第10話「コピ・ルアックの受難01:珈琲豆と電子戦」
まるは不機嫌だった。
「コピ・ルアック」という、まるの
「コピ・ルアック」のかつての原産地は、今は遙かなる地球のインドネシア。そこに住むスマトラのジャコウネコは、珈琲の赤く熟した実が好物で、ジャコウネコが排出した糞には、消化されないままの珈琲豆が含まれるそうだ。これを洗浄・乾燥すると、ジャコウネコの持つムスクの香りと、独特の風味をもつ、大変に稀少で高価で流通する珈琲になる。それが「コピ・ルアック」である。ハイ・ローストがお勧めだ。
(コピは珈琲、ルアックはジャコウネコの意味)
ところでジャコウネコは、いわゆる猫ではない。むしろイタチの様な生き物だ。だが、口さがない同業者は、航宙船〈コピ・ルアック〉を「猫うん珈琲」等と
当の猫であるまるには、大変面白くない仇名だ。
現代では、「コピ・ルアック」の主要な生産地は3つある。
一つは惑星〈白浜〉にある、〈ジャワ公国〉の熱帯林で有名な居留地〈ヤマト・スマトラ〉だ。何かそのまんまだが、そういう名前なんだから仕方がない。グァテマラ種の珈琲豆や、小動物等、様々な生物相が移入され、人工で地球のかつてのスマトラの環境が再現されている。
もう一つは〈連合通商圏〉の惑星〈セーガン〉にある〈アルペン・トロピック〉。ここは本来はメキシコ系アメリカ人の植民地であり、輸入されている珈琲豆もメキシコ産アラビカ種である。ここにはジャコウネコは移入されなかったが、後述の技術革新のお蔭で、「コピ・ルアック」が製造されるようになった。
最後は原産地のスマトラである。だが、21世紀初期~中期に「コピ・ルアック」のブームが起き、ジャコウネコに過酷な環境で珈琲の実ばかりを食べさせるという問題が起き、動物虐待を避ける目的で、天然以外の生産には厳しく制限が掛かった。
これにより、合成でない「コピ・ルアック」は非常に高価なものとなり、ほぼ幻の品物となっていた。
それが、23世紀半ばに、異星人のもたらしたテクノロジーにより生み出された生化学工場を使い、ジャコウネコを介さずに天然の「コピ・ルアック」と寸分違わない珈琲豆の加工が可能となり、「コピ・ルアック」は再び静かに広がっていった。名前の由来から考えれば、ルアック=ジャコウネコを介していないので、これは「コピ・ルアック」と呼べないのではないか。という向きもあったが、成分的に全く同じ(というよりむしろ、ばらつきの無い安定した品質)ものであったので、この議論はやがて廃れてしまった。
現在、3か所の熱帯林の名所に原産国があるのは、かつての天然「コピ・ルアック」の生産拠点だったころの名残りと、そういう気候で育ったアラビカ種(特にグァテマラ種)の珈琲豆が、「コピ・ルアック」の品質に適合している、という理由によるものである。
そういうわけで、「コピ・ルアック」はこの時代、「猫」にも「うんこ」にも関連性はない。にもかかわらず、「猫うん珈琲」という仇名がまかり通っている、という事に、まるはイラ付き、その話題が出るたびに、上記の薀蓄を持ち出して否定するのであった。
――いや、彼女が否定したいのは、仇名に加えて、次の様なまことしやか噂が流れている所為でもある。
曰く、「〈コピ・ルアック〉の船長が猫を飼っていて、そのうんこが臭いので思わず船の名前を〈コピ・ルアック〉にした」
曰く、「船長がうんこ臭いので、船員が船籍登録の際に悪戯をした」
e.t.c……
うんこうんこと、お目汚し大変失礼しました。閑話休題。
「船の名前を登録するとき、歴史を良く調べずに付けてしまったのは事実だけど、あんまりじゃない?」
本日の朝食会議の、食後のお茶の時にも、まるは思い出したように不満を垂れた。ラファエル副長は苦笑しながらそれ答える。
「まあまあ、これは所謂妬みですよ。業績は伸びているわけですし、決して悪評で商売に影響が出てるわけでもないでしょう?」
<わかってるわよう>
自分用のホットミルクを舐めながら、まるは思った。
<ここは私の
朝食会議に出たのは、最近、まるの心痛になるその名前を、妙なところから良く聞く、という話だった。妙な所……それは、航宙船〈コピ・ルアック〉が製造された、〈大和通商圏〉の首都星とされる惑星〈星京〉にある〈東海連邦〉という、〈大和通商圏〉でもかなり大きな国からであった。
§
世の中には、浮き沈みがある。
それはシーソーのようなものかも知れない。
何か、または誰かが評価され、登って行くときは、どこかでその分落ち込みが発生する。みんなで手をつないで仲良くゴール、なんていう事は、現実にはない。
誰かが狡猾に立ち回ると、真面目にやっていた誰かが損をする時もある。
逆に、コツコツ積み上げてきた人が一定の評価を受け続けていると、一獲千金を狙う人は分け前に預かれないなんて事にもなる。
その男は、処世術に長けているという自負があった。
彼が所属していたのは〈東海連邦〉の正規軍だったが、実際、半年前までは人を押しのけ、或いは陥れてでも、上を目指し、順調に出世街道を上っていた。軍はついに拡張に踏み切り、新たな旗艦として、新造戦艦の発注をするまでになっていた。そして、彼は、その旗艦に着任する予定だった。
だが、ある日突然、何かが狂った。
〈東海連邦〉は同じく〈星京〉に構える〈関東合衆国〉との公式電子経済戦争に挑み、そして惨敗したのだった。
「電子経済戦争」は、24世紀以降に広まった、流血を伴わない大規模な国家間の紛争解決手段である。
その実態は、第3者のジャッジを受けつつ、バーチャル空間において、経済価値を持つ拠点やコマを使って、数万のプレイヤーを従える国同士が相手の陣地を攻略する大規模ウォーゲームである。
欠点としては、必要条件が厳しく、例えば、
・ネットワーク速度の兼ね合いで同一太陽系内で布陣できる国同士であること。
・国家規模が近い国同士であること。
・ジャッジをフェアに行える第三者の国が居ないと成立しないこと。
・負けた国は「たかがゲーム」で理不尽なまでの経済的ダメージを被ること
e.t.c, et.c.......
などがあり、未だに物理戦争を選択される場合の方が多い状態というのが現状であった。
だが、例外的に、隣接する大国間の戦争に限って言えば、物理戦争はどちらも得をしない悲惨な戦争になり易いため、あえて電子経済戦争を選ぶ場合が多くなっていた。
電子経済戦争は、まず開始時に御互いが支払う対価を決定する。
これは第三国であるジャッジ国、今回は〈大和通商圏〉中央政府としての働きを持つ特別国家〈星京永世中立国〉が妥当と認めたものである必要がある。
〈東海連邦〉は開戦時に、屈指のゲーマーをそろえているという自負があった。だから、電子経済戦争など屁でもないとタカを括ってしまっており、敗戦国の経済の1/3の戦勝国への譲渡、および正規軍の実質上の解体が条件として提示された際に、あっさりと条件を飲んでしまったのだ。
〈関東合衆国〉は、大和の住民が、地球の日本国をあとにした際、関東と呼んでいた地域の住人が中心となって発足した国であった。
当時の関東には日本国の中央政府的な役割があり、人材を多く集めていた。その傾向は300年以上たった今の時代にも残っており、人材層の厚さでは特筆すべきものがあったのだ。当然ながら、ゲームに関しても一日の長がある団体を多く抱えていた。
そもそもの紛争自体が、惑星〈星京〉の経済や人材自体を〈関東合衆国〉が独占しつつあるという話が発端であり、その件に関しては〈星京〉内にある他の国家〈関西共和国〉や、〈東北共和国〉〈大台湾〉等も、常々不満を漏らし、〈星京永世中立国〉に対する調停の申し込みは後を絶たなかった。
だから、人材的偏重に関しては、当然ながら、今回の電子経済戦争開始時に不服の申し立てがあった。そのため、不公平を是正するために、一つの国ごとに、3万の選抜プレイヤーと、国民から無作為に選ばれた3万人が「徴兵」され、6万人ずつの軍の編成を行い、これを軍として編成するために、1ヶ月の準備期間を与える、という方法が採用された。確率的には50%の選抜プレイヤーに50%の素人を加えた軍が編成されるという仕組みだ。
だが、ここで国力の底上げが大きく運を左右したのだった。
〈関東合衆国〉は、200年間、国のカリキュラムに戦略ゲームの学習があり、たとえ無作為に国民を選別しても、ある程度役に立つ人材が選抜される仕組みになっていたのだ。
対する〈東海連邦〉には、この100年、教育カリキュラムに選択教科としての戦略ゲームはあったが、すべての国民に対する施策は施されていなかった。
結果として、〈東海連邦〉は6万の1/4である1万5千人がほぼ素人の人員である、という状態に陥る。もちろん、学習機械によって知識は得ることが出来る。だが戦略に必要なのは知識だけではない。付け焼刃ではやはり、時間を掛けた経験に等しい成果を上げることは難しかった。
挙句が1ヶ月の準備期間をほぼ新人の教育に費やす結果となり、一段高い地点から出発し、高度な経済戦略や、攻略布陣の綿密な詰めを行った〈関東合衆国〉に対して、広範囲の戦略ゲームを行った結果は、各個撃破や、補給路分断、ゲリラ戦による部隊損耗など、散々な戦果となり、惨敗の憂き目を見ることになったのだった。
とばっちりを喰らったのは〈東海連邦〉正規軍である。
〈東海連邦〉政府が飲んだ条件によれば、所持している軍は最低限度の防衛を残して、すべて解体することになっていた。宇宙軍も例外ではなく、軍備拡充で作られていたかの新造戦艦は、ほぼ完成間際だったものの、就航することなく廃船とされたあげく、経済的に窮して仕舞った〈東海連邦〉は、名も知らない商船会社に、船を譲渡してしまった。
結果としてその船は武装をさらに拡充し、巨大かつ強力な船体の船のみが取得できる、単独で国家権限を持つ船「独立武装貨物航宙船」として就航してしまった。
そして、本来新造戦艦の艦長として就任するはずだった男は転落した。職を失い、ごろつきとなりながら、男は羨望と
男の名は
§
「ねえ、まる船長、聞いてる?」
神楽茉莉は亜空間通信の遅延だけとは言えないまるの沈黙にちょっとイラついた。
まるはと云えば、船員の前では絶対にやらない、後ろ足で耳の中を「かっかっかっ」と掻く動作をしていた。イラついている証拠だ。
「こちらにも、〈コピ・ルアック〉に対する不穏な噂はここ1週間で10件も耳にしているわ。一体全体何をやらかしたの?」
『何もやってないわよ』
「だってこれ、誰かに恨みを買っているとしか思えないじゃない」
定常業務としているナノマシン・プレーンサーキット(用途をプログラミングする前「生」のナノマシン)の仕入れ先に対する放火事件。
個別の稀少物資取引に関して、偽の発注が10数件。
取引先サイトに対する相次ぐ冗談みたいなクラックが数件。
『レベルが低すぎるのよ、技術的な内容の如何じゃなくて、その手口が。ガキの悪戯みたいなモチベーションしか感じないわ』
猫特有の光彩を細めた目で、真っ直ぐ見つめるまるの顔は、かなりきつい印象を与える。
『今のところ、〈コピ・ルアック〉自体に手を出すような技術力も度胸も無いみたいだし。相手にするだけ時間の無駄だわよ。取引先にお詫びを入れて、警備の強化と対策の指南を技術部にお願いしてるわ』
「ふうん……。でも商売上、こういうのにいつまでも絡まれているのは都合が悪いんじゃない?」
『もちろんわかってるわよ、ネットワーク部と技術部の総力を挙げて追跡してもらっているわ』
神楽としても、友人が不愉快な目に遭っているのには助言、助力したいところなのだが、いかんせん、まるはプライドが高くて、下手な手助けが難しい。しかも、今回の件に関しては、敵の攻撃内容の幼稚さはあるにしても、手段は狡猾で、証拠を残さない、プロの仕事だった。
「とにかく、あんまりイライラしないようにね」
『うー……わかった。ありがとう』
亜空間通信を切った後、神楽はふーっとため息をついた。そして、ちょっと思いついたことを実行に移してみることにした。
「吉田!」
彼女が叫ぶと、まるで先程からそこにいたかのような俊足で、彼女の側近が飛んできた。
「ちょっと試してほしいことがあるのだけど」
§
ラファエル副長も、今回の件に関しては憂慮していた。
「まるさん、神楽女史の言われることも一理ありますよ」
「わかってるわかってるわよ。とにかく秋風君と渡辺君に技術的な探索お願いしてる。あとは自分でもデータを調べたりしてるし」
「ええ、でもうちの電子戦部隊でも、追跡できないというのは、プロの仕業だと思うのですよね」
副長の指摘はまるも十分わかっていた。
「うん。ただの相手じゃないのは分かってる。最後の手段としては、時空航行できる〈
「あの船ですか……未だによく分からないですし、運用リスクは高いですよね。ピンインさんの時は、対象が孤立していたからシンプルでしたけど」
「そう、考えうる時空干渉による対抗手段をシミュレーションしてみても、対象が漠然としすぎてるから、結果が広範囲過ぎて、危険すぎるって事よね。出来たら使いたくないわ。でも、今回の敵はそれ位危険度が高い気がするのよね」
<でも何よりも今回の件でイラついているのは>
まるは資料を読み直していた。
<犯人が何をしたいのかは分からないけど、「猫うん珈琲」って言葉を連呼してくれてる事。いい加減にしてほしいわ>
犯人は一連の事件で、これ見よがしに犯行声明を遺したり、現場にメモを残していた。そこには、
「我は猫うん珈琲を追う者なり。
そは悪意ある塊が形あるものに凝り固まりて生じた物なり」
「灰白色のおぞましき猫うん珈琲が空を
という具合に、大時代的な言い回しの中に、とても違和感のある言葉を織り交ぜた台詞が踊っていた。
「でも、よく分からないわねえ」
まるはコンソールからぴょんと地面に降りると、うーんっ、っと伸びをして、ついでに真っ赤な口を覗かせて大あくびした。ラファエル副長は腕組みをして目をつぶって相槌を打った。
余談だが、ラファエル副長が目をつぶったのは、まるのあくびにつられない様にする意味もあった。猫の欠伸の伝染力はハンパないのだ。彼は長い付き合いで、そう言ったまるからのサインをうまくいなせるようになっていた。もう特技の領域である。
「〈コピ・ルアック〉にあからさまな敵意を抱いていますよねえ」
「狙ってくる阿呆な雑魚はことごとく収監させて、まだ出てくるような時期じゃないし。骨のある奴と云ったら宙賊〈
「一体、誰に恨まれているんでしょうね?」
「さあ?」
一人と一匹は腕組みして頭をひねった。
§
彼が電子経済戦争メンバーに選出されて居たら、或いは〈関東合衆国〉との戦いの結果も大きく変わっていた可能性がある。それ位の才覚を持っていた。今、彼の全才能は〈コピ・ルアック〉に対する復讐に向けられていた。
今ちょこちょこと妨害工作しているのは、航宙船〈コピ・ルアック〉の業務に傷をつけることが目的ではない。敵の情報戦の主力を散逸させるだけの作戦だ。彼の作戦の真骨頂はそこにはなかった。
いくら武装船であっても、〈コピ・ルアック〉は商船であり、取引先との接触は避けて通れない。つまり、取引先にうまく潜り込めさえすれば、そこから直接侵入を試みることができる。かく乱戦術をとりつつ、土生谷はもぐりこめそうな取引先を探していた。〈コピ・ルアック〉の船外で荷物を受け渡しするだけの取引先ではだめだ。船内に疑われずに入り込める様な仕事先を探さなければ。
神楽コーポ―レーションも調べたが、どうやってか、〈コピ・ルアック〉の上層部と仲が良いようで、身内のような間柄で、新参者が品物の受け渡しに同席させてもらえるような感じでもない。通信をクラックしようと試みたが、堅牢な暗号化に阻まれた。
まあ、防壁が上がるのは承知のうえ、というか、彼はむしろそう意図して攻撃や扇動を行っていた。だが、防備を固めれば固めるほど、ちょっとした隙が大きな弱点になる。彼は〈コピ・ルアック〉には、なんというか、妙な隙がある。そんな感じを強く受けていた。元軍人としての勘だ。
そしてその隙は、〈コピ・ルアック〉の運営上の都合から、実際に大きく空いた穴のように存在していた。
§
もっともセキュリティの高いシステムとはなんだろうか?
1番目の対策は、ネットワークに接続していなければ遠隔クラックに対しては無敵である。だが、脆弱性などの修正はすぐには反映できず、例えばどうしても外部と接続しなければならなくなった時に、ひとたび悪意の直接アクセスを喰らったらひとたまりもない。
2番目としては、ごく当たり前だが、常時公共のネットワーク緊急対策センター等に出される情報を監視して、出来うる限り、侵入を許す穴をふさぐという方法になる。
外との連絡を取る必要性があるシステムにおいては、1番目の方法は論外だ。航宙船は少なからず外部と連絡を取り合う必要がある為に、結局、2番目のような地道な対策で、防御のための最新情報を常に追い求める作業が必要となる。ここがまず第一の穴だ。これは航宙船ならばどれでも持っている問題点であり、それなりに経験則的な対応は為されている。
だが、2番目の方策を講じている場合でも、例えば緊急センターに出された報告がもし誤報だった場合、航宙船は一時的にネットワーク的に丸裸になる可能性がある。
通常の船であれば、対策は自動ではなく、当直のネットワーク対策係が情報に気が付いてから対策を講じるまでに有限の時間がかかる。
だが、〈コピ・ルアック〉の緊急対応は
現実問題としては、
<あら?通信システムのアクセス脆弱性の修正パッチが公開されたのね>
即座に修正パッチをダウンロードして、サブシステムにパッチの妥当性を調べさせる。システムに採用されている不定長鍵暗号。サブシステムのスキャン結果では特に問題点や不審なところは見受けられない。
<パッチ自体におかしな所はないけど、なぜこのパッチが緊急度Aなのかな。可能性の極めて低い外部からの侵入に対する対策だし、普通の条件では発生しない内容よね。取り立てて急ぐほどの対策ではないはず>
それはほんの数ピコ秒(一兆分の1秒)の
だがすぐに決断する。
<とにかく、パッチ自体は問題ないんだから、アップデートしておきましょう>
そして、それこそが罠だった。
§
いきなり、航宙船〈コピ・ルアック〉のブリッジの電源が落ちた。
「え?何々、何が起きたの?」
まるが〈コピ・ルアック〉に搭乗してから、初めての事態だった。
非常用電源も動作しない。
「ブリッジより主動力部。ブリッジの電源が落ちた。どんな問題が起きている?」
ラファエル副長が手さぐりしながら問いかけたが、返答はない。
「緊急回線を。あれは別電源でしょ」
そういいながら、まるはヘッドセットに搭載している赤外線スコープを起動した。
これなら、微弱でも熱源があればその姿を視認できる。
「もし電源喪失なら、15分以内に再起動しないとシステムに不具合が起きちゃうわ。赤外線スコープをONにしたから、私がやる」
そういいながら、パネルを探って非常回線を見付けて応答を取る。
「こちらブリッジのまる。主動力部、誰か応答して」
流石にすぐに応答が帰ってくる。
『船長、こちらエンジン部。エンジンも止まりました。〈エンジン・コア〉は正常。電源経路が意図的に遮断されたようです。現在
<
まるの頭の中で、一連の攻撃との関連性がふとよぎる。
しかし、堅牢な〈コピ・ルアック〉に侵入して
<……でも、たしかピンインがいとも簡単に記憶消去とかやってくれたし、その前は羽賀さんにさっくりクラックされてたし。本当に堅牢なシステムなのかしら……>
まるは眉間にしわを寄せて頭を抱えた。
<最悪の可能性を考えて動いた方がいいかもしれない>
「こちら船長、これは外部からのクラッキングの可能性があるわ。とにかく、非常電源だけでも、迂回路を作って電源供給できないか対策して」
『わかりました、まずは明かりの確保からやってみます』
通話を切ってすぐに副長を探す。
イタリア人の姿は赤外線光の中でもくっきりと見えた。体温が高いのだろうか。
「ラファエル副長、暗がり対策は何とか出来そう?」
「今度からは赤外線スコープを用意しておきますよ。完全な暗がりで思うように身動き取れません」
「分かった、動ける私が対策するわ」
ブリッジのドアに向かうが、当然電源が落ちているので開かない。電源が落ちたドアはロックを外せばただの重たいドアだ。
ドアの隣のパネルを外し、中に有る機械式ロックを外す。
「副長! ちょっと手伝って」
転ばないように注意、というとしたら、「どったーん」という音が聞こえた。
「大丈夫?」
「え、ええ、
「用心してね」
ラファエル副長の手を引っ張ってドアに連れていく。
「これドアだから、思いっきり引っ張って明けて」
「了解しました。えいっ」
ぎゅぎゅぎゅぎゅーっと、ドアのパッキングが無理やり引っ張られて嫌な音を立てる。
通路に出ると、備え付けのランプがあった。パッと飛びついて床に落とすと、加えてラファエル副長に渡す。
「これで大丈夫、一緒に来て。力仕事は私には無理だわ。他の人はブリッジで待機」
まるとラファエル副長は真っ暗な船内の通路に歩き出していった。
§
即座に全回線、回路から自分のコア機能を遮断して、最悪の難は逃れたが、あっという間に船内機能を掌握され、主電源を落とす羽目になってしまった。
まあ、その「あっという間」に大変な攻防があったのだが、それは人間にしてみれば、数か月に及ぶ戦闘記録の様なものなので割愛する。
パッチを充てる間、通信のセキュリティシステムは停止する。
通信そのものも普通のシステムなら遮断されるのだが、
<仕舞った……取引先へのクラックは、すべてこれを仕掛ける方が本命で、冗談みたいなサイト改変はカムフラージュの為だったのか>
当然、そんな単純な問題には引っかからないようにプログラム全体には幾重にもフェイルセイフ機構がある筈なのだが、敵はあの手この手で
そして、船全体を掌握される前に打てる唯一の手段として、
正直、船長が最大の頼みの綱だった。
§
まるとラファエル副長が最初に向かったのは、工作ブロックだった。
ブリッジに比較的近く、中央リフトが動いていない状態でも200mほど突っ切れば到着できるし、あそこなら個別の電源、ピンイン事件の後に作った
二人が走って到着した工作ブロックのゲートは、やはり死んでいた。
まるがブロックのドアのロック解除を行い、ラファエル副長がこじ開けると、中ではすでに対策を講じる算段をしている秋風技術部長と、渡辺ネットワーク部長が居た。別口から侵入に成功したらしい。
「状況はどう?」
まる船長が尋ねると、秋風が苦しそうに首を振った。
「芳しくありません。システムは外部の謎の敵に半ば掌握されています。電源が落ちたのは
「そのまま復活させたら?」
「船は敵の手に落ちます」
「その場合で、現状、敵に掌握させずに済むシステムは何がありそう?」
「エンジンと
<うー。本当に芳しくないわね>
まるがそう思った次の瞬間だった。
「ガガガガガガガガーーーン!!」
今まで感じたことの無いような衝撃が〈コピ・ルアック〉に走った。
続いて、船体を通じた振動により、不気味な声が響いてきた。
「わが名はエイ・ハブ。商船〈コピ・ルアック〉は只今を以て私の指揮下に入る」
声を聞いたまるは、全身の毛を逆立て、尻尾を脹れあがらせて唸った。
(続く)
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