第17話「武装貨物船競争04:でっどひいと!」

(承前)


 まるはパニックを起こしかけていた。


 突然視界が遮断され、徐々に息も苦しくなってきている。

 音に関しては明瞭ではないものの、振動でかろうじて伝わってくる。

 どうやらまるが入っている人型プローブが動作をロックされているらしい。ヘッドセットは人型プローブにオーバーライドされたままなので、声も出せないし、外からの音声も判断しにくい。幸いにしてまる自身への神経接続も切れているようなので、外界の音などは伝わってくるのだ。だから、警報が鳴っていることと、それがまるの入っている人型プローブの事である、という事は理解できた。


<息がだんだん苦しくなる……多分、気道が閉じているのかな。それより、加藤君はパニック起こしていないかしら>


 船長としての自覚から、自分の身よりも周囲の心配をした。


「船長! 船長!」


 加藤の声が聞こえる。


「なーう」


 とにかく鳴いてみた。


「まる船長の声が――大丈夫ですか、大丈夫なら2回鳴いてください。ノーなら1回」

「なーう。なーう」


 今は彼を安心させることが大事だ。まるはそう判断した。

 ただ、こちらも洒落にはなっていない、たぶんあと数分で窒息してしまう可能性が高い。プローブ内には緊急時を考えて、若干の空洞は用意してあるようだ。恐らく|FERISフェリス用に作られた端末を羽賀氏がハックした時に、万が一を考えて再設計したのだと思う。

 本来プローブ内の空気は、気管のあるべき場所に通してある気道から空気が循環するようになっていて、人体と同じリズムで律動する胸部がポンプの役割を果たしていた。今は胸部のポンプも動いていないし、気道自体も閉じている。

 空洞はあまり大きくなく、猫のまるの酸素消費量でも2分程度ですでに息苦しくなってきている。これはあともって5分程度だろうか。


<さて、こちらの窮状を伝えて何とかしてもらわないとね。あの子にパニックを起こさないように伝える方法はないかしら>


 残念ながら、加藤にはモールスは教えていない。だが、加藤はまるが描いた絵文字にすぐに気が付いたくらいに機転は効く。何かヒントを与えてやれば気づいてくれるとは思う。


<とにかく騒いでみれば、以上がある事には気が付くかな>


 まずは連続で出来るだけ鳴いてみることにした。


「なーなーなーなーなーなーなーなーなー。げほっ」


 酸素の少ない空気に、まるは思わずむせた。


「だ、大丈夫ですか、僕今操縦で手と目が離せません」


 そういって、先程の警報を思い出した。

 「内包する生命体への呼吸経路閉塞中。窒息の危険性あり」

 そうだ、船長の命の危険が。


「船長、息が苦しいんですね?」

<オッケー、伝わった!流石頭の回転の速い子だわ>

「なー、なーう」


 加藤はしばらく考え、計器を操作して表示を確認してから決心した。


「船長、あと4分耐えられますか?」

<何かするつもりね。4分か、ぎりぎりだけどやってみましょう>

「にゃ、にゃ」


 空気を消費しないようにまるは鳴き声を短く変えた。


「横Gがきついので耐えてくださいね」


 加藤は割とえげつない方法を考え出していた。レギュレーションでは40Gの加速が最大である。ただしそれは直進加速についての制限事項。彼は機体を超高速下の運動に合わせてプログラミングしていた。


 ななめを向いて横加速を加えれば、40Gを上回る加速になる。

 加藤はまる仕込みの技で、フォースフィールドのチューブの外郭ギリギリまで近づくと、船体を反時計方向に傾け、逆方向のバーニアと旋回バーニアを吹かして時計回りにらせん状に回転しながら加速した。


「Do a barrel roll!! うらああああああああああああ!」


 案の定、コースの設計が面倒になるため、フォースフィールドギリギリには障害物は殆どない。時折くる障害物は予めプログラミングした自動機体制御がチューブの中央寄りに加速して避ける。亜光速に達しようという超加速時において、人間の反応速度など糞の役にも立たない。だから加藤自身は計器を追って、異常が発生しないように見定めるだけだ。

 自動制御で回避行動する際のGは更にきつい。


「う、ぐぐぐぐぐっ」


 加速とらせん回転による、重力緩衝装置では相殺できない、約4Gもの外向きのコリオリの力が容赦なく襲ってくる。


<どうせ息はろくに出来ないんだけど、これは辛い――意識が飛びそうっ……!>

「に゛ゃ゛っ」


 まるも潰されたヒキガエルの様な声を漏らした。酸素不足でこれは辛い。

 だが、加速は素晴らしく、〈八女やめ白折しらおれ・改〉はみるみる先行する2機の搭載艇をとらえた。2隻は通常のセオリー通りの飛行を行っていたため、40Gの最大加速度すら維持できてはいなかったのだ。

 3分50秒の加速の後、チューブエリアの終点が見えてきた。だが、まるは既に失神状態だった。


「〈コピ・ルアック〉は?!」


 見えた!


「こちら加藤、緊急事態発生。ドックに突入しますので、船速をこちらに合わせてください!」

「こちら〈コピ・ルアック〉の太田。了解した」


 チェックポイントを抜けるが早いか、加藤は加速度を徐々に切り、重力緩衝装置を射出、回収はマーカーを打ち込んで後に任せ、ドックに突入する。太田の絶妙な操船で無事に〈八女やめ白折しらおれ・改〉は受け止められた。


FERISフェリス! 異常事態!」


 加藤が叫ぶ。


『確認しています。既に私が船長のプローブの制御を引き継ぎました』

「ぶはっ!」


 加藤が叫ぶのと、FERISフェリスの応答、引き継がれたプローブが再び正常に動作して蘇生措置を行い、まるが息を吹き返すのは殆ど同時だった。


「げほっ、……あー死ぬかと思った。加藤君有難う。そして区間一位おめでとう」


 加藤はきょとんとしていた。船長を助ける一心で加速していたが、気が付けばぶっちぎりで区間一位を成し遂げていたのだった。


『船長、低酸素状態なので暫くプローブ内にて安静にしてください』

「あーはいはい。太田君、重力緩衝装置の改修と、レースの引き継ぎお願いね」

『わかってます、既に緩衝装置を発見、回収シーケンスです。ちょっとコースから外れますから、一位は手放しそうですが、何とか奪回して見せますよ。お二人ともお疲れ様!』


 レースはまだまだほんの序盤である。


§


 まるのプローブが動作をロックした原因は、突貫で作ったミニミニ版「ふぇりす」の制御プログラムのバグが原因だった。

 徹夜の突貫作業中に仕上げをしたため、渡辺がバグを植えてしまったらしい。渡辺は平身低頭で謝罪してきたが、まるは

 「まあ、ぎりぎりにしか伝えられなくて突貫作業させた私にも責任があるから」

 と、軽く流した。


 そして、今まるはブリッジへ向かう高重力対応の簡易リフトに乗っていた。

 搭載艇から切り離して射出後に、慣性で飛んでいた重力緩衝装置と速度の同期が出来て、回収作業に入ったため、〈コピ・ルアック〉自身の加速はほぼ0になっていたから、その時間を利用して3日目まで登板の無い格納庫と搭載艇の担当者は、すべてブリッジに移動を始めていたのだ。タイムロスにはなるのだが、格納庫の重力制御を考える必要がなくなるので重要だった。


 さて、他の船はというと、重力緩衝装置が取り外しできない搭載艇〈ゼッフィロ〉と、それを格納できるように作られた〈レガツォーナ〉は、その構造のシンプルさが逆に活きて、加速を若干落としただけでドッキングに成功したために順位を大きく伸ばしていた。また、搭載艇の重力制御機構の詳細が不詳だった〈カイザー7〉と、〈ミシシッピ〉も緩衝装置の回収などの手間がないらしく、加速は一時期断続的だったものの、順位はキープしていた。その間、いち早く搭載艇〈種〉の回収を済ませた〈星の糧〉が、この間に一位を取り先行していった。

 結果として順位は

1:〈星の糧〉

2:〈ミシシッピ〉

3:〈レガツォーナ〉

4:〈コピ・ルアック〉

5:〈カイザー7〉

6:〈黒船〉

7:〈ヒンデンブルグ〉

8:〈サルディーニャ〉

 となっていた。まるには〈ミシシッピ〉との共謀が取り沙汰されている〈黒船〉が、思いのほか順位が低いのが引っ掛かった。


<奴ら、何をするつもりなんだろう>


 考えている間に、まるはブリッジに到着した。

 〈コピ・ルアック〉のブリッジは二重構造になっている。

 船長以下上級役職が使う上部構造と、一般要員用の下部構造だ。

 下部構造の右側は巨大な球形スクリーンが有り、ナビゲーションや作戦管理などが行われる。中央は各種オペレーション管制、左側は通信、サイエンスコンソールなどがある。

 現在はブリッジに船内の全機能を集約しているため、左側の予備席に医療コンソール等、他の部署のコントロールが集約されていた。まるたちは一旦一般船員ブロックに到着し、各自の持ち場に着いた。加藤は球体ナビゲーションスクリーン脇の航宙士補席である。まるはそこから圧力で移動するリフトにより、上級船員用ブロックへと抜けた。

 異星人テクノロジーが来るまでは、床に縮退物質のある一般船員ブロックと違い、いわば惑星〈地球〉の衛星〈オリジナルムーン〉の上の様な低重力環境だったため、上級船員は結構難儀をしていた。それが、自在な重力制御ができるテクノロジーのお蔭で、上級船員ブロックも通常の重力感で歩き回ることができるようになっていた。

 まるはやれやれという感じで人型プローブの姿で副長席に着席し、暫くむすっとしていた。


「お帰りなさい。大変だったようですね。……どうしました?」


 ラファエル副長(――というのも変な感じなので、このレース期間中は以後単にラファエルと呼ぶ)は、あまり機嫌のよくない感じのまるに尋ねた。

 まるはちょっと切れかけた感じで答える。


「ねえ、このプローブもう脱いじゃダメかしら。さっきの低酸素の所為か、体中がちょっとむずむずするのよ」


 まるはラファエルに耳打ちした。酸素をたくさん含む血液が勢いよく再循環し始めて、丁度痺れた足が戻る最中の様なかゆみが全身を襲っていたのだ。が、ラファエルは首を横に振ってこたえた。


「申し訳ないですけど、本日のレースが終わるまでは脱げそうにないですね。船内の中継カメラもまわっていますし」

「やれやれ……」


 人型プローブからの感覚の所為で、自分が猫なのか人なのかよく分からなりそうなまるだった。


§


 織田はイライラしながら、中継カメラに映らないトイレの中で〈ミシシッピ〉と連絡を取っていた。


「何をやってるんだね。序盤一番の華々しいステージを珈琲豆なんぞに奪われてしまったじゃないか!」


 デイビッド船長も同じくトイレの中で連絡を返していた。


『それが、レギュレーションの土壇場変更が上手く成果を上げていないようで』

「どういうことだ」

『まるで変更後の内容に合わせてみっちり訓練したような感じになっているのです』


 織田はむっすりとして黙り込んだ。その空気を呼んで、デイビッド船長は慌てて提案した。


『うーまあ、偶然そういうのが得意な選手にあたったのかもしれないですし。それより、〈黒船〉の順位ですが、本日のこれからの貨物船本船による亜光速スイングバイ勝負で挽回させますよ』

「だと良いがな」


 鼻息荒く座りながら、織田は吐き捨てるように言った。

 スイングバイとは公転する天体の重力圏を利用して方向転換し、その際に公転エネルギーから加速を貰うマニューバである。

 本来は重力からエネルギーを得ることによる加速を第一目的としたものだが、亜光速で行う亜光速スイングバイは、殆ど直線軌道しか取れない亜光速航行中の船の起動を調整する上で、重要な操縦技術であった。


「現状本船は6位。さっさと順位を上げてもらわないと、計画に支障がある」

『分かって居ります、〈スライダー〉も準備できております』

「今度は成功するよう祈っている」


 憮然と答えて、織田はそのまま通信を切った。どうにも〈連合通商圏〉の連中は尊大でマイペースでイライラさせられる。今後の商談が有るから奴らと組みはしたが、どうにも肌に合わない。


「会長、本船と〈スライダー〉とを連携した惑星〈ウルカヌス〉へのパワード・スイングバイの修正計算が終わりました」


 副官がスレート端末を持ってやって来た。パワード・スイングバイとは、本来はスイングバイに合わせて加速することで、大きな推力を得る推進法である。だが繰り返して言うが、亜光速で行う場合、速度的な恩恵は殆どない。あくまで軌道を変えるのが目的である。


「わかった。あとここでは船長と呼べ」


 端末を受け取りつつ念を押す。


「失礼しました、船長」


 さて、こちらはこちらで少しでも挽回せねば。


「よし、〈スライダー〉との連携を優先しつつ、出来る限り最適な軌道を探せ」


§


 まるはかなりお尻が痛かった。

 猫はもともと人間のように座るようには出来ていない。

 まる専用船長席はそれを意識して、お尻を付けて背筋を伸ばし、足を前に出す人間の様な座り方以外に猫の通常の座り方、つまり前足を伸ばし、後ろ脚をたたんだ姿勢でも、身体を安定させられるようにできている。

 まるは公務中は起きているか寝ているか分かりにくい「香箱座り」をしない方針ではあるが、人型プローブの中でも、せめて普通の猫座りは出来るようにしてほしいと願った。そうしないと背筋に力が入りっぱなしになって、腰とお尻が痛くなってしまう。


FERISフェリス、聞こえる?』


 まるは人型プローブ内からの直接回線でFERISフェリスに呼びかけた。


『はい船長? 何かご用ですか』


 FERISフェリスがプローブ内の通信回線に返答を寄こした。


『この人型プローブ内で、少し寛いだ格好が出来るようにならないかしら。そろそろお尻が痛いわ』


 まるが云うと、即座に返事が返ってきた。

 まあ、超高速の量子演算回路を持ち、大量の演算素子を船内に張り巡らした有機ジェルパッドに抱え、メイン素子は光回線で出来ている――そんな超コンピュータである。思考速度は人間と比較しようもない。


『わかりました船長、休憩モードを付けましょう。モード中、空間は多少広がるとは言っても狭いので、丸くなって寝るとかはできませんが、伸びをしたり毛繕い位までなら何とか出来ますよ』

『それいいわね、是非やって』

『では今から再プログラミングします。しばしお待ちください』


 ほどなく、まるはプローブ内の空間でちょっと窮屈ながら毛繕いを始めることができた。

 欠点としては、五感中の聴覚、視覚はヘッドセットを通じて見たり、話したりできるが、表情などを変えたり歩き回ったりは出来なくなること。プローブが女性型のために腰が細く、動ける空間が限られているという事。排泄したり食事をしたり、動き回る為には、直接接続モードに戻す必要があるという事。だった。それでも今回の様な緊急事態にもこれが使えると、最悪プローブがロックされる様な事になった場合このモードに移行する様にして置けば、自力での脱出や助けを呼ぶ手助けにはなると思われた。

 何より、不自然な椅子掛けポーズのままで長時間いるよりは全然楽だった。


 人型のプローブに入って人の真似をしていたって、まるは猫なのだから。


「それはよかったですね」


 ラファエル副長は笑いながら答えた。流石に外部の人と話すときは休憩モードには出来ないので、通常モードに戻してから、まるはラファエル副長にこの改造の事を告げた。


「休憩モード中は、ちょっとプローブが下半身デブになるけど、フットレストのある副長席に腰かけている時だったら、見た目は分からないしね」

「無事に乗り切って頂けることを期待しています」

「はいはい。ところで現在の状況は?」


 まるの発言に少し眉をひそめて、ラファエルは耳打ちをした。


「それ、船長から副長への発言ですよね。少しやり方を変えていた方がいいかもしれません」

「了解。じゃあ疑問の報告を投げたら、現状を話すようにして」


 ラファエルは真っ直ぐ正対した後咳払いをして、現状を話し始めた。


「本船は現状4位に甘んじている。なんとか挽回しなければいけない。宜しいかな、マルティナ副長」

「了解しました、ラファエル・船・長」


 ちょっと厭味ったらしい口調になったかなと思ったまるだった。


「次の目標地点は地球型巨大惑星スーパーアース〈ウルカヌス〉。

 1日目のゴールになります。

 現状では〈タロス〉と〈ウルカヌス〉を結ぶ最短コースは〈アステロイド密集帯〉を突っ切る形の航路になりますね。

 迂回路も取ることができますが、かなり大回りによける形になります」


 ラファエルは困った顔をした。本来ならここでまるがサゼスチョンをして、どういう航路を通るか決める形になるところなのだ。


「惑星平面に対して垂直に迂回する航路はどうかね。マルティネス副長」


 ラファエルの問いに、まるは平然と答えた。


「難しいですね。〈アステロイド密集帯〉の広がりは三次元状です。

 惑星平面から垂直に迂回すると、側面を円弧状に迂回するより長距離の迂回が必要になります」

「では提案を聞こうか?」


 といわれて、まるは真顔で返事をした。


「提案も何も、最短時間で行きたいなら、最高速度で直線航路を突っ切るしかないでしょう」


 脇で聞いていた太田航宙士の顔が引きつる。


「太田君、やれるかね?」


 ラファエルは、ごめんよ、という感じの顔で太田を見ながら聞いた。


「やれ、といわれれば何とかします、とは言えますが、リスキーですね」

「無傷で通れる確率は?」

「うーん……80%でしょうか」


 ラファエルはまるのほうを見るが、まるは平然とうなづく。


「よろしい、ではFERISフェリス、航路計算を頼む」

『既に終了しています』

「わかった。では、〈タロス〉のスイングバイを行った後、〈アステロイド密集帯〉を突っ切って直線航路で〈ウルカヌス〉へ向かえ」

「了解! シールド展開して〈アステロイド密集帯〉に向かいます!」


 意を決して太田が応え、〈コピ・ルアック〉は戦闘モードに移行し全体が黒褐色に変わる。そして、〈タロス〉を利用したスイングバイの軌道に向かって進路を取った。

 

§


 先陣を切っている「帝王グソクムシ」こと異星人〈EXTR183〉の〈星の糧〉の中では、少々込み入ったことが起きていた。

 〈EXTR183〉は超重力生命体だが、肉体的限界が高いとはいえ、100Gの加速に耐える個体はほとんど存在しない。だから、新しい大会レギュレーションに対応しようとした場合は、何らかの方法で本船の重力制御を行う必要が有った。

 そして残念なことに、彼ら自身は重力制御技術を持っていなかった。


 だが、交易によって他の種族から得ることは出来ていて、それはブリッジと搭載艇〈種〉に設置されていた。だが、装置の調整が終わっていなかったため、レース当初は100Gのフル加速が出来る状態ではなかった。だが、レース中になんとか調整が終わり、最高速での進行が可能になったために、〈コピ・ルアック〉がもたついている間に、一位を獲得することができたのだった。


 もっとも、そのためには搭載艇との人の行き来は出来なかったため、搭載艇側の人員はそこに足止めとなっていた。筈だった。

 だが、搭載艇〈種〉のコックピットに動く人影はなかった。

 中に居たのは倒れて動かない数体の個体。どうやら失神させられている様子である。そして、一体の個体が、100Gをものともせずに搭載艇から出て、ブリッジに向かって這い進んでいた。


 彼の名前は地球人類には発音不能だったが、〈EXTR183>から地球人類に戯曲を売る際などには、それぞれの登場人物を地球人的な名詞に翻訳していた、其れに準えるなら彼の名前は「思索の杖」だった。

 「思索の杖」は、標準的な個体に比べ、とても頑強で、130Gの環境下で動くことができた。彼は、船の8割を占める体制に対して、この武装貨物船競争という地球人類社会での一大イベントの場を利用して、彼の信じる信念に基づいての宣言を行うために送られた、数人のエージェントのリーダーだった。

 彼の仲間はブリッジクルーにもすでに潜入していて、彼がブリッジに到着次第、船を掌握する予定となっていた。

 〈星の糧〉はパワード・スイングバイに入った。

 さすがに高加速であり、「思索の杖」も必死で耐えるレベルではあった。

 しかし、スイングバイの終わった後、緊張の糸が切れた瞬間が狙い目だったから、今は耐えるしかない。

 ブリッジに潜入していた個体は、地球人命に翻訳するなら「淡色」と呼ばれていた。技術系に長けた個体で、既に作業をしつつシステムをクラックしてほぼ掌握の準備を済ませていた。

 惑星〈タロス〉を離れようという時点から、レースは見えないところで大波乱を迎えようとしていた。


§


「様子がおかしい」


 まるは副長席で、プローブに胡坐をかかせて腕組みをしていた。


「船ちょ、いや、マルティナさん、はしたなすぎ」

「この格好の方が休憩モード中は楽なんだもん、見えて減るもんでもないし」


 何しろ、もともとのまるは素っ裸なので、服を着てるだけでマシに感じていた。


「それはそうと、何がおかしいんですか」


 ラファエルはなるべく見ない様にしつつまるに聞いた。


「〈星の糧〉はパワード・スイングバイの後、一度減速して、それから再加速している。せっかくスイングバイして、微量なりとも減速を避けたのに」

「障害をよける為では?」

「そんな緊急性を要する障害物なんてないわ」

「――ふむ」

「あと、〈ミシシッピ〉がすごく妙な動きをした。格納庫周辺が一度視認できない状態になった。ワープシェルに包まれた「何」かを放出したのかも」

「何か?」

「大きさは視認できなかった瞬間が一瞬だから詳しくは分からない――。だけど、かなりなサイズだから……搭載艇?」

「搭載艇は三日目のレースまでは出番がないから、それを放出しておくというのは戦術としてはアリかもしれないですが――」

「何だかいろいろ噂のある2隻だけに、どうにも引っかかってしまうのよ」

「ふむ。ですが現状、確実に問題のある行動ではない訳ですし、手出しをするわけにも行かないでしょう」

「それが問題だわね――」

「それはそれとして、私もマルティナさんのその姿は業務中としてはいささか思慮に欠けると思います」

「分かったわよ、もう面倒臭い――」

「船長に対してそれはないと思います」

「失礼しました、船・長」


 イライラしているなぁ、と、まるの精神状態を不安に思うラファエルだった。


「現在各船とも光速の10%程度の加速を得ています。先行する船は〈タロス〉から〈アステロイド密集帯〉までは約30分。〈アステロイド密集帯〉を抜けるには減速無しで2時間ほどかかる予定です」


 太田の報告に頷いて指示を出すラファエル。


「よろしい、当船はこれよりパワード・スイングバイで〈タロス〉から加速を得てアステロイド密集体へ向かう。スイングバイの所要時間は突入から離脱までで40秒。かなりな横Gが掛かります」


 話を引き継いでまるが応える。


「全てのGを重力制御装置で無効化するのは難しそうです。全員着席の上、座席に体を固定してください」


 そこに、太田が返答してきた。


「スイングバイ開始まであと10秒です」


 ラファエルとまるは同時に答えた。


「わかった」

<あ、被った>


 ラファエルは咳払いしてつづけた。


「全員耐G姿勢をとれ!」

「5,4,3,2,1突入します!」


 船体に掛かるGが大きくなり、急造の仕組みが大きくきしむ。光速の10%の速度でのパワード・スイングバイはあっという間だが、急旋回となるために掛かるGも半端ではない。

「う、ぐ」

 流石のラファエルもうめき声を上げた。

「これは……なかなか辛いっ」

 そういいつつも、操舵の手を緩めない太田。

「に゛ゃ゛」

 まるの翻訳音声ではなく、実音声がみぞおち辺りから聞こえた。

 たっぷり40秒の阿鼻叫喚であった。


§


 〈コピ・ルアック〉の乗員がグロッキーになっているとき、他船でも悲喜こもごもが展開されていた。

 〈黒船〉は〈スライダー〉をブースターに使ってパワード・スイングバイの準備を始めていた。〈黒船〉の重力制御装置は〈コピ・ルアック〉を超えるGに耐えたが、〈スライダー〉をブースターに使っているところを見られたくはなかったので、タイミングを計るために一度最下位まで順位を落としていた。レギュレーション的には他船との共同は違反ではないものの、〈スライダー〉を発進させた〈ミシシッピ〉側がペナルティに問われる可能性はあるからだ。


 その間に他の船は順位を一つずつ上げて追撃していた。

 先頭を行く〈星の糧〉内ではクーデターにより、船長以下複数人が拘束され、「思索の杖」と「淡色」が潜んでいた仲間と共にシステムを掌握。〈アステロイド密集帯〉への突入のために加速を落とし始めていた。


 〈アステロイド密集帯〉は、「有視界で」アステロイドが密集しているのが見て取れる、いわば土星の輪の恒星版だった。

 そこを突き進むには方法は3つ。

 ・慎重にコースを選定して避けながら飛ぶ。

 ・物ともせずに弾き飛ばしながら突入する。

 ・何らかの方法で破壊して進路を作る。

 このどれかである。

 〈星の糧〉は武装船とは言いつつも、強力な武装は持たないし、戦闘用バリアも持っていなかったため、1番目の慎重策を取っていた。

 2位につけていた〈ミシシッピ〉は〈スライダー〉を回収する必要がある為に順位を落としつつ、やはり慎重策を取っていた。3位の〈レガツォーナ〉は、重力制御を行っていないが為、スイングバイをうまく活用できず、〈コピ・ルアック〉に順位を譲っていた。


 まるたちには絶好のチャンス到来だった。


(続く)

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