第二幕 猫への餌のやり方
少女は呼びだされた。そして大変無責任な指令をうけとった。
どこに逃げたのかもわからない実験体を探せと言われた。
組織の末端である少女に拒否権はなく、しぶしぶと立ち上がった。
幸い、目撃情報は沢山あった。
とりあえず、その最後の目撃情報の場所に向かう事にした。
工藤菊はいつものようにコンビニでバイト中だった。
この今時「菊」なんていう名前をもっている十九歳の少女は大のオカルト好きである。彼女曰く、「累の怪談」で憑依される少女とか、「四谷怪談」の伊右衛門の末娘とか、「番町皿屋敷」の下女とかに共通して見られる「お菊」という名前には「死者の声を聞く」という意味があって、「菊という名前をもつ私は死者の声を聞かなければ」ということらしい。
見た目は、完全に今時ギャルなのに。
ちなみに、オカルトは好きなものの彼女に霊感は皆無である。未だに死者の声を聞いたことはない。
そんな彼女が最近ニュースで話題になっているミイラ事件に興味をしめさないわけはなかった。
ミイラ事件。二カ月程前から、発見される屍体。最初の屍体の身元はまだ若い女性だったが、肌はかさかさに乾燥し、というか、体全体が乾燥し、まるでミイラのような状態で路上にて発見された。
その後も、一週間に一度のペースで、計七人が被害に遭っている。全員がミイラのような状態で発見されている。
「猟奇的よねー」
と、菊は呟いた。店内には今、客がいない。
「被害者が若い女性が多いっていうのも、なんかねー」
「これはきっと人間の仕業じゃないわ!」
「吸血鬼とか?」
「チュパカブラかも!」
オカルト、都市伝説、全般が彼女の守備範囲である。
「チュパ……?」
「それとも新種のなにかかしら? だって血は抜かれていなかったのだもの、チュパカブラではないわよね」
「ね、ちゅぱかぶら? って何?」
同僚バイトと盛り上がる。主に菊一人で盛り上がる。
ドアの開閉に伴う音楽が流れる。車の音が店内に流れ込んでくる。
「っと、いらっしゃいませー」
入って来たのは常連の青年だった。男性にしては少し小柄で、イマイチ愛想のない人だった。今日もグレーのシャツとジーンズという極めてラフな格好だ。
ひょろっとしていて不健康そうで、何をしている人なのか気になっている。
定期的に来て、インスタントコーヒーと煙草を買って行く。煙草はいつもマルボロを三箱。菊はそそくさとマルボロを三箱用意した。
レジにやってきた青年はいつもと違って、おにぎり二つとサラダを持っていた。
そのまま何も言わない。
「……あれ、あの、煙草は?」
思わず聞いてしまう。
青年は一瞬右肩の辺りを鬱陶しそうに見てから
「今日はいい、です」
そう言った。
そのまま、おにぎりとサラダを買って店を出て行った。
「珍しい、煙草買わないなんて……」
「ねー? 禁煙かなー、カノジョに怒られたとか?」
同僚が小さく呟いた。
「え、カノジョいんの?」
「いや、知らないけど」
「いるなら見てみたいわー」
「なんかでも、面食いっぽいよねー」
「あー、なんかわかるー。超美人な人とか連れてそうー」
「で、尻に敷かれてそうー」
「えー、それはわかりかねるー」
そのまま、あの人の恋人はどんな人間か、ということで盛り上がりだした。
『偉いじゃない! ちゃんと禁煙して! 見直したわ!』
おにぎり二つとサラダが入ったコンビニ袋を下げてあるく隆二の背後でマオが言った。
「んー」
適当な相槌をうつ。だから外で話かけんなって。
マオが居着いて一週間が過ぎた。
最初は割と、今から思うと比較的、大人しくしていたが、しばらくしたら慣れたのか煙草を吸っている隆二の目の前で、
『煙草は体に悪いのよ!』
と突然言い出してきた。
『あなた、死ぬわよ!』
「インチキ霊能力者かなんかか、お前は。死ぬわよ! とか言って壷でも売りつけんのか」
『れっきとした科学的事実! 煙草は体に悪いのよ! 禁煙しなさい!』
居候の分際で偉そうに。大体幽霊が科学的とかって言葉を使うのはどうなんだ。
無視してもよかったが毎日のように同じ事を言われると、さすがに精神的にしんどかった。相手をするのが。
増税で値上がりしたし、多少節約してもいいだろうとそれに従っている。
事なかれ主義、万歳。
自宅に戻り、バイト情報誌を見ながら、買って来たおにぎりを咀嚼する。
ぱりぱりの海苔も、少し堅いお米も、久しぶりに食べるとそう悪いものでもないような気がした。
ぱらぱらと、バイト情報誌の短期バイトの辺りを見る。
貯金はまだまだ余裕があるが、最近予想外の出費が続いている。金銭に余裕があるにこしたことはない。何か適当なものはないかと思っていると、
『りゅーじー、テレビ』
襖をあけっぱなしにしている部屋から、マオの声がする。そっちを見ずにリコモンをいじった。
正午からはじまるサングラスの司会者の番組がマオはどうやら好きらしい。今はまだお昼のニュースをやっていた。
2DKの部屋。一部屋が寝室、もう一部屋にはテレビと赤いソファーだけを置いていた。ソファーは以前、もらったものだ。
マオはその赤いソファーが気に入っているようで、よくそこに寝転がり、テレビを見ている。どうやらテレビもやたらと好きらしい。隆二一人だとそんなに見ることがなかったテレビが、マオが来てからフル稼働だ。
「ミイラ事件の続報です」
テレビが告げる。
ああ、あの事件、まだ解決してなかったのか。
ふっとマオをみると何故か真っ青な顔をしていた。隆二が見ているのに気づくと
『あ、あたあたあたし、さ、散歩行ってくるね』
慌てて立ち上がろうとしてこける。幽霊もこけるんだなーとか思いつつも
「マオ」
ひとこと呼ぶと、びくっと動きをとめた。
「ここに座れ」
テーブルの向かいの椅子を指差す。マオはしばらくおどおどと視線をさまよわせたあと、ゆっくりと腰掛けた。律儀に正座している。
怒られる気、満々だな。
「お前の仕業か」
テレビを指差す。話題はとっくに、どこぞの国で世界一大きいピザのギネス記録に挑戦したとか、そんな緩いものになっていたが。
『……はい』
マオはおどおどと視線をさまよわせ、小さい声で呟いた。
ミイラ事件、まるでミイラのようになって発見される屍体。
それはつまり、
「精気を抜いたな?」
尋ねると、マオは小さく何かを言って、俯いた。
「それは、どういう意図で?」
『……いと?』
目線だけあげて、マオが首を傾げる。
伝わらなかったか、バカだから。
「理由」
『……その、あたし、それがないと、消えちゃうから』
今にも消え入りそうな声で言われた。
「……なるほど」
人の精気を喰らい、存在する幽霊。
まったくもって何者かわからない。
「お前は本当、わけのわからない幽霊だなー」
呆れて呟く。
テレビは、マオの好きなお昼の番組のオープニング曲を流しはじめた。
「あ、テレビ、始まったぞ」
『……え』
マオは上目遣いで伺うようにこちらを見て来た。
「なんだ?」
『……お話、終わり?』
「ん? ああ。確認したかっただけだし。まだなんかあるのか?」
『……そうじゃなくて』
もじもじとスカートの裾を両手でいじりながら、
『……怒ってないの?』
「怒る? 何故?」
本気でわからなくてそう聞いた。
『だって、あたし……、人、殺しちゃったし……』
「だって、食事だろ?」
『……それは、そうだけど。でも……』
「人間が豚や魚を食べるのとなにが違うんだ?」
マオは上目遣いでこちらを見たまま、首を傾げる。
「無益な殺生だったらやめておけ、と言うが。別に、生きていく、存在していくための殺生ならば構わないだろう。まあ、いただきます、ぐらいは言った方がいいと思うが」
そこまで言って、片手にもったままのおにぎりを思い出す。
「……うん、いただきます」
なんとなく呟いて、咀嚼した。
マオは黙ったまま、そんな隆二を見つめ、
『……本当に、怒ってないの?』
「ん? ああ。別に、赤の他人の生き死にとかどうでもいいし」
死んで困るような知り合いも、いないし。
言いながら、サラダの蓋を開ける。
『……ありがとう』
小さく小さく、マオが呟いた。
「ん?」
『ううん』
マオが顔を上げる。何故か、すこぅしだけ、微笑んでいた。
「まあ、殺さないで済むならそっちの方がいいんだろうけどな」
フォークをサラダにつきたてる。
「死者が出たから、今はこうやってニュースになってしまっているけれども。殺さずに済むのならば、ニュースにはならないだろうし。健康な人間から死なない程度に精気とったら目眩とか、ちょっと体調崩すぐらいで済むはずだろう」
多分、と小さく付け加える。そんな詳しい事なんてわからないが。
『……うん』
「そういうことはできないのか? 一人から少しずつとか」
『……出来なくは、ないんだけど』
俯きはしないものの、スカートの裾をいじりながら、
『寝てる人とか、意識のない人からとるなら、ちょっとずつっていうのも出来るんだけど。……普通に、活動している人からとっちゃうと、死んじゃう、みたい』
「なるほど。……っていうか、今まで普通に活動している人からとってたのか、お前は」
どうやって精気を喰らうのかは知らないが、それはなかなかに、シュールな光景のような気がする。
『うん。お腹が空いた時に、近くにいた人から……。あ、でも、物陰でだよ?』
「白昼堂々と通行人がミイラ化したらもっと大事になるだろうな」
そんな面倒なことになっていなくてよかった、と心底思う。
「っていうか、寝ている人間からとればいいだろ、そんなの。お前なら家の壁すーっと抜けて入れるだろうし」
『あ、でもね。寝ている時も、とれる時ととれない時があって』
「ん?」
『ええっと、なんだっけ。れ、れもん?』
「レモン?」
なぜ、ここにきて果物。それとも、梶井基次郎?
『レモンじゃない。ええっと、のんけ……? のんれ……? すいみん……』
「……レム睡眠とノンレム睡眠?」
『そう、それ!』
助け舟を出すと、マオは嬉しそうに両手を叩いた。
レモンは絶対違う。
『ええっと、それで、……どっちがどっちか忘れちゃったけど、とれない時があって。確か、深い眠りのとき? でも、まあ、それで、……面倒になっちゃったの』
てへ、っと舌を出して笑う。
「面倒になっちゃったって」
そんな理由で活動中の人間から精気を奪っていたのか。
『あ、でも、でも』
呆れたように隆二が呟くと、マオは慌てた様子で、
『隆二が駄目っていうなら、ちゃんと寝てる人からとるよ?』
隆二の顔色を伺うようにして、首を傾げる。
「あー、出来るなら是非、そうしてくれ」
『はーい』
元気よく、右手を挙げてマオは返事した。
『……でもね、その、最近ずっと、食べてなくて、あの……』
胸の前で指を組み、上目遣いで小首を傾げて、可愛らしく一言。
『お腹、空いちゃった』
「……それを俺に言ってどうしろと」
『だからね、その……』
何故か少しだけ頬を赤く染めて、
『食べても、いい?』
「それは普通嫌だろう」
即答した。
『……だよね』
あからさまにマオは落胆した。しゅーんっと肩を落とす。
「大体、今までの被害者は若い女性ばかりだったろ。それがお前の好みじゃないのか。食の」
『え、うん。若い女の人が美味しい……。でも』
目線だけ隆二に向け、少しはにかみながら、
『隆二なら、いいかなぁって』
「なんだそれは」
意味がわからない。
『……なんでもない』
マオは一瞬泣きそうな顔をしてから、俯いた。
なんだかよくわからないが、落ち込ませたことだけはわかった。
「あー、まあなんだ。手伝うぐらいなら」
慰める意味も込めて、そう言う。
『……手伝う?』
「意識がなければいいんだろ? あんまり穏便な方法じゃないが、道行く人にこうちょっと、意識を失って頂くぐらいならば」
あんまり穏便じゃないというか、立派に犯罪な気もするが。
『いいの?』
ぱぁっとマオの顔が華やいだ気がした。
「目立たない方がいいからな、お互い。今は平気でも、あんまりニュースになると、どこからかマオの存在が漏れるかもしれないし。うっかり俺がけしかけたとか言われても嫌だし」
自分を納得させるように呟く。
マオはちょっとだけ顔をしかめてから、
『うん、ありがと!』
嬉しそうに笑った。
「……まあ、俺が飯喰ってからな」
その笑顔に少しだけ圧倒されながら、言う。
『うん、待ってる!』
ぴんっと右手を挙げる。そのまま、すぃーっと移動して、テレビの前を陣取った。
マオの感情の流れについていけない。
楽しそうに笑いながらテレビを見るマオを見ながら、残りのサラダにとりかかった。
「おつかれさまでーす、お先でーす」
工藤菊は、バイトを終えるとコンビニを出た。今日は大学は休みなので、このまま帰って家で漫画でも読もう。大好きなオカルト漫画の続編、今日にでも宅配便で届いているはずだ。
うきうきしながら、足取り軽くコンビニの横を曲がる。裏道を通り抜ける。
今日の夕飯はなんだろう。実家暮らしなので母親が作ってくれているはずだ。昨日は魚だったから、今日は肉がいいなー、そんなことを考える。
ふいに、どんっと背中に衝撃を感じた。
「えっ?」
何が起きたのか。
振り返ろうとしたところを、今度は首筋に衝撃。
視界が暗くなる。
意識を手放す直前、常連の青年の姿を、見たような気がした。
「……やべ、顔見られたかも」
倒れかけた菊を片手で支えながら、隆二はぼやいた。
『えー、大丈夫? ドジねー』
非難するようなマオの口調に、誰のためにやってんだ、と思う。まあ、ドジなことは否定しないけれども。
首筋に手刀を叩き込み、気絶させた菊を、そっとアスファルトの上に寝かせる。
『でもすごいねー、あっさり気絶させて。なんかやってたの? 剣道とか』
感心したように言いながら、両手の拳を合わせ、振り回すマオ。
剣道はおそらく関係ないだろうし、その素振りはどちらかというとバッドを振り回しているようだ。
「そんなとこ。いいから、はやく」
促す。
マオは、はーいと返事して、菊の横に座り込んだ。
『いただきます』
両手を合わせて呟く。
これまたご丁寧に。
そう思ったところで、そう言えば「いただきます」とでも言えばいいんじゃないか、と自分が言ったことを思い出した。どれだけ素直なんだ。
どうやって食事をとるのだろうと思いながら見ていると、マオはかがみ込み、倒れた菊の唇に自分の唇を重ねた。
隆二はしばらくあっけにとられてそれを見ていたが、慌てて後ろを向く。
少女二人のキスシーンなんて、見るもんじゃない。
食事って、精気を喰らうって、文字通り喰らうんだな。口から。
屍体で発見された女性達は、普通に活動しているところを、この謎の幽霊にキスされていたわけか。その光景を想像し、なんとも言えない気分になる。
『りゅーじ』
しばらくして、若干舌足らずな声で呼ばれ、振り返る。
『ごちそうさまでした』
立ち上がったマオが、両手を合わせて少し頭を下げた。
「あー、うん」
『……生きてるよね?』
足元の菊を見る。
近づいて確認する。
「大丈夫」
『ん』
マオは満足そうに頷いた。
「いいのか?」
『うん』
マオは頷き、それから何故か、しゃがみこんだ隆二の背中におぶさろうとする。
「やめろ」
それを、身をかわして避けた。
『酷い』
「酷くない」
『馴れ馴れしいって最初言ってたけど、まだ駄目なの? もう十分仲いいじゃない! あたしたち、共犯者じゃないっ! 同じ穴の狢じゃない!』
「あー、どっからつっこめばいいかわからないけど、だからって馴れ馴れしいことには変わりないだろ」
ため息をつきながら、隆二は立ち上がる。
『でも、少しぐらい、……触らせてくれたって、いいじゃない』
少し頬を膨らませて、マオが言う。
「触れないだろ、幽霊さん」
呆れて言うと、ますます頬を膨らませた。
『……意地悪』
「意地悪くねーよ、事実だよ」
足元の菊を見る。
起こすかどうしようか少し悩み、起こしたってどこにもプラスになる要素はないな、と判断する。
先ほど顔を見られていたら不審者決定だし、例え顔を見られていなくても、いきなり自分のバイト先の常連客に起こされたら不審だろう。
自分が捕まったら元も子もない。
「ほら、帰るぞ」
言って、菊に背を向けて歩き出す。
『あ、待って』
慌ててマオが隣に並ぶ。
「はー、顔見られたかも知れないし、もうあのコンビニ行けねーな」
『もー、間抜けなんだからー』
だめでしょ、と窘めるようにマオが言う。
「誰のためだと思ってるんだよ、誰の」
些か呆れて言葉を返す。
『んー、あたしの? えへへ、ありがとう』
隆二の正面に回り込み、屈託なく笑う。
「どーいたしまして」
マオは照れたように笑い、くるくると、隆二の周りを回る。
「……うぜ」
『んー?』
「隣。視界塞がれて邪魔だから」
言うと、何故かとっても嬉しそうに笑い、隆二の隣に移る。そのまま、宙に浮くのをやめ、歩くように移動する。
そして右手を伸ばし、隆二の左手を掴もうとして、
「だからやめろって」
『むー』
空振りに終わった手を見て、マオがふくれる。
『ケチ』
「ケチじゃない」
路地裏を出る。
『酷い、ケチ! 意地悪っ!』
マオが隣で騒ぐ。
が、人通りの多いところに出た以上、隆二はもう反応しない。
『うわっ、また無視する。さーみーしーいー。ねー、寂しいと兎は死んじゃうんだよぉー』
お前は兎じゃないだろう。そもそも、もう死んでいるだろ。
『さみしいさみしいさみしいさみしいしんじゃうー』
ぐるぐると、また隆二の周りを回る。鬱陶しい。
『はう、胸の辺りが苦しい。これはきっと、寂しいからだわ。死因は孤独死ね!』
孤独死って、そういうことじゃないような。
『ねーねーねー、りゅーじぃー、かなしいよぉー、むししないでよぉー、りゅーじぃーねーねーってばぁー』
「……はぁ」
小さくため息。
「そのうち、頭ぐらいは撫でてやるよ、そのうち」
ぐるぐる回るマオの耳が、顔に近づいた時を見計らい、小さい声で呟く。
『えっ!』
マオが動きを止める。
それにあわせて、立ち止まりそうになるのを慌てて耐える。少しマオを避けて、先に進む。
『え? え? 頭撫でてくれるの? そのうち? そのうちっていつ? ねえねえねえ、明日? 明後日? 明々後日? 来週? 来月? 来年? 地球が何回まわったとき? ねー、いつ?』
慌てて追いつき、隣に並んだマオは、うるさくて鬱陶しいことに代わりはなかった。
そのうちはそのうちだって。
言葉は返さず、家に向かって歩く。
それでも、何かに満足したのか、
『まあ、今はそういうことでもいいけどねー』
それだけ言って、マオは大人しくなった。
なんでこっちが譲歩された形になっているのか。
『しっかし、隆二は、優しいのか冷たいのか、わかんないわねー』
楽しそうにくすくす笑いながらマオが言う。
答えずに、小さく肩だけ竦めた。
『ねー、兎は寂しいと死んじゃうっていうじゃない? 人間はどう思う?』
隆二の隣をふよふよと浮かびながら、唐突にマオがそんなことを言う。
返事がないのを気にすることなく、マオは続ける。
『あたしね、思ったの。人間は、寂しくても死なないの。きっとね、つまらないと死んじゃうの』
隆二は横目で、マオを見た。
『人間はね、寂しいなんていう高等な感情は持ち合わせいないの。人間のいう寂しいはつまらないってことなのよ』
一体どこで仕入れてきた知識なのか、急にそんなことを言い出す。
いずれにしても、隆二にしては、理解しきれていなかった。
『誰かがいなくて寂しいとしても、何かよりどころ、すなわち「楽しいこと」があれば平気なのよ。本とか音楽を好むのはそれが理由』
そして、マオはぽつりと呟いた。
『だから、あたしは貴方がいなくなると死んじゃうのよ?』
聞き流すつもりでいたのに、頭がそれを理解した瞬間、心臓が止まるかと思った。
「なにを言ってるんだ、おまえは」
外であるにもかかわらず、思わず横を向いて尋ねてしまった。
すれ違った女性が変な顔をした。
いくら不意打ちだったからとはいえ、動揺している自分が情けない。
『だって貴方以外にあたしが見えて、あたしによくしてくれる人、あたしは知らないもの。貴方がいなくなったら、あたしはつまらなくて死んじゃうわ』
マオはなんでもないことのようにそう言うと、微笑んだ。
『だから、これからも、あたしの傍にいてね?』
隆二は何かを言おうとして、結局コメントを控えた。
「あの、大丈夫ですか?」
菊は何度かかけられた声に、ゆっくり目を開けた。
「あ、あれ?」
背中が痛い。頭も痛い。
自分の状態を視線を動かし、確認する。
地面に、倒れている……?
「んー?」
首を傾げながら、ゆっくり上体を起こす。
「大丈夫ですか?」
声をかけてくれた少女が、慌てて背中を支えてくれた。
「あ、はい。すみません」
「通りかかったら、人が倒れていたのでびっくりして」
「倒れて……」
バイトを終わって、家に帰ろうとして、それから……、
「んー、覚えてない」
頭を振る。
「あ、でも、常連さん……?」
意識を失う直前に、バイト先の常連の姿を見たような気がした。が、まあ多分気のせいだろう。夢か何かだ。
「常連さん?」
少女が首を傾げる。
「いいえ、なんでもないです」
「病院、行きますか?」
心配そうな少女に、
「あ、大丈夫です、多分」
「でも」
「家、近いので。あの五分もかかんなので」
少女に手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
二、三歩あるいてみるが、やはり特に異常はないようだった。
「大丈夫なら、いいんですけれども」
それでも少女は心配そうな顔をしているから、菊は笑ってみせた。
「大丈夫です。家帰って、様子見て病院行きますから、必要なら」
「……そうですか?」
「ええ」
もしかしたら、なんらかの妖怪の仕業かもしれない、と思っていたがそれは黙っていた。のっぺらぼうにびっくりしたとか、そういう展開を期待している。
別の意味で病院に連れて行かれそうだから、言わないけど。
「ありがとうございました」
少女に頭を下げ、家路を急ぐ。
少し体が疲れているような気はしたが、それ以外には特に問題がないように感じた。
家に帰ったら、ちょっと寝よう、と心に決める。
それにしても。
振り返る。
さきほどの少女の姿は、もうそこにはなかった。
「なんであの子、あんな赤い服を……」
全身真っ赤な服を着た少女の姿を思い出し、首を傾げた。
「は! まさか、あの子自身が何かの妖怪!? こうしちゃいられないわ! 帰って、調べなきゃ! 赤い服を着た少女の妖怪を!」
急に生き生きと、趣味全開で、精気に満ちた発言をすると、足取り軽く家へと向かった。
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