第5話「猫アレルギーなんて大っ嫌いです!(後編)」

(承前)


 惑星程度の大きな天体などの近傍でワープシェルを展開する。つまり惑星の傍までワープして来て、そこでワープアウトすると、天体の重力によって歪曲した空間にワープシェルを「ねじ込んで」「押し分ける」ことになり、その反動が強い空間の波動として伝播する現象が起きてしまう。

 これを「重力震」という。

 この力は重力源に対する距離の2乗に反比例し、尚且つワープシェルの大きさの3乗に比例するため、ワープシェルの大きさが充分に大きく、重力源に近いと、大規模な災害を引き起こす強力な波動を発生してしまう。


 〈コピ・ルアック〉の近傍にワープアウトしてきた巨大な物体は、長さ50km、幅5kmという、〈コピ・ルアック〉が文字通り豆粒に見えるほどの大きさで、細長い三角錐くさびがたの太い部分に、3方に突き出すようにクラインの壺がくっついている、という形をしていた。


 〈連合通商圏〉のケニー参事官は、乗ってきた連絡船は既に去っていた後だったため、降下用小型宇宙艇の一つ〈八女やめ白折しらおれ〉を強制接収して〈コピ・ルアック〉を後にしていた。だが、その直後に、惑星近隣に大質量の物体がワープアウトし、小型艇内の彼はパニックを起こしていた。


「馬鹿な、タイミングが早すぎる!」


 彼は脱出前に〈連合通商圏〉の軍部と暗号連絡を取り、小型降下艇ドロップシップが惑星に余裕を持って降下できる1時間の猶予をもって〈コピ・ルアック〉から離脱したはずだった。だが、連絡を受けた軍部は他の勢力の動きをけん制する方を重要と考え、彼の離脱の時間的猶予をより重要とは認めず、即時の行動を決めてしまった。そして、連合が〈欧蘭通商圏〉と一時的な協定の結果開発した超弩級航宙要塞艦〈UTSF(United Trade block Space Force:〈連合通商圏〉宇宙軍)エンタープライズ〉を、潜んでいた巨大ガス惑星の陰からワープさせたのだった。

 ケニー参事官の乗った小型艇〈八女やめ白折しらおれ〉は、重力震によって木の葉のように激しく振り回され、制御を失ってしまった。


 〈連合通商圏〉軍部がここに来て、慌てて対応したのには訳が有った。連合・欧蘭が警戒していたのは今回の会議への招致に応じなかった〈地球通商圏〉の動向だった。その懸念が当たったのだ。


 〈地球通商圏〉。そこは、地球人発祥の星、惑星〈地球〉を擁する人類社会であり、古くからの関係で、異星人からの技術供与も多く享受していた。400年昔の地球人圏全体を巻き込む大戦争〈全圏大戦〉が無ければ、今なおそこが地球人の世界の中心だったかもしれない……。


 だが、かつて先進国と呼ばれた国々は、大戦後に介入した異星人たちによって為された〈地球人圏分割〉の際に地球と袂を分かち、分割配分された領土への移住を選択した結果、効率的な社会機構を獲得し、急速な発展を勝ち取った。

 それが〈大和〉〈欧蘭〉〈連合〉の3通商圏だ。

 一方、〈地球通商圏〉に残ったのは中国、インド、中東、南アメリカとアフリカの一部、などなどの混成国家であり、元々それぞれの国が古く、異なるな文化背景を持つ国々だったため、ぶつかり合いが絶えず、ぐずぐずと内乱を燻らせ続けていた。このため、〈地球通商圏〉の発展は遅れているという見方が大勢であった。

 だがそれは、今回の会議のほんの数か月前に変わった。

 それは、他の通商圏が観測をおろそかにしている隙に〈地球通商圏〉では、仏教を中心とした特異な文化を発展させ、ひとつの国家に変貌し、再び人類世界の覇権を模索し始めていた。という情報が複数の信頼すべき情報筋からもたらされたためであった。


 当然ながら、他の通商圏は警戒を強めた。特に、武力による対抗を目指したのが〈連合通商圏〉であり、その技術的・物質的援助に動いたのが〈欧蘭通商圏〉であった。〈連合通商圏〉は、〈地球通商圏〉が宇宙船力の強化と侵略を模索していると考え、自らも強力な宇宙の戦力の開発を進めたのだった。結果〈UTSFエンタープライズ〉を筆頭とする大艦主砲主義的な3隻の巨大戦艦を中心とした〈宇宙連合艦隊〉の樹立だった。〈欧蘭通商圏〉は技術供与と共に、そのバックアップに立ち、中規模艦艇や補給インフラなどの開発をメインとして進めていた。


 〈大和通商圏〉はそんな最中、表立っては防衛を若干強化したり、〈欧蘭通商圏〉と独自に技術の相互供与協定を作るなどの消極策を取っているように見受けられていた。実際のところは、〈コピ・ルアック〉に見られるような戦艦(もっとも、まるが接収して民間船になった訳だが)の建造を行ったりもしていたが、突然そういった艦の配備計画を破棄したりなど、大和社会の軍事に近い人間にすら良く分からない動きを続けていた。一説では、武力に寄らない対抗策を張り巡らしている、等の話もあったが、真偽は定かではなかった。だが、奸智奸計かんちかんけいに長けた日本人の歴史を源流に持つ〈大和通商圏〉だから、何らかの動きはしているもの。とは見られていて、此方こちらも〈連合〉・〈欧蘭〉の神経をとがらせる原因となっていたのだった。


 もっとも、一般市民には地球人圏全体に起きている不穏なきな臭い動きは「噂」程度であった。もし、21世紀初頭のインターネットの様な、瞬時に全世界で情報が共有されるネットワーク社会が28世紀にあったなら、違う動きが出来ていたかもしれない。だが、光年の距離を超える「即時」通信は、この時代ですら実験段階であり、もっとも高速な一般通信は、設置されている「超空間ゲート」を利用した情報交易であった。

 超空間ゲートは大量の航宙船が行きかうノイズのために、ゲートを直接経由しての通信は出来ないので、直接メディアに記録した航宙船が行きかう事によって、定期的にニュースや掲示板などの共有が行われているのだったが、遠距離の場合は数日のタイムラグが発生してしまうし、回路的なリンクを確保するなどという事も出来ない。いわば21世紀でいう離島の新聞みたいなものだ。

 対して、主に使われるのは、要所要所の空間に敷設されたノードを中継して行われる「亜空間通信」だった。亜空間通信は通常私たちが認識している3次元空間ではなく、より高次の11次元の時空構造に直線を引いて、そこに通信波を乗せる、という考え方で、通信を高速化する手法だ。

 その仕組みは、通常の時空では折りたたまれて居て認識されていない軸の、11次元上での長さは、認識できる3次元の軸の2万分の一であるため、通信速度としては光速のおおよそ2万倍の速度が出せるようになっている、という事に基いていた。

 (余談:超弦理論上での認識できる4軸と残りの軸の対尺はプランク長≒1.616 199×10-35m程度、だと推定されるが、ここでいう2万倍は、情報伝達時に量子レベルの微細空間上で表面化する、ハイゼルベルグの不確定性を考慮したうえでの技術的限界長という意味合いがある。詳しくは22世紀後半に編纂された技術情報に記載)


 そういう超高速な通信ではあるものの、居住可能惑星同士が遠く離れているため、6000光年に広がる人類圏だと、片道109.5日掛かってしまう。情報量は限られるが更に高速な、物理パケットを使う超空間ゲートによる配送でも、物理層が邪魔をして、一週間ほどかかってしまうため、ひとつの通商圏すら満足に網羅できない。

 このために、超広域ネットワークは発達せず、ネット社会は各星々に点在する比較的ローカルなものになってしまっていた。そのおかげか、様々な憶測が飛び交い、荒唐無稽な情報に真実は埋もれ、都市伝説として扱われてしまっていた。


 まる自身も、軍事の動くところには商売のタネあり。という事で、情報を集めはしていたものの、結局は伝聞を頼るしかなく、真実は漠としてつかめなかった。だいたい、軍内部の情報や、他の通商圏の高度に政治的な情報はなかなか手に入らなかったから、都市伝説に振り回されるのはまっぴらだった。それで結局はこの件に関しては放置してしまっていた。だから、突然現れた巨大戦艦と、それが引き起こした重力震には度肝を抜かれた。


「な……なにこれ。……船内の被害状況を報告して!」


 大揺れに揺れる船体だったが、流石はもともとは戦艦として設計された〈コピ・ルアック〉。緩衝機構も良く働いていて、船内被害は大したことはなかった。今回の寄港が会議目的だったこともあり、預かり物の積荷も無かったことが幸いもした。それでも、いくつか痛い報告は飛んできた。アレクシア料理長の泣きそうな報告が一番悲惨だった。


『食材倉庫の中が壊滅です! あと、賓客用の食器とかも半壊……千年物の江戸時代の器とかもあったのですけど』

「人的被害が無いなら今は諦めましょう、どこの阿呆か知らないけど、賠償が高くつくことを思い知らせてやらないとね」

『こちら技術部! 秋風部長が衝撃吸収体緩衝ボールの中です!』

『医療部です。大量の擦過傷かすりきずや打ち身の患者が来ていますが、今のところ重傷・致命傷の人は居ません』

『資材部です。五条部長が押しつぶされましたが、衝撃吸収体緩衝ボールで難を逃れました』

 e.t.c……


 どうやら、船内いたるところで衝撃吸収体緩衝ボールが働いているらしい。

 まるも最初に遭難した時に命を救われた。お馴染みの技術ではある。


<この技術を考えた人に報奨金を出してやりたいわ>


 なんにせよ、〈コピ・ルアック〉の船内は対応に追われ、騒然としてしまった。


§


 ケニー参事官も、例にもれず衝撃吸収体緩衝ボールのお世話になっているところだった。

 だが、問題は、彼が大気圏降下中の降下用小型艇ドロップシップにいたという事だ。制御を失った小型艇は予定軌道を外れ、大気圏への進入角が1度程もずれてしまった上に、それを修正する手段も失っていた。28世紀の堅牢な降下用小型艇でも、それ自体の制御が失われた状態では、大気圏の摩擦に対して乗員を守るのは難しい。大気圏自体への突入にはまだ10分ほどの余裕はあったため、ケニー参事官を覆っていた衝撃吸収体は間もなく自壊し、参事官は外に出ることができた。


「げ、現状は?!」


 危険を知らせるアラームの鳴り続ける船内で、ケニー参事官はコンソールに飛びつき、船の制御が失われたこと、生命維持が危機的状況であること、そして小型艇が地獄への転落コースまっしぐらであること――を目の当たりにした。彼はワープアウトした〈UTSFエンタープライズ〉に通信を試みた。


「〈UTSFエンタープライズ〉。こちら〈連合通商圏〉参事官のケニー・ウィルソン。応答されたし。当船は貴船のワープアウトの余波で遭難落下中!」

『こちら〈UTSFエンタープライズ〉。誠に遺憾です。本艦は作戦行動中につき、救助には若干の時間がかかると思います』

「こちらケニー。救助は緊急を要する! なぜ当初の段取り通りに猶予時間を持たれなかったのか、責任者と話がしたい」

『こちら〈UTSFエンタープライズ〉。作戦上の急務により、予定の変更を余儀なくされました。艦長は現在多忙につき席を外されています、しばらくお待ちください』


 ぐぬぬ。

 ケニー参事官は罵声を何とか飲み込んだ。その時、別チャンネルからの通信が届いた。〈コピ・ルアック〉からだ。


『こちら〈コピ・ルアック〉船長のまる。ケニー参事官、ご無事ですか?』


 うぬぬぬ。猫に頼るのは癪なのだが……。


「こちらケニー。現在コントロールを失って惑星……この星は何だ? あー。惑星〈雪花〉に落下中。本船のみでの回避は困難。救助を要請する」


『こちらまる船長。了解しました、既に救助隊を編成中。そちらに急行させます。あー、ええと。貴船と出現した大型戦艦……〈エンタープライズ〉?の通信を傍受しました。事情をご存知です?』


 うっ。

 流石に軍事機密をぺらぺらと別の通商圏に話すわけにはいかない。それにしても何で簡単に傍受されて……。ああ、狼狽して通常通信をしてしまっていたのか。……ああ、だからあんなつっけんどんな通信だったのか……。

 ケニー参事官は頭を抱えた。パニックの余り、軍事機密にかかわる通信を、スクランブルでもない通常回線で〈UTSFエンタープライズ〉に投げていたのだった。もっとも、そもそもが〈コピ・ルアック〉の降下用小型艇だから、連合のスクランブル通信チャネルなどには対応してないわけだったのだが。


「確かに〈UTSFエンタープライズ〉は連合艦である。ただし軍事機密なので詳細は明かせない」

『了解いたしました。では、ただちに与圧服を着用して救助に備えてください。実は、遠方でもう一隻、ほぼ同規模の戦艦と思しき反応が観測されていましたが、先程ワープシェルを展開して、ワープして消えたそうです』

「な……んだと!」

『かなりの確率で惑星〈雪花〉近辺にワープアウトするものと思われます。〈エンタープライズ〉同様の巨大なワープシェルだと思われますので、到達されると第二波の重力震に見舞われます。当船も参事官も無事では済まない可能性が高いです』


 ケニー参事官は口から心臓が飛び出すかと思った。軍事行動中、とは、つまりもう、局地戦が始まろうとしている。という事だったのか。彼は、自分の命運が風前の灯であるのを悟った。


§


 まるはブリッジに詰めてイライラしていた。


<なんなのこれは。ここで戦争でも始める気?>


 今回の通商会議に選ばれた惑星〈雪花〉は、赤道付近の風光明媚な常春の気候と、その周辺の広大な雪原からなる、とても美しい星だ。そこを巻き込んで戦争を始めようという奴らに、少なからずの憤りを覚えていたし、本来強力な戦艦だったはずの〈コピ・ルアック〉が、まるで虎の足元の仔猫ような状態なのも気に入らなかった。特に、艦名が時代錯誤な〈エンタープライズ〉だとか、連合がアメリカ合衆国や大英帝国とかの時代とちっとも変ってないのも、腹立たしくさせる要因になっていた。もう一隻現れつつあるのは〈欧蘭通商圏〉の船でないのは十中八九間違いないだろう。ということは、〈大和通商圏〉自身の戦艦か、或いは……地球なのか。

 まるは、傍らで涼しげな顔で静観を決め込んでいる羽賀参事官に噛みついた。


「羽賀さん」

「なんだね、まるさん」

「今接近している船って、〈大和〉の物ですか?」

「いいえ? 〈大和通商圏〉最強の船は、この〈コピ・ルアック〉、ですよ」

「じゃ、あれって」

「〈地球通商圏〉の物でしょうね。建造されているという話は傍受しておりました」

<知ってんじゃん、この若作りが!>


 やっぱり、羽賀参事官は油断ならない。まるはそう思いながら、慎重に聞いてみた。


「なぜ、〈地球通商圏〉は今回の会議に招致されなかったのです?」

「そんな、意図的に仲間外れにはしませんよ? 招致しましたとも。断られましたけど」

<うわあああ、それって、それって会議始まる前から火種抱え込んでるんじゃないの>

 まるは思わず、牙をむき出しにしてしまったらしい。


「まるさん、そんなに怒らないで。ある程度予想はしていたのですよ。それを考慮に入れても、何とかする予定でした」


 どうだかねえ。でも、羽賀氏からは確かにただならぬ雰囲気が漂っている。何か勝算が有ったと思える。


「船長、お話し中済みません。例の不明艦ですが、こちらに10分で到着しそうです。ケニー氏の救出は間に合わないかもしれません」


 ラファエル副長が、出来る限り平静を保った口調で行った。ただし内心の焦りは隠せていない。


「それくらい何とかできる航宙士は?」

「現在のシフト状態からすぐに出れる人員はいません、当船だけで手いっぱいです」

<ふむ>

「一人だけ、今のシフトから外れても問題ない腕利きの航宙士が居るわ」


 そういうと、まるは船長席を離れて高速リフトに向かった。


「私が救出に向かいます。ラファエル、船をお願い」


§


 ラファエルは準備を進めるまるに、再三思いとどまる様に説得してみたが、実際すぐに出動できるベテラン航宙士はまる位なものだった。


<さあ、ここからがペテンの開始だわ>


 まるはモバイルコントローラを起動した、全身を何かが覆う感覚と同時に、5感がヘッドセットとグローブ越しに、何か別の物に接続された。鏡が無いから確認できないが、どうやら人型のプローブの中の様だ。さて、このまま救助活動できるかな?

 人型プローブの操作自体はヘッドセットとグローブの延長線上で問題は無く、必要な動作はオートアシストで行われるようだ。足は自分の足を動かす感覚と連動している感じである。


<結構面白いわね、思い通りに動くじゃない。人間用に設計されているものだから、操作性はこっちが上かも>


 手早く人間用の与圧服を着用する。いつも来ている猫用の特注品と違って、脱着がとても簡単なのが癪だ。足と腕を通して、胸のスイッチを押すと、ジッパーが自動的に上がって空気漏れを防ぐために粘着する。頭部の後ろについているヘルメットを前に倒せばただちに連結粘着し、与圧される仕組みだ。


<ふうん。いいじゃない>


 何か新しいものを触る時は、結局自分は猫なのだということで少し劣等感で傷ついていたりしたまるだったから、この感覚は面白かった。


<さて、じゃあ一丁、試しましょうか>

「高度作業艇〈ブルボン・ピーベリー〉出ます」


 〈ブルボン・ピーベリー〉も珈琲の銘柄である。一般の珈琲豆の様な半球状ではなくて、コロンと丸い豆だ。作業艇のコロコロとした外見がその豆を連想させる、と、まるが自ら名付けたのだった。ちなみにケニー参事官が乗って行った降下艇〈八女やめ白折しらおれ〉はお茶の銘柄+種類の名前だ。まるは昔乗っていた船からずっと、お茶や珈琲の名前を自分の船につけるようにしていた。理由は特にないらしいが、何となくお茶の香りがしそうで心が癒される感じだから。というのが、本人の弁であった。


「だいたい、救出しに行っても、ケニー氏は猫嫌いなんですよ」


 ラファエルはまだぐちぐちと問題を指摘していた。


「その点は心配ないわ。FERISフェリスに作ってもらった人型プローブを遠方でも単独で展開できるようにモバイルコントローラで動かしてるから」

<出発までで2分時間を消費した。あと8分>


 エアロックが開くと、まるは〈ブルボン・ピーベリー〉のバーニアを噴射して〈コピ・ルアック〉を離脱した。高度作業艇は〈八女白折ドロップシップ〉より熱耐性は弱いが、今の高度なら直線降下してドッキングし、6分で回収して戻ることが可能だと思う。

 まるは方向制御を定め、主プラズマエンジンを最大出力で吹かすと、大気上層に向かって降下していった。


<まだ少し、重力震の余波が有るわね。うっ、やっ、姿勢がうまく安定しないっ>


 まるは操縦に全神経を集中していた。惑星重力圏で飛ぶ以上、重力の影響は当然あり、ただ主エンジンを噴射していっても目標より降下した地点に向かってしまうので、バーニアを噴射しての操船技術がものをいう難しいシーンである。通常なら自動補正に任せていればいいのだが、重力震の影響がいまだに残っているため、ランダムに流されるような重力が掛かり、そこはベテランの勘が頼りになる。


 遭難からの奇跡の帰還後、まるは愛玩動物ではない、自分の力で生きる存在になりたかった。そのために選んだのが、遭難時に得た様々な知識の活かせる仕事、航宙船乗り=航宙士だった。

 彼女は航宙士の資格を取るために必死で練習し、勉強もした。人類以外の資格取得は、まるの生まれる以前の26世紀から不可能ではなくなっていたが、猫が取得した前例はなかったため、道は険しかった。だから、3年余りを費やしてついに航宙士の資格を取得した時は本当にうれしかった。

 腕を認められて雇われた時は必死でキャリアを積んだし、苦労の甲斐あって、ほんの小さい船ながら、自分の船を持てた時は、未来が開けたと思った。だが、一時期の物珍しさが醒め、人間以外というだけで信頼が得られず、仕事が来ない状態になった時は悔しく、だからこそ、より腕を磨いた。

 おかげで、分かる人には理解してもらえたが、商売としては廃業寸前になっていた。もう諦めかけていた時、土岐氏からラファエルを紹介してもらって、専業の「船長」を目指すことになった。だが、彼女はキャリアの第一歩だった一流の航宙士の腕を未だ失ってはいなかった。


 〈コピ・ルアック〉のブリッジで、太田一等航宙士は、自船の操船を監視しつつ、まるのアシストのためにスタンバイしていた。だが、船長の操船ぶりを見て、自分の出る幕はなさそうだなとため息をついた。


「船長、凄いですね」


 ラファエルはにこやかに笑って答えた。


「初めて船長と出会った時に、〈タロス〉(木星の数倍あるガス惑星、土星の様な輪を持つ)の輪を手動で案内されたよ。死ぬかと思ったなぁ」

「はあ……」


 太田は〈タロス〉を知らないため、ラファエル副長が云った行為がどれくらいの事かを測りかねていた。


「まあ、今やっているような芸当は、彼女に取ったら朝飯前だという事さ」


 二人のやり取りにFERISフェリスが割って入った。


『お話し中失礼します。連合の戦艦〈エンタープライズ〉が、謎の巨大艦に対し、迎撃準備に入ったようです。これは、船長に残された時間が短くなるかもしれません』

「謎の巨大艦は、まだワープ中なんじゃないのか?」

『その模様ですが、予定より早く到着する可能性が出てきています』

「参ったな……。船長に連絡は?」

『既に入れています。回収を急ぐそうです』


§


「急げって云われてもねえ、こういうのは絶対必要な時間があるっていうのっ」


 まるは文句たらたらで、速度を上げたために暴れる船体を抑えつつ、それでも目標の小型艇に近づいた。


「こちら〈コピ・ルアック〉所属の高度作業艇〈ブルボン・ピーベリー〉。ケニー参事官、只今から救助を行います。与圧服は着用されていますか?」

『こちらケニー、着用は済ませている。計器にはあと4分で大気圏との摩擦が危険域になると出ている。大丈夫なのか?』

「2分で行います」


 プローブからの声は、まるの人工音声とはちょっと違って聞こえる。おかげで救助に来たのが彼女だとは思われていないようだ。〈ブルボン・ピーベリー〉の連結アームを身長に伸ばし、〈八女やめ白折しらおれ〉をホールドした。ここまで30秒。本当なら、この降下艇も助けていきたいところではあるが、機動性や重量を考えると無理だ。とにかく、ケニー参事官をこちらの船に移すため、まるは船をホールドしたままエアロックに入って減圧し、EVA船外活動に出た。45秒。

 無重力のEVAの場合は、正直、猫のままの方が操作しやすいかなとも思った。身体のひねりが不自由だし、尻尾によるバランス調整は、プローブによって翻訳されてはいても非常にぎこちなかった。どうにか30秒で〈八女やめ白折しらおれ〉のエアロックに流れ着くと、5秒でドアを操作してエアロックを開ける。1分20秒。

 かすかに残った空気が流れ出ると同時に、中から与圧服のケニー参事官が出てきた。手を取り、その与圧服のカラビナの先に救助用の命綱を引っ掛けると、巻き取り装置で2人一緒に〈ブルボン・ピーベリー〉に引き戻す。1分40秒。

 エアロックを閉めて10秒で与圧。1分50秒。残り5秒で操縦席に戻り、連結アームを解除した。


<さあ、戻るわよ!>


 〈ブルボン・ピーベリー〉をバーニアで反転させつつメインジェットで加速する。ジャスト2分だった。


§


 与圧服を脱ぐと、ケニー参事官も与圧服を脱ぐところだった。


「あ、ありがとう」


 ぎこちない感じでケニー参事官が謝辞を述べた。


「どういたしまして」


 そう答えたまるだったが、ケニーの目が皿のようになっているのが気になった。


<???>


 不思議に思って自分を見る。……その体には見覚えが有った。白いジャンプスーツ。慌てて頭に手をやると……触り慣れた猫耳が。


「き、君は、何者かね」


 明らかに不快感をあらわにしている。


<なんでこんなかっこなのよ、オーダーと違うじゃない>

『船長?』

 ヘッドセット越しに、FERISフェリスの通信が入る。


FERISフェリス? 何よこのプローブ、オーダーしたのと違うじゃない!』

『ちゃんとオーダー通りのものは作ったのですけど、クラックされちゃったみたいで……羽賀さんに』

<はああああ?>

『とにかく、あと3分しかありません。急いでこちらまで戻ってください。ハッチは開けて緩衝剤を用意します』


 まるは、はっと我に返って操船を開始した。


「すみません、こんな格好コスプレで。緊急でしたので着替える暇が有りませんでしたから」


 とっさにコスプレとか言ってしまったが、ごまかし切れたかの確信はないまるだった。


「ああ、いや、失礼。私に何か手伝えることは?」

「ありません。とにかく座席に体をしっかり固定してください」


 まるは急加速して〈コピ・ルアック〉への針路を取った。


§


 〈UTSFエンタープライズ〉のブリッジはにわかに騒然となっていた。〈コピ・ルアック〉の方で起きていることも問題ではあったが、近づきつつある謎の巨大戦艦が、予想よりはるかに早くワープアウトして来そうだったからだ。


「敵性巨大艦、規模は当艦の1.12倍」

「推定戦力は同程度、あるいはそれ以上です」

「あと2分でワープアウトします。惑星〈雪花〉の重力圏内。重力震による衝撃が予想されます」


 次々と新しい情報が報じられる。

 〈エンタープライズ〉の指揮を執っているのは、女たらしの英雄でも、禿頭の紳士でもない。初老の外観の紳士だったが、その顔には緊張の色があらわになっていた。


「艦長、ケニー参事官は民間船〈コピ・ルアック〉が収容するそうです。あと1分50秒。敵性艦のワープアウトとほぼ同時です」


 〈エンタープライズ〉艦長は苦々しい表情で報告を聞いていた。


「もともと我が通商圏の問題だから、我々が何とかするべき問題なのだろうが……今は彼らの尽力に託すしかない。火器管制はどうなっている?」

「重核子砲、全砲門で敵性巨大艦を追尾中。主砲ブラックホール弾は調整中のため使用不能です」

「主砲が使えないか――、とにかく、先制攻撃を狙うしかない」


 〈UTSFエンタープライズ〉は、現状行使できる全火力を投入しようとしていた。


§


 まるも一杯々々になりつつ、必死で操船していた。タッチの差で間に合うかどうか。というのは正直勘弁してほしいところだった。敵が出現する予定ポイントがもう少しずれていたら、あるいは重力震に巻き込まれる可能性は少ないのかもとも考えたが、現状リスクは冒せない。


<本当に勘弁して欲しいわ。やっぱり最初の勘は当たるのね>


 船内の隅では、ケニー参事官がギュッと縮こまりながらも、強引な操船で起きる強いGに耐えていた。


「あと20秒耐えて!」


 そう叫びながら、ハッチを開けて待つ〈コピ・ルアック〉に、ほとんど衝突するような感じで進路をとっていた。あと20キロ、減速はぎりぎり最大、間に合えっ!

 針の穴を通すような精度で、しかし大胆に、小型艇をハッチに向けて突進させて滑り込む。〈ブルボン・ピーベリー〉は、用意された緩衝剤にほとんど埋まる形で止まった。同時に閉まるハッチ。


<間に合ったあああああああ>

「ガクン!」


 次の瞬間、最初に〈エンタープライズ〉が出現した時の倍ほどもの衝撃が〈コピ・ルアック〉を襲った。まさに間一髪。だが、この衝撃波は、〈コピ・ルアック〉と云えどもただでは済まなかった。


『船長! ナセルが1基半壊しました! 死者・重傷者は無し! ただし軽症者多数!』

『重核子砲の半数が使用不能になりました! 船体の歪みに安全装置が反応した模様です!』


 怒号の様な被害報告が続く。それにまるが返信を返そうとした時だった。


『こちら船長、船を建て直して、防御態勢で待機!』


 まるは慌てた。


<私は指示を出してない! 誰?!>

 すると、人型プローブに接続されているヘッドセットを通じて通信が入ってきた。

『船長船長、FERISフェリスです。私が船長に代わって指示を出しています。例の羽賀さんの指示です』

FERISフェリス? 何勝手に……また羽賀参事官?』


 あの人は一体裏で何をやろうとしてるんだろう?


§


 新たに表れた巨大艦は、核になる10kmほどの球体から、花弁のように大きな扇状のものが何枚も突き出していて、中国料理に添えられているスイカの飾彫カービングで作った大輪の花のような形をしていた。

 名前は〈大自在天マヘーシュヴァラ〉という。

 ヒンドゥーにおける「シヴァ」と同義の名前だった。


 〈地球通商圏〉では以前は統一言語は無かったため、やり取りも非常に困難だったが、〈大自在天マヘーシュヴァラ〉からは流暢な地球人圏公用語の同時通報通信ブロードキャストが流れた。


『こちらは〈地球通商圏〉の移動要塞〈大自在天マヘーシュヴァラ〉である。近隣の戦闘艦はすべて無効化する。ただちに降伏し、停戦せよ』

『こちら〈連合通商圏〉戦艦〈UTSFエンタープライズ〉。貴艦の活動は侵略と見做される。ただちに戦闘行動を停止されたし』


 巨大艦同士の威圧の応酬だ。

 まるは何だか馬鹿馬鹿しくなりかけていた。


 そして、ついに巨大戦艦同士の攻撃の火ぶたが切られた。

 お互いの巨大艦から重核子砲が発射され、双方が被弾し、ダメージを受けた。双方の巨大艦に挟まれたような位置にいる〈コピ・ルアック〉は、被弾こそしなかったものの、生きた心地ではなかった。

 重核子砲は光ではなく質量を持つ素粒子のビームだから、閃光を放つビームの軌跡が〈コピ・ルアック〉の周辺に残っていた。


 まるは切れかけていた。〈ブルボン・ピーベリー〉が埋まった緩衝剤が自己崩壊して、まるは漸く船内に出ることができた。人の姿で肩をいからせながら、ブリッジに向かうリフトに歩いて行くまる。


FERISフェリス、羽賀参事官に話しをつないで。他に聞かれないように』


 人型プローブの体内通信を使い、まるはFERISフェリスに呼びかけた。


『らじゃ!』


 すると、すぐに羽賀参事官に繋がれた。


『はいはい、まるさんなんでしょうか?』


 まるはイライラとした口調で羽賀氏に話をした。


『この茶番は何? 死人が出るまでやらせるつもり?』

『そろそろ、やめさせる時期でしょうかね』

『羽賀参事官、あなたが何とかできるのよね?』

『ええと、そうですね。まるさんの協力が頂ければ』

『ブリッジに居て、私が向かうから』


 リフトの扉を開けて、ブリッジに、怒り心頭の顔の純白の猫娘が現れた。


「もー、このプローブ要らない。脱ぐ」


 まるは人型プローブをナノマシンに分解し、元の猫の姿になった。


「あー、肩こった。機械の操作が多少面倒でも、こっちが良いわ」


 首をコキコキ鳴らした後、全身をブルルルルッ、っと振って、それから尻尾の先まで毛を逆立て、噛みつきそうな顔で羽賀氏の方を睨む。


「羽賀参事官。先程はなぜ〈コピ・ルアック〉を危険区域から退避させずに、敢えて待機させたのでしょうか?」


 まるの威圧感をさらりと流して、羽賀参事官はにこやかに答える。


「これは失礼しました。これでようやく、地球人圏会議がまともに開けるようになるからですよ。お飾りの参事官同士ではなく、本当の顔を突き合わせての会議です」

「じゃ、停戦させて頂けますか?」

「了解しました。FERISフェリス、次元転移砲拡散照射、他船の全武装のコア、および推進装置を破壊してください。人的被害0でお願いしますね」

「らじゃーです♪」


 聞いたことも無い武装への指示をFERISフェリスはこともなげに了解した。


 〈コピ・ルアック〉はナセルを収納状態にし、くるくると不規則な回転を始めると、小型船(いや、〈コピ・ルアック〉は十分巨大なのだが、対峙している巨大艦が異常なのだ)の事など一顧だにしていない2隻の巨大艦に対して、次元転移砲のピンポイント掃射を開始した。一瞬の出来事だ。


 2隻の巨大艦は、たちまちのうちにパニックになった。

「民間船からの攻撃! 回避できません!」

「す、すべての武装が一瞬で破壊されました!」


 そして、双方の船のワープ機構とメイン動力源へのとどめの一撃が入り、二隻は沈黙した。


 そこから起きたことは、まるは思い出したくない。あったのは怒号と喧騒の渦巻く通信の嵐の後、羽賀氏が口火を切って、沈黙が訪れた。という事だ。

 何が起きたかは説明しにくい。ただ、結論から言うと、羽賀氏は人間ではなかった。いや、正確には、半分人間で、半分が超生命体だった。という事が、今回の事件のメインだったらしい。


「銀河第三渦状腕調停組織?」


 未だに不機嫌なまるが尋ねた。

 そして、未だににこやかな羽賀氏――その笑顔が、超生命体なのか、宿主である人間のものなのかは不明だったが――は答えた。


「ええ、私は人間であると同時に、そこから派遣されたメンバーでもあります」


 要約すると、今回の件は――

 地球人が住んでいる半径6000光年の空間は、地球人だけのものではない。地球人の世界はバニラビーンズ入りのアイスクリームの、バニラの様なものだ。アイスクリームを享受している知的生命体は無数に存在する。そこで地球人同士が壊滅的なドンパチをやると、他の生命体に迷惑だからやめろ。という警告を地球人圏全体に与えるためのデモンストレーションをする。

 ――と、いう事だったらしい。


だから、まるとFERISフェリスが会議に必須、というのは半分嘘で、半分本当だった。

 なぜなら、まるが船長を務め、FERISフェリスが管制する〈コピ・ルアック〉による巨大艦の戦力の無力化が、今回の会議の目的そのものであり、絶対条件だったからだ。


 〈欧蘭〉の参事官も、事の顛末の報告を、通商圏に持ち帰るらしい。


「今回使った技術、武装は、すべて消去させて頂きます。〈大和通商圏〉が無敵の力を持っている、ということになると、また軍事バランスが云々なんて言う話になりますからね」

「まあ、別にいいけど」

 まるは半分むくれている。

「一つ聞いていいかしら?」

「なんでしょうか?」

「なんで私に猫娘のコスプレなんてさせたのよ」

「可愛いでしょ。あ、その人型プローブは残して差し上げますよ」

「あんな猫娘要らないわよ」

「まあ、耳と尻尾は取って、色合いも調整して差し上げましょう。あと、ケニー参事官、猫嫌いが多少は治って、アレルギーの治療を受けてくれるそうですよ」


 どうも、掌の上でみんな踊らされていたらしい。


<面白くないわ>


 羽賀参事官はまるを膝に乗せて撫でた。それがまた、意に反して気持ちよかった。


<ほんっとに、面白くないわ!>


 まるの冒険は、まだまだ続くのだった。

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