第7話「猫なんだから発情期くらいあります!(中編)」

(承前)


 いきなり自分から人間の声がして、雄猫ピンインは度肝を抜かれた。

 知性化されてから5年経った彼だったが、人間の言葉を操るという経験は無かった。そもそも、彼に施された知性化は工学方面ではなくて、物理、数学、医学、戦略、そしてあとは芸術方面が中心で、機械などについては自力で作るなど思いもよらなかったのだ。

 それに、周囲に話しをしたい相手もいなかったから、コミュニケーションは専用のコンソールが有ればよかったし、周囲の人間の喋っている言葉は何となくわかったので、これまで言葉をに関しては、ちょっと不便を感じる程度だったのだ。

 目の前にいる、この巨大な航宙船の船長をやっているまるというメス。

 事前連絡で、彼女が工学、数学、航宙船の操縦を中心に幅広く知性化されていることは伝えられていたが、いきなり未知の技術の洗礼を受けて、正直言ってかなりの衝撃を受けていた。


「ちょっと…驚きです。こういう事は経験が無いので、感想とかはまだ…」

「不快でなければ宜しいのですけど」

「あ、いいえ、不快等とかはとんでもないです。とても興味深い体験ですよ」

「よかった。猫属汎用のチューニング程度しか出来ていませんので、細かいニュアンスは使っているうちに、おいおい対応していくと思います。不都合などありましたら〈フェリス!〉と叫んで下さいね。船内コンピュータが応対いたします」


 まるは、「立派な船長」をできる限り演じようとしていた。

 それは、ピンインに対する牽制でもあったが、何より自身の自制の為だった。

 実際のところ、まるは心中穏やかでなく、むしろ半ばパニックを起こしかけていた。ヤマネコという事で、もっと猛獣のような生き物を想像していたのだが、イエネコよりは二回りほども大きな体躯だったものの、猫らしい整った容姿をしていたこと。対応が粗野ではなく、むしろ初心うぶで、ちょっと彼女の母性本能をくすぐる処が有ったこと。等々。


 正直、嫌なところが有ればそれを理由に自分の理性を保とうなどと考えていたのだが、意に反して、彼女自身が彼に少なからず好意を感じてしまったことで、心に築こうとしていた防壁があっさり崩れてしまったのである。

 まる自身は外見4~5歳だが、主観年齢は相対論的効果や人工冬眠の時間を差し引いても、80歳は越えていた。人間ですら老獪の域に達する年齢である。それがこんなにも心を乱されるのは、未だに具体的な異性に巡り合ったことが無いために、心の対処法を学んでいないからに他ならない。そんな事は彼女自身言われるまでも無く頭では分かってはいたが、分かっているのと体験するのでは全然意味が違う。


<でも、まだ子供よね。ほんの12歳。知性化されてからもそんなに時間が経っていないみたいだし。うん、子供なのよ相手は>


 まるはあの手この手で自分を納得させようと考え続けた。彼女の欺瞞はさておき、12歳と云えば、猫では割と高齢にあたる。決して子供ではない。


「では、お部屋へご案内します、こちらへどうぞ」


 努めて平静を心がけつつ、船内の案内を行った。


§


 船室に到着したピンインは、この船の色々なことに興味が尽きなかった。特に、自分以外の知性化された存在であるまるが彼の注意を引いた。それは、彼自身の研究テーマにもかかわる事だったし、もう少し彼女を観察したいと思った。

 今までは、自分と、用意された実験動物が、彼の研究対象だった。それはシャーレの中の現実だ。だが彼女は、人の中に有って働き、あまつさえ、人を率いる存在だ。生の現実と向き合っている知性体だ。興味は尽きなかった。

 ふと、彼はまるに言われたことを思い出した。


「えと、〈ふぇりす〉! で良いんでしたっけ?」

『はい、ご用でしょうか』

「うわわわわ」

『これは失礼しました。私は〈コピ・ルアック〉の船内コンピュータのFERISフェリスです。あなたに装着したナノマシンによる音声インターフェイスは、私を介して動作していますので、呼びかけて頂けたらすぐに反応できるのです』

「へえ、便利ですね。手を使わなくてもコンピュータを操作できるなんて」

『ありがとうございます。それで、御用は何でしょうか?』

「ちょっと尋ねたいことが有って――船長の事についてなんだけど」

『プライバシーに関してはお応えできないこともありますよ?』


 プライバシーか。知性化はプライバシーに入るのかどうか。難しい問題だね。ピンインはちょっと悩んだが、思い切って聞いてみることにした。


「純粋に学術的な興味で、彼女の知性化に関することなんだけど。資料とか、何かあったら閲覧したい。できるかな?」

『ああ、それでしたら、Lamarckラマルクを紹介致しましょう。船長の知性化に直接関わったことのある教育機械をベースにしたシステムで、私とは別の専門コンピュータとして、船内ネットに繋がっていますから』

「それは面白いですね、早速お願いします」


§


 船をワープ航法で第一目標の超空間ゲートに向かわせてから、まるは医務室にいた。どうにもピンインに心を乱されっぱなしであり、発情期のコントロールの抑制が外れているのではないかと不安になったのだ。


「検査終わり、ホルモン抑制剤は充分機能してますよ」

 薬研やげん医療部長は、まるの診察を終えて答えた。

 まるはピンインを客室に通した後、あまりにもかき乱される心の対処法を求めるために、医療部に顔を出していたのだった。ホルモン抑制剤の効果が切れたとか、そういう基質的なものだったら、と、淡い望みをかけて血液検査も行ってもらったのだが、結果は芳しくはなかった。


「そうですか……。ありがとうございます」


 薬研医師は数少ない、まるより年齢が上の乗員のうちの一人だった。

 それだけではなく、まるが小さいころからお世話になっている、土岐家のホームドクターでもあった。本来人間の医師の薬研氏が、なぜ獣医の範疇はんちゅうのまるの世話まで行っていたかはのちの話に譲るが、人間とまる、双方を診ることができる稀少な医師としての腕を見込んで、拝み倒して〈コピ・ルアック〉の医療部長を引き受けてもらったのだ。


「おそらくね、船長」

「はい?」

「原因は心理的なものだとは思うのです。船長はこういうことに免疫が少ないですから。ただ、現状では精神安定剤は出しません。船長としての業務に支障が出るほどになったらまた言ってください」

<言われなくても分かってるわ。お薬貰えなかったのはちょっと残念だけど。無理に薬で抑え込んでも、それはそれで副作用が気になるし、かえって良かったのかもね>


 なんだかんだと薬研医師に見透かされているなと実感したまるは、出来る限りピンインとの接触を避けようと思った。所詮は一時の乗客に過ぎない。まるは神楽との会話を思い出していた。


§


 話は、時間を少し戻り、ピンインの輸送に関して、まると神楽で仕事の詳細を詰める話し合いをしていた時に遡る。


「あら、〈白浜〉に送り届けるんじゃないの?」


 まるは、神楽から細かい仕事の話を聞いてちょっと意外に思った。


「違うわ。それだったら別に大した距離ではないでしょ」

「確かにね」


 ピンインは8年前、惑星〈白浜〉の政府が、〈地球通商圏〉の金星政府から買い付けたものだった。3年飼育された後、利発な彼と、その体力に目をつけた〈白浜〉政府の研究機関が、彼の知性化を試みて成功したのだった。


「でね、その後研究をピンイン自身が引き継いで、今では雄性体に対する知性化に関する論文をいくつも発表して、博士業も取得している権威になっているのよね」

「へえ……若いのに凄いのねえ」

<知性化の権威か。私の事も研究対象に考えたりするのかしら?>


 まるは、自分を研究対象にされることを想像して、ちょっとぶるっと身震いした。彼は知性化してからの人生を、どういう風に歩んできたのだろう。

 彼女自身は、自分を認めてもらうために、ひたすら仕事に励んできた。そして、公はラファエル副長に代わってもらって、裏方で過ごしてきた。本当は矢面に立って、堂々とやり取りしたかったが、偏見も怖かった。自分が猫だという事はハンディキャップで、乗り越えるべきものでしかなかったのだ。そレに対して、彼はむしろ、「知性化された猫」という状態を武器にしていた。


「そしてね」


 神楽の一言で、まるは軽い思索から我に返った。


「先日ピンインは、自身の研究テーマである、彼がなぜ知性化に成功したかの研究を進めるために、〈蝶の翅太陽系〉にある人工天体の高度研究センターに移籍を希望したの。研究成果を〈白浜〉政府に還元するという条件でね。だから、そこに彼を送り届けるのが今回の仕事」

<ふうん、〈蝶の翅〉かぁ。あそこは確かに周辺の星団がすごいエネルギー源になるからって、いくつも研究施設があるわよねえ……って、ちょっと待って。〈らせんの目〉から〈蝶の翅〉? うわ、4ホップも離れてるじゃない。面倒くさっ!>


 ホップとは、超空間ゲートを使う回数を示す。一度の移動で4回利用するのは、〈大和通商圏〉では最も多い利用回数になる。


「なるほどね。となると、超空間ゲート移動時間で8時間、それにゲート間の移動時間やら、通行の事務手続きやらで……12時間超しちゃうから、二日仕事ね。結構大変」

「惜しいわね。引き受けが18時、到着引継ぎが翌々日の14時になる予定だから、3日間の旅程になるわ」

「うわぁ」

「だから、結構いい報酬額でしょう?」

「そうね、単にVIPの護送だから高い、っていう訳じゃなかったのね」


 まあ、報酬額は3日掛けたとしても余りある額ではある。


「了解。じゃそういう事で旅程の計画を立てましょう」

「お願いね。こちらは先に〈白浜〉に向かって手続きを済ませるわ」


<三日、かぁ。結構長いわね>


 回想を終わったまるはため息をついた。


「何事も無く無事に終わるといいけど」


 だがしかし、まるが厄介な航宙を引き受けると、大抵無事には終わらないのだった。


§


 まるが医務室で過ごしている間に、ピンインは、FERISフェリスとラマルクを使い、色々と試行錯誤を繰り返していた。

 ピンインは、自身の苦手としていた工学分野について、ラマルクからの再教育をうける試みを実践していた。本来は睡眠学習装置だが、現在のラマルクは改良を施され、軽く横になっているだけで圧縮学習が可能になっていた。15分ほどの学習で、彼の工学知識は、一線の技術者並みになっていた。もっとも、知識と実践は別だ。切れるナイフを持つと切りたくなる、の例え通り、彼は、得た知識が面白くなり、色々と実戦で試したくなっていた。


FERISフェリス、この工学知識を試す方法はないかな?」

『其れでしたら、ラボに向かうといいかもしれませんね。ただ、あなたの行動は船長の権限で制限されております。後からお願いしてみては如何でしょうか』


 ピンインはちょっとがっかりした。いろいろ試したくてうずうずして仕方ない。


「そこを何とかならないかな。せっかく得た知識なんだから、使わないと楽しくないだろう?」

『そうですね……。分かりました。ちょっとここを抜け出すお手伝いをしましょう♪」


 いくつになっても男の子は悪戯坊主だったし、自我を持つコンピュータであるFERISフェリスは好奇心の塊だった。罪悪感のひとかけらもない二人の悪巧みは、罪悪感が無いからこそ、危険な爆弾だった。


§


 結局、まるがこの仕事を受けたのは神楽との仲や、報酬額もさることながら、純粋に、雄の知性体に関する興味が有ったのは否定できない。しかし、そこは仕事なわけで、割り切りが必要だと、彼女は思った。


<どういう距離感で接するか、それが一番の問題よね……>


 船長室に戻って執務をしようと、医療室からの船内通路を歩いているときだった。


『船長、大変です』


 突然、ヘッドセットの通信を使ってラファエルから連絡が入った。


『いきなりどうしたの?』

『ピンイン氏がやらかしてくれました。ラボに急いでください。船室を抜け出した後、ラボに侵入して、研究中の異星人テクノロジー品にちょっかいを出したらしいです』

『わかった、すぐ向かうわ』


 まるは内心舌打ちをしていた。


「んもう!やっぱりあいつ、ガキだわ。知らない機械を勝手にいじるなって、お母さんに教えてもらってないのかしら!」


 最も近い直通リフトに向かい、リフトでラボに向かった。


§


 ラボに到着すると、そこはかなり酷い有様だった。

 実験室の一つが、部屋半分、球体の様にえぐられて無くなっていた。


「これはどういう状況? けが人は?」


 まるの質問に、現状の指揮をしていた秋風技術部長が応えた。 


「船長……。取り敢えず乗員乗客、一名を除いて無事です」


 すごく嫌な予感がまるの胃の腑をえぐる。


「その一名って……」

「ピンイン氏です。彼は異星人のマシンに巻き込まれて……消えました」

「なっ……! 何故こんな事になったの?」


 会話に、ラファエル副長の通信が割って入る。


『彼の船室にはモニターカメラが設置されていますが、何らかの方法でクラッキングされていました。ラボにも気づかれずに進入したらしいです』

「でもおかしいじゃない。彼は工学系の天才では無い筈でしょう?」


 さらに会話にFERISフェリスが割り込む。


『その件なのですが、私が原因かも知れません』

「どういうこと?」

『船長の知性化についていろいろ聞かれたので、当時船長の知性化を行ったマシンが〈コピ・ルアック〉船内に現存することと、今はそのマシンが私を経由して船内ネットにつながっていることを教えてしまいました。アクセスの形跡が有りますので、彼は高速学習を使って工学知識を得たのだと思います』


 まるが緊急的に知識を得たい時に使うために、今も当時の学習マシンを改修して使っていたのだ。彼は知性化の権威だ。そういうマシンがネットに繋がっていれば、興味を持つのは当然だろう。


「という事は、今彼は非常に狡猾で、工学知識にも長けた知能犯になったのね。で、今回の事故で彼は死んだの?」

『可能性は極めて低いです。恐らく、異星人のテクノロジーについて理解し、駆動させた結果、周辺の空間と共に、別の時空に転移した可能性が濃厚です』


 秋風がここで話しかけてきた。


「船長、彼がどこに行ったか、おそらく特定できたかもしれません。彼は、過去に向かいました」


 まるは頭痛がした。彼は一体何がしたいのか……。

 フェリスは淡々と報告の続きを行った。


「それと、極めて拙い自体が発生している模様です。〈渡会わたらい雁金かりがね〉にある異星人の装備から判明しましたが、ピンイン氏によって時間改変が行われて、当船は現在この宇宙では、存在していないものになってしまったようです」


§


 ワープ航法中だったことが幸いした様だった。

 外界の時間線は書き換えられてしまっているらしいが、ワープ中の船内はワープシェルで次元が分断されているために、歴史改変の効果からは独立していた。


「それで、彼の行先は分かるの?」


 まるはイライラとして尋ねた。


「はい、だいたい特定しています。90年前、惑星〈星京〉からの航路上を亜光速航行していた航宙船〈レインボーフラワー2〉の中です。――この後、その船は航宙史上まれに見る事故を起こすことになります」

「まさか――それは――」


 絶句しながらよろよろとするまるに、答えるラファエル副長の顔は蒼白になった。


「そうです。船長が知性化する直接の原因になった事故なのです」


 時間旅行には諸説ある。


 1:時間は改変できず、過去に戻るとそこは別の時間線であるという多次元宇宙解釈。

 2:同じ多次元宇宙でも、時間を遡った行為自体が時間を分岐させるという分岐世界解釈。

 3:過去に戻ったものは時間線から切り離され、時間線自身の改変が可能になる時間旅行による時空の再構成解釈。


 長らくどの解釈が正しいのかは議論すらされないオカルト扱いであったが、異星人との交流で、「3つのすべてが正しい場合がある」という解釈が伝えられた。

 多次元宇宙そのものは確かに存在するし、時間線を遡行する際に、よその時空に「斜めに」シフトしていく、という1と同様の場合は存在した。

 世界線の分岐というのは厳密ではないが、時間線が別の時間線に再接続される事象は存在するので、2の可能性もあった。

 そしてそもそも、時間線から離れた段階で、その時間線の影響は受けなくなるため、時間改変も可能だった。だから3もあり。という事らしい。


 親殺しのパラドックスというのがある。

 自分が生まれる前に親を殺したらそもそも自分が生まれてこない。という解釈だ。3の説では、新しい時間線では「根無し草」になるが、時間旅行に出た時点で時間線から一旦切り離されるため、「自分が生まれていない状態に改変された」自分自身の時間線に帰ってくることは出来る。例えば、過去に通信だけ送った場合は、自分も時間線から切り離されてはいないため、時間線の改変から逃れることは出来ない。


 まあ、まとめていえば、時間を変えるための旅行は可能だ。という事だ。

 そして、時間線から切り離されている間は、その影響は受けない。

 ワープシェルでワープ航行中の場合、一時的に時間線から浮島のように浮いた状態のため、ワープシェルを解除した瞬間に、時間線に復帰してしまうため、時間改変の影響を受けてしまうのだった。


 異星人のテクノロジー品に、タイムマシンの働きがあるものが含まれていたのは予想外だったが、幸いにして同じ能力を持つものはもう一つ発見された。小型艇〈渡会わたらい雁金かりがね〉だった。


「このままいつまでもワープシェル内での航宙を続けていても事態は変わらないし、物資が切れて補給が必要になっても、ワープシェルを解除した瞬間に〈コピ・ルアック〉は時間線への復旧時に消えてしまうわ」


 ラファエルも蒼白な顔で答えた。


「そうですね。船内の物資はリサイクルを考えても1ヶ月は持ちません。そのうち寄港の必要に迫られるでしょう」


 まるは爪を噛んでは舐め、を繰り返しながら考えていたが、やがて決心した。


「私が〈渡会わたらい雁金かりがね〉に乗って過去の追跡に出るわ。私なら見つけられても『猫のまる』で通るしね」


 まるの申し出に、ラファエル副長は例によって不服そうだった。


「危険すぎます、私も行きます。」

「ラファエル、気持ちは有り難いけど、あなただと目立ち過ぎてしまうわ」

「しかし……!」

『では、私がお供いたします』


 突然、船内通信で予想外の人物から申し出が有った。料理長アレクシアである。


『失礼しました、気になってブリッジの会話を傍受しておりました。私は当時、該当船内でコック見習いをやっておりました。しかも当日前後は、軽く臥せっておりましたので、調理場に入れず、自室に引篭っていました。適任だと思いますが』


 まるは少し考えたが、他の人物を連れていくよりはまし、という判断に達した。


「良いわ、格納庫にすぐ来て。他は私たちが出発して一分後にワープアウト。ワープアウト後は時間線に復帰するから、おそらくこの船は無くなってしまうと思いますけど、私たちが時間線を修復して帰ってくるわ。信じて任せてほしい」


 〈渡会わたらい雁金かりがね〉は、外見こそ人類の小型航宙艇だが、内装はまるで別物だった。全長僅か8m、全幅も4mそこそこの筈だが、内部は外形より広い、というトンデモ構造の船である、解析した秋風の弁によれば空間が静的に折りたたまれているらしい。

 納品直後は不可解な操作系しかなかったが、技術部の秋風が努力して解析し、人間・猫向けの操作系を付けてくれていた。駆動は次元時空エンジンとでも呼ぶべきもので、時空に関しては、空間の軸を移動するだけではなく、時間軸方向にも移動する、という事らしい。ただし、実際には過去の天体などの位置は宇宙、銀河系などが複雑に動くため、ターゲット位置や時間の選定は量子コンピュータ任せである。


「計画は、ピンインより前に到着して、彼が不要な接触をする前に、私を昔の私と誤認するように誘導する。私の行動に変化が出ないようにする。ということね」

「そうです。船長が船長と接触することは計画の失敗を意味します」


 ラファエル副長の声がことさら心配そうに聞こえる。


「了解、いつでも出発できるわ」

「では、通常航行でドックから出て、ワープシェル内で次元時空エンジンを始動してください」

「じゃ、出発します、気密確認。ドック解放」

「ドック解放」

「〈渡会わたらい雁金かりがね〉、通常航行起動。微速前進」


 小型艇はゆっくり浮上し、それからドックの外に出た。

 だがまだワープシェルの中である。


「さあ、作戦開始ね。次元時空エンジン始動!」


 次元時空エンジンを始動した次の瞬間、周囲の宇宙が溶けた。

 時空の移動は一瞬ではなく、解けた宇宙の中を不気味に漂うような時間がしばらく続居いている。これは予想外だ。船舷からは、時間・次元方向に俯瞰された宇宙が同時に視覚的情報に置換されて見えている。そのうち、グネグネとブレて見えていた空間がある一点を中心に収束するように見え始めた。


「さあ、到着するわよ」


 アレクシアは後ろの席で石の様に固まっていた。


<志願したにしても、彼女は料理長なんだよねえ。冒険や技術屋らにはとんと縁がない。荷が重かったかな?>


 だが、まるの声に反応して、ぎぎぎぎっと顔を向けた後、自分の顔を両手で「ばしんっ」っと叩いて正気を取り戻したようだ。


「すみません、船長。ちょっと緊張して。もう大丈夫ですよ」


 アレクシア料理長は、見かけはハイミス程度の小柄な女性なのだが、まるより年上のベテラン船員の一人だ。緊急時の対応については、やはり一日の長がある。


「有難う、アレクシア姉さん」


 彼女の気丈さに、滅多に云わない親愛表現でまるも答えた。アレクシアは弱弱しく笑うと、顔を引き締めた。

 周囲は通常の宇宙だった。亜光速航行特有の星の虹スターボウが見える。

 レーダーには大型の航宙船が捉えられていた。目標の船〈レインボーフラワー2〉だ。まるたちの乗る小型艇〈渡会わたらい雁金かりがね〉はステルスモードで接近していく。少しでもこちらを察知されたら、時間改変に繋がってしまう。そうしたら終わりだ。


「私達はピンインが到着する1時間前に到着したはず。手筈通り、アレクシアはこの時代のあなたがウロウロ出回らないようにロックして置いて。私はピンインと過去の私が遭遇しないように阻止するわ」


 まるはふと、このままピンインが到着して時間改変するに任せ、後で現代に戻ったらどうなるか考えてみた。だめだ。まるは船長ではなくなり、〈コピ・ルアック〉も存在しなくなってしまう。意地でもピンインの行動を阻止しなければ。

 〈レインボーフラワー2〉に潜入する方法は、かなりトリッキーだった。エアロックを動作させてしまうと、記録に残ってしまう。〈渡会わたらい雁金かりがね〉をワープシェルに包み、そのまま船内の貨物ブロックに移動してワープアウトするのだ。空気のある空間にワープアウトした場合、出現した物質が、周囲に元からあった物質を押しのけてしまうので、空中でも結構な風が発生してしまう。

 幸い、事故を起こした船という事で、〈レインボーフラワー2〉の当日の状態は細かく資料が残されていた。この時、たまたま倉庫の一つは空になっていて、少々の風が巻き上がっても大丈夫なはずだった。ただし、亜光速で動く物体の中に実体化するのは抜群の操船技術が要求される。


 まるは目的の倉庫に空間マーカーを設定し、ワープシェルを起動すると、マーカーに向けて操船を開始した。少しでも壁などを巻き込んでワープアウトすると、〈レインボーフラワー2〉に損傷を負わせてしまう。衝撃が発生するから、たぶん間違いなく警報が鳴って船内は騒然としてしまうだろう。そうなるとまるは外出できなくなる。知性化の偶然は起きなくなって、未来は変わってしまうだろう。

 相対速度はだいたい合っているが、メートル単位のブレがどうしても抑えられない。安全な空間への一瞬の見極めが大事だ。モニターで位置の同期が合う瞬間をじりじりしながら見守りながら操船する。

 その一瞬が来た。まるは人間よりはるかに反応速度が速いとはいえ、機械のアシスト無しでは無理な速度だ。一瞬を見逃さずにワープアウトボタンを押すと、機械がさらにその補正を行って、適度なワープアウト位置の補正をする。

「ごおおっ!」

 空気が押しのけられる風切り音がした後、〈渡会わたらい雁金かりがね〉は無事貨物室の中に実体化した。


「よしっ!」


 まるは緊張を解いて、尻尾の先までだらっと弛緩した。しかし、本当につらいのは、ここからの脱出だ。更に難易度が高い操船が要求されるのだが、それにはあるチャンスを狙う予定だった。


「ここから自室までのルートは分かるわよね」


 まるが問いかけると、アレクシアはにっこり笑って答えた。


「この船には10年以上勤務したんです。もう庭ですよ。大丈夫覚えてます」

「オッケー、ではタイマーを合わせましょう」


 まるはヘッドセットとグローブを外すと、超小型で耳の中に入れるタイプに変更した。そして、肉球にはめる形の通信端末を装着すると、ぷにっと押した。空中にタイマーが表示される。

 アレクシアは指輪型の端末を同様に操作してタイマーを表示した。


「目標時間は55分後、ピンイン出現の時間。彼は通路ブロックに出現する予定だから、私が彼を引き付ける。アレクシアは船内に戻って出発準備をして待機。操作法は送ったメモ通りよ」


 こういう重要な操船を、航海士でもないアレクシアに任せるのは気が引けたが、ここで万が一姿が見られても問題ないのが彼女しかいないから仕方がない。


「了解。では」

「行動開始ね」


 二人は、倉庫から慎重に外に出ると、それぞれの目標地点に向かっていった。


 まるは、あくまで普通の猫を装いつつ、そっと船内を移動していた。ちょうどこの時間は、過去のまるは食事をしていた筈だ。


<そうそう、この日のご飯は鮪のヒレ肉だったかしら。早めに起きて、土岐さんにシェフを呼び出してもらってから、食堂に一緒に行ったら用意してくれたのよね。……あれ、そういえばあの時は土岐さんは私と一緒には朝食を取らずに自室に戻ってるわね>


 まるが回想している丁度その時だった。

 通路の角から、土岐氏が出てきて、まるはばったりと鉢合わせしてしまった。


(続く)

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