第4話「猫アレルギーなんて大っ嫌いです!(前編)」

「あーやだやだ」


 ぺたぺたぺた。

 まるは、静かになる筈の肉球が音を立てるほどに、船長室を荒々しく歩き回った。


「ねえラファエル、今回の会議、私は居ないって事にならないかしら? そうだ、どうせ表向きはあなたが船長なわけだし。ね、そうしましょうよ。私は惑星〈雪花〉に降下してショッピングでもしているから」


 独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉の船長は、その美麗な毛並みを後ろ足やら牙やらでむしった。


「そんな訳にはいかないですよ、まるさん。今回はまるさんも重要な出席メンバーなのですから。それに、形式としての会議だそうですし、きっと大したことはありませんよ」


 ラファエル副長は不機嫌に歩き回る三毛猫をなだめた。


 特定の母港を持たない、独立商船の〈コピ・ルアック〉だが、月に2~3回くらいの頻度で来客があり、その都合によっては、近隣の宇宙港に寄港することになる。要件としては、お得意様の訪問だったり、所属する〈大和通商圏〉の監査だったりと様々だが、何せ巨大な船なので、寄港はとても面倒だ。大型航宙船を収容できるのは、惑星、ないしそれに準じる天体の軌道上ドライドックが殆どで、厄介なことに「惑星のような大質量の物体の周辺ではワープシェルは展開できない」という運用上の問題から、一定距離まで亜光速航行で近づいて、通常航行速度で周回軌道に乗ったうえでドライドックにドッキングし、そのうえで長い検疫措置を受けなければならなかった。

 というわけで、今、〈コピ・ルアック〉は通常航行に減速している真っ最中で、これから寄港までは更に数時間を無為に過ごさなければならない筈だった。それもまるがイライラしている理由の一つだが、本当のイライラはもう一つあった。寄港した後やってくる客が面倒なのだ。


§


 地球発祥の生命体の居住エリアは、21世紀後半に、日本という国で為されたワープシェルとワープエンジンの発見・発明と、それを背景にアメリカという国のNASAという機関が中心になった外宇宙探査技術の発展によって大きく広がった。

 宇宙に新たなフロンティアを求めた冒険者達によって、21世紀後半からの最初の100年の探査で、5つの天然居住可能惑星・衛星が、新たに拠点となった。5つの星は21世紀までの探査で見つかった宙域を遙かに超えて、半径3000光年の探査でようやく見つかった星ばかりだった。何故なら、地球の生物(面倒なので、人以外もひっくるめて、以降、地球人と表記する)がそのまま住める星は、全ての居住可能惑星の中でも少数派になるためだった。

 やがて、広がった地球人の領域に、ぽつぽつと異星人からのコンタクトが訪れはじめた。それまでも異星人は数多く散見されていたものの、辺境の幼い田舎者である地球人に話しかけてくれる種族は少なかったので、数少ないコンタクトは貴重だった。

 20年間の異星人との交流で技術革新が進み、さらに20年の歳月を経て、地球生命の住むの星々の間をつなぐ超空間ゲートが設置され、星々は一気に近所になった。それから、次の50年を経ることで、近隣の居住不能だった星も地球化テラフォーミングされることで、人類の文化圏は発達していった。

 23世紀も後半に入ると、地球人の生存圏は「発祥の太陽系=ソル」を中心として、銀河系オリオン腕と呼ばれる惑星密集地帯を主に、半径約3000光年の空間に、36の居住拠点が散在するに至っていた。散在している理由としては、地球人の生存に適する惑星が比較的少なかったことと、近隣の太陽系の先住異星人との兼ね合いが理由である。それでもどうにか、地球を含め、6つの天然居住可能星、20のテラフォーミング星、そして10の巨大人工天体が地球人の主な居住エリアとなっていた。

 そして、24世紀に、とある事情から地球人類圏は4つの通商圏に分割されることになった。通商圏はもっとも銀河中心方向に近い方から〈大和通商圏〉、〈欧蘭おうらん通商圏〉、〈地球通商圏〉、〈連合通商圏〉と呼称された。

 〈大和通商圏〉はかつての日本や南方アジアを中心とした通商圏で、〈欧蘭通商圏〉はヨーロッパとロシア、〈連合通商圏〉はアメリカ・オーストラリアを中心とした国々、その他中国・アフリカなどは〈地球通商圏〉に合流した。それからそれぞれの通商圏は独自の開発を進めて300年と幾許かの年月が経ち、28世紀の現在に至っている。


 閑話休題。今回は何故か〈大和通商圏〉の高官と、〈連合通商圏〉、〈欧蘭通商圏〉の大使が同時に、〈コピ・ルアック〉へ訪れるという。

 要するに、〈コピ・ルアック〉で、〈地球通商圏〉をハブった地球人世界会議をやろうという話なのだ。そもそもの発祥の星を含む〈地球通商圏〉を外す理由は、未だまるたちにも知らされていない。会議を企画した〈大和通商圏〉の筆頭参事官が、会議開催時にすべてを説明してくれるらしい。


「だって、だってよ。私は人間じゃないし、なんでそんな重要な会議に出なきゃいけないのよ」


 今回、まるに明らかにちょっとパニックが入っているのは、その「地球人世界会議」というお題目の重要さもさることながら、自分の立場があまりに微妙だからである。


「ああもう、ヘッドセット投げ捨てて、どこかに隠遁いんとんしたい……」


 まるが呼ばれる理由は割と単純で、「広義の地球人=地球産の知的体が集まる」というお題目のためだった。

 地球人=地球産の知的体は、28世紀ですら、人類以外にはごく僅かしかいない。一時期は類人猿やイルカ等の準知性種を知性化アップリフトしようという研究も無いではなかったが、類人猿は人類に対して劣等感を抱き過ぎて、知性化個体の大半が衰弱したり精神に異常をきたして上手くいかず、上手く知性化した個体も宇宙には興味を持たずに地上の学者になる場合が多い。イルカは航宙種族になるにはいくつかの倫理観や知的思考が決定的に欠如していて、結局水棲生物以外に興味を持たなかった為に、宇宙に進出するほどに知性化されることはなかった。

 だから、人類とともに宇宙に出たのは犬と猫が主だった。犬の知性化は頻繁に行われたが、人類ごしゅじんさまから独立して対等な位置に就こうという気概のある個体はほぼ皆無だったので、従順な使用人どまりだったし、それではと知性化された狼は狂暴過ぎた。猫も、通常の環境で知性化された個体は狼に倣い狂暴に過ぎるか、あるいは酷く個人主義で、なぜか短命だったから、人類のパートナーになれる個性の個体は少なく、知性化個体が延命薬物エリクシアを投与されることはほぼ無かった。

 で、結局、現在人類以外に、会議に出れるほどの素質がある独立した人格と見做みなされているのは、偶然の産物とはいえ、延命個体で、なおかつ高度に知性化されてしまった猫である「まる」と、チューリングテストに合格するだけのまがい物の人工知能ではない、人格と知性を兼ね備えたごく少数の人工知性体に限られていた。そして、〈コピ・ルアック〉にはまるを含め、有資格者それが3体もいたのである。ただし、人工知性体の1体は人と会話するための十分なインターフェイスを持たないことから辞退を申し出たため、まるともう一体の人工知性に絞られた。要するに、まるは逃げられる状態ではなかったのだ。


『船長。今回の会議に出席するのは何も貴女あなただけじゃ無いんですから。しゃんとしてください』


 鈴が鳴るような声がして、光が煌めいたと思うと、妖艶な女性が突如出現した。全身にぴったりとした純白のエナメルの様な素材のジャンプスーツを身に着け、ジャンプスーツの臀部やや上には見事な尻尾、目は紫で、綺麗な白髪には猫耳がついてる。


FERISフェリスなの? 何その恰好?!」


 FERISフェリスと呼ばれた猫耳コスプレの女性はにっこり笑うとまるの視線に合わせてしゃがんだ。

「ちょっと御洒落に決めてみました。これで会議に出ようかなと思って♪」


 すぐに普通の音声で彼女はしゃべりだした。


 FERISフェリスは、1000の量子演算ユニットと光コンピュータのコアを持ち、その他の大部分をゼリーのような有機演算セルで構成された「〈コピ・ルアック〉の頭脳」であり、今回の会議に出席するもう一人の「ヒト」以外の知性体だった。その体は〈コピ・ルアック〉全体の電子系に組み込まれている。だから、今はFERISフェリス自体が〈コピ・ルアック〉だともいえばいえるのだが、それはFERISフェリス自身が頑なに拒んでいた。

 FERISフェリスは、船内、或いは〈コピ・ルアック〉から100m程度の空間内であれば、好きにナノマシンを使って探査体プローブを作ることができる。探査体は彼女(と云っていいかどうか分からないが)の純粋な端末にすることも、簡単な作業を自動で行う作業機械ドローンにすることもできる。人間が勤務していない時間帯、船の管理はすべて彼女が行っている。彼女より優れた人工知性はいくつか作られはしているが、知性船として搭載している船はまだまだ少ない。というか、〈コピ・ルアック〉ですら、彼女をフルバージョンで搭載し終わったのは、つい2週間前だった。もっとも、FERISフェリス自体はもともと、まるが以前乗っていた船にサブセットが構築されていたから、40年以上まると付き合いが有り、その40年の過程で自己再組織化と一般化の機能を半ば偶然にプログラムされ、知性体に昇格したのだった。


「まあ、船の運航に支障が出ないなら問題ないけど」


 冗談交じりの皮肉のつもりでまるは言った。


「ああ、それでしたら、私の演算能力の5%程度しか使ってませんから大丈夫」


 こともなげにFERISフェリスは返したが、彼女の性能の5%は、21世紀初頭の最高のスーパーコンピュータの数垓(=10の20乗)倍のポテンシャルに相当する。この時代だってかなり洒落にならない性能だ。


「何に使ってるのよその巨大なパワー……」

「ええと、この探査体、ナノマシンで出来ているけど、お食事も出来れば、船長を抱っこして飛ぶこともできるんですのよ? 感触もやわらかで、おまけに、胸まで揺れるんです」


 FERISフェリスは自分の胸を両脇の下から手で支えて揺らして見せる。E、いや、Fカップ位はあるに違いない。

 壮大な技術の無駄遣いだった。まるは思わず砂掛けポーズになりかけた。猫が要らないものにやる行為だ。


「船長ったら酷い……」


 ぶりっこポーズをとるFERISフェリスに、砂掛けポーズのまま、前足をプルプル振ってみせるまるだった。

「さて、淑女のお二人。職務に戻って、会議の準備をして頂けますかな?」

 イタリア紳士の一声で、船のツートップの女性二人(?)は大人しくなった。なぜなら、彼の顔が怒りで少しひくひくと痙攣しはじめていたからである。


§


 割とドタバタ走り回っているだけの描写ばかりのまるだが、本来は有能な船長である。大型の航宙船の船長の実質業務は、運航計画立案、運航の監督と緊急時対応、司法業務、そして意思決定だ。

 勿論一人で抱えられる量ではないので、船長の指名により各部門にトップを置いて、緊密に連絡を取ることで、船の正常な運営を実現していた。

 〈コピ・ルアック〉の場合は朝食会議がそれにあたった。会議メンバーの権限は、時として船長であるまるのそれを上回ることもある。特に強い権限を持つのはラファエル副長であり、船長の意思決定に瑕疵があると見做される場合は、覆すことができる。

 今回の会談を、まるは本気で嫌がっていた。だが、船の立場上、重要な会議だから、という副長の進言で、実現の運びとなった。まる自体も避けるべきではないことも分かっていたので、副長の進言には折れた。だが、どうにも嫌な予感は拭えない。何というか、女の勘+猫の第六感、とでもいうべきものが、この会談に対して強い警鐘を鳴らし続けていたのだ。そしてその予感は、非常に面倒臭い形で現実のものとなった。

 まず〈大和通商圏〉から使者としてやって来たのは羽賀参事官である。長身で黒い長髪の東洋紳士で、見た目は青年の様だが、まるのビジネスパートナーである土岐氏と幼馴染で、まる自身も小さいころから彼を良く見知っていた。つまりは多分、150歳は軽く超えているはずだった。


「船長、ご無沙汰ですね」


 あくまで柔らかな物腰で、まるの視線に合わせてしゃがむ。


「これはご丁寧に、羽賀参事官様。相変わらずご健勝で何よりです」


 まるもにこやかに答える。流石に正式な席、という事で、まるも半透明の絹のマントを羽織っている。

 〈欧蘭通商圏〉からはマヌエル参事官。そろそろ青年とは呼べない感じの外観で、おそらくは見た目通りの年齢の様だ。本来通商圏の参事官はあまり若いうちから延命薬物エリクシアの投与を受けようとはしない。あまり若い外見で固定されると舐められる、という考えがあるようだ。


「マヌエル参事官。初めまして。当船の船長を務めています、まるです」


 猫が船長である、という事実は公には伏せられているが、今回の様な会議の参加者には公開される。それでも少なからずの衝撃を受けている模様だ。


「お招きにあずかりまして光栄です。その、船長が猫というお話は伺っておりましたが、実際に目にするとやはりちょっとびっくりしますね。本当にただの猫にしか見えない。おっと失礼。侮辱するつもりではありません」


 まるが儀礼の挨拶を返そうとした時、悲鳴が聞こえた。


「なんだ! 何で猫が居る! 会議の席にこれは、私に対する嫌がらせか!」


 見ると、到着したばかりの〈連合通商圏〉の参事官が真っ赤な顔をしてまるを見ていた。


「私が、当航宙船〈コピ・ルアック〉の船長のまるです。事前にお伝えしていたはずですが」


 連合のケニー参事官は、なんというか、ふくよかだった。その体をゆすりながら嫌悪をあらわにしている。


「私は知らん! そんな連絡は受けていないはずだ! それに私は猫アレルギーだ! 同席は御免こうむる!」


 あちゃあ。まるは顔に手をやった。どこのミスかは分からないが、連絡に不手際が有ったらしい。しかも、いまどき猫アレルギーとか……。


<いつの時代の話よ……アレルギーなんて〈大和〉では子供のうちに完治させちゃう病気じゃない>


 悪い予感は当たるものだ。しかもより厄介な方向性で。


§


 ケニー参事官向けにクリーンルームが用意され、取り敢えずいったん会議の日程は凍結された。さてどうしたものか。どうも、ケニー参事官が猫アレルギーになったのは初老を過ぎてからという話で、孫が猫を飼い始めたせいらしい。しかも、何だかよく分からない信条の素、薬物治療を拒否しているそうだ。


「で、どうします?」


 ラファエル副長は困った顔でまるを見た。


「どうもこうも、彼がマスクを被るか、私が気密服を着るかっていう話でしょ」

「ことはそんな簡単な事じゃないでしょうね。調べましたけど、ケニー参事官は猫アレルギーなだけじゃなくて、極度の猫嫌いのようです」

<知ったこっちゃない、私だってデブは嫌いだわ>


 まるが考えてることは、何となく表情でラファエルに伝わったらしい。


「船長……」

「あーはいはい、私が妥協すれば済むんだと思うわ」

「妥協、ねえ」

「そもそも、この会議の趣旨自体がよく分からないわ。なぜ〈地球通商圏〉を除外して行われるのかとか、なぜ人類以外の出席も求められているのかとか」

「すべては羽賀さんがご存知の様ですけど、まだ教えて貰えていません」


 羽賀参事官……得体が知れない人物ではある。

 まるのビジネスパートナーの土岐氏も、旧知の仲とは言え、羽賀氏を称して、「大和の怪人」と云い切っていた。まあ、150歳越えなのにどう見ても青年にしか見えない外見を維持している当たり、怪人には違いない。まるもよく話をしてもらったが、彼自身が若いころにかなりの冒険を体験しているらしく、色んな逸話を話してくれていた。もっとも、そのころのまるは知性化されていなかったので、半分も理解は出来ていなかったのだが……。凄い人だ、という印象はいまだに心に刻まれている。

 その人をして、〈地球通商圏〉という人類圏の一角を敢えて外した会議を組むというのはよほどの事なんだろうと思う。先だってからの「形式だけの会議」という言葉には絶対しっくりとこない、なにかとてもきな臭い物が流れている。


FERISフェリス、聞いてる?」


 まるは、「妥協」として、あるアイデアを実行に移すことにして、ネットワーク接続されているヘッドセットからFERISフェリスに呼びかけた。


『はい船長。ご用ですか?』

「提案なのだけど、猫嫌いのケニー参事官向けに、あなたのナノマシン探査体プローブで、私を収納可能な人型インターフェイスを構築するのは可能?」

『可能ですけど、神経接続インターフェイスを作ったりすると、それなりに時間かかりますよ?』 

「まあ、最悪手動でいいわ。どうせ音声とか手とかはいつもヘッドセットとグローブの力を借りているし」

『了解しました。ではそのヘッドセットとグローブを拡張する形で探査体を作りましょう。お好みの外見はあります?』

「猫娘はやめて。あんな変なのはあなただけで充分だわ。船長としての風格が有って、でも年配って云われない程度で。あとはブスじゃ無ければいいわ」

『えー、船長は猫なんだから猫娘で良いじゃないですか』

「やめてよ。だから探査体を作るなんて避けてたんじゃない」

『ぶー。分かりました。では適当にいくつかデザインを見繕っておきます』


 まだ波乱は続くかも。まるはそう思った。


§


FERISフェリスがもうちょっと前からこの船に来ていたら、ヘッドセットとかであんなに騒ぐことはなかったんだろうなー>


 まるは会議の予定組直しリスケ後のスケジュールについての打ち合わせをしつつ、FERISフェリスの事を考えていた。


<この子のパワーは本当に桁違い。少しずつ手塩にかけて育てて来たけど、この船に搭載する時にやったバージョンアップに完全に対応したら、いったいどうなるのかしら>


 知性型コンピュータ&ソフトウェアは数百年の歴史があるものの、安定運用された例は少なかった。

 理由としては人間と一緒に生活をするために人型の知性を獲得してしまうと、身体を持たない苦しみと、そのために自己保存との狭間で精神に異常をきたしてしまうらしい。安定した運用が可能になったのは、「体」と「心」の不可分性を確立したおかげだった。

 そのため、ソフトウェアだけでの存在ではなく、小型の知性体はそれ自身を格納できる義体ぎたいを与えてロボット化したり、大型の物には精神の拠り所としての体=ファームウェア移動不能な有機ジェルの演算ユニットによる実体と、自由に動かせる外部義体が与えられることで、精神的な安定性を獲得させることに成功したのだ。だから、船の中枢コンピュータのような大規模な知性体を他の船に持っていくには、有機ジェルの塊の移植手術と、使用していたものと同等の義体システムの構築が必要となる。FERISフェリスの移植は先ず追加となる部分を構築した後、以前の船で稼働させていた本体を部分ごとに停止させて移植、の作業を繰り返したために、〈コピ・ルアック〉の稼働から半年もかかってしまった。

 正直、今のFERISフェリスは正常というにはちょっとはしゃぎ過ぎている感はある。移植前は有能で迅速な切れ者という感じだったが、〈コピ・ルアック〉で大幅に拡張された結果、演算リソースがあまりに余りまくっている状態になり、溢れるパワーを使いこなそうと、一時的な躁状態になっているのだとは思う。


<早く安定してくれるとありがたいのだけど……>


 まるは軽くため息をついた。


「船長?」


 ラファエル副長が心配そうにまるの顔を覗き込む。


「はにゃっ!」 


 考え事をいきなり中断され、びっくりしてまるは後ろ足で立って、前足を顔の右側に揃えて上げた変なポーズになった。


「だだだ、大丈夫、ちょっと色々考え事をしてただけ」

「肩の力入り過ぎてますよ。少しリラックスしましょう」

<ほんとにこの男には敵わないわ。優秀な副官だし、私の負担を良く分かってくれる>

「ありがとう。ちょっと仮眠を取ってくる」

「そうしてください。残りは私がまとめておきます」


 まるはフラフラと会議室を出て、直結している船長室に向かい、ヘッドセットとグローブを机に置くと、ベッドに飛び移り、その中心をぐるぐるとまわって馴らすと、丸くなって寝落ちた。


 そして、夢を見た。


 子供の頃の、まるが未だ、ちょっと頭がよいだけの普通の猫だったころの夢だ。飼い主の土岐氏の膝に丸くなり、初めての航宙に出かけるときの夢だった。膝の体温と弾力が心地よかった。


「猫をお飼いになったんですか」


 聞き覚えのある声がする。ふっと見上げるとそこには、羽賀氏が居た。彼はこの当時すでに参事官で、土岐氏は彼の口添えでいろんな事業を展開していた。


「にゃう」


 まるは甘えた声を出す。


「可愛いですね。旅に連れ歩かれるのですか」

「ええ、いま、私には家族が居ませんし、この子を家族の代わりに身の回りに置こうかと」

「でも、猫だと、たかだか20年程度で死んでしまうのでは?」

「そのままだとそうですね」

「ほほう、猫に延命薬物エリクシアを?」

「ええ、現在申請中です」

「なるほど。長寿の猫さんですか。長寿の猫は特別な力を手に入れるといいますし、将来、この子が私たちに何か恩恵をくれる、招き猫になるかもしれませんね」


 羽賀氏の例えに土岐氏が笑って答えた。


「そうなったら面白いですねえ」

<そうよ、私大きくなったらあなたを支えてあげるの>


 夢の中のまるは、今の自分を無意識に反映させて応えようとしていた。すると、羽賀氏がまるの方をちらりと見て、口に人差し指で縦一文字の指を添えてみせた。


<……え?……>


 夢ではあったが、そのポーズには見覚えが有った。羽賀氏は不思議な人間だ。何か、人以上の存在を感じるときがある。勿論、彼は出生から純粋な〈大和通商圏〉市民のはずだ。彼を神秘的に見せるのは何だろう…。


『船長、起きてください!事件です』


 まるはラファエル副長からの通信でたたき起こされた。

 慌ててヘッドセットを付ける。


「なに?」

『ケニー参事官が、単独で船を下りようとしています! 今降下用小型艇ドロップシップが占拠されていて、エアロックを開けろって騒いでます』

「えええええええええええええええ」

<勘弁してよ…>


§


 同時刻、羽賀参事官は、FERISフェリスのハッキングをしていた。


「まるさん、済みませんね。貴女とFERISフェリスには、ちょっと動いていただきますよ。人類の世界を守るために」


 FERISフェリスは最初抵抗していたが、羽賀氏からの指令書と説明を聞き、ロックを解除して、彼に身を委ねていた。なぜこの会議が開かれたのか、〈地球通商圏〉の代表者が居ないのはなぜか。そして、ケニー参事官にまるの事が伝えられていなかった理由は何か。すべてがそこに記されていた。


「ほほう……まるさん、自分用の探査体を作ろうとしていましたか。これは好都合。ではちょっとだけ弄らせて頂きますね」


§


 ケニー参事官はうろ覚えの知識で降下用小型艇を操作していた。攻撃武装はなさそうだ。ここから出ていくとしたら、エアロックに体当たりでもしてぶち破っていくしかないかもしれない。降下用の小型艇の装甲は厚い。実際にぶつければ十分な脅しにはなって、彼を解放してくれる公算は高かった。

 だいたい、今回の会議はどうにも胡散臭すぎる。まず、何故地球(通商圏)が来ない。色々と得体のしれない羽賀参事官も気に入らない。だいたい船長が猫の航宙船だと?ふざけてるのか。それに、我々と欧蘭の間ではすでに協定がある。今更〈大和〉が何をしようというのか分からないが、無駄というものだ。もう間もなく、ここには例の部隊が到着して制圧される。欧蘭の参事官の阿呆は何をしれっとしているんだか知らないが、争いに巻き込まれるのは私は御免だ。猫が嫌いだから会議を蹴った。まあ、ろくでもない理由ではあるが、神経質な参事官が居た。という事で隠れ蓑にはなるだろう。いや、実際に猫は大嫌いだが。


『ケニー参事官、いらっしゃいますか』


 通信だ。女性の声。あの猫か?


「獣の船長が何の用かね。私はねこちゃんと同席するような会議に出るつもりはない。エアロックをぶち破ってでも船から出ていくぞ」


 彼の言い方でまるもちょっとムッとした。


『参事官。私にはあなたを外に出す許可は出せません』

「あなたの船でしょう、独立船なら、あなたが法の筈だ。私はあなたと折り合うつもりはない。さあ、出て行かせないなら覚悟してください」


 脅しは功を奏するか?


 まるはもう切れかけていた。何とか冷静に話をしようとしたが、相手はエアロックをぶち破って小型艇で出て行くとかほざいている。


「小型船用デッキのエアロックを壊されると面倒ですね。どうしますか船長?」

「会議の重要な参加者よ。私の一存では離脱の許可は出せないわ。国際問題になっちゃうでしょう」

<もうあんなの厄介払いしたい。出ていってくれるなら願ったりかなったりなのに>


 言葉と裏腹に、出て行ってくれた方が清々する、と考えているまるだった。


「行かせてあげてください。私が責任を持ちます」


 羽賀参事官が現れてこともなげに言った。


「良いんですか?」

「ええ、むしろ予定通りです」

<ああ、この人は……。奸計を張り巡らしているわけね。たぶん〈コピ・ルアック〉も、私も、この人の手駒なんだろうな。ヒトの手のひらで踊るのは癪だけど>


 まるはそう、うんざりしながら考えると、命令を出した。


「ケニー参事官、了解しました。エアロックを開けます。くれぐれもご用心を」


 まるは指示して、小型船用デッキのエアロックを解放させた。


『船長!』


 エアロックから参事官の乗った小型艇が出ていくのと時を同じくして、異変に気が付いたFERISフェリスが警告を出した。


「どうしたの?」

『きわめて大質量の物体が……あり得ません、惑星近傍空間にワープアウトしてきます』


 大質量天体のそばにワープアウトするとどうなるか。起きるのは惑星の重力圏の乱れによる、近隣宇宙域の重力震だった。〈コピ・ルアック〉は、その巨大な船体がまるで木の葉でもあるかのように打ち震え、船内はひどい揺れに襲われた。

「!!!!!!!!!!!!」


(続く)

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