第14話「武装貨物船競争01:新人研修です!」

 ラファエル副長は船宛のメールを整理していて、恒星間定期便による認証付メールを見つけた。

 恒星間定期便は、超空間ゲートを使って物理的に行われるメール送達で、事務処理などの関係で、通商圏内1日~3日程、通商圏と通商圏の間の連絡で一週間~10日程を要するメールだ。21世紀の物理的なメール便的な役割と思えばよいだろうか。

 件の認証付メールは〈ペリカン太陽系〉の惑星〈タロス〉の衛星〈メディア〉から、武装貨物船競争に関する登録完了と、レギュレーションに関する細則。というSubjectで送られてきていた。


「船長、エントリーの許可が帰ってきましたよ」


 そう言われて、まるはきょとんとした。急いで顔を上げたので、片耳がぺこんと折れ曲がってしまった程だ。慌ててぷるるるっと耳を動かして戻す。


「何のエントリー?」

「惑星〈タロス〉周辺で行われる武装貨物船のレースですよ。お忘れですか?」


 暫くフレーメンのような表情で思い出そうとするまる。


「ああ、ああ。〈ペリカン太陽系〉で開催されるあれね。

 (9話21:00の話を参照)

 装備のグレードダウンとか色々やらなくちゃいけないんじゃかったっけ」

「そうですね、レースは1か月後。今回はエントリーの返答と、レギュレーションの通達ですが、色々と条項が書いてあります」

「でも、〈コピ・ルアック〉の装備をグレードダウンしたりしたら、業務に影響でないかしら」

「実際のグレードダウンはレース数日前からで、そのための予備調整をして切り替える感じですね」

「そう。でも、幾らグレードダウンしても〈コピ・ルアック〉のスペックだとチートになるんじゃない?」

「ん……。ちょっと待ってくださいね。基本はワープエンジンを使わない亜光速航行のレースです。300メートル以上、1500メートル以下の大型航宙船と、その搭載艇の2隻でエントリーします」


 エントリー可能な船の説明を聞いて、まるは困った顔になった。


「ちょっと待って、亜光速加速にもワープエンジンは使っちゃダメなわけ? それってすごい時間か、とんでもないGが掛かるでしょ」

「ええ、そうなりますね。ワープエンジンを使った無慣性加速なら数秒で光速の80%の速度が出ますけど、それだと競技にならないって事でしょうね。レギュレーションだと40Gまでの加速が許可されています。有人区画にG低減用の可動型縮退物質板を装備する、等の高G加速対策が許可されていますね」

「40Gだと最大速度は一日加速して光速の20%程度って感じね。〈コピ・ルアック〉の船体構造上、40Gの加速は大丈夫なの?」

「貨物室内と船体中央に2列並んだ重力感発生用ドラム構造体が一番ネックですが、それでも60Gまでの設計になっていますから問題ないですよ。可動型縮退物質板は既にブリッジ区画にはありますから、加速方向に向かってブリッジを傾ければよいですし。問題はワープエンジンを使わない際のエネルギー源と、搭載艇の方ですね」

「そうねえ……純粋な亜光速用のエンジンなんて積んでないしね。それに搭載艇だと、レギュレーションに合うものが無い気がするけど」

「ああ、搭載艇でしたら、一隻だけ大丈夫なのが有りました」

「そうだっけ? 〈ブルボン・ピーベリー〉は速度は出ないし、〈渡会わたらい雁金かりがね〉には亜光速だけのエンジンなんてないし。〈川根かわねほうじ〉は亜光速なんて耐えられないし……」

「〈八女やめ白折しらおれ〉ですよ。先日サルベージされたそうで、惑星〈雪花〉で修理されていたそうです」

「なにそれ、報告受けてないわよ。燃え尽きちゃった訳じゃなかったの?」

「2度目の重力震の際に軌道が変わったようで、落下しきれずに漂っていたところを〈雪花ブータン公国〉の降下艇ドロップシップが見つけて、サルベージ船に連絡したそうです」

「へええ、よかった……じゃなくて、それが無くなったから、羽賀さんに〈渡会わたらい雁金かりがね〉を頂いたのだけど」

「そう思って羽賀参事官に連絡差し上げましたが『あれは差し上げたものですから問題ありません』だそうです」

「そうなの……菓子折りでも持って行った方がよさそうな雰囲気ね」

「それが、『船籍登録の折にお茶の名前として〈渡会雁ヶ音〉とすべき所を〈渡会雁金〉で登録して申し訳ない』って、逆に謝られてしまいましたよ」

「何というか、律義な人ねぇ」

「ということで、この後、〈雪花ブータン公国〉の船とランデブー予定です。船長も来られますよね」

「そうね。……あの国の料理、辛いんじゃなかったっけ」

「激辛です♪ 大丈夫、船長はいつもの如く飼い猫設定で、食べやすい物を出していただきますよ」


§


 衛星〈メディア〉。

 それは〈ペリカン太陽系〉において、木星の10倍の重量を持つ巨大惑星〈タロス〉の周りを周回する衛星だった。テラフォーミングされる前は、土星のタイタンをそのまま8倍ほどの大きさにしたような星で、分厚い氷に覆われた地表の中に液体の水とメタンを湛えた星であった。


 この星を居住可能にするテラフォーミングは、22世紀後半に、かなりダイナミックな方法で行われた。それは〈タロス〉の周辺にある他の小さい衛星を破壊して降り注がせるというかなり乱暴なもので、これにより「埋め立て」を行い、衝突の際に起きる熱で氷を溶かし、メタンを沸騰させ、そこに藻類から始めて、高等生物を徐々に入植させていった。若干の温室効果ガスにより気温を高め、動物相を投入するころには100年ほどの時間が経過していたが、そのころには地表をジャングルに覆われ、海も大量の藻類が繁茂するため、緑一色の独特の外観の星になっていた。

 この星に入植したのは、アジア中心の〈大和通商圏〉においては珍しく、西欧諸国のイタリア、ドイツなどの国の中の一部の人々だった。彼らはローマの子孫という線を頑なに崩さなかったため、フランスとロシアが主導する〈欧蘭通商圏〉に馴染むことが出来ずに通商圏を渡り歩き、半難民状態になっていた。そうやって渡り歩いた末に、比較的自由度の高い〈連合通商圏〉と〈大和通商圏〉を比較して、文化的に好みが近い〈大和通商圏〉で、たまたま入植者を募っていた〈メディア〉という星の存在を知り、永住の地を求めたのだった。

 そして、彼らはテラフォーミングが終わりつつある〈メディア〉への入植権を勝ち取ると、そこにローマ帝国由来の都市国家を作り始めた。そこにはいにしえの地球から、いくつものローマ時代の古代建築遺産が運び込まれ、再構築された。だから〈メディア〉は28世紀にあっても、古代ローマのロマンを受け継いだ都市が多数あった。いくつかの都市国家はイタリアからの遺産や移民を中心としており、集合して〈メディア・ローマ帝国〉を名乗った。帝国とはいえ、皇帝も選挙だったりと、実質は共和制に近い国家ではあったが、観光資源を生かすために敢えて帝国として名前を売っていく戦略で、国家を形成していったようだった。またいくつかの都市国家はドイツからの遺産、移民を中心としており〈メディア騎士団国〉を名乗った。

 そして、〈メディア・ローマ帝国〉は、古くからのロマンを伝える観光都市国家として隆盛した。そのロマンの中には、ローマの戦車競走が有った。最初のうちは、実際の戦車競走を模したものも開催されたが、どうしても集客は今一つだったため、人々はその現代版として、武装貨物航宙船による系内競技大会を発案した。これは大当たりで、他の通商圏からも多数の観光客が訪れるほどの名物行事となった。そこで、現役で活動している船のエントリーを募って、公募でのレース枠を作り、公式選手と共に競わせるようになってきたのである。

 今回のレースでは、シードの選手枠は4枠、公募も4枠で、合計8隻の武装貨物船が競う事になっている。

 シードの筆頭は、〈メディア・ローマ〉国選のバレリオ・リッチ選手率いる〈コピ・ルアック〉を凌駕する1.3kmの巨船〈レガツォーナ〉だった。鋭角なデザインが特徴で、渋めのトリコロールに塗り上げられている。搭載艇も大きく、200m級の〈ゼッフィロ〉であり、先端に縮退物質を格納した球体が有り、客室は加速に従いそこに近づくという構造になっていて、逆向きの待ち針のような形状をしている。ちなみに、〈ゼッフィロ〉は本来からこの構造であり、これを搭載するために縮退物質対策として〈レガツォーナ〉は巨体になっているらしい。

 シード2枠目は、同じく〈メディア・ローマ〉国選のエンツォ・ジョルダーノ選手率いるところの〈サルディーニャ〉。全長600mと短いように見えるが、クレセントムーンのように横に長い形状をしている。搭載艇は箱のような形状の〈ジェナツァーノ〉で、通常時と異なり、レース用にリング状の縮退物質による重力緩衝器を装着している。高加速になるとリングが船体本体に近づいて干潮力のバランスによって加速Gを相殺する設計になっているようだ。

 シード3枠目は、同時主催国である〈メディア騎士団国〉国選のクラウディウス・オイゲン選手の率いる〈カイザー7〉で、全長700m、ほぼ完全な球体である。搭載艇は〈ステッペン〉で、名前の由来となったチーズの様に、タイヤのような形状をしている。重力緩衝器はいずれも外見からは目視できないつくりになっている為、詳しい内容は不明だが、既にレギュレーションチェックはクリアしているらしいので、かなり面白い機構を搭載しているとみられている。

 シード4枠目は、同じく〈メディア騎士団国〉国選によるアポロニウス・リヒターとエドヴァルト・リヒターのリヒター兄弟が率いる〈ヒンデンブルグ〉で、全長1.1km。質実剛健を旨として、面取りされた三角柱のような恰好をしている。搭載艇は〈ツェッペリン〉であり、全長は100m、長楕円の飛行船を思わせる形状をしている。

 シード枠はいずれも〈メディア〉の地域振興団体からの推挙と、過去の実績で選ばれた船であり、武装貨物航宙船としてのキャリアも結構長い。この競争自体も数度目という船が多く、実力も侮れない船ばかりであった。


 代わって公募枠筆頭は、(表向きは)我らがラファエル・チンクアンタ率いる〈コピ・ルアック〉、艦載艇は〈八女やめ白折しらおれ・改〉で、回収した〈八女やめ白折しらおれ〉に可動可能な球状の縮退物質による重力緩衝器が取り付けられ、船体後部にはバイオマス・リアクターによる亜光速エンジンが追加されていた。

 〈コピ・ルアック〉も結構濃い船なのだが、その他の公募枠も非常に濃い内容となっているようだ。

 公募2枠目ははるばる〈連合通商圏〉からの参加となる〈ミシシッピ〉で、全長750m、形状は何というか、沼亀を思わせるフォルムで、船名のミシシッピはおそらく、船体の形状によく似た「ミシシッピアカミミガメ」が生息する大河の名前から取られたのだろうという話であった。搭載艇もよく似た形状で〈スライダー〉という名前である。現状ではまだ重力緩衝器のセットアップが済んでいないので、最終的にどのような形状になるのかは不明であった。

 公募3枠目は〈種子島公国〉から、織田コンツェルンによる〈黒船〉が参戦していた。全長はなんとレギュレーションギリギリの1.45kmであり、古代の帆船をモチーフにした独特な形状をしていた。搭載艇は〈火縄銃〉で、干潮力バランスリング式の重力緩衝器を使った170mのやや細長い機体だった。ちなみに、〈コピ・ルアック〉とは入札時に時折競り合いをする仲でもあった、もう一つ言えば、織田コンツェルン自体が、土岐氏の遠縁が経営する企業体だったりで、縁浅からぬ仲となっていた。

 そして公募4枠目は、なんと異星人だった。彼らは〈超人の隣人〉太陽系の、黒と緑の縞を持つ巨大ガス惑星「西瓜」に住む超重力生命体〈EXTR183〉で、何と40Gの加速でさえも、縮退物質による重力緩衝器を必要としなかった。船は驚きのレギュレーション最小サイズの300mの航宙船〈星の糧〉であり、搭載艇に至っては12mの〈種〉という船であった。彼らの亜光速エンジンは地球人類のそれとは異なるため非常にコンパクトで、尚且つ、重力緩衝器の搭載が必要でないためにこういう結果となっていた。


 かくして、個性豊かな面々による「武装貨物船競争」まで、あと2週間であった。


§


 まるは、当日の〈コピ・ルアック〉の航宙士と、〈八女やめ白折しらおれ・改〉のパイロットをあえて指名せず、選考会を開いて船内の有資格者から選ぶことにした。

 太田航宙士以下、16人の有資格者から、ゲーム大会、船内障害物競走、投票を経て選ばれたのは――。

 〈コピ・ルアック〉担当は不動の太田航宙士。

 そして注目の〈八女やめ白折しらおれ・改〉には、最年少18歳のルーキー、加藤航宙士補が選ばれた。

 この時の顛末についてはまた回を改めることにして、この日を機に、まるの加藤航宙士補へのスパルタ研修が始まったのだった。


「勘弁してください船長~」

「何これくらいでへたばっているの。猫の私ですら簡単なのに」

「船長はその辺の宙賊が束になって掛かっても敵わないスーパーキャットじゃないですか。比較しないで下さいよ」


 船内シミュレータでの毎日2時間の教習。

 〈八女やめ白折しらおれ・改〉での実際の航宙訓練。

 船内フルダイブバーチャル施設に異星人の重力コントローラを組み合わせた高重力訓練と危機対処訓練……。

 まるのスパルタは続いた。

 いい加減へばってトレーニングルームのベンチに横になっている加藤の脇腹に、まるは爪をひっこめた軽い猫パンチを食らわせた。


「あうっ」

「この軟弱青年!私が最初に〈タロス〉の輪を飛ぶときにやった訓練はこんなものじゃなかったわよ?」

「タロスの輪って、あんな隕石のゴロゴロしてるところ飛べるんですか?」

「何言ってるのよ、今回の〈八女やめ白折しらおれ・改〉もそのコースを飛ぶことになるのよ?」

「ええええええっ!」


 びっくりして飛び起きる加藤。


「ちゃんと配られた資料読んでないわね」

「冗談じゃないですよ、てっきり亜光速船の競争だからっていうから……」

「それも本当よ。さすがにあんな隕石帯は亜光速では飛ばないけれど、今回のレースの重要な山場じゃない」

「うわぁ……今からほかの人に代わる……とか」

「やれるモノならやれば良いわ」

「ううう……」


 他に出たがっていた人は沢山いて、それを押しのけての登用だったから、さすがに今からの棄権はいい恥さらしどころではなかった。


「まさかそんなとんでもない内容だって、思ってなかったんですよぅ」

「それは資料を読んでなかった君の責任ね」


 確かにその通りだ。加藤はがっくり肩を落とした。


「あのね」


 まるは彼の膝に乗り、目をじっと見て語りかけた。


「以前私がヘッドセットをなくして大慌てしたことあったでしょ。」

「ああ、はい。あの時船長が何を言いたかったか、最初わからずに焦りました。」

「でも君は判断して、理解してくれたよね」


 そうなのだ。

 まるがヘッドセットをなくしている最中に宙族「覇狼」に襲われた時(第3話)、まるのゼスチュアとキーボードから打った「;X」の文字を見て、彼はまるが喋れないという意図を察して連絡を入れてくれたのだ。


「実はね。あの時以降、よく気が付く子だと思って、あなたに目をつけていたのよ。そしたら、今回のレースの公募に君の名前があってさ。若い子が出てくることは良いことだ。って感心したんだけどな」


 加藤は顔を下に向けて目をつぶった。そして乾いた笑いを立てた後静かに言った。


「買い被りですよ。僕はそんなに出来る子じゃないです。〈コピ・ルアック〉への登場だって、まぐれで決めたようなものだったんですから」

「あら言うわね。うちの登用試験って、そんなに簡単じゃないと思うんだけど」

「そうなんですけど、僕はラッキーが重なったんです」

「どういうこと?」


 まるは彼の膝から飛び降りてくるりと回って座り、顔を洗って、再び彼の方向を見た。まるなりに、彼の言いだすタイミングを計ったつもりである。


「筆記試験は山を張りまくりましたし、面接はラファエル副長だったのですけど、やってる最中に〈コピ・ルアック〉が到着してうやむやに――」

「ああ……ちょうどこの船の納入日だったのね」


 あの時は緊急の仕事も入って、進宙式もそこそこに出発したっけ。帰った後も仕事の処理が面倒で、面接切り上げちゃったから、って数人そのまま合格にしちゃったのよね。


「はい、だからすぐに切り上げて、以降の予定は特別免除になりました」

「なるほどね。という事は加藤君は、〈コピ・ルアック〉と同期じゃないの」

「そう言われたらそうなんですけど、ここに雇って頂いて8ヶ月、失敗ばっかりやっている気がします」

「そうなの?」

「そうですよ。太田さんには宿直終わるといつも呼び出されて説教を受けてますし、別部署なんですけど、秋風部長怒らせたこともあるし……」

「秋風君を?なにそれ」

「ぼくの担当はメインエンジン管制室なのですけど、ある日電源の供給がおかしいってすごい剣幕で秋風さんが来て」

「ふんふん」

「調べたら、工作室への電源供給ラインが切れていたんですよね」

「それは問題ね。解決したの?」

「はい、数日前に乗船した、ピンインとかいう方が工作室を壊した際に傷つけていたケーブルが断線したのだそうでした」

「なによ、それ加藤君が悪いわけじゃないじゃない」

「そうだけど、そうじゃないんです。工作室の電源供給がおかしいのは、回路以上のアラームが出ていたので、送電側からも確認すればできたはずなのですけど、僕が怠っていたんです」

「ふむん」

<若いし、生真面目。発想の転換はできるんだけど、ちょっと萎縮してるのよねえ……>

「ちょっと一緒においで」


 まるはくるっと踵を返すとすたすた歩きだした。少し歩いて後ろを振り返ると、加藤は少しあっけにとられて固まっていた。


「何してるの、来なさいよ」

「あ、はい」


 まるが向かった先は格納庫。〈八女やめ白折しらおれ・改〉は、秋風が「物干し竿」と呼んでいる重力緩衝機構を取り付ける前の形になっている。まるはじっとそれを見つめた後、くるりと向きを変えて〈渡会わたらい雁金かりがね〉に向かった。


「本番の機体に乗るのはいろいろと問題あるし、まだ整備も出来ていないからね。それに、〈渡会わたらい雁金かりがね〉なら、少々ぶつけてもびくともしないし、乗っている人間も死なないから」

「ぶつけてもってっ、ちょ、船長!」

「大丈夫大丈夫、私の腕を信じなさいよ」


 〈渡会わたらい雁金かりがね〉の外壁の梯子にひょいひょいと足を掛けて登ると、エアロックの解錠パッドに触れ、開錠キーワード「2828にゃーにゃー」を打ち込んで開け、するりと中に入る。


「早く入って、そっちの操縦席に座ってベルトをしなさいね」


 〈渡会わたらい雁金かりがね〉には人間用の操縦席のほかに、まる専用の操縦席も搭載されている。というか、まるが操縦することの方が圧倒的に多いので、人間用は撤去していいのかもという話すらあったくらいだ。だが、今回は操縦席が二つあるのが功を奏した。


「あー、FERISフェリス?  今からちょっと出るわ。格納庫のハッチを開けて」

『了解しました』


 エアロック、という言葉は、大型船ではあまり意味を持たない。

 大型船のエアロック代わりに設置されたフォースフィールドは、固形物は出入りが出来るが、逆に小さな分子粒子は外に漏れないという、コロイド膜などとは逆の性質に設定されている為、ゲートが開くとそのまま外が見えるのだ。

 この特殊通過フォースフィールド、28世紀の今の時代でもかなり大がかりな装置のため、小型船には装備できないのが難点だ。


「では〈渡会わたらい雁金かりがね〉、まる、及び加藤聡、惑星〈タロス〉外周に研修のため向かいます」

『了解です。行ってらっしゃいませ』


 まるは静かに〈渡会わたらい雁金かりがね〉を発進させ、エアロックを出ると、ワープシェルを展開して、〈タロス〉に向かってワープを開始した。


§


「船長が〈タロス〉に向かったんですか?」


 ブリッジに居たラファエル副長はFERISフェリスに聞き返した。


『はい、加藤航宙士候補生を連れて、研修目的だそうです』

「あ゛-……・・・」


 ラファエルは思わず十字を切った。いや、死ぬことは無いと思うが、加藤君が死ぬより辛い目に遭うのはほぼ確実だと思った。


「そういえば、以前、船長が惑星〈タロス〉の輪をどうのこうのって言われてましたね」


 操縦席の太田航宙士がラファエルの方を振り返る。


「ああ。あれは神業だよ」


 ラファエル副長は何となく遠い目をして答えた。


§

 惑星〈タロス〉の巨大な輪は土星の8倍の規模があり、その円盤の上から見た世界は筆舌に尽くしがたい景観だった。

 〈地球通商圏〉にある〈J1407〉太陽系には、土星の200倍の輪を持つガス惑星〈J1407b〉があるが、星の巨大さを実感できる分、〈タロス〉の輪にはスケール感があり、見る者を圧倒させた。

 〈渡会わたらい雁金かりがね〉は輪から1光秒の位置に浮かび、まるが各種の調整を行っていた。


「船外シースルービュー設定、逆慣性制御設定、リミットは10G。っと」


 まるは楽しそうにコンソールをいじる。


「逆慣性制御?」


 加藤はまるの発した不穏な単語に突っ込みを入れた。


「ええそうよ。〈渡会わたらい雁金かりがね〉はワープエンジンしか積んでいないでしょ?」

「ええ、まあ――」

「だから今は、重力制御を利用して、ワープエンジンの慣性無効化効果を打ち消す設定をしたの。だって、本番では重力緩衝器が付くとはいっても、短距離の急加速は完全には打ち消せないし、横Gとかはキャンセルできない訳だしね」

「それはそうですけど――」

「よし、設定完了。じゃあ行くわよ。コースはここからリングを突っ切って反対側に出るシンプルなコースで」


 まるは操縦桿を握って楽しそうに身構えた。加藤は全身をこわばらせてがちがちに固まって操縦席に体を沈み込ませた。


"Let's Have a good time!"


まるは叫ぶとエンジンをスタートした。

 すぐに2Gの鮮烈な加速が二人を襲う。

 眼前に迫るリングは、見る間にその本来の姿である氷と岩石の集合体に姿を変えていく。航路は次々と指示されるがとてもでは無いが目では追い切れない。

 だが、まるは嬉々として反応しててきぱきと操縦桿を操作して対応していく。


「あらちょっと大きいのがあるわね、よけきれないから急減速っ」


 がっくんと4Gの減速を掛ける。


「ぐふっ」

「この程度で音を上げないでよね。どんどん行くわよー」


 隕石を横っ飛びによけて3Gの横殴りのGを受けつつ、それを物ともせずに楽しそうに操縦桿を操作するまるは、ほとんど鬼神の態だった。

 体が柔らかい猫だからこそ、高加速のGも楽しく受け流せるのだろうが、猫の速度感で操縦された船に乗っている人間はたまったものではない。


「あ、そうそう。座席の横に衛生袋用意しておいたから、吐きそうになったら使ってね」


 ぐるぐると錐もみしながら器用に障害物をよけるまるの言葉に、加藤はすぐさま袋を取り出して口に当てる。内容物は直ちに高分子に包まれて固まる親切設計なので、飛び散ることはない。


「よし、ちょっと隙間見つけたっ」


 と云って、いきなり7Gまでの高加速をして、それから横殴りにコースを変える。最早ジェットコースターの比ではない。しかし、かれこれ5分ほどでこの狂乱は終わった。輪を抜けたのだ。


「とまあこんな感じかしら。楽しかったでしょ?」


 まるは嬉々として加藤の方を振り返ったが、失神している加藤には通じなかった。


「あれ、加藤君、こらこら。この程度で情けないわよ」


 自分のハーネスを外して加藤の方に流れていくまる。彼の顔を肉球でぺしぺしと数回叩き、其れでも起きなかったのでいろいろ試した挙句、最後は猫キックで起こした。


「大丈夫? 意識はあるわよね」


 加藤は胃の中の物を全部出しては居たが、まだお腹がムカムカして、頭もガンガンしていた。


「洗濯機の中に入れられて回されたらこんな感じかと思いました」

「なによ。男の子が情けないわねえ」


 無茶を言うものではない。


「さて、今度は君の番。多少ぶつけても死なないから思いっきりやってみて」


 少しは休ませてほしいと切に思いながら、目をキラキラさせて期待の眼差しを向けるまるから発する、猫の萌えパワーにも抵抗できない加藤君ではあった。


§


「何よ、こんな面白い事に参加するのなら、ひと声くらいかけてくれていたってよかったじゃないの」


 〈コピ・ルアック〉が〈メディア〉主催の武装貨物船競争に出ることを今更のように知ったとある女性が、デスクでふくれっ面をしていた。


「吉田、武装貨物船競争の開催期間に入っている予定のキャンセルは可能?」

「少々お待ちを……。そうですね、開催は三日間ですから、かなり難しいですが、調整は出来ると思います」

「じゃさっさとお願いね。私は衣装を買いに〈メディア・ミラノ〉まで出かけてくるわね」

「畏まりました」


 神楽茉莉は〈桜扇子〉を呼び寄せる手配をして、惑星〈星京〉の〈東海連邦〉首都「大名古屋」にあるオフィスをあとにした。


(続く)

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