第2話「〈コピ・ルアック〉は独立武装貨物航宙船です!」
独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉の主な積荷は稀少物資である。
稀少物資は高額なので、保険として、輸送費にも莫大な額が支払われる。維持費のかかる〈コピ・ルアック〉にとっては重要な収入源となるのだ。
「ふーむむむむ」
変な声で唸っているのは船長。全身ビロードのような美しい毛並みの三毛猫、まる。変な声はヘッドセットの小型スピーカーから出る合成音声だ。
実は彼女、ヘッドセットの後ろの、自慢のピンと尖った耳が痒くなってきていて、ヘッドセットを外して後ろ足でカッカッカッカッと引っ掻きたいところではあるのだけど、乙女が下半身丸出しで部下の前でやる事じゃないなぁと思って我慢しつつ、ちょっと面倒な報告書に目を通していた。
もっとも、100歳を超える猫が、乙女かどうかという点には、議論の余地があるのだが。
面倒、というのは部下が見つけたおかしな積荷に関する一致だった。稀少物品、という名目で、何度にもわたって依頼されている。一見すると関連性は無いのだが、実はすべて間接での依頼であり、元々の依頼主はどれも〈神楽コーポレーション〉なのである。
曰く20世紀の石油ストーブ(稼働品)。
曰く20世紀の映画のロボットの純金フィギュア。
曰くアルゴン封入で保存された21世紀の紙製の漫画本。
曰く陶器製の日本の萌えアニメのフィギュア……。
実は、すべての積荷にナノマシンらしいものが仕掛けられていた形跡が有ったのだ。
「これは…どうにも偏った感じのするチョイスですな」
ラファエルも眉間にしわを寄せながらリストを検分する。
「マニアよね。これ」
別にマニア向けの商品を取り扱っても何の問題もないし、これらの商品の輸送代金は結構高額なので、商売としても問題ない。ただ、なんというか、何故いくつもの会社を経由して物品を、怪しいナノマシン付きで流しているのかが不審だった。残念ながら、ナノマシンは発見すると自壊してしまうので詳しい調査は出来ていない。幸い、ナノマシン自体は増殖型では無く、周囲への汚染も認められない。それに第一、今は執務中だから細かいことを探る暇はない。特に実害も出ていないようなので、気に留めるリストに入れる程度で、今は放置しておきましょうかね。
「ナノマシンは引っかかるのだけど、まあ、もし何か動きが有ったら報告してもらうようにしましょ」
「了解しました」
「さて、次の懸案。いつもの航路のあたりの宙賊の動きが不穏なんですって?」
まるの目前には考えなければいけないことがいっぱいあった。
§
〈神楽コーポ―レーション〉の社長室では、
「吉田」
「はい、何で御座いましょうか神楽さま」
「送った物品に仕掛けたステルス・ナノマシンは動作しているの?」
「残念ながら、回収には成功しておりません。気付かれたものと思われます」
「……よ・し・だ」
「は、はい?」
「〈コピ・ルアック〉の調査にはこの方法が有効って企画書作ったのは吉田よね?」
「あ、はあ。申し訳ありません」
「この計画だって結構莫大なお金が動いてるのよ。失敗しちゃった~テヘペロ。みたいな訳にはいかないの。分かってるわよね?」
「……はい、申し訳……」
「言い訳は良いわ、減俸。それからさっさと次の作戦を立案なさい」
吉田はうなだれたまま、頭を一度下げて了解の合図をした。
「つっかえない男ねえ…」
と云いつつ、作戦から外さずにこの男をまた使う辺り、実はこの社長は結構吉田を信用しているらしい。
§
独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉は、船であると同時に戦闘組織であり、更にそれ自体が会社組織でもある。なので、その組織は航宙船の運用部門と戦闘部門、それに貨物運送会社の会社組織を合わせたような構成になっている。
まるが毎朝行っている朝食会議には、主要幹部13名が出席する。内訳は、統括部からはまる自身とラファエル、航宙部門から2人、戦闘部門から2人、福利厚生部門から2名、会社運営部門から6人。会社部門は複雑なため、どうしても代表者が多くなってしまう。
今朝の朝食会議の話題は、大きく分けて二つ。先だってまるとラファエルが話していた〈神楽コーポレーション〉の荷物の件と、不穏な動きを見せ始めている宙賊の件だった。
ちなみに朝食のメニューだが、まるは特製の猫用シリアルに、ツナのソテー。他の幹部はベーコンエッグにマッシュポテト、アニスシード入りのパンとスープだった。生鮮食品を運ぶ技術21世紀に比べ格段に進歩しては居るが、保存のきく食料はやはり穀類がトップだし、宇宙ではどうしてもこんな食事が多くなる。船内農場で比較的潤沢に卵を生産できているのがせめてもだった。ちなみに卵は鶏卵とほぼ同じ見た目・成分の植物の果実で、別名偽茄子。茄子がエッグプラントという処から逆に来てるらしい。卵と違って若干粘りけが強く、低重力下でも調理して食べやすいし、成長からわずか一週間で結実するため、これが生まれてから宇宙食は激的に改善したといわれている。もっとも、〈コピ・ルアック〉の食事は、船内のシェフが料理の全面改定を目指しているので、近々大幅に改善するらしいという話ではあるが。
「宙賊の活動が活発になったエリアを、一時的に迂回した航路を考えてみるしかないかもしれないですね。積荷の到着期限に間に合わせられるか、機関部と相談してみます」
発言したのは一等航宙士の太田大輔。生真面目な男性で、周りへの気配りも細かい。ただ、私生活では変な蒐集癖があるらしく、朝食会議の一番まるから遠い席で、物静かに朝食を食べている物流部の五条新太に掛け合って、自分専用のコンテナを持ち込んでいるらしい。彼が蒐集しているのはアンティークドールらしいが、素人が首を突っ込んでいい世界ではないそうで、こと趣味に関しては周りからちょっと距離を置かれている。
「そうね、無用なリスクは避けたいわ。それでなくても神楽の方も気になるし」
まるは相槌を打った。
「その神楽のナノマシンですが、ラボで自壊したものを再構築する試みを行っております。現状ではある種の情報収集目的ではないかという推測が出ていますよ」
ベーコンを咀嚼してからそう口を開いたのは、技術部の秋風高志。なんというか、オタクだ。でも腕は一流。
「分かったわ、引き続き調べて」「カリッ、コリッ」
シリアルを食べてる最中でも、ヘッドセットはまるの思考やゼスチュアを読み取って喋ってくれるが、何だかちょっとお行儀が悪いようにも感じる。うーん、でも口に何か入ってても喋れるのは利点だから、下手に直すとかもしたくないのよね。
まるの食事の音を聞いて、経理部長の
<まーたどうせ「カリカリだ、猫のカリカリだ」なんて思って猫萌えでもしてるんだろーなー。まあ、特に親しくて私の事を明かしているクライアントの所からの移籍でもない限り、うちの船に入るまで船長が私ってことは大抵伏せられてるから猫萌え属性持ってるとかは分かりにくいんだけど、朝食会議のメンバーの八割が猫萌えなのはちょっと困るかな。他のはあんまり顔には出さないけど、生活医療部長の
ちなみに、〈コピ・ルアック〉の乗員の3割が何らかの強烈な猫萌え属性を持っている。別にまるの事を宣伝して入ってきてるわけでもないのだけど、航宙船乗りには一定数の割合で猫萌えが居るらしい。ほかの乗組員もほとんどは
ちなみに、正式な席に出るとき以外のまるは船内を歩くときは大抵裸である。身につけているものと云えば執務用よりも機能を縮小した片耳から目に掛けて装着する小型ヘッドセット程度と、外見上は装着のわからない「シークレット・ポシェット」、それと機械類を操作するためのマニピュレーション・グローブ位である。女性が裸で歩く、ということについては、知性を得た後暫くはかなりの抵抗を感じたが、猫が猫たる美しさはその毛並みにある。という自負から、猫本来の姿で過ごすことを決意している。胸とおしり位は隠そうか……なんてことも考えたが、何だけ余計に滑稽になりそうなのでやめた。裸への羞恥心なんてろくに毛の生えてない変な猿……失礼、体毛の少ない人間が抱く妄想みたいなもんだろうと思うことにした。
閑話休題。
朝食会議ではこれ以上、さして成果のある話は出なかった。
「船長、宜しいですか?」
総務部長の
「ん?何かしら」
「排除ばかりしていても相手の正体を探る時間ばかりが掛かってしまいます。敢えてスルーさせて、相手の出方を見てみるのも手ではないでしょうか」
「定石ね。いいでしょう。もし何らかの方法で〈神楽コーポレーション〉からの接触が有った場合、無理に退けない様にしましょう」
全員から了解の頷きが返る。
「では、ごちそうさま。今日も一日頑張らないっ」
普通の会社とかでは「頑張りましょう」にするところだけれど、そこは猫が率いる〈コピ・ルアック〉だった。
§
「吉田。ちょっと」
〈神楽コーポレーション〉社長、
「はい、神楽さま」
「先日お願いした件。〈コピ・ルアック〉について。進捗はどう?」
「し……進捗、ダメです」
「吉田」
「は、はいっ」
「トリのエサにでもなる?」
「か、勘弁してください。今回はナノマシンではなく、解析しようとすると記録をするハードウェアを直接陶器のフィギュアに埋め込んで送りつけたのですが、逆に手つかずで届け先に届いてしまいまして……」
ちょっとむくれた神楽はそれ以上吉田を責めることはせず、腕組みして考えた。下手を打つより、これは正面から云った方がよいかも。
「吉田」
「は、はひっ」
「準備して伝えなさい。私が直接〈コピ・ルアック〉に行くわ」
「了解いたし……ええええ」
「何がえーよ、下手を打つより私が直接乗り込もうって云ってるのよ」
「で、でもしかし、それは余計に下手な事態を。そもそも目的が目的ですし、万が一違っていたら……」
「その時はその時でしょうが、あの噂が真実らしいっていう情報持ってきたのはあなたでしょうに。良いからさっさと準備しなさい!」
吉田は大変後悔していた。事は社長の気まぐれに応じて、昔の資料を探していた時だった。偶然見つけた70年前の天才猫のニュース。その猫は宇宙を航宙するべく、
航宙船の登録を閲覧してもう一つ不審に思ったのは副長の不在である。ここまで調べていて、航宙船の登録には、船員が人間でない場合の特例。というものがあることを知った。非人類船員は、全権代理としての人間を閲覧用の船舶登録に船長として登録できる。というものだ。本来は渡来している異星人用に作られた特例だが、地球産の人類以外の生命体が船員の場合にも適用可能だという。ここでいう船員は船舶の権利行使権を持つもの。つまり、大抵の場合は船長を指す。
神楽社長は、ラファエルは実は空席の副長であり、船長は非人類。つまり70年前の天才猫ではないかと言い出したのだ。
「仮に天才猫が〈コピ・ルアック〉の船長だとして、どうなさるのです?」
そう吉田が問いかけると、
「野暮な事を言うものじゃないわ。私は狙ったものは必ず落とす」
と、ドヤ顔で答える神楽だった。
はいはい回想終わり。吉田は頭の中に浮かんだ当時の回想を手でぱっぱと払いのけ、神楽社長の正式の会見依頼を〈コピ・ルアック〉宛にしたため始めていた。会見の理由は、物資運送のお礼とでもしておこうか。
§
「で、受けちゃったの?」
まるは不機嫌だった。
「はい。断る理由もありませんし。逆に断ると不自然でしょう。それに不審な行動の理由となった相手の意図も分かりますから」
ラファエルはこともなげに返す。
「あーはいはい。じゃいつものように対応お願いね」
まるは未だ、自分がターゲットであるとはつゆとも思っていないから、いつもの業務と同じに処理をお願いした。
ただ、引っかかる。
尻尾の先が
「でもねえ、相手の意図が分からないうちに受け入れるのは、すごく危険な気がするのよねえ……、なんというか、こう、勘にビンビン来るのよ。すごく怪しい感じがする。って」
「はいはい。それは十分注意しますよ。まるさんの勘の鋭さは疑いようありませんし」
まるの事を「まるさん」と呼ぶのは、今となっては
「ほんとにお願いね。何だかもやもやと、変な予感がし続けているんだから」
ラファエルはにっこりと笑って、それから真顔になった。
「正体不明な相手だからこそ、取り込んでみようっていうものですよ」
「まあそうね」
分からない以上、実際、ぶつかってみるしかない時もあるのだ。
§
<i141749|13433>
ピンク色のハイヒールのような恰好をした、全長100mほどの中型宇宙艇が、珈琲豆の様な形の全長約1キロの巨大な〈コピ・ルアック〉に接舷している様は、何とも異様な感じだった。珈琲豆とは言っているが、これだけ巨大だと近くで見ると巨大な灰色の壁だ。遠くからでも、光を浴びていれば灰白色な船体である。焙煎前の珈琲豆だ。対するピンクのハイヒールは〈神楽コーポレーション〉の持ち船〈
〈コピ・ルアック〉に乗船してきたのは、女性社長の神楽茉莉、側近の吉田、それとガードマンが二人。神楽は紫を基調とした大人しい花柄の和装に、桜色の帯を二重太鼓に締めて、紫の帯留めで留めている。吉田とガードマンは旧態依然とした黒スーツである。神楽社長と二人漫才をしているときはちょっと情けない雰囲気の吉田だが、対外的には非常にスマートな雰囲気を漂わせ、ブラウンのカラーグラスの底の目には抜け目ない光が宿っている。
「ようこそ貨物船〈コピ・ルアック〉へ。独立商船というむさ苦しい環境ですので、ご不便をおかけするかもしれませんが、よい滞在になりますように」
トップにはトップ。という事で、ラファエル船長(代理)がにこやかに出迎える。
「初めまして、〈神楽コーポレーション〉代表の神楽茉莉です。当社の貨物を何度か扱っていただき、お礼も込めて、改めて商談を致したいと思います。どうぞよろしく」
狐と狸の化かし合いね。別室で会見の様子を伺っていた猫は思った。まあ、まる自身も
客室に一行を案内した後は、神楽と吉田、対してラファエルと物流部長の五条、営業部長の
「しかし、〈神楽コーポレーション〉さまは年商一千億の大商社様とか。この程度の商談に社長様自らというのは大変恐縮ですなあ」
「いえいえラファエルさん。貴方は大変船員に評判が宜しいそうじゃないですか。船内にファンクラブまであるとか。そういう船長様にはぜひ一度お会いしたいと思いましたもので」
もちろん、あるのはまるのファンクラブである。
何かその会話がすごくきな臭い感じがして、モニターで様子を伺っていたまるは思わずフレーメンした。臭い物を嗅いだ後に猫がする、口を半開きにした情けない表情だ。
そしてピンときた。
『ラファエル、ラファエル。相手の目的がだいたい推測付いたわ』
ラファエルが耳の奥に仕込んでいるイヤホンに向かって連絡を入れた。
ラファエル自体も気が付いているとアイコンタクトが帰ってきた。そう、あの女が探っているのは他でもない、まる自身の事だと気が付いたのだった。
§
商談は無事終わり、一定枠の契約を取り付けた後、晩餐会になった。
「ラファエル、私も出るわ。例の作戦で行くからよろしく」
例の作戦とは、まるが他の船員の飼い猫として参加するというやつだ。相手はまるの姿を探っている。仕方ないので毛並みに光学コーティングを施し、自慢の三毛を隠して、白猫装束にすると、営業部長の新穂を呼び出す。
「新穂、いつものようにお願いね」
新穂は真っ赤な猫ハーネスを持ってきた。ハーネスを装着してもらうと、ヘッドセットを超小型の耳の奥に設置する物に変え、エスコートしてもらって晩餐会へと向かう。
神楽は、新穂が連れてきた猫を見て一瞬顔を輝かせたが、白猫だという点でちょっとがっかりした様だ。
<やっぱりこの女、私の事を知ってるわね>
まるは緊張しつつ、彼女の前に努めて普通の猫のアピールで歩いて行く。
「にやあん」
「まあかわいい白猫。新穂さんの飼い猫ですの?」
「ええまあ、うちの営業猫です」
「なんてかわいい営業さんなんでしょ。営業成績もきっとトップなんでしょうねえ」
そういいながら、神楽はまるを撫でまわす。
<うっ……>
思わず声が漏れそうになる。いや、どうせこの簡易型ヘッドセットでは音声出力は無いが、喘ぎ声を出しそうになってしまった。この女、猫の扱いが超上手い。
<で、出来るわねこの女>
だがここで引き下がっては猫のメンツにもかかわる。
甘い声で「にゃあ」と答えて、優雅に体をくねらせ、尻尾で合図を送ってみる。
「まあ、この猫ちゃん、私に甘えてくれるのかしら」
<そんな訳無いじゃない。遊んであげるってことよ>
男どもが談笑している中、船長と社長、二人の女はそっと抜け出した。
§
そして、気が付いたら2人だった。船内をあちこち見て回ろうとする神楽をそれとなく
<困ったわね>
ヘッドセットは近くにある。特例私物用のコンテナは4つ。ひとつはまるのだ。そこには古い型のヘッドセットがまとめてある。あるのは簡易型ではなく、会話もできるが、残念なことにフル機能版ではないので、船内に通信を送ることはできないのだが。今のところ神楽嬢には私の正体はまだ知らせていないが、必要となれば取りに行けばいいだろう。問題は外との連携だ。そもそもがこの女がウロウロ船内を詮索さえしなかったら、こんなところに迷い込んで鍵がかかるなんてことにはならなかったんだけどなぁ。
「困ったわね……、ねえ猫さん。いい加減に私に協力してくださらない?」
「にゃあ?」
ワザと何も知らないふりをして首をかしげてみる。この女の本当の目的がいまだに分からない。今の状況で追い詰められたら、いろいろ話してくれる可能性はある。
「んもう!分かった、わかったわよ。降参する」
資材の段ボールをぎゅっぎゅと押して確かめ、丈夫なのを確認してからその上に座り込んだ神楽茉莉は、自分語りを始めた。
「私はね、地方の名家に生まれたの」
<それは知ってる>
「周りはへいこらとお辞儀ばかり米搗きバッタみたいにする、手を揉みながらすり寄ってくるようななやつばっかり」
まるは話を聞くために、段ボールに乗り、彼女の顔を覗き込む。彼女はゆっくりとまるの頭をなでる。
「そんな時、救いになったのは猫。猫は気まぐれで、私のいう事なんか聞いてもくれない。でも、それがよかった。対等に扱ってもらえている感じがした。お嬢様が猫に対等に扱われて喜ぶとか、周りが聞いたらきっと笑うか、顔をしかめるでしょうね」
<そっか>
この子は……寂しかったのかな。まるは思った。
「だから、私、思ったの。本当に頭のいい子に会いたい。わたしよりずっと頭のいい猫に。それで、この船の船長が、70年前に奇跡の生還をした猫だ。っていう都市伝説を信じた。そして、調べていくうちに、それが真実だって確信が湧いてきた」
<最初から私に会いに来ていたのね>
まるはととっと離れると、資材の箱の奥にあった小さな箱を引っ張り出した。そして、首輪に仕込まれた光学迷彩装置のスイッチを切ると、白猫に美しい橙と黒の斑が現れる。神楽はその様子を幻でも見るように眺めている。まるはそして、箱からヘッドセットを出して装着した。
「貴女は正しいわ、神楽茉莉さん。初めまして。当〈コピ・ルアック〉の船長を務めています。まるです」
§
まずい、とてもまずい。
今は〈コピ・ルアック〉は非戦闘モードになっている。そこに狙いを定めたように、宙賊の斥候艇がやってきていた。
「斥候に逃げられたら、今うちの船は格好の標的だ。戦闘モードに移行しないと……ああもう!船長どこ行った!」
ラファエルが吠える。
「あの、ラファエル船長?」
「吉田さん、もう気が付いてるんでしょう?私は副長ですよ、ふ・く・ちょ・う。船長権限は今は移譲されていない。私と船長の二人がそろわないと、非戦闘モードの特権命令の解除は出来ないんです!」
「ええええええ」
「其方が接舷する際の儀礼措置です!簡単には解除できないんですよ!」
「副長…じゃなくて船長」
船内ネットワーク管理部長の渡辺が慌ててやってきた。
「ああ、もうばれてるから副長で結構。それで結果は?」
「ネットワークの権限オーバーライドを試しましたが、ダメですね。多分オーバーライド機構を船長が弄っちゃってる気がします。とにかく今は船長を探す方が早いです」
「船長はフル機能版のヘッドセットを装着してない、多分向こうから何らかの事情で連絡を入れられない状態になっている可能性がある。吉田さん、あんたのとこの社長と一緒にな。女二人でロクでもない喧嘩にでも発展してたらと思うと洒落にならない」
「ええええええええええ」
「さっきからえええばっかりじゃないか」
「え……ええ、すみません」
「とにかく、斥候が連絡を取れないようにジャミング。その間に船長を探そう」
§
「神楽さん、何だか外があわただしい気がするんですけど」
「まりで良いわ。私もそれは気がついてる。私たちが居ない間に何か非常事態が起きたみたいね」
「通信手段が無いのは辛いわね……。この手の事故はありそうなものなのに。ちょっと改修リストに加えておきましょう」
「私も携帯端末を持ってくればよかったわ。ちょっと失敗」
「とにかく、この部屋にあるものを調べてみましょう」
部屋の段ボールに入っていたものは、だいたいが古い書類だった。そして、私物コンテナが4つ。
1つはまるの。あとはドーラ・ボーテの猫グッズ、物流部長の五条の紙の書籍、そして一等航宙士の太田大輔の私物……アンティークドールが詰まったコンテナだった。コンテナに就いた小窓からはコンテナの中のケースに並べられたドールがうかがえる。
「男性がこんなものの蒐集を趣味にしていたりするのねー」
「あら、先日から、うちにはオタクの収集物みたいな貨物が立て続けに送りつけられてきたわよ?女社長様から」
墓穴を掘った。慌てふためいて赤面する神楽だった。猫はシニカルだと思っていたけど、本当に口をきく猫がこれほど辛辣だとは思っていなかったわ。
「そ、そういうまるさんにだって蒐集物くらい有るんじゃないですの?」
「ええ。あるわよ。これ」
まるはぴたぴたと床を肉球で抑える。
「……床?」
「違うわよ。この船。私の収集物は航宙船。素敵な趣味でしょ」
「はー。お金のかかる趣味ですこと」
「いえいえ、趣味と実益を兼ねての事よ。……趣味と実益……ひょっとしたら!太田君ごめん!」
アンティークドールのコンテナには鍵がかかっていたが、まるは「保安上の理由から」と云って開錠方法を聞き出していた。
空けたコンテナの中は、別世界だった。まるは精密に作られたドールを一つ一つ調べていく。そして、目的物はあった。
「WiFiコントロールドール。ネットワークチップが内蔵されてるわ。ドールは愛でるもの、とは言ってたけど、航宙士の性とでもいうのか、操作して見たくなるんじゃないかと。……これとヘッドセットを接続すれば、私たちの居場所を知らせることができると思う」
「さすが。でも、工具は?」
聞かれたまるはチシャ猫のようにニヤーっと笑って、シャキーンと爪を出した。
「あーはいはい。猫の体は十徳ナイフね」
良く考えたらドーラの猫グッズにも、WiFi物くらいは有ったかもしれないのだが、弁償代わりにモフり権利などを要求されたらちょっと嫌なので敢えて無視していた。
§
「見付けました!資材倉庫です!」
渡辺が船内ネットワークを監視して、まるが発信している情報を発見した。
「警備班、船長とお客様を確保して!あと船長に通話チャンネルでブリッジに報告を淹れさせてください」
ラファエルの指示で、すぐにまると神楽は解放された。
「ラファエル!」
「ああ、まるさん。本船の様子を宙賊の斥候艇に発見されました。敵がワープアウトして逃げる前に戦闘モードの許可を!」
「やってるわ!ちょっと待ってて」
まるはコンソールから非戦闘モードの解除と、第一級戦闘モードの許可を入力して、タッチパネルに肉球を押しつける。船内等が一斉に緊急を知らせる赤に変わり、自動アナウンスが流れる。
『本船はこれより第一級戦闘モードに突入します。非戦闘要員は安全の確保を。戦闘員は直ちに所定の位置へ。繰り返す、本船はこれより第一級戦闘モードに突入します』
「神楽さんは自船の安全を確保して!」
「わかった」
彼女は和服の裾の乱れるのも無視し、着物のつま先を両方ひょいっ、と掴むと、その白魚の様な足を露わにし、恥ずかしげもなく駈け出して行った。
「船長より砲術班長ドーラへ、解析結果から敵機は無人なのを確認した。次元転移砲発射準備。構わずぶっ飛ばしちゃいましょう」
「了解、次元転移砲発射準備」
「船長よりブリッジへ、敵の逃走に備えてワープ準備。あと太田君、ドール一体壊しちゃった。御免」
「ブリッジ了解。一等航宙士は涙をこらえています」
会話を済ませたまるは、高速リフトに向かって猛ダッシュした。
§
神楽の指示で、接舷していた〈桜扇子〉は発進した。戦闘艇ではない〈桜扇子〉は、せいぜい防衛用バリアーを展開することくらいしかできないが、足手まといにならないくらいの配慮はできる。予想される戦闘エリアから迅速に離脱しつつあった。
〈コピ・ルアック〉は戦闘モードに移行し、全体が鈍く黒光りする戦闘用フォースフィールドに覆われた。先程までの生豆が焙煎豆になったようだった。
宙賊、要するに非公認の宇宙海賊だ。奴らは現代において、厄介な敵の一つだ。彼方此方の航路に潜んで、貨物船などを襲って金品を奪う。そういう輩に対する対抗策として、独立商船は武装を強化するのだが、〈コピ・ルアック〉のそれは他と一線を画していた。
まるは、高速リフトの中でじりじりとしていた。ネットワークに接続できるヘッドセットだったら、移動しながらでも指揮が取れるのに。
やがてリフトがブリッジに到着、扉が開くと同時にブリッジに駆け込んだが、既に戦闘は開始されていた。
「次元転移砲発射30秒前、敵は散発的な攻撃をしつつ、ワープの準備をしています」
ドーラからの報告、間髪入れずに太田航宙士から報告。
「敵ワープまで15秒。間に合いません!」
拙い、斥候艇を逃がしたら敵の本隊が動いてしまう。敵本隊自身ははるかな航路上だし、非戦闘状態から唯一可能なジャミングがずっと効いているから、連絡できていない。だが、斥候にワープで逃げられてしまえばそれも無駄になる。今敵に動かれると〈桜扇子〉を巻き込んでしまう。
「ワープシェル展開!そのまま体当たりして!」
ワープシェルとは、本来ワープ航法を用いるときに、通常空間から船を隔離して、メタ相対論的効果を受けなくするための装備だ。だから。そのまま体当たりをしても、敵を素通りするだけなのだが、ワープシェルの中にワープシェルは発生できないので、敵がワープするのを妨げることができる。
〈コピ・ルアック〉を虹色の
「敵が逃走を試みています!」
太田航宙士がバブル状態での困難な操船をこなしながら叫ぶ。
「あと10秒保たせて!」
砲術担当のドーラが悲鳴を返す。
「気安く云ってくれるよねまったく!」
こうなっていると、もうまるの出番はない。プロの二人に任せるしかない。
逃げようと加速する船の位置に位置合わせをするように亜空間バブルの位置を座標指定してスライドして合わせていく。普通の一等航宙士ではそうそう出来ない、神業の様な操船である。
「5,4,3,2,1、発射可能、敵に座標固定!」
「敵をバブルからゆっくり外に出して!」
まるの指示に的確に太田が応える。
「次元転移砲照射!」
叫ぶより早く、ドーラの次元転移砲操作が動く。何かが一閃し、敵がワープとは違う感じで掻き消えた。文字通り、この世から消えてしまったのだ。次元転移された敵は原子分解されて、別の時空にまき散らされる。
「戦闘終了、戦闘モード解除。お疲れ様」
ブリッジの全員が、はーーっと息を吐いて力を抜いた。
§
ここは近隣の惑星。リゾートとして名高い星だ。何故か息の合ってしまった女二人が。地上でショッピングを楽しんでいる。まるはハーネスを付けて神楽の飼い猫のふりをしている。
「ねえねえ茉莉、そのドレスはちょっと派手じゃないの?」
「あらそうかしら。いつも裸のまるさんにどの程度分かるのか疑問だけど」
楽しんで・・・いる?
まるのヘッドセットが無骨だからアクセサリーでも飾ったらという神楽の意見に、船長は質実剛健!と返すまる。やっぱりちょっとかみ合っていない感じもする。
カフェテラスで休憩し、まるはミルクジェラート、神楽はアイスラテを頼んでいた。2人はだんまりとしていたが、ピリピリとした緊張が流れている。和解した2人だったが、どうにもショッピングの趣味は合わないらしい。
「茉莉さん、私たち、このままだと喧嘩になりそうね」
「帰る?」
「その方が賢明みたい。お互いの為にも。二人の友情の為にも」
「女の友情は
そういって二人で顔を見合わせて、にんまりと笑った。
§
独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉は、まるを船長に、今日も宇宙を駆ける。
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