第6話「猫なんだから発情期くらいあります!(前編)」

 まるは猫だから、猫のライフサイクルはしっかりある。

 そして、猫には発情期というものがある。


 残念ながら、知性化されてからこっち、普通タダ雄猫ガキにはとっくの昔に興味はない。

 いっそのこと、不妊手術でも受けてしまって、この面倒なサイクルから逃れようかとも考えたが、それをやってしまうと、生物的なバイタリティとか、メンタルまで影響が出てしまうらしいのでやめている。


 まる以外に知性化された猫は少ない。


 まるの事例に興味を持った学者が数匹の猫の知性化に成功したが、対象はことごとくメスだったらしい。知性化されたオスは、なんというか「身体がもたない」らしい。充分に知能が育つ前に、衰弱してしまうのだそうだ。

 そして、雌猫でさえ、どの猫も好き勝手に生きる方を優先して、知性化されていない猫と大差ない存在になって仕舞うらしい。だから、大抵は延命薬物エリクシアの投与をするほどには稀少と見做されず、寿命を迎えて逝ってしまうのだそうだった。

 一方、延命薬物エリクシアによって長寿を得ているまるの余命は、軽く見積もっても800年は優に超えるらしい。その命の長さの差は、心の差よりもまるを孤独にさせるのだった。


「メトセラの不幸。か」


 まるは思わず船長席で口に出してしまった。


「『創世記』5章、ですか」


 横に控えていたラファエル副長は、同情とも微笑みともつかない表情で云った。

 まるは頭を少し垂れて、それからまた真っ直ぐ見据えて、静かに云った。


「人間ってさ」


 そこで一息。ラファエル副長はじっとまるを見ている。


「人間って今の時代、延命してる人は少なからず居るわよね。そうでなくても、伴侶になろうとして、それが延命人だったら、同様に延命薬物エリクシアの投与を受けようとするし」

「まあ、一般人に比べると、延命された人間はそれでも一握りですけどね」

「ましてや、相手が人工的に作られたスーパー天才、とかだったら、引くわよねえ……」

「天才の方も、一般人では相手にしたくないでしょうし」

「そうなんだけど。いや、そうなんだけどさ」

「恋の季節ですか」


 見透かされてた。


「そうね、そうかも。いえ、多分そう」

「難しい問題ですね。まるさんは唯一無二みたいな人、じゃなくて、猫ですから」

<そんなこと分かってるわよ>


 だが、まるは、自分で思っているほどには分かってなかった。


§


 神楽かぐらコーポレーションの社長、神楽かぐら茉莉まりから、特殊な輸送の依頼が来たのはそれから数日後だった。

 まるは発情期をある種の投薬で抑えていた。睡眠も薬で抑えているし、まあ、一つくらい薬が増えても何という事はない。ただ、発情をおさえる薬の様なものは、多用するといけない、ということで数日に一度は薬を休む日が必要なのだが、それが問題だとは思っていなかった。


「でね、まる。積荷の件なんだけど」

「要するに生き物なのね」


 要点を掴めない話ばかりする神楽に、いい加減ちょっとイラついていたまるは、つっけんどんに返した。


「男の……子、なのよね」

「人身売買の片棒はお断り」

「いや、人間じゃなくて」

「何の話よ」

「レッドデータ・アニマルってご存知?」

「絶滅危惧種の事でしょう、それ位当たり前。……って、生体通商条約(ワシントン条約の28世紀、大和通商圏版みたいなもの)を破れって言うの?」

「誰が違法な商売しますか! 合法的な仕事。惑星〈白浜しらはま〉の政府からの依頼なのよ」

<ふうん?>


 惑星〈白浜〉は、惑星地表の6割が亜熱帯気候で、重力は地球の0.99倍。肥沃で温暖な気候と豊富な生物資源に恵まれた、稀少な天然居住可能惑星である。

 ちなみに、〈大和通商圏〉の司法・行政の中心が有るいわば首都星〈星京せいきょう〉と同じ〈らせんの目太陽系〉(近隣にある〈らせん星雲〉に由来して名付けられた)に属する星だ。

 もうひとつ言えば、そこは土岐氏の家のある星で、まるが暫く住んでいた星でもあった。見知らぬ星ではないため、まるは興味をそそられた。


「で、何が男の子なの」

「オセロットって知ってる?」

「いいえ? ゲームか何か?」

「茶化さないでよ。昔から絶滅危惧種だったヤマネコの一種。人工環境での繁殖が功を奏して、地球から、肥沃な惑星に繁殖用に輸出されているの。その中の一頭を〈白浜〉が買い付けたのよ」

<ヤマネコ……か。人間の感覚で云えば、原始人が乗ってくるようなものだわ。発情中でも、そんなの相手にしようとも思わないでしょうし>

「別に、原始猫げんしじんの一匹や二匹。輸送くらい引き受けるわよ。この巨大船にチマチマした輸送を頼んでくるのは、あなたのところの十八番だし」

「ここからが大事な話なのよ」

「勿体ぶるじゃないの」

「いい? その子はオセロットのオスで、しかも、貴女と同じく、高度に知性化された個体なの」

「――知性……化?」

 まるの顎が外れそうになった。


§


 イエネコは、遺伝的にはヤマネコの亜種である。

 その実態は改良されたリビアヤマネコであるとされ、他の多くのヤマネコ種との混血も可能だ。対するオセロットはヤマネコの中でも人懐こく、大人しい種であり、また、非常に綺麗な種だ。


 〈コピ・ルアック〉にやってくるのは「ピンイン(神楽の話ではshengrenと書くらしい)」という名前の12歳のオスだそうだ。

 意味は「聖人・賢者・封建時代の君主の尊称」。

 知性化された後に改名されたのか、元からそういう名前なのかは分からないが、非常に賢い。という事らしい。


<だけど、発情したらオスは大抵、下衆ゲスよね>


 まるは、ピンインを預かる期間に薬を休む日が重なっているのがちょっと心配だった。ネコ科のオスは発情したメスの臭いで発情したりする。どれだけ知性化されていても、それは変わらないと思うし。


<結局引き受けちゃったしなぁ>


 正直、まるはイエネコではないにしても、ネコ科の知性化されたおとこに会うのは初めてで、それにはすごく興味が有った。でも同時に、これは貞操の危機なのかもしれない、という危惧もあった。


<いやいや。客人に手を出す。いや、出されるなんてことは。船長として。そうよ。無いわね。うん、無いわ>


 自問自答していると、表情筋の少ない猫の顔も、微妙に百面相になるらしい。


「船長、なに面白い顔してるんですか?」


 朝食会議中に、ドーラ・ボーテが突っ込んできた。まるはびくっと立ち上がって、口を半開きにしたまま顔の右に前足をそろえて固まった。

 本日のまる朝食は白身魚のソテーにワイルドライスのスープ煮が添えられていた。まるは慌てて咀嚼そしゃくする。


<し、心臓が口から飛び出すかと思った>

「ちょ、ちょっと考え事をしていたのよ? 何か変だったかしら?」


 まる自身を含め、会議の参加者全員が「挙動不審だったよなぁ」と考えたが、敢えて口には出さなかった。何しろ、まるはここ数日ずっとこの調子だったし、理由もバレバレだったからである。

 営業部の新穂が話を引き継いだ。


「先日の〈エンタープライズ〉〈大自在天マヘーシュヴァラ〉両艦の事後処理の件です。巨大すぎて曳航撤去も出来ず、結局は〈雪花〉の軌道上に放置状態だったわけですが」

「あ、ああ、そうね。当船に『銀河第三渦状腕調停組織』から、2隻の移動用の、〈ワープエンジン・コア〉の輸送依頼が来ていたんでしたっけ」

「承認されますよね、依頼相手は異星人で、稀少なオーバーテクノロジー物資を大量に報酬で頂けるそうですし」

「ええ。でも彼らのテクノロジーだったら、パパパッと二隻を修理するなり、どこかに転送するなりなんてことも出来そうな気がするのだけど」

「紛争の種に対する介入以外は基本的に介入しない組織だそうですよ」

「何だか面倒くさいのね」


 まるの脳裏には、済まなそうに笑う羽賀参事官の顔が目に浮かんだ。


「〈雪花〉で〈ワープエンジン・コア〉を受け渡して、〈星京〉に超空間ゲートで行って、報酬受け取り。か。〈星京〉から、神楽女史の待っている〈白浜〉まではワープで数分ですし、彼女の依頼はその後でOKよね。承認するわ、処理をお願い」

「了解しました」


 何とかテキパキと仕事をこなしているつもりのまるだったが、実際はちょっと調子っぱずれなままだった。そして、彼女自身がどうにもうまく仕事をできていないのに気が付くのには、さして時間はかからなかった。


<あー、今朝はこれ以上は難しいわね>


 と、結局は食事を半分ほど残して、そそくさと朝食会議を切り上げ、船長室に戻って行くことにした。


 彼女が去った後、ネコスキー薫子とネコマスタードーラがささっと席を近づけて話し始めた。


「ねえ、ドーラ。船長のあれ、やっぱり」

「そうね、薫子。次の積荷。というか乗客の彼の事を考えてるんじゃないかと」

「船長っていくつだっけ」

「100歳は越えてる……って話だけど」

延命薬物エリクシアの投与を受けてたら、人も猫も永遠の若者よねえ」

「よね」


 ラファエル副長はネコスキーなふたりの会話を目を細めて聞きつつ、朝食のスパニッシュオムレツ(もどき)をつついていたが、誰に話すともなく独り言をいうように喋り出した。


「無垢な乙女の心はガラス細工。されど、ひとたび恋に落ちれば、彼女は奴隷になる。という感じかね」


 ラファエル副長の意味深な言葉に、二人は興味をそそられた。


「副長、船長って過去にそういう……色恋沙汰の話とかあったんですか? 相手はちょっと想像つかないですけど」


 彼は、んー。と云いつつ難しい顔をしながら答えた。


「そうだね……船長にはそもそも釣り合う相手が居なかったし、まだ本当に若かった知性化前の事は、彼女自身が黒歴史として語りたがらないしね」


 土岐氏から聞いた話は無くはなかったが、そこはプライバシーだし、知性化前のまる自身がどの程度覚えているかもわからない話だったので、敢えて誤魔化して話すラファエルだった。


「そうかー、やっぱり船長うぶなのかなぁ」


 女子2人はいろいろと憶測を繰り広げ、きゃっきゃと盛り上がっていった。


§


 はっきり言ってしまえば、まるは昔の逢瀬おうせを覚えていた。


 最初は、まるが航宙船での旅に慣れてきたころだった。

 今思えば、あれは繁殖用のペアリングの旅行だったのだと思う。

 雄猫かれの飼い主は上品で落ち着いた女性だった。

 そして雄猫かれは……全身がビロードの様に真っ黒で、空のような青い目を持ち、精悍な体つきの若い雄猫おとこだった。名前は……他の猫の名前まで覚えるほど、彼女の脳は活性化していなかったから、はっきりとは覚えていなかった。ただ、和風な名前だったと思う。思えば、たぶん彼も血統書の付いた日本猫の末裔だったのだろうか。


 猫用に特別にしつらえた部屋で、二匹は出会った。だが、ロマンスはすぐには始まらず、まるは全身の毛を逆立て、その黒猫を爪を出して威嚇した。


「しゃーーーっ!」

<何なの貴方は?!>


 売り言葉に買い言葉の様に、黒猫も唸って答えた。


「ううううう~~~」

<知らないよ、僕はご主人と旅に来てるだけだ>


 猫のカップルのイニシアチブはメスが持つ。彼女が拒否したらそれで終わりだ。黒猫はそそくさと飼い主が連れ去り、それで終わるかに見えた。だが、すぐに再戦が訪れた。それは、まるの発情の兆候に合わせてしつらえられたのだと思う。たっぷりご飯を与えられ、まるは眠くなっていた。まどろみそうになっているところに、再び彼が連れてこられた。


「ふぁっ!ふぁっ!」


 相変わらずまるは威嚇していたが、距離はじりじりと近づいていた。二匹は緊張を高めつつ近づいて、猫パンチの寸前の状態に、全身の筋肉を張りつめさせたが…。お互いの体から薫る、異性の香りに、警戒度がぐんと下がった。

 じわじわと近づき、お互いの鼻を嗅ぐ。そしてぐるりとお互いを一回りして、尻尾を絡めた。


「お、いい感じかな?」


 脇でこっそり見ていた土岐氏が思わず声を漏らした。


 猫たちは一瞬警戒したものの、飼い主の姿を見て和らぎ、挨拶の儀式を再開した。

 まるはこの時、結局カップルにはならなかった。最大の原因は土岐氏の時間的手配の悪さだったのだが、なんというか、たとえ一期一会でも、今はかかわりを持たない方がいい。という漠然とした思いが有ったから、というのが二番目の理由だった。

 彼が悪かったわけではない。彼は一度好意の目で見るようになったら、魅力的な雄猫だった。ただ、猫の勘がそれを許さなかった。彼とは数日を過ごしたし、その最中、彼からの恋愛的アプローチが無かったとは言わないが、まるが一線を引き、仲の良い友達以上の関係を築こうとはしなかったのだ。

 その時はそれで終わりだった。


 二度目は一年後。だが残念なことに、ペアリングの挨拶をした翌日に、まるはあの遭難を経験し、長い月日を経ての生還となった。雄猫は延命薬物エリクシアの投与は受けていなかったから、まるが帰ってきた後には既にこの世の猫ではなかった。思えば、彼女を押しとどめた勘は、遭難から続く一連の事態に、子孫を残す事に対する危惧が、どこからか働いたのかも知れなかった。

 それからあとでは、知性化してしまい、長寿を手に入れてしまったまるから見た猫は、自分とは異質な存在でしかなかった。では、と、ネコ科のいろいろな動物に会っては見たものの、どうにも原始人を目の前にしている異質感しかなかったから、恋愛などには程遠かった。

 それでは、と、人間に恋愛感情を持てるのかとも考えた。確かに魅力的な男性は少なからず居た。でも、結局そういう、いわば変態行為は、まるの望むところではなかったから、今一歩を踏み出すことはなかった。ちなみに、前回の事件で手に入れた、FERISフェリス謹製の人型プローブは、人間の男性の受けはすこぶるよかったが、それで男性に媚びを売ることさえも、猫のまるにとってみれば、強烈に背徳的な変態としか思えなかった。まあ、人をからかって楽しむのは面白かったけど。


 そんなこんなで、全く色恋の経験が無い、とは言わないものの、本気の色恋沙汰には、まるは案外免疫は無かった。そこに来て、知性化された雄猫の賓客の話なわけである。しかも、薬で抑えているとはいえ発情期の最中。心を乱すなという方が無理からぬことではないだろうか?


§


 〈コピ・ルアック〉は、惑星〈雪花〉軌道上で、二隻の巨大艦の前で作業する工作船〈あかし〉に接舷し、無事〈ワープエンジン・コア〉の受け渡しを済ませた。

 前回の事件で2度起きた重力震は、〈雪花〉の地表にも被害をもたらしていたが、「重要な星間会議がある」との通達を〈大和通商圏〉本部から事前に出して、一般人の人払いを行っており、厳しい環境に耐えうる政府・軍のシェルターのみに人員が居たため、人的被害は出ていなかった。

 つまりは最初からそこまで読んでの作戦だったわけで、羽賀参事官の用意周到さにはつくづくあきれ返るばかりだった。二隻の巨大艦も、お互いの砲撃時に重軽症者こそ出たものの、結果として死者はいなかった。もしそれさえも計算の上だとしたら、天晴なものだ。


 〈コピ・ルアック〉は納品書を受け取ったあと、外惑星系にある超空間ゲートへ向かった。

 超空間ゲートとは、木星ほどの質量の物体を文字通り「潰して」作られた、回転する円環状の特異点による巨大な装置だ。この「装置」を強く帯電させることにより空間を押し広げて「通路」を開くことで、ゼロ時間で目的地へと到達できるのだった。


 だが、超空間ゲートの運用には少々面倒なルールが有った。まず、建造に莫大な質量を必要とするため、一つの星系に多くは設置できないこと。

 そして、建造時に定めたゲートの出口は、簡単には変更できないこと。

 このため、短距離の移動には使えないし、また、ほぼ固定の航路しか作れないため、任意の星系に到達するためには、乗継を使った航路が必要となっていた。そして、超空間に実際の通路を開く程ゲートを帯電させるには、莫大なエネルギーが掛かり、そのリチャージには100分の時間が必要であった。そこで調整時間を含めて2時間毎に10分だけ、超空間ゲートは稼働するようになっていた。ゲートは巨大なため、一度に数千の船が移動可能だから、混雑していてゲートの開閉に間に合わない、というのは杞憂であるが、どこに行くにしても、この「2時間」が律速となってしまうのだった。まるで田舎の乗り合いバスだ。それでも、ワープエンジンだと数年かかってしまう距離を、2時間~数日で繋いでしまうこのゲートの恩恵は計り知れない物だった。


 そういうわけで、惑星〈雪花〉のある〈子ぎつねの手太陽系〉(子ぎつね座に由来)から、惑星〈星京〉と惑星〈白浜〉がある〈らせんの目太陽系〉に行くためには、2か所の超空間ゲートを経由する必要があった。ゲート出口からゲートまでの亜光速航行やワープ航行での移動も含めると、10時間の旅程となる。ちょっとした大昔の船旅のような時間である。それは、何か考え事をするには十分すぎる時間ではあった。

 いよいよ、雄猫ピンインの所に向かうわけだが、まるの心中は、冷静な知性部分と、薬でも抑えきれない情動の部分が複雑なせめぎ合いを続けていた。


<ただの乗客よ。そう、乗客。私は船長。それだけ。……でも、ひょっとしたら初めて同じ思いを分かち合える「仲間」なのかもしれないし。でも、それは職権を超えているのじゃないかしら。ああああああもう。私は何を考えてるのよ>


 まる、割と面倒くさい猫だった。


 超空間ゲートは、入る時はちょっとしたスペクタクルである。

 視野に巨大に広がる、円環状の赤黒く赤方偏移光を放つ事象の地平線イベント・ホライズンが、帯電して青く光り出す(実際は全ての光は、その周辺に膠着している物質が光ってるわけですが)と、囲まれた円盤状の部分が盛大に歪み、行き先の空間に繋がる。そこに、何千という大小の航宙船が亜光速エンジンを一斉に噴射しながらなだれ込んでいくのだ。

 修学旅行などで遠距離に行く生徒や、初めて遠距離の旅に出る者は、恒星間旅行の証として、この光景を自慢の種にするらしい。


「船長、〈らせんの目〉への超空間ゲート開きます」

「よし。亜光速エンジン全開、周囲の宇宙船と歩調を合わせてゲート進入」

「ゲート進入!」


 このやり取りが馬鹿馬鹿しくなるくらいあっという間に、〈コピ・ルアック〉は〈らせんの目太陽系〉に到達していた。


 ゲートはだいたい、外惑星系付近の空間に接続している。実際は太陽系自体が刻一刻と移動するものだから、超空間ゲートもそれに追随する形で一定期間ごとに微調整はされているが、惑星の運行まで考慮しての位置調整はされていない。だから、時期によって、何もない空間に接続していたり、比較的惑星に近い空間に接続していたりする時がある。

 今の時期は丁度、巨大ガス惑星「大太郎坊だいだらぼっち」がビー玉程度の大きさに見える。

 大抵の航宙船はゲートで到着直後にワープに入るため、ワープシェル展開の重力震を避けるために、ゲートはあまり惑星に近い場所に開くことはないから、ほとんど最接近に近い位置だといえる。

 ここから惑星〈星京〉までは100au程だった。

 auは天文単位。1au≒地球と太陽の距離≒およそ499光秒、つまり100auは49900光秒≒831光分で、現状のワープの最大速度は光速のおよそ1000倍なので1分弱、標準亜光速は光速の80%なので、およそ17時間の距離である。

 内惑星空間をワープで突っ切るのは、他のワープを行う船がワープシェルを展開する邪魔をしてしまう可能性があるし、すべての旅程を亜光速エンジンだけで行うのも非現実的な為、論外なので、惑星平面から離れる方向にいったんワープで近づいて、後は亜光速で接近することになり、およそ1時間の旅程となる。これが実際の旅程の時間であった。


 やがて〈コピ・ルアック〉は惑星〈星京〉に近づいてきた。

 惑星〈星京〉は多層のむき出しになった地殻を持ち、その各層の間に広い空間が有り、地殻と地殻を結ぶ巨大構造物があちこちに建造された、ダイナミックな地形の星だ。

 まる、ラファエル、営業部の新穂の3人は、降下艇でその多層地殻の上層部にある空中都市の中枢、〈大和通商圏〉本部に向かった。降下艇は〈八女やめ白折しらおれ〉を失ったため、二番艇の〈川根かわねほうじ〉という船だったが、実はこの降下艇、まるが以前の船で使っていた降下艇で、古い船であり、実用上問題はないものの、少し年季が入った、というか、ぶっちゃけるとガタの来た船であった。


「せせせせせせ船ちょちょ長、ここここの揺れれれれはなななんとかなららららないんですかかか」


 新穂が揺れる中ビブラートを効かせて話しかけてくる。


「先日の定期点検では安全基準クリアしてたから、事故ったりはしないと思うよ」


 合成音声のまるは振動では噛まない。


「にににに新ぼぼぼ穂くくく君、あんまりりりりしゃしゃしゃしゃ喋るととととしししし舌をかかかか噛むよ」


 ラファエル副長も振動で何を言っているのかよく分からない。


「成層圏抜けたら振動は止まるから。暫く黙ってね」


 ようやく成層圏の雲を抜けて現れたのは、高さ数十キロの末広がりの樹木のような、目を疑うような構造物だった。〈大和通商圏〉本部である。

 ガタピシと今一調子の悪い〈川根かわねほうじ〉を、ポート進入許可を貰って降下・着陸させた一行は、何だか未だに揺れているような体のまま、通商圏の本部の中に入っていった。

 荘厳な会議室で待っていると、相も変わらずでにこやかな羽賀参事官が現れた。納品書を受け渡すと、手を空中で振ると、大時代的なゼスチャーコンソールを出現させて操作して、目録を空中に表示させた。


「お疲れ様でした。報酬ですが、金額はこれだけで宜しいですかね」


 提示された金額は、契約時の金額の10倍だった。


「宜しくありません。契約時の額よりはるかに多いのですけど」


 まるはちょっと憤慨した。


<異星の超生命体とやらは、ちゃんとした商売する気が無いの?>


 まるの憮然とした顔を見て、羽賀参事官は笑い出した。


「いや、あっはっはっはっは。これは失礼しました。この額には、『銀河第三渦状腕調停組織』からの、前回ご迷惑をおかけした件についての、正式な謝罪の慰謝料が含まれております。後日改めてこちらの納品目録と一緒にお届けいたします。それはそれとして――」


 空中の目録が3Dディスプレイになり、いくつかの物体が表示された。


「〈ワープエンジン・コア〉輸送の報酬としては、金銭以外に人類社会ではまだ実験段階であるいくつかのオーバーテクノロジー品を贈呈いたします」

「領収いたします。技術的な説明などは?」

「軌道上の〈コピ・ルアック〉に、現物と一緒にマニュアルも納品させておきます。現在搬入用の船が向かっていますので、確認してください」


 ラファエルはインカムを取り出して、船内と連絡を取った。


「確認しました、現在搬入中。目録に無い品物もあるようですが――」

「おっと、抜けていましたね。前回の事件で破損させてしまった小型降下艇、あれの代替品も用意いたしました」

「〈八女やめ白折しらおれ〉ですね」

「そうです。お茶の名前と種類、という名前だったようですので、勝手とは思いましたが同じ規則で船籍登録させて頂いております。〈度会わたらい雁金かりがね〉です」

「確認しましたが、外見は同型艇ですが、内容は……未知のものだという連絡が」

「今回の件の、ほんのボーナスですよ。我々のほんのちょっとのテクノロジーを使わせて頂いてます。様々な機能については、FERISフェリスにマニュアルを転送しておきますね」

<ふう……多分ここまで含めて、全部予定通りなんだろうなぁ>

「ただ今回、ちょっと計算違いが有りまして」

「はい?」


 考えていることを見透かされたような気がして、まるはギクッとした。


「前回の件で、降下艇を一隻、放棄することになるだろうとは思っていたのですけど。性能の良い方を壊してしまいましたね。申し訳ない」

「ああ、ええ、まあ。あの老いぼれ船も、それなりに味が有りますので」

<確かに、あれを交換してもらえてたら嬉しかったのよね>


 異星人の計画がちょっと狂った、というお話は、まるが抱いている宇宙人への不信感を、ほんのちょっと崩してくれたのだった。


§


 ガタピシいう老朽降下艇に鞭打って、3人は〈コピ・ルアック〉に帰投した。


「まる船長より秋風君へ、もうやっているかも知れないけど、異星人から頂いた物品の調査解析をお願いするわね」

『こちら技術部秋風。既に手を付けています、これは数日は眠れそうにないですね』

「壊さないででね♪」


 などと会話してブリッジに戻ると、ちょうど神楽女史からの連絡が入ってきているところだった。


「あ、船長が帰投しました。まる船長、神楽さまから連絡が入ってます」

「遅れてごめんなさい。すでに受け入れ準備は完了しているわ」


 通信の画面の神楽は、少し困ったような笑みを浮かべている。


『お疲れ様。いろいろ大変な時にごめんなさいね』

「ああ、気にしないで。残務処理みたいな仕事だから。それより、例の『お客様』はいつこちらに連れて来るの?」

『もう惑星〈星京〉の軌道に近づいているわ。其方の準備が出来たら、これから送る指定座標付近でランデブーしましょう』

「了解。積荷の検査が終わり次第向かうわ」

『じゃあ、後でね。航宙船〈桜扇子さくらせんす〉の神楽より以上』


 神楽からの連絡が切れた。

 まるは、船内に連絡を発した。


「こちら船長。頂いた積荷のチェックが終わり次第出発します。太田君、受信した座標にコースを設定して」

「既にコース設定済です」

『こちら五条、積荷のチェック終了しました』

「じゃあ、発進しましょうか」


 〈コピ・ルアック〉は方向を転換して、通常航行で静かに軌道を離れた。


§


 神楽の航宙船〈桜扇子さくらせんす〉が静かにドッキングし、エアロックが解放されると、件のピンインは、神楽の後に続くように、自分で歩いて乗船してきた。

 元々のオセロットが美しい猫ではあるのだが、彼自身は更に独特な、エキゾチックな雰囲気を振りまいていた。


<わー、綺麗な男の子ねぇ>

「茉莉、お久しぶり」


 ちょっと気合いを入れて後ろ足で立ち、神楽に右前足を伸ばす。


「まるーっ。こういうキュートな真似も出来るのね」


 神楽はまるの手を取り、頭を撫でた。


<愛玩動物じゃないんだけどなぁ>

「ありがとう。そして、そちらの殿方は初めまして」


 まるがちらりとピンインを見ると、彼は何となくねた感じで一瞬目をそらしたが、ついっ、ッと顔を上げると、真っ直ぐまるの顔を見て、それから一礼した。


「あぉう、ぐるるるる」

<初めまして、レディ>


 そして彼は、言葉にならない、そのままの猫の声を出した。


「あ、まるごめんなさい。ピンインは人間の言葉を話す手段を持っていないわ」


 それは当然と云えば当然だった。まるの場合でさえ、彼女が自力で喋ったり、機械を操作する必要が有ったからヘッドセットを開発したのだから、必要性や時間が無い物には、真似は出来ないだろう。

 ただし、こういう可能性も考慮して、まるは先手を打っておいた。


FERISフェリス、聞こえてる?彼に例の装置を装着してあげて」

『了解しました』


 まるが話し終わるや否や、彼の周辺を光が覆うと、しばらくして消えた。見たところ、何か変わったようには見えない。


「さあ、これでどうでしょうか、王子様」


 まるはちょっと悪戯っぽい声で尋ねた。


「どうでしょうかって……あれ?!」

「当船のコンピュータ『FERISフェリス』謹製のナノマシン音声インターフェイスです。喋れるだけではなくて、人間の音声もより明確に聞き取れるはず」

「――これは、なんというか、参りました」

「気に入って頂けました?」


 まるはにこやかに笑う代わりに、尻尾をSの字にして先をくるくると動かした。


(続く)

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