ひとでなしの二人組
小高まあな
迷い仔猫の居候 第一幕 捨て猫の拾い方
女は、足下を見下ろした。
人が豆粒のような小ささで歩いているのが見える。
スカートの裾が、風でふわりと揺れる。
一つ息を吸う。
そして女は、ビルの屋上から飛び降りた。
それは三日間続いた雨が止み、憎らしいぐらい快晴の日だった。
神山隆二は、切れた珈琲と煙草を買いに普段蟄居している自宅からしぶしぶ出てきた。
日差しがまぶしい。
ほどほどに人通りのある道をだらだらと歩く。家から一番近いコンビニが徒歩十分というのはやっぱりよくない。家から二分のところにあったコンビニは昨年末閉店した。たかだか珈琲と煙草を買うのに五倍も歩くなんて非生産的だ。
などと堕落しまくったことを思いながら、のばしっぱなしの茶色い髪を右手でかきあげる。
ジーンズのポケットに両手を突っ込んでだらだらと歩く。
『やー』
上から何かかけ声のようなものが聞こえた気がして、上を見る。
ぎょっとする、とはこのことだ。
ビルの上から女が一人ふってきた。
え、何自殺?
思わず立ち止まる。急に立ち止まった隆二の背中に真後ろを歩いていたサラリーマンがぶつかった。スーツ姿の彼はちっと舌打ちする。
すみません、ともごもごと呟いて頭を下げる。
その間に、女は隆二の鼻先を通り過ぎて地面に落下した。
アスファルトに頭をのめり込ませて、足だけが二本飛び出ている。なんかで見た事ある光景にしばし考え、
「すけきよかよ」
有名な小説の一場面を思い出し、口の中で言葉を転がすようにしてつっこむと、その足を通り抜けてコンビニを目指した。
こうも暑いと変な輩が増えるな。
『って、ちょっとまったー!』
後ろから声が聞こえる。女の声にしては高すぎず、耳に心地いい程度の高さで、隆二は少し感心する。声量はともかく。
『ちょっとあんた! そこの茶髪にギンガムチェックのシャツきた、むっつりしたそこのあんた! あんた、あたしのこと見えてるんでしょう? うら若き乙女がビルから飛び降りてきたっていうのに無視するなんて一体どういう了見よっ! ひとでなし!』
ギャギャー騒ぎつつ、近づいてくる。
『聞いてるんでしょう! 逃がしはしないわよっ!』
女は隆二の前に両手を広げて立ちふさがる。しかし、それは丁度コンビニの前。隆二は女の鼻先で曲がり、すっと店内に入った。
入ってすぐの角を曲がる。窓際、雑誌のラックの前を通り過ぎる。週刊誌には毒々しい字で「怪奇! ミイラの謎!」という文字が踊っていた。
いつも飲んでいるインスタントコーヒーを手に取り、レジにむかい、
「マルボロ」
すっかり顔なじみになった店員にそう声をかける。店員はいつも通り三箱用意してくれた。
『ちょっとちょっとちょっとちょっと!! 何無視してくれちゃってんのよ!』
慌てて店内に入ってきた女が耳元でぎゃーぎゃー騒ぐ。
相変わらず愛想のない店員に代金を支払う。
もっと愛想のいい可愛い女の子もいるのに。なんでこいつはこんなに愛想がないんだか、同じ店なのに。
黙ったまま金銭の授受が行われる。
『ちょっと、聞いてるの!? 聞いてるでしょう!? なんとかいいなさいよ! あ、だからって「なんとか」ってだけいう、そんなお約束な展開は許さないんだからね! 無視しないでよー!』
乱暴にビニールに入れられたコーヒーと煙草を持ち、コンビニを後にする。ついでに入り口のところにあったバイト情報誌をとると、袋の中に押し込んだ。そろそろなにか仕事を探さないと。
『あんた、あたしのことをなんだと思ってるのよ? 馬鹿にしてるの!?』
ぎゃーぎゃー騒ぐ女を通り抜ける。
「なにってそりゃぁ」
小さく口の中だけで呟く。
「頭湧いた幽霊だろ」
あっついなー、と空を睨み、家路を急いだ。
『ほんっとむかつく、聞こえてるのに無視するとか最低、どういう育て方されたの? お母さんが泣いてるわよ』
喚いたまま、結局家までついてきた幽霊が、わざとらしく右手を目元にあてて泣きまねをする。芸が細かい。
出かける前に湧かしておいたお湯をカップに注ぎ、念願のコーヒーを一口すする。昔の知り合いはインスタントなんて邪道だ! なんて言っていたけれども、世の中楽が一番だろう。
『もう、なによ、ティータイム? あ、コーヒーか。コーヒーブレイク? 可愛い女の子放り出してコーヒーブレイク? あたしのハートがブレイクしちゃうわよ、まったく!』
意味がわからない。
「あんたさ」
ダイニングの椅子に腰をかけると、両手を体の真横で握りしめて叫び続けていた女を見る。
「そんなに喋っててよく疲れないよね?」
心底感嘆して呟く。喋るのって疲れるし。
女は何故かぽかん、っと大きく口をあけてこっちをみる。
「……何?」
そんな顔をされる理由が思いつかず、問いかけると、
『あなた、あたしが見えるのっ!?』
勢いよくこちらに身を乗り出してくる。テーブルの上に手をついて、結局勢い余ってめり込んだ。
「は?」
驚いたかのように見開かれた、アーモンド形の瞳をみつめる。
「あんた、散々喋ってたのに。気づいてたんじゃないわけ?」
『え……、最初は見えてるのかと思ったけど、あまりに無視するから違うのかと思ってた……』
もっと無視しとけばよかった。
「じゃあ、なに家までついてきてるわけ?」
呆れて問うと、
『暇だったから』
何故か女は自信満々に答えた。
「ああ、そう」
変な幽霊。思いながらコーヒーをもう一口。
『ちょ、じゃあ、なんで無視してたのよっ!』
「道ばたで会話したら、空気と会話している怪しい人だろ」
肩をすくめる。
『あなた、自分が空気と会話する怪しい人になりたくないなんて緩い理由で、あたしみたいにかわいくて、チャーミングで、美しくて、うら若き乙女の呼び声を無視したの!? 最低だわ』
「いや、ふつう無視するだろ」
自分で可愛いとかチャーミングとかいうのもどうかと思うし。
「で、あんたなんだよ。こんなとこまでついてきて」
『暇だって言ったでしょう?』
女は、ついさっき言ったのにもう忘れちゃったの? と小馬鹿にした顔をする。なんとなく腹が立ったが、ぐっと堪えた。
いちいち怒っていたら、多分、話が先に進まない。話を先に進める必要性があるのかも、甚だ疑問だが。
「暇ってなあ。っていうか、幽霊ってそういうものなのか? 本来なら怨念とか未練とかそういうものがあるんじゃないのか?」
忙しいかはともかく、こんな風にぷらぷらはしていられないはずだろう。
『だって』
と、幽霊の女は不満そうに唇をとがらせると、
『あたし、自分がなんだったかわからないんだもの。記憶喪失、っていうの?』
一瞬の沈黙。
時間をかけて女が言った意味を飲み込むと、
「……幽霊って、記憶喪失だったりするんだ」
へー、驚いたと言うと、
『ん? 今のはバカにしてたわね?』
にらまれた。そりゃあ、バカにしたくもなる。
「じゃあ、生前の記憶とかまったくなし? 自分が誰だったか、とか」
『うん』
それは困った。お引き取りを願おうにも、未練はもとより、なにもわからないならば成仏していただくのも困難だ。
「ビルから落下したってことは、飛び降り自殺とかだったのかな」
唯一の手がかりをもとに、死因の特定に走るが、
『あ、あれ? あれは単に暇だったから遊んでただけ』
はたはたと片手をふる。こいつうぜー。ちょっと思った。
「遊んでたって」
『なんていうか、バンバンジー感覚?』
「バンバンジー……?」
『……あれ、違う?』
首を傾げる。
「……多分だが、バンジージャンプ?」
『そーそれ!』
あなた物知りねーと笑う。お前がばかなだけだろ。
『最初はね、ビルの上から道行く人を見てたりして、そういうのが楽しかったんだけど。段々飽きて来ちゃって。そしたら電気屋さんのテレビでバンジージャンプ? やってて.楽しそうで。それで、試しに飛び降りてみたらすっごい爽快感で!』
「あー、そう」
『でも、みんな気づいてくれないからつまんなかったんだけど。そしたら、あなた、立ち止まるじゃない? だからこれは見えてるな!! って思ったの』
満足そうに女は微笑む。
それから、
『まあ、ともかく。そんなわけであたし自分がどうしたらいいかわかんないし、一人だと暇だし、幸いあなたあたしがみえるみたいだし!』
腰に手をあててなぜか上から目線で幽霊女は言った。
『ここにおいて頂戴』
「ご自由に」
ある程度予想できた言葉に、さらりと返事した。
『え、そんなあっさり!!』
逆に女が焦ったような声を出す。
『言い出しておいてなんだけど、あなた、そんなに簡単に他人を家においていいの? そんな不用心でいいの? 大都会は危ないのよ? 大都会の闇! 家出少女達を待ち受けるものとは一体! みたいな』
なんだろうか、そのやすっぽい特集番組みたいなあおりは。そもそも、家出少女に該当しそうなのはそちらだし。
「いいの? とか言われたって。一般の防犯対策効かないんだから追い出したって意味ないだろ。追い出せないし」
でていけ! と言ったところで、幽霊ならば居座ることは簡単だ。ドアだって窓だって壁だってすり抜けられるのだから。
『え、じゃあ本当にいいの?』
「あー、まあ」
『嬉しい! あなたいい人ね!』
言いながら両手を広げてこちらに向かってくる。
半身をかわして避けた。
女はそのまま、壁にめり込む。
足がびよんっと壁から生えた。裸足の足。
『何よ!』
すぽんっと顔を引き抜いて、女が睨む。
「なれなれしいだろ」
言うと、
『もう、照れ屋さんなんだからぁ』
しょうがないわね、といった体で返された。
今からでも遅くないから、放り出そうか。ちょっとだけ思った。
「……勝手にしろ」
でも、色々諦めてそう言う。
ずっと一人でやってきたのだ、幽霊の一人ぐらい家に置いても問題ないだろう。人間じゃなくて、幽霊なのだから、間違いが起きる訳もないし。
「まあ、しかしあれだ。名前ないと呼びにくいな」
『じゃあつけて頂戴』
優雅に微笑むと、女は言った。
なんで偉そうなんだろうこいつ。
幽霊女の頭の上からつまさきまでゆっくりと見る。
眉の上で切りそろえられた前髪の下から、つりめがちの瞳がのぞく。よく見ると瞳は緑色だった。
鎖骨の下でゆるくカールしている髪も緑色がかっている。
白いワンピースからすらりとした手足が伸びている。ふわふわ浮かんでいるからわかりにくいが、女子の平均身長以上はあるかもしれない。
全体的に上手く配置された形のいいパーツ達。なかなか人間だったころは、美人でモテたことだろう。
惜しむべきはなんの起伏もない胸か。ぺったんこにもほどがあるだろ。見た目十代後半ぐらい、これから成長する……予定だったのか。これは無理そうだな。
女は、自分で言ったくせにつまらなさそうに髪の毛を指先に巻き付けている。毛先をじっと見つめている。幽霊にも枝毛ってあんのかな。
なんだか猫みたいだなー、と思う。気まぐれで自由気ままで。
そういえば以前、少しだけ猫の面倒をみていたことがある。一緒に住んでいた人間が飼っていただけだが。あの猫はもうちょっと大人しかったぞ。
少し昔を思い出してため息。その話は忘れよう。
もう一度、上から下まで眺め、
「マオ」
一言告げた。
沈黙。
『あ、それ、あたしの名前?』
一拍置いてから女が言った。人差し指で自分の鼻を指差す。
「ああ」
忘れかけていたコーヒーを一口。
『マオ、マオ』
女は小さく呟く。
『ねっ、ねっ、どういう意味?』
下から顔を覗き込んでくる、小首を傾げて。それはさながら、テーブルから生える、女の生首。
「猫、中国語で」
『猫!』
「猫っぽいから」
『猫っぽい!』
何故復唱する。
「気に入らないなら自分で考えろ」
めんどうになってそういうと、女の視線から逃れるようにそっぽを向いた。
『いい、いい! 気に入った』
隆二の視界にぐるっとまわりこむ。
『ありがとう! ええっと……』
言って首を傾げるので、
「あー。神山隆二」
名乗った。
『隆二ね!』
「呼び捨てかよ」
『あたしのことも呼び捨てでいいのよ? その、マオ……って』
何故か視線を床に向け、少しだけ頬を染めて言う。
「あー」
『よろしくね、隆二!』
顔をあげてにこやかに微笑む女を見て、
「あー、よろしく」
ため息まじりに苦笑しながらも、隆二は頷いた。
「マオ」
名前を呼ぶと、ぱっと花が開いたように、嬉しそうに、マオは笑った。
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