 痛い? ごめんね、ごめんね。あたしのせいで、ごめんね』

「平気だって」

 一度大きく息を吸い、痛覚を遮断。持っていたハンカチで止血。ここまですれば、あとは放っておいても傷口は塞がる。

 自分の体だ、長年の経験で知っている。

「ええ、平気でしょうね、あなたなら。U078、神山隆二」

 銃声の主、エミリが無表情のまま言った。

「いきなり撃つか、ふつー? しかもこの暗闇で」

「何故あなた相手に警告してから撃たねばならないのですか? ネオンがあるから、だいぶ、明るいですしね」

 黒い夜の空に、赤い服と金色の髪がなびく。死神の孫は、死神と同じように無表情で立っていた。

 マオを背中に庇い、エミリを睨む。

「よくここがわかったな」

 エミリは黙って指先を上に迎える。空。

「……何?」

「衛星で」

「……相変わらず、おたくらぶっとんでるねー、規模が。バカじゃねーの」

 当たり前のように言われた言葉に、鼻で笑う。

「なんとでも言ってください。それよりも」

 エミリは隆二の後ろで隠れるようにしているマオを見る。マオはびくり、と体を震わせると、隆二の背中にしがみついた。

「渡してください、G016を」

「嫌に決まってんだろ巫山戯んな」

「巫山戯ているのはあなたの方です。一体、どういう了見で、ソレを庇い立てしているのですか。わたしたちに逆らう気ですか?」

「一度だって俺があんたらの言うことを聞いた事があったか? 言う事を聞くふりをして、寝首をかくチャンスを虎視眈々と狙っていた、なら否定しないけど」

 エミリは少しだけ顔を歪ませた。多分、不快の感情表現。

「マオは渡さねえよ。うちの居候猫なんだからな」

 もう二度と、失ったりはしない。失うわけにはいかない。

 右手を後ろに伸ばし、マオの手を掴む。少しのためらいの後、マオが握り返して来た。

 もう、一人の生活には戻れない。戻りたくない。

 また、同じことを繰り返したくはない。

「もう一度だけチャンスを与えます。G016を渡してください」

「嫌だ」

 即答。それも幼い子どものように舌を突き出すおまけ付き。

 エミリは小さく、わざとらしく、芝居がかった動作でため息をついた。

「それではしょうがありませんね」

「そんな、玩具みたいな銃で、俺をどうにか出来ると思っているのか?」

「いくらあなたでも、頭をふっとばされれば、そうそうすぐには動けないでしょう」

 そう言ってエミリ銃を構え、隆二は身構える。

 先ほどは油断していたが、きちんと注意していれば避ける自信は十分にある。

 なにせ、無駄に発達した身体能力を持っているのだから。かつて、生物兵器として使われるための、無駄に発達した身体能力。今使わなくて、いつ使うのか。

 マオの手をしっかり握っていることを確認する。

 一つ息を吸う。

 注意していれば避ける自信はある。

 でも、その後はノープランだ。

 ならば、エミリが引き金をひく、その前に。

 膝に力を入れて、後ろへ跳躍。

「へ?」

 エミリが少し間抜けな顔をして、慌てて銃口を動かすのが見える。でも遅い。

『隆二っ、落ちるよっ!』

 マオが悲鳴をあげながら右腕にしがみついてくる。

 距離感覚は間違っていなかった。

 飛んだ先に床はなく、そのまま落下。

『隆二っ! 危ないよぉ』

 泣きそうなマオの声。

 まあ、確かに無駄に高いこの建物からそのまま落下したら、いくら隆二でも直ぐには動けなくなるだろう。足、折れる。

 だから、

「っと」

 ぎりぎりのところで、途中の窓枠に左手の指先を引っかける。

 撃たれた方の肩だから、少し力が入りにくい。

 急に体重をかけたから、しばらく動かないかもしれない。でも、駄目にするなら利き手じゃない方がいい。

 下を見る。

 この高さからならば、怪我せずに降りられるだろう。

 そう判断し、手を離そうとしたその耳元を、何かが横切った。

「え?」

 何かは街路樹の根元に突き刺さった。

『やだぁ……』

 マオが怯えたように呟く。

 上を見る。

 エミリが銃を構えてこちらを見下ろしていた。

 いやいやいやいや、普通、撃つか? こんなところで?

 人通りの少ない道でよかった。

 エミリの指が引き金にかかる。

「やべ」

 慌てて窓枠から離れると、地面に着地。

 マオを連れたまま走り出す。

 もう一発撃った気配がする。

 だから普通は撃たないだろうこんな町中で。

 細く入り組んだ路地に滑り込む。

 これでとりあえずはエミリの視界からは外れただろう。

『……どうするの?』

 マオが囁くように尋ねてくる。

「とりあえず、逃げる」

 躊躇わずに告げると、路地裏を選びながら走り出した。

『……逃げるのかー』

 マオがちょっとだけがっかりした口調で言う。

「何?」

『年上のほーよーりょくみたいなこと言ってたから』

「包容力な」

『もっと画期的な解決方法があるのかと思った』

「三十六計逃げるに如かずって言うだろ。逃げるが勝ちさ」

『誰が言うの? こーめー?』

「こーめー?」

『この前テレビで見たよ、こーめーの罠です! って。フリフリ着たおねーさんが言ってた』

「ああ、諸葛亮孔明。……いや、どんなテレビ見たんだよお前よくわかんねーよ」

 軽口を叩きながら走る。緊迫感が足りない会話だが、マオの手が震えているのがわかる。

 これで少しでも安心してくれれば、いいのだが。

「あー、マオ」

『え?』

 慌てたようなマオの声。

 だからなんで名前呼んだぐらいで怯えるのか。

 抜本的な解決方法がなかったからって、見捨てるわけないのに。

「手、走りにくい。おぶされ」

『……いいの?』

「何で駄目かと?」

『……ん』

 手を離すと、マオの両手が後ろから首筋にまわされる。

「よし」

 走る速度をあげる。

 上体は隆二にしがみついたまま、マオの足は宙を浮く。

『……隆二』

「んー」

『肩、痛い?』

「痛覚切ってるから平気」

『……それ平気じゃないよね。痛いのは体のサインだって、テレビで見たよ』

「どんだけテレビっ子だよお前」

『ごめんね、あたしのせいで……』

「大丈夫だってば、いつものことだし」

『でも……』

「あーもー、ごちゃごちゃうっせーな」

 思わず吐き捨てるように言った。

『ごめんなさ……』

「だから怯えるなつーの。拾った猫の世話は最後までちゃんと見るんだよ、俺は。テレビと俺、どっちを信頼するんだお前は」

 沈黙。

 それから、

『……隆二』

 耳元で小さくマオが言った。

「だろ?」

 唇があがる。

 ああ、そうさ。

 もう失わない。無くさない。誰にも渡さない。一人になんて、もうならない。

 マオをあの家に受け入れたのは、幽霊だからだ。人間みたいに自分より先に死なないからだ。成仏することがあっても、理不尽な別れがないからだ。

 置いて行くなと頼んだら、きっと本当に置いて行かないでくれるからだ。

 だから、こんなところで失わない。

 あのときとは違う。

 ちゃんと、連れて帰る。あの家に。



 工藤菊の日課は、ベランダから双眼鏡で町を眺めることだ。

 もしかしたら何か妖怪がいるかもしれない。幽霊がいるかもしれない。化物がいるかもしれない。都市伝説があるかもしれない。

 だから今夜も菊は双眼鏡片手に町を眺めていた。

「はぁ」

 切なく吐息を漏らす。

 今日も何も見つからなさそうだ。

 そういえば、この前の赤い服の少女。あれについては結局なにも詳しいことがわからなかった。

 いや、違う。厳密にいえば何となくわかった。ただ、それは菊の望む答えではなかった。

「あ、見た見た。金髪の可愛い子っしょ? なのに服装赤いあれ」

 赤い少女についてなにか知らないかと尋ねたら、あっさりと恋人にそう言われた。普段非科学的なものを否定する彼に言われたのは、なかなかの衝撃だった。あと、可愛い子っていうのにも傷ついた。確かに、可愛いっぽかったけど、顔。

「あの服、どこで買うんだろうねー」

「……あたしね、妖怪なんじゃないかなーって思ったんだけど」

「んなわけないじゃん」

 笑われた。

「だって見かけたの俺だけじゃないよ。太陽とか椿とかも見たって言ってたし、あ、桜子さんも見たって言ってたな。あまりの赤さに眼科行くか悩んでてうけた」

「そんなに……」

「大学の連中、普通にナンパしてたし。振られてたけど。なんか人探ししてるんだって」

「……そういう妖怪じゃなくて?」

「違うって。……菊さ、いい加減認めなよ。世界にはそんなものないって」

 そこからいつもみたいにちょっと喧嘩になった。

 それも思い出して、ますます溜息。

 それだけ大量の目撃情報があるものの、特になんらの被害情報も無く、しかも普通にナンパされているし、どうやらあの赤い少女はファッションセンスがぶっとんだ普通の女の子と結論づけるしかできなかった。

 あのファッションセンスのぶっとび具合はそれだけで、奇怪といえば奇怪だが、着ているのが普通の人間であるならば菊の守備範囲外だ。

「……どこにいるの、あたしの助けを待っている幽霊は……」

 もうこの際、なんでもいいから現れてくれないだろうか。

 そう思っていると、なにか屋根の上をはねるように動く影が見えた。

「ん?」

 あわててよく見ると、それは人のようだった。

 素早い動きをしているが、その姿にはなんとなく見覚えがある。

 影はこちらに近づいてくる。結構速いスピードで、まっすぐに。

「あ」

 影はお向かいさんの屋根にまで来ていた。

「常連さんっ!?」

 完全に視認できたその姿に、菊は思わず叫ぶ。

 それは最近見かけなくなったと思っていた、バイト先の常連、ちょっとくたっとした感じの青年だった。

「っ! コンビニのぉぉっ」

 相手も菊に気づき、驚いたような声をあげたが、丁度それは跳躍の瞬間。踏切に失敗して菊の家の屋根に届かない。

「ひっ」

 思わず悲鳴のような声が漏れる。

 落ちて行く青年が、やけにスローモーに見える。

 ぎゅっと目を閉じる。

 かっしゃん、っと金属音がすぐにした。

 ああ今の落ちた音落ちた音ですか? 神様。

 半泣きになりながらそう思うと、

「あーちょい、失礼」

 青年の声が案外近くからした。

 目を開けると、ベランダの手すりに片手で捕まる青年の姿があった。

 青年は菊に声をかけてから、片手だけで器用にベランダ内に侵入する。

 それをぽかんと口を開けて見つめる。

 え、何? 何があったの? っていうか無事なの? 無事ならいいけど。

 青年が困ったような顔をして、菊の前で人差し指を立てた。

「出来れば、静かにして欲しい」

 言われて、慌ててこくこくと頷く。声なんて出そうもなかったけど。

 よく見たら青年の左肩は赤く染まっていた。

 青年はどこまでも困った顔をして、菊を見つめ、外を見つめ、自分の肩辺りを見つめた。

「いや、まあ、ドジはドジだけどさ」

 そうして肩に向かって小さく何かを呟く。

 思い出す。

 あの赤い少女に会った時。倒れていたと少女に起こされた時。あの時、気を失う直前に見たのは、この常連の青年ではなかっただろうか。

 彼は屋根の上を走っていた。着地に失敗した後のリカバリーは普通の人間とは思えない動きだった。

 肩が血のようなもので赤く染まっているが、痛がるそぶりもないし、なによりもそっちの腕でさっきベランダに掴まっていた。もしかしたら彼の血ではないのかもしれないし、彼の血でも回復したのかもしれない。血が垂れている様子はないし。

 何よりも青白くってそれっぽい!

「あのっ」

 菊は青年の両手を握ると、

「もしかして、吸血鬼とかそういう系統の方ですか!」

 今年一番の笑顔で、目を輝かせて尋ねた。



 おかしい、なんでこうなった?

「はい、どうぞ」

「あ、どうも」

 渡された紅茶を素直に受け取ってしまう。

 最初は狭そうな路地裏を選んで走っていたが、世の中にはそんなに路地裏はなく。やはり屋根の上という障害物のないところを、スピードあげて通り抜けた方がいいんじゃないかと思い屋根の上を走っていた。そこで目があったのが、この目の前の少女で。最初にマオの食事に利用させてもらった、コンビニの店員。バレた、ヤバい、と思ったが別の意味でやばかったかもしれない。

「うふふ、あたし本当に嬉しいですー。ようやくこうやって吸血鬼の方にお会い出来てー」

 ちょっといっちゃっている目で菊が言う。

 彼女はどうやら、オカルトマニアのようだ。面倒だし騒がれるよりはいいか、と適当に話をあわせていたら吸血鬼認定されてしまった。おまけにお茶まで出されて。

『ねーこれ、どうするのー?』

 背中にへばりついたままマオが尋ねてくる。

 ちょっと首を傾げてそれに答えた。

 なんでこうなっていて、これからどうすればいいのか。そんなこと、隆二が聞きたい。

 このまま永遠にかくまってくれるといいんだけどな、なんて間抜けなことを思う。しかし、どこかで一度きちんと、エミリのことには片をつかなければ。

「肩、大丈夫ですかー?」

「あー、はい」

「もう治っちゃう系?」

「まあ」

 やっぱりすごーい! と菊は黄色い声をあげた。

 まさかいつも行っているコンビニの店員がこんな変人だとは思わなかった。

「何かから逃げてたっぽかったですけど」

「まあ」

「あれですか? ヴァンパイアハンター?」

 なんでそこで目を輝かせる。

「あー、そんな感じの?」

「はー、やっぱり大変なんですねー。闇の眷属ですもんね」

 うんうん、と何度も一人で頷く。

「戦わないんですか?」

「あんまり目立つことしたくないし」

『屋根の上走ってたのにね』

 お前は黙ってろ。

「対策を練ろうと」

「なるほどー。ちなみに、どんなですか、ヴァンパイアハンター」

「どんな……」

「やっぱり黒服にサングラス?」

「いや。赤い……」

 そこで菊の動きがぴたり、と止まった。

「赤い?」

「赤い」

「……もしかして、無駄に全身赤い、金髪の女の子?」

 頷く。ほら、やっぱり目立つんだってば、あの格好。

「ご存知?」

「知ってます。一回会いました。その……」

 菊はそこで一度躊躇い、

「コンビニバイト終わった後に、倒れてたからって助けられて。っていうかぶっちゃけ、あの時のって常連さんの仕業ですか? 姿見えたけど」

 お茶を吹きそうになった。

『あー、それって最初の時だよね。やっぱり見られてたんだねー』

 マオがのんびりと言う。誰のためにやったと思っているんだ。

「いや、うん、まあ、その」

「あ、あたし別に怒ってないんで」

 ごにょごにょと口ごもる隆二に、菊は笑いかける。

「寧ろ、貴重な体験をしたと! 吸血鬼に吸われても死ななければ吸血鬼にならないそうですしね!」

「あー、うん」

 なんだかよくわからないが、咎めてこないならばそれでいい。

 それはそれでいいとして。

「あー。嬢ちゃんが言ってた痕跡ってそれか」

 溜息。なんだ、結局自滅に近いことをしたのか。まあ、いずれにしても顔を出されたと思うが。

「あの子、ヴァンパイアハンターなんですか?」

「まあ、そんなところ」

「じゃあ、あの赤いのは戦闘服みたいなものなんですね!」

 菊が納得したように手を叩く。

 いや、あれはただの私服……。

「しかしまあ、どうしたもんかな」

 小さく呟く。

 いつまでも逃げ回っているわけにもいかない。

 本気になればエミリ一人ぐらいどうとでも出来るが、殺すわけにはいかない。

 不意をついて気絶なりなんなりしてもらって、一度お引き取りを願いたい。

「……やっぱり、頼むしかないか」

 また借りを作るのも躊躇われるが。

「あー、お願いがあるんですけど」

「はい?」

 赤い服の少女はなにかの妖怪なのかと思ってましたーと熱弁をふるっていた菊は、小首を傾げる。

「電話、借りていいですか?」


 電話を一本かけ終わる。番号を覚えていてよかった。

「あとはどこかで嬢ちゃんを捕まえないとなぁ」

 まあ、適当な場所で待っていれば向こうからやってきそうだけれども。それだと不意をつかれかねないし。

「ヴァンパイアハンターに会いたいんですか?」

「まあ」

「どこにいるか聞いてみます?」

「……は?」

 菊が何を言っているかわからなかった。

「いえ、あの子目立つんで。あたしのカレシ無駄に顔広いから、もしかしたらどこにいるか見つけられるかも」

 言って菊はケータイを振る。

『あー、若い子の連絡網ってすごいってテレビでやってたよー』

 マオが言う。

「……お願いしても?」

「いいですよー」

 菊はあっけらかんと笑うと、ケータイを耳に当てる。

 しかし、あの小さな箱で電話出来るのってすげーよな。

 ぼんやりと思っていると、

『隆二いま、おじいさんっぽいこと思った?』

 マオが呟いた。

「もっしー。ねー、この前の赤い服の子のことだけど。……え? 違うよ、妖怪だなんて思ってないよ。そうじゃなくて、あの子の探してた人。……そー、その人に会って。葉平どこにいるかわかんない? ……うん、わかった。うん、メールして。はーい」

 菊が電話を終える。

「彼が皆にメールして聞いてくれるみたいです。っと、見つかったらどうしますか?」

「あー。なんかこの辺りで、それなりに人気がなくて迷惑にならなさそうなところとか、ないですかねー」

 他力本願にも程がある。

「えっと。確か廃工場がありますよ、ここから少し言ったところ」

「あるのか……」

 言っといてなんだが、なんておあつらえ向きな。

『廃工場とか危ないよ? 犯人に呼び出されて殺されちゃう』

 マオの腕に力がこもる。どちらかというと、こっちが呼び出す犯人側だ。

「じゃあ、そこに来るように伝えてもらうことって」

「いいですよー」

 菊はあっけらかんと微笑んだ。

「そうやって、メールしときますね」

「頼みます」

『りゅーじ。……大丈夫なの?』

 マオの言葉に、軽く腕を叩いた。宥めるように。

「おっ、はやーい」

 菊がケータイを片手に笑う。

「目撃情報ありです。すっごい形相で走ってたそうですよ」

 やっぱりかかわりたくないかもしれない。ほんの少しそう思う。

「伝言、つたえるように頼みますね」

「お願いします」

 一度頭を下げる。

 それから左肩をゆっくり回した。

 ここで時間をつぶせたことで、左肩も動くようになってきた。これで平気だろう。

「あの、それじゃあ」

 立ち上がりながら声をかける。

「あ、行きますか? ろくにおかまいもできませんで」

「いえいえ。お茶、ごちそうさまです」

 なんとなく間の抜けた会話をしてしまう。さっきから、ちっとも緊迫感というものが生まれない。まあ、それならそれでいい。

「あー、あと図々しいお願いだとは思うんですけど。俺のことは」

「秘密にするんですよね? 大丈夫です」

 菊がとってもいい笑顔で頷いた。

「あたし、人間との約束は結構頻繁に破っちゃいますけど、妖怪さんたちとの約束は絶対に守るんです」

 それから小声で付け足した。

「まあ、初めてなんですけどね。約束するのはもちろん、見るのも」

 ほんのちょっぴり不安になった。

 浮かれて誰かにぺろっと言いそうだけどな、この子。

 まあ、それならそれでその時考えるし、第一この子の調子じゃ周りの人に信じてもらえなさそうだし。

「あの、でもお願いが」

 菊は少し、神妙に呟く。

「……はい」

 少し背筋を正した。

「また、来てもらえますか、うちのコンビニ」

 真顔で言われたたわいないお願いに、緊張していた気持ちが緩む。少し笑いながら、

「それはちょっと」

「えーっ」

 菊は露骨に傷ついた顔をした。

「なんでですか! 正体、ばれちゃったからですか?」

「いや、近くに別のコンビニできたから」

 事実を答えると、菊はぽかんっと間抜けな顔をして、

「ええっ、そんな庶民的な理由……」

 がっかりしたように呟く。その後すぐに、でもそれはそれでおいしい? とか呟きだしたけど。

「まあ、コンビニは行くことがあったら行きます。それじゃあ、どうも」

 これ以上ここにいると話が長引きそうだ。

 隆二は一度軽く頭をさげると、来たときと同じようにベランダから跳躍した。

 あっさり立ち去る隆二を、ちょっとつまらなさそうに菊は見送ってから、小さく呟いた。

「またのご来店、お待ちしております」

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